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[MIXI作詞道場]コミュの【必見!作詞ヒントの壺】

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☆折に触れ、作詞のヒントになるような事を紹介するページを作りました。
 
 100の作品には100のいのちがあり、100の意味があり、100の添削の仕方があります。時にはヒントが使える場合もありますがそうでない場合もあります。だからヒントなのです。
 創造の神は、あらゆる規範やルールを破って訪れるのです。臆することなく、自由に、作る喜びを感じて下さいね。

本日のテーマ 【“わたし”も“あなた”も使わない】

 昨日聴いた歌、武満徹作詞・作曲の『小さな空』。
 
小さな空
     武満徹 詞

青空見たら
綿のような雲が
悲しみをのせて
飛んでいった

 いたずらが過ぎて
 叱られて泣いた
 こどもの頃を憶いだした


夕空みたら
教会の窓のステンドグラスが
真っ赤に燃えてた

 いたずらが過ぎて
 叱られて泣いた
 こどもの頃を憶いだした


夜空をみたら
小さな星が
涙のように
光っていた

 いたずらが過ぎて
 叱られて泣いた
 こどもの頃を憶いだした

この作品では「わたし」「あなた」という言葉を一切使っていません。
 童謡や叙情歌などにもその傾向はよく見られます。情景と心情を重ね合す、日本語の詞のひとつの特徴です。
 一方、最近のJ-POPには「ぼく」や「きみ」の多用が顕著に見られます。その理由は、欧米の、比較的主語を必要とする歌の影響(翻訳的歌詞)。例えば、日本語で「雨が降る」という場合「It's Raining 」といいますよね。こんな場合でも「It's」という主語が入っているわけです。長嶋監督の言葉で一世を風靡した「メークドラマ」は忘れることができない和製英語ですが、かつてアメリカンポップスを訳詞して歌っていた(ユアヒットパレード)頃と比べると、その影響力ははかり知れないものがあると言えます。
 もう一つの理由は、その影響はメロディーやサウンドにも及び、総じて音符が細分化し、音数が増えたこと。またほとんどメロ先ですから、当然言葉が沢山必要になり、供給過剰になる...その結果、足りない言葉を埋め合わせるのに一番手っ取り早いのが「きみ」とか「ぼく」になった...とこういうことだと考えられます。
 「♪ぼくの髪が 肩まで伸びて〜」と歌う吉田拓郎さんの『結婚しようよ』然り「♪もしも わたしが 家を建てたなら〜」と歌う小坂明子さんの『あなた』然り、メッセージに「ぼく」や「あなた」は付き物ですが、みなさん、今一度あなたの作品の無意味な「ぼく」や「きみ」などをチェックしてみて下さい。「御家庭で〜不要になった〜古新聞古雑誌、“ぼく”や“きみ”など〜お引き取り致します〜」。
 「ぼく」や「あなた」が少ない詩、それは歌い手が「ぼく」であり、同時に「あなた」でもあるわけです。言葉(メッセージ)が直接響いてきます。その分、リアリティーが求められるのですが、すくなくともメロ先でなく、詞先で書かれる門下生のみなさん、一度はこの「ぼく」や「きみ」を使わない作品、チャレンジしてみてはいかがですか?

コメント(22)

★直接載せることにしましたl。

★1997年、岩波書店から『書き下ろし歌謡曲』という一冊の新書版の本が出ました。著者は阿久悠さん。説明するまでもなく数々のヒットを飛ばした稀代の大作詞家である阿久悠さんは、(...私の想像ですが)当時“歌謡曲復活”への最後のメッセージをこの新書版に託し一か月余りの間に100曲を書き記したのです。そしてその10年後、70歳で逝去しました。
 
