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英国古代遺跡研究会コミュのNO72【並ぶ三つの古代墳丘墓】

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『 CABUES 』 
 
 早朝、エジンバラのバスターミナルより、始発のインバネス行きのバスに乗る。
自家用車ならば高速運転三時間なのだが、バスでは五時間以上かかる。
 ガソリン代と所要時間を考えると、運転できる体力があれば自家用車をお勧めする。
ガソリン代も高いものでは無いし、遺跡をゆっくり見学できるし、時間的制約を受けないのが良い。
最終バスを気にしないで遺跡を見学できる。

 インバネス到着は昼近い時間で、ターミナル駅からローカルバス乗り場まで町の中へ移動しなければならない。バス路線の番号を指差し3人の人に聞いて何とか乗り場までは辿り着いた。
時刻表を見ると一時間に一本しか走っていない。
 自家用車なら一五分位の所に在るはずの古戦場跡地、不便さは致し方ない。
水色のローカルバスは一二人ぐらい乗りのライトバンみたいな車で、お客は少ない。
観光客と思しき乗客は全員古戦場の停留所で下車した。
 私一人が古戦場のビジターセンターと反対方向に歩む、皆は何処に行くと言う眼で私を見ている。
 帰りのバスの時間を確認して遺跡を目指す。
 遺跡までの徒歩で到着する時間を計り、帰りのバスの時間に合わせて遺跡の滞在時間を決める。
自由な一人旅だ。自慢じゃないが旅慣れても居る。

 オークニー島スカラブレ遺跡の最終バスに乗り遅れた時を思えば、何とか成ると言う気があり、インバネスに着けば泊まる所に不自由はしない。
別に急ぎ旅でもない。
 古戦場を右手に見て五万分の一の道路地図を手に遺跡を目指す。
天気は良い、古戦場を吹き抜ける風も爽やかだ。
 
 小高い丘の潅木の間からこれぞスコットランドと言う景色が見えた。
流れる雲の青い空、遠くの山並み、巨大な半円形の鉄橋が河原を跨ぎ、線路が地上百メートル位の所を走っている。 絵葉書で見るスコットランドの鉄橋の写真だ。
 これは思い掛けない発見で遺跡帰りに時間を取り、じっくり撮影する事にする。
 左手に鉄橋を見て、道路を右折する。ニメートル幅の小道の両側に、ハイランド地方に良く見られる家畜囲いの石積みが美しく積み重ねられた石垣が続いている。

右手の放牧地の中で牛が草を食んでいる。牛の群れの間に立石が見える。
巨石だ。多くの古代遺跡に見られる参道の始まりに立てられる立石に違いない。
 右手前方に木立が見える。あの木立の中に墳丘墓があるのだろう。
地図の遺跡の位置と一致している。
 木立の手前に駐車場が見えてきた。駐車場の木立の間から立石が見える。
巨石によるストーンサークルだ。
 古戦場より徒歩で三〇分、最終バス時間までは充分に時間はある。
始め眼にした木立の中で巨石の写真を撮る。フィルムを新しいものと変えて墳丘墓に向かう。

 立派な墳丘墓だ。しかも墳丘墓は三つ並んでいる。
 想像を遥かに超えた巨大な墳丘墓の古代遺跡だ。
 つくづく思う。写真集や雑誌で見るだけでは駄目なのだなぁーと思う。英語力の弱さも無視できない。この遺跡が三つの墳丘墓の集合体と言う事は説明で書いてあった筈である。
 英語が判らない為に三枚の写真が一つの遺跡を、違う角度から写したものと勝手に思い込んでいた為だ。こんな凄い墳丘墓と知っていたら、真っ先に訪れていた古代遺跡だ。
 今回訪れて本当に良かった。キンタイア半島の集落全体に広がる、幾つかの墳丘墓の遺跡とも違い、この遺跡の墳丘墓は違う形の墳丘墓が一箇所に三つ並んでいる。これは矢張り珍しい。

墳丘墓を被っていた土砂を取り除き、石済みが露にされている為に墳丘墓の造形が良く判る。
一番手前の墳丘墓が一番大きく、ストーンサークルの立石も見事だ。
墳丘墓の周りには立石が立ち並び、太古の墳丘墓の原型と思われる姿を留めていると思われる。
今まで見てきた墳丘墓の中には、周りに立石の無い墳丘墓も見受けられたが、多分後世に立石が持ち去られたものと思われる。

