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名曲・喫茶 新宿 らんぶるコミュの渋谷のらんぶる行ってた方は?

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はじめまして^^らんぶる〜見つけて嬉しくて、加入そうそうにお聞きしたく。
渋谷のらんぶるがハチ公交差点にありましたよね!ツタのからまる名曲喫茶・行ってた方は、いらっしゃいますか?

想い出>食べ放題のトースト〜欠けてるコーヒー茶碗〜

※管理人様、内容大ジョブでしょうか?

コメント(19)

ヨハンさん
はじめまして、大学時代(80年から84年)に学校にろくすっぽ行かずに、渋谷のらんぶるでアルバイトをしていました。
古い建物のらんぶるが閉店したのが84年ですから、ヨハンさんも結構なお歳ですね @rz..**

トーストは食べ放題ではなかったように思いますが・・・従業員だと¥30で食べれました。
灰皿は大学を卒業する時に1枚もらって帰ってきましたが、もっともらっとけば良かったと今になって思います。

思い出話なんかありましたら、聞かせてください。
らんらんさん、こんにちは^^

はい、けっこう年くってますよ/笑

うんと、ランチでトースト食べ放題があったんですけど、、、やってた期間がみじかかったのかな〜?友達の貧乏学生は、しょっちゅうお世話になってたはず!?

あと、リクエストとかもあって…。

そうか、アルバイトなさってたのですか〜なんか、直球の方に答えていただいて嬉しいです! あとですね…自分も灰皿もってます^^; 黒の焼き物ふう「らんぶる」って文字入った奴ですよね。
あ、懐かしい。
あそこの定時コンサートのパンフレットがいつも間違ってて
それをみて微笑むのが楽しみでした、意地悪ですが(^^;。

バルビローリがバイゼローリになってたりしてました。
すみぱぶーんさん>こんにちは^^

ありましたねぇ定時コンサート!

行ってたわりに記憶が〜++らんらんさんが答えてくれるかしら^^;
わたしは自宅が遠かったのでもっぱら早番(9:00〜17:00)でした。定時コンサートはたしか14:00か15:00くらいでしたよね。
テーマ曲はマドンナの宝石でした。

あ〜〜、懐かしすぎる。
らんらんさん>お答え頂いてありがと〜〜〜^^

あの時代に戻ってみたいなぁ/笑 あたしは、すでにお仕事はじめてましたけど、、、夜学の友達と楽団で現役演奏中でした。パートはクラリネット、友達はトランペットを。
木のドアが、開け閉めのたびにゆれた気がします。二階の、暖炉の前の席に座って、白い小さなカップのコーヒーと薄いバタートーストをいただきながら、リクェストしたりして、楽しんでました。田舎から出てきた学生には、本当にほっとできる空間でした。改築されたビルの地下にしばらくあったらんぶるも、なくなってしまいましたね?今はどうしたのでしょう?
今から30年ほど前までしょっちゅう通っていました。渋谷駅ハチ公口を出て交差点を渡った真ん前。焼肉屋の匂いを嗅ぎながら奥に入ったところが入り口でした。
リクエストをするときは、会計まで行ってメモに書いて渡しましたっけ。日に二度定期コンサートがあって、店で決めた曲がかかりました。この時に覚えて好きになった曲も多いです。自分のリクエストした曲の順番にちょうどこの定期コンサートが入ってしまって残念に思った記憶もあります。一度、朝一で行って、マーラー交響曲No.3をリクエストしたところ、マーラーは突然大音量になるので、お盆をひっくり返しそうになるんだと皮肉を言われたことがありました。でもその人、なんだかんだ言って良い人でしたw
当時日記を付けてて、この渋谷ランブルでも日記を書きました。日記帳は持ち歩かないので、定期コンサートのお知らせの小冊子に書き込んで、家に帰って日記帳にセロテープで貼り付けるのです。

今にして思えば、昭和の雰囲気ぷんぷんでしたね。とても落ち着く空間でした。
そしてまだLPの時代でした。世間ではCDも出回り始めた頃だったと思いましたが、ここではLP盤だけ。
リクエストはAB両面の内の片面のみ。