 当時の私は、本来は働き盛りであるべき年代であるにもかかわらず、焦りと失意の中、はっきりした夢や取り組むべき課題も見失い、漫然と時の過ぎるのを見送っていた宙ぶらりんの時代でした。
 友人から勧められて何気なく開いたこの本には、まだ誰も曲をつけていないであろう100篇の詞(ことば)が、ひそかに息づいていたのです。そのうち、引き寄せられるかのように、その言葉を呟いてみるとメロディーが心に浮かび、毎日、どこへ行くにも片手にこの本を持ち、暇さえあれば曲をつけていったのです。そして、いつしかタイトルの頭につける作曲済のチェック印は半数を越えるようになりました。たぶんぼくにとっては、創作意欲を再起動させるために神様がくれたひとつの機会だったのかもしれません。ほとんど無心の行為でした。
 
 その後(2000年頃)、友人の歌手やプレイヤーの協力を得てその中から17作品を音源化しました。もちろんこれはプライベートな作業です。
 今でもたまにこの音源を聴くのですが、改めて感じることは、一時代を築いて辿り着いた大作詞家の境地は、過ぎ去った昭和という時代への静かなる鎮魂だったように思えます。阿久悠を批評した文章は多々ありましょう。たぶん同じようなことを語っているものもあると思います。でもこれは、ある意味“片思い”的にそのすべての作品に恋した(=作曲した)からこそ見えた私自身の生々しい感覚なのです。
 
 中には、阿久悠さんが書くにあたってたぶん想定したであろう歌手、それが今(当時)をときめく歌手たちであったろうことは想像に難くありません。でも、彼らは既に過去を振り返ろうとはしなかった。流行歌が歌謡曲と名前を変え、それがポップスと呼ばれる時代になっても、ヒット曲として求められるのは<いま>であり、かつて阿久悠さん自身が仕掛けた(プロデュースした)ピンクレディー然りだったはずです。
 昭和から平成へ...。急激ともいえる時代の変化の中で、一世を風靡した作詞家にできることは、静かに過去を振り返ることだったのかもしれません。それが彼にとって本意であったか不本意であったかは知りませんが、新書というスタイルに閉じこめた時点でその行方は決していたのかもしれません。もちろんわたしにとっては今でも“救いの書”であることには変わりませんが。

 今日はその中からわたしも好きな作品を一篇ご紹介します。味わってみてください。
**************************************************
「みんな幽霊」
         阿久悠
         
少しだけ時代が変わって
ぼくもまた世の中に出て
久々に古い街をたずね
青春を呼び戻そうとしたけど
そこにはもう 誰もいない
そこにはもう 何も残っていない

 ぼくを夢中にさせた
 面白い人々よ
 嘘つきで やさしく
 可愛げのある人々よ
 あれは もしか 幽霊たちかも 
 そうだな そうだ 幽霊なんだ
 ロマンに未練を持ちつづけ
 ぼくに語りに来てたんだ

みんな幽霊 みんな幽霊
幽霊たちとの時代は終わった


東京の景色も変わって
どことなく豊かに思え
人々も夢のように飾り
何不自由なさそうだけど心は
淋しさだけ 感じている
空しさだけ いつも覚えて生きる

 あの日 貧しいながら
 笑ってた人々よ
 名もなくて 自由で
 いきいきしてた人々よ
 あれは もしか 幽霊たちかも 
 そうだな そうだ 幽霊なんだ
 ロマンの捨て場所探しつつ
 ぼくを仲間にしてたんだ

みんな幽霊 みんな幽霊
幽霊たちとの時代は終わった
[Double Meaning]

「母」

いつでもひとには傘を差し
自分はさみしく濡れていた
思えば母の人生は
雨降り続きのままだった

★これは、作詞家・坂口照幸さんが、まだアマチュア時代(通信教育「作詞研究会」所属)に書いた「母」という作品の一節(1番)です。
 今でもこの詩を読むと何か自分の母とダブってきてしまうのですが、まるで童謡のような平易な言葉をたった4行で表わす坂口さんの表現方法は、当時から注目を集めていました。その後、名古屋から上京、大作詞家とも言えるY先生の運転手を努めながら修業、その後独立、今では多くのヒット作を書いています。
 