 ストーンサークルの中に墳丘墓が創られたのか、墳丘墓の建設後にストーンサークルが創られたのか判らない。私の考えでは?円形のヘンジが創られる。?ヘンジの縁に巨石を立てる。?中心に墳丘墓が造られる。と言う様に今迄は考えていたのだが、このストーンサークルの大きさと墳丘墓の大きさを見ると、墳丘墓の出来た後に周りに巨石を立てたと考えたくなる。

 キンタイア半島の巨大な墳丘墓の周りにはストーンサークルは見られなかった。
埋葬地としての墳丘墓にはストーンサークルは見受けられない。この墳丘墓の造りはアイルランドのニューグレンジの造りと同じ造りをしている。ニューグレンジのミニチュア版とも言える程そっくりだ。
墳丘墓の中の造りも同じだ。墳丘墓の入口の方向がアイルランドのニューグレンジの墳丘墓と違う様な気がするが、冬の太陽の昇る位置はずーと西よりになる。
 何れかは知らないが、スコットランドのインバネスとアイルランドのニューグレンジ、何らかの交流があったか、民族が移住して来た可能性も感じられる。

 この墳丘墓は埋葬の為ではなく、儀式の為の施設と考えられる。
そうして考えると隣にある二つ目の墳丘墓の跡に興味が湧いてくる。
この墳丘墓は埋葬墓と言うことが出来ると思う。
 五〇センチ位の高さの石積みが円形を形作っている。墳丘墓の入口は東を向いている。
形は多少違って入るけれども、基本的には始めの墳丘墓と同じだ。
石室への入口の方向も同じだ。墳丘墓の脇を先ほど遺跡まで歩いてきた両側に石垣の二メートル幅の道が通っている。

 道の向こう側に(3メートル位の小道)この墳丘墓のストーンサークルの巨大な立石が一本立ちっている。遺跡のストーンサークルの中に農道を通す事も無いと思われるのだが、農地所有者が違うのかも知れない。規模は小さいながらも三つの墳丘墓と言う点や、アイルランドの墳丘墓と似ていると言う事で非常に貴重な古代遺跡といえると思う。現在この文章はシベリアの地、厳寒のハバロフスクにて取材日記無しで書いているので日本に帰り、ホームページを立ち上げた時に、日記を見ながら詳しく書きたいと思う。

 いよいよ次回からは、スコットランド諸島編に入ります。
 アザミさんお待たせいたしました。
 いよいよルイス島です。

コメント(12)

この遺跡訪問が英国滞在の最後の旅と為った。

最初はお決まりのストーンヘンジだった。
あれから15年以上、ブリテン諸島内の古代遺跡を訪ね歩いた。

訪ね歩いた古代遺跡の数は約100箇所ぐらいだろう。
今思うに・・・只懐かしいだけだ。

昔話は止めて、写真を載せます。
入口に一番近い墳丘墓です。
多分、土や石で蓋われていたと思うのですが、現在は石組みが露に晒されている。
石組み(石室?)の上から羨道を写す。


二枚目は石組みの一部に刻まれたカップ・マークと言われる古代人の祈りの文様と考えられている。
写真整理が拙く、判らなくなっています。

最後の遺跡めぐりの場所と言う事もあり、かなりの数です。

墳丘墓の跡も三個並んでる所為でもあります。
三つ目の遺跡から、1と2の遺跡を眺める。
まだあります。

もう少しお付き合い下さい。

これは三つ目の墳丘墓跡です。
むかしはこんな事も・・・

3っ目の遺跡の脇を道路が走っている。
立石の間を道が・・・・
こんな処に、遭えて道路は要らないと思うのだが・・・
墳丘墓の周りに立つ、スタンデング・ストーン
あと少し・・・

写真で見るより巨石ですよ。
現存してるだけに・・・
二枚目の写真は、1と2の墳丘墓の北西の方向間にある小さなストーンサークル。

木の根元にあるのだが・・・
何か意味ありげな非常に気になった石組みでした。

どんな意味を持つ、ストーンサークルなのでしょうか?


次回は、いよいよ諸島編!
ルイス島にご案内いたします。

此処も写真が多いんだよなぁ〜

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