そういえば、ケーキセットって置いてなかったですよね。甘いものが食べたいときはジャムトーストでしたっけ。あらかじめジャムが塗ってありました。珈琲がなんだかとても美味しかったです。当時で¥250でしたか。ドトールとかがまだなかった時代で、ここの珈琲は安かったと思いました。

クラシック音楽は渋谷らんぶる、そしてJAZZは同じく渋谷道玄坂小路にあったGenusがお気に入りの場所でした。ここでは二人で行っても会話すると怒られてましたっけね。タンノイでしたっけ、フロアスタンドの人の背丈ほどもある大きなスピーカーでした。ガンガン鳴ってました。注文するときも店員の耳に近づいて言わないと聞こえないくらいでした。ここの珈琲は確か¥500でしたっけ。Genusとランブルの梯子をよくしたものです。
追伸
らんらんさんがおっしゃってましたが、定時コンサートのテーマ曲は「マドンナの宝石」でした。懐かしい・・。
当時の定時コンサートの予定が書かれた小冊子によると、毎日14時と18時の二回でした。
手元にある一番新しい定時コンサートの予定表は昭和59年10月のもので、No.453と書いてあります。
1日(月)の曲はマーラー交響曲No.10(R.クーベリック指揮バイエルン放送響)、そして31日(水)がショスタコーヴィッチ交響曲No.10(カラヤン指揮BPO)とあります。結構過激な曲が定時コンサートで流れてたんですね。確か1日二回の定時コンサートは同じ曲を流してたんでしたっけ。土日だけは定時コンサートはなかったみたいです。「皆様の御希望曲のみ演奏致します。」と書いてあります。「流す」んじゃなくて、「演奏する」んですね。
コーヒー・紅茶は¥200と書いてあります。¥250は私の勘違いだった様です。