 現在「MIXI作詞道場」なるものを開講、まがりなりにも私を信頼してくれる“門下生”に囲まれ、添削などさせていただいていますが、そのルーツは、80年代から90年代にかけて関わった通信教育の場でした。そこでスタッフとして、来る日も来る日もさまざまな作品を見てきました。作品を見続けることで、詩とは何かを学んでいったのです。
 その中でも、坂口さんの作品の温かさや言葉の使い方には感心させられたことが多く、その彼が現在活躍していることは当然とも言えますし嬉しいかぎりです。
(例えば都はるみさんの楽曲等)
http://miyakoharumi.net/link14.htm

 詩とは何か?谷川俊太郎さんは「詩はメッセージではない。人間の意識を解放するものです。おいしい食べ物のように味わってほしい」と言っています。どうかとすると、何か<伝えるべきもの>があらかじめ存在し、それを言葉に表わす...とも考えられがちですが、その結果が何か平凡な標語、スローガンのような詩(歌)になってしまう。また、理解を求め過ぎると、説明的なものになってしまう。
 事実と心境、メッセージ性とファンタジー、意味とナンセンス...背反する要素をどうバランスよく料理するか....そこが難しいんですね。

 どこにでもある、誰もが知っている言葉、「傘」「濡れる」「雨」が表わすなにげない日常の風景の向こうには、人生に喩えた時の姿がダブって見える。これが<Double meaning(二重の意味)>。言葉がやさしくありながら同時に深い。
 
 坂口さんのこの作品は記念として私が作曲して、俳優の御木平介さんが歌って録音しています(まだCDがない頃です)。
 そして今でも、詩の言葉を考える時の原点ともなっている作品なのです。
(2、3番は資料がみつかり次第掲載する予定)。
日本語の詩、いや、日本語本体の特徴として<は>とか<が>とか・・・の「助詞」という、ある意味とても便利な”瞬間接着剤”があるということは、もうすでにご承知かと思います。それだけ便利なので、普段何も意識せず使っているわけです。ただし、会話ならば言葉を発した後、意味が通じればそれでいいわけで、後は空中に消えてしまうのみですが、書いた言葉だとやはり正確さ、的確さというものも考慮に入れる必要があります。「私は貝になりたい」と言うのと「私が貝になりたい」と言うのでは相当ニュアンスが違います。これは文法でも習います。
 
 さて、今回問題にするのは<歌詞>です。
 
 かつて<七五調>という日本語特有のリズム(かならずしもビートを伴わない)が主流でした。古(いにしえ)の時代は和歌(短歌)こそが歌でした。その後、俳句、川柳、都々逸(どどいつ)・・・等、<七>と<五>の組合せによる詩(歌)の形式がさまざまに発展してきたのだと思います。
 その一方、現代においては<七五調>にこだわらず、普通に話すように歌詞を書いてもいいじゃないか・・・という潮流が起きることも至極当然でした。
 例えば、有名な「悲しい酒」の冒頭はこうです。

ひとり酒場で飲む酒は
別れ涙の味がする

確かに<七五調>ではありますが、普通に語った言葉としてもさほど不自然さはありません。
ただ「別れ涙」というような言葉は、この<七五調>の枠があればこそ生まれたとも言えます。
こうして、多くの詩人は<七五調>のスタイルの中で美意識を育み、名フレーズ、名曲を生み出していったと言えます。当然、ほとんどがまず詩ありき(詩を先に作る)です。
 
 上記の「悲しい酒」もシンプルでいい詩だと思いますが、「別れ涙」というような表現があまりに使われ過ぎてしまったのでしょう。そうなると、ノスタルジーの世界でのみ歌われることになります。

 すこし横道に逸れました。<助詞>のことに戻します。
 例えば上記、

ひとり酒場で飲む酒は
別れ涙の味がする

の曲調を変え、8ビートでアップテンポのメロディーをつけたとします。
 すると、大まかには
「♪ひとり〜 さかばで〜〜」「のむ〜さけは〜〜〜」
「わかれ〜なみだの〜〜」「あじがする〜〜〜」
というようなリズムになるでしょう。
 フレーズの切れ目切れ目のうち「で」「は」「の」の3箇所に<助詞>がきますね。さらに「タタタタ タ〜」ではなく「タタタタ〜」と四つ目の音がシンコペーション(リズムの裏の音にアクセント)になります。さらに、シンコペーションの音は強調されますので、高い音が使われます。そうしたいくつかの要素を見積もると、メロディーで一番強調する箇所に<助詞>がくるケースが非常に多いことになります。
 しかし、普通にしゃべってみればおわかりのように、<助詞>とは言葉をスムースに繋ぐ”瞬間接着剤”の役割であり、比較的さらっと読み飛ばされるのが本来で、アクセントや音の伸ばしによってことさら強調されるべきものではないことがわかります。試しに上記「悲しい酒」の「♪ひとり〜 さかばで〜」の「〜」部分を強く発音してみると、とても不自然だということがわかります。これがもともとの<七五調>を意識したメロディーであれば、ほとんどそういう不自然さは生まれないのです。
 ここに最近の日本語歌詩の悩みがあると言えます。
 
 日本語の<助詞>という便利な言葉のパーツが歌詞に用いられ、それも自由なメロディーが与えられたとたん、今度は、自然なリズム感やイントネーション、意味など「言葉(フレーズ)」そのものを破壊してしまうという、重大な問題が発生するのです。それは、ある程度不可避的とも言えます。その対策はどうしたらいいか?作詞家の工夫、作曲家の工夫、それだけでは解決しません。歌手も工夫が必要です。しかし、残念ながら、その不自然さを感じ、意識して歌おうという努力を見せている歌手がどれほどいるでしょうか?歌手を育てる側、ディレクターの責任も大きいです。それも含めて現在のところ、この問題はないがしろにされていると言っていいでしょう。

 自らを破壊する<助詞>という言葉のウイルス、その怖さをもっと知ってほしいのですが、このままですと蔓延しそうです。
★2月10日(09年)の日記にて作詞に役立つコメント(2本)を書いています。
 少々長いのでご興味のある方はこちらでどうぞご覧下さい。

[誰にでも歌は作れる。]
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1077106502&owner_id=1475115

[何故この詩はいいか?]
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1077107881&owner_id=1475115&org_id=1077106502
★お休み中ですが日記に歌論を書いたのでこちらに転載します。レスOKですよ。

★作曲家・三木たかしさんの訃報に接しました。先日の忌野清志郎さんの死といいい、人の死に接したとき、その人を悼む気持ちは、直接の知り合いかでどうかでも違ってきますし、その人の”偉業”を讃えるというような意味あいでも反応は変わってくると思います。
 ただ、作詞家もそうですが、ヒット作を続けたようなこうした優れた作曲家は、ぼくにとって<芸術家>というよりどちらかと言うと<職人>に見えるのです。その独りよがりのなさ、詩や歌手との一体感がそう思わせるのでしょう。
 
 さて、評論家みたいに偉そうなことは言えませんが、三木たかしさんは、誰でも知っている石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」を筆頭に、特にテレサテンの「つぐない」「時の流れに身をまかせ」等、一世を風靡した名曲がありますね。歌謡曲(演歌)とは言っても、心にはシャンソンの如き大人の世界を抱き、流れるような抑揚を大事にしたメロディで、歌手の歌心を大いに鼓舞したように思えます。決して大仰にならない抑制されたロマン主義。やはり日本語の世界を熟知した職人でもあったと思います。

 歌手がいて、作詞家がいて、作曲家がいる。またその周囲には編曲家を初め様々なスタッフがいる。そうしたプロジェクトが生き物のように蠢きながら世の中に<歌>という種子を蒔き、あるいは卵を産み落としていくのです。作家とは言え、最初は手探りでしょう。ヒットした曲もあればそうでない曲もあるはずです。メーカーやディレクターからの”とんちんかんな”要望もあるでしょう。そんな闘いの中からヒットは生まれていく。
そこで作家は、自分だけの力ではどうしようもないという醒めた視点を知ることになります。むしろ周囲のエネルギーを感じて、言葉やメロを発見する、プロジェクトという生き物の中に自己を投入する潔さが生まれるのです。<共通の世界>に自己を投入できた時こそ、自己の想像を超えた能力が”神”から与えられるのです。もともと凄いのでは、決してない。