壁の至る所、そして会談の踊り場の所に大昔の来日演奏家の公演の模様の写真が額に入れられて飾ってありました。(私はいつも2階か3階に座ってたと思いました。)
会場は日比谷公会堂とかだったかな。
名前は忘れましたが、某有名らしき女性バレリーナが日本男性と共演してる写真ですが、
女声の方が頭一つ半ほど背が高ったのが面白かったです。
初めまして。1983年から足掛け6年間、丁度、渋谷らんぶるがギシギシ木造から109-2に吸収される時期をバイトとして過ごしました。懐かしい青春時代でした。つかず、離れずで結果的に6年間お世話になったのは、寛大なママさんが、その度に、いやぁねぇ、仕方無いわ、明日からいらっしゃい、などと言って受け入れて下さったからでした。
当時、特に単独木造時代の渋谷らんぶるは、変人アルバイトの巣窟で、個性的な方々が多数、所属しては入れ替わって行きました。
古い木造時代、夏は屋上に出て海パン一枚で日焼け(!)したり、遅番のバイト仲間と3階、その後1階カウンター、人が休んだ時はB1から中二階を忙しく走り回ったものでした。
SF作家、NHK関係者、芸人、盆栽アーティスト(!)、ロックンローラー、淫靡なカップル、変人常連、大学生オーケストラ部員、何しろ多彩な方々がそれぞれの時間を楽しむ中、僕らバイトも、結構好き勝手な態度と接客で実は楽しい時間を過ごし、隣の寿司屋、焼肉屋で割引で食事したり、丸大と言うパチンコ屋で30分の休憩時間を過ごしたり、遅番がハネると裏手の 「さつまや」 で一杯。・・・そのさつまや、今でも餃子の王将に並んで顕在しており、つい先日ビックリ、懐かしいひと時を過ごさせて頂きました。
当時は、「三千里薬局」横の細い路地突き当り、両蝶番でバッタンバッタンする、ガラスがはまった木製ドア、薄暗い、を通り越した暗さの店内、ジメジメした半地下、上から見下ろせる中二階、ギシギシ揺れる3階、そして更に階段で4階にトイレ、奥に従業員休憩エリア、更衣エリアが有り、バイトとその仲間がたむろしていました。
日本航空の、羽田から大阪行き飛行機が墜ちたのも、丁度僕がバイトしていた時期だったのを、書きながら思い出しました。
その後、109-2の地階に、隣の「都寿司」さんと共に入りましたが、結果的にはオーナーの高齢化や店舗コンセプトと時代のアンマッチなどで、閉店となって久しい様です。
当時、一緒にバイトしていた仲間とここで繋がる事が出来たら、と期待しております!
全面30センチ角の鏡張りだった、2階から3階への踊り場、そこの小さな階段下カウンター・・・懐かしい思い出が記憶の中から出て来ます。
2006年にスタートしたスレッドですね。私も学生時代に憧れていた先輩が通っていたらんぶるに私も足を運ぶようになりました。14時の定期コンサートを楽しみに毎月プログラムを頂いていました。みなさんの思い出コメントの一つ一つが、私の記憶とも重なり、懐かしい限りです。私がらんぶるに行っていたのは、82年の春まででした。夏からは大学院進学のため渡米してしまいました。 こんなところで懐かしいお話が伺えてうれしい限りです。
当時の話をもう少々。福田、望月、世良、などが早番、遅番のコアアルバイトで、年齢も当時で30代から40代後半、とフリーターとして頑張っておられた。僕は遅番で足掛け6年間お世話になった(上記のbomurata)のですが、高校時代の同級生が系列の渋谷の大学に入り、そこで再開した事から、アルバイトとして入りはじめました。(彼は今では大手音楽関係事務所の社長さん)やはり、木造時代のらんぶる、が私にとっても思い出深い場所で、田村達子ママを中心として、慈愛の有るアルバイトへの対応が懐かしく思い出されます。僕は1階カウンター、2ー3階間のカウンターを主として担当し、時にはフロアもやりました。多くの出入りがありましたら、音楽関係で頑張ろうとしていた若者が中心で、エレキギターを作る専門学校に通っている者、生ギターの演奏者、生ベース、また文学作家志望の浪人生など、本当に面白いメンバーが働いていたものです。お客様も固定の方々が多く、時に迷い込んだイチャつくカップルは、裏路地の太郎と花子、とか言うカップル喫茶か、道玄坂のホテルでも行ったらどうですか?、などズケズケ言っていたものでです。変わり者の店員の中には、横柄な態度だったり、世間知らずで忙しくなると本当にマナーもへったくれも無く振る舞う者も居ました。今の世の中なら、すぐにネット上で炎上、非難轟々だった事でしょう。トイレの落書きはいつものことで、売れて居ないパンクロッカーグループや、ライブの貼り紙など、好き勝手にされては消したり、の繰り返し。半地下の奥は季節によっては半分地下からの水が上がってくるなど、酷い場所でもありました。田村ママには本当にお世話になり、今でも感謝しております。僕の大学学費の全ては、ここから拠出されました。
はじめまして、21才頃アルバイトしてました2階のホールとキッチンに居ました癖のあるアルバイトの方々と素晴らしい思い出です夜の部でクラシック音楽三昧の日々閉店後はすぐ裏の薩摩やで飲酒すると言う生活してました最近渋谷に行った羅跡形も無く寂しい感じでした30年以上の話ですが自分の良い思い出です
私の嫁のお母さんが
「らんぶる」のママをしてました
よく夕食時に「らんぶる」の話を聞きます
毎日、元気に過ごしてますよ
「あの人が来た、この人がバイトしてた」とか
ド肝を抜かれる話が多いですね
私は、渋谷らんぶるのママの娘です。
母は、2022年11月現在で92歳です。今は家で当時らんぶるのスピーカーで、レコードを聴く日々を過ごしています。今でも、懐かしいらんぶるの話をよくしています。マッチや灰皿など、大切にしてくださる方がいらっしゃることに感謝します。
>>[14]
嫁のお母さんが
(らんぶるの)田村達子です
mixiの書き込みを見せたら
村田さんの事を思い出してましたよ

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