 俗に「出会いが大切」なんて言われます。 
 ある意味、この業界ほど出会いが大切なところはないとも言えるのです。出会うとは「ああ、どうもこんにちは・・・」という目に見えるレベルではなく、やはり個人を越えた大きなエネルギーや無意識に目指すべきものをみんなで共通に感じられるような深い磁場(=出会いの渦)なのでしょう。
 
 先日たまたま見ていた NHK合唱コンクールの課題曲発表というイベント番組で、高校生の部の課題曲を作詞した作家の石田衣良さん(作曲は大島みちるさん)は
「これはぼくが作った詩かもしれないが、決してぼくのモノではない。」と語っていました。
 
 三木たかしさんのこれまでの仕事を辿ると、たぶん、大きな出会いの中でこそ大きな花を咲かせたのだろうと思うのです。
 まあ、ぼくも人知れず小さな花は咲かせていますから(笑)、前述の石田衣良さんの言葉もよく理解できるんですが、「自分が作った、作った」とはしゃぐ必要はないんですよ。出来たものこそ大事で、それが世に生まれたということが一番大事なんですから。<著作権>という言葉は近代制度上の狭い定義であって、「作るとは発見すること」ということが創造におけるもっと根本の概念なんですよ。これはわが子の問題も一緒ね。
 
 執行猶予になった小室さんもそこまで悟ればエライんだけど・・・禅寺言ってもそんなこと教えてくれないからなあ。借金のためにまた稼げる曲をどう作るか・・・って堂々巡りしちゃうんでしょうねえ。まあ、<小さな花>しか咲かせてない人間には分からないと言われそうですが。
【テーマと描写】

★最近の門下生に見られるひとつの傾向として、テーマが絞れない、あるいは核心になかなか辿り着けない、ということがあるように思えます。
 その理由を考えていくと、特に最近の我が国のPOPS曲では、曲の形式が複雑になり、あるいはむしろ形式など破壊され、Aメロ、Bメロ、Cメロ、サビ・・・と曲想の変化が頻繁に行われるような、メロ優先というよりトータルなサウンド優先という発想が強いとも思われます。その詳細な分析はまたの機会にしますが、「曲の形式が複雑」になると、どうしてもそれに見合った歌詞も多量に供給しなければならないという事態になります。「喉が乾いた・・・水をおくれ・・・」ではありませんが、「メロが多すぎる。詩(言葉)をおくれ・・・」という悲痛な声が聞こえてくるような気がします。
 その点過去の曲、特に歌謡曲(演歌やフォークソングなども含む)というカテゴリーがあった頃の歌は、言葉も適量で、音楽的形式も比較的シンプルでした。今日の形式に合わせてどんどん増殖させるのではなく、そのシンプルな構造の中で本質的な冒険を試みていたように思えます。
 こうした時代の多くの優れた楽曲の中で。もはや人前には決して姿を現さない伝説の歌手として今なお人気のある、ちあきなおみさんのヒット曲「喝采」を取り上げてみます。
*******************************

喝采

作詞:吉田旺 作曲:中村泰士
歌:ちあきなおみ

いつものように 幕が開き
恋の歌 うたう私に
届いた報せは 黒いふちどりがありました

  あれは三年前 止めるアナタ駅に残し
  動き始めた汽車に ひとり飛びのった

   ひなびた町の昼下がり
   教会の前にたたずみ
   喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた



つたがからまる 白いカベ
ほそいかげ ながくおとして
ひとりの私は こぼす涙さえ忘れてた

  暗い待合室 話すひともないわたしの
  耳に私のうたが 通りすぎてゆく

   いつものように 幕が開く
   降りそそぐ ライトのその中
   それでも わたしは
   今日も 恋の歌うたってる

*******************************
 





 
(つづき)
一目瞭然ですね。
主人公の私が3年前、あなた(恋人、夫、両親・・・)の制止を振りきって歌手の道を目指した。そして今、願いもかなって歌手としてステージに立っている。そこに愛する人の訃報が・・・それから遅れて故郷へ戻り、死を悼む。そして今、そんな悲痛の想いをこらえ、何ごともなかったかのようにいつものように歌手として
恋の歌を歌っている・・・というような内容です。

 すでにヒット・評価された歌を今さら批評しようというのが目的ではありません。この詩の優れた構成・描写力に注目していただきたいのです。

 プロ歌手である主人公、3年前の訣別、愛する人の訃報、立ち会えなかった臨終、お悔やみ後の虚脱感、悲しみと日常の乖離・・・複雑な状況が絡まった事件。にも関わらず、冒頭からその世界へ引き込まれていきます。しかもたった8行×2番(サビの繰り返しはあるかもしれないが)で。ここまでシンプルに表現できるのは、今どきの<世界観>とかいって持てはやされる、ある意味ひとりよがりな作文とは一線を画した、まさに職人技だと思いますよ。

 でもこれが、時間軸に忠実に、次のように展開されていたらどうでしょう。

あれは三年前 止めるアナタ駅に残し
動き始めた汽車に ひとり飛びのった

いつものように 幕が開き
恋の歌 うたう私に
届いた報せは 黒いふちどりがありました
   
ひなびた町の昼下がり
教会の前にたたずみ
喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた

 あり得ない!と思われるでしょう。
「喝采」というタイトルが示すように、冒頭まず歌手でなければならないのです。
>いつものように 幕が開き 恋の歌 うたう私に
 これでもう主人公(キャラクター)を、そしてテーマのほとんどを表している。それほど冒頭は重要なのです。
 その歌手に何が起こったのか?それが
>届いた報せは 黒いふちどりがありました
 もう職人技ですね。カッコ良すぎる。でもこれが詩ですね。
 誰かの死、それは誰か?
>あれは三年前 止めるアナタ駅に残し 動き始めた汽車に ひとり飛びのった
 ここで彼女が歌手になろうとして、愛する人(たぶん恋人でしょうけど、違う解釈も可能)と訣別までした・・・という過去、それによって二人がおそらく3年間会っていないということ、歌手として成功したこと・・・さまざまな状況がたった2行で明かされるわけです。いわゆるここがサビ的メロで強い箇所。過去を振り返るにはピッタリです。
 そして、時は少し回り、
>ひなびた町の昼下がり 教会の前にたたずみ
 喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた
となります。悲しい風景が見えてきます。

 そして2番、
>つたがからまる 白いカベ ほそいかげ ながくおとして
 ひとりの私は こぼす涙さえ忘れてた
ここは、むしろ1番の続きですね。まだ故郷にいる。

>暗い待合室 話すひともないわたしの
 耳に私のうたが 通りすぎてゆく
ここもさりげないのですが、「わたしの耳に私のうたが 通りすぎてゆく」とは、この主人公が歌手として成功したことを表していますね。また、これから日常に戻っていくことも暗示させます。
 そして最後は・・・またステージ(日常)に戻っている。
>いつものように 幕が開く 降りそそぐ ライトのその中
 それでも わたしは 今日も 恋の歌うたってる
 
 実際の時間は数日は経っているのでしょうけど、日常という括りで、冒頭の
「いつものように 幕が開き 恋の歌 うたう私に」と驚くほど似ていますね。
途中、人の死を悼むシーンにややフォーカスが移るんですが、最後はまた、歌手としての主人公にピタッと焦点が合っています。お見事。

 ここで学べることは、冒頭はテーマに沿った表現か、それを暗示させる表現を持ってくること。実際の時間軸に忠実でなくともよい、ということです。
 この曲を知っている方も、そうでない方もひとつの参考にしてみたらいかがでしょう。
☆いまさらながら・・・最初に書いた
>☆折に触れ、作詞のヒントになるような事を紹介するページを作りました。
にはあえて言うと「私が」という主語が必要でしたね。
まあ普通はそのように理解してくれるものだと考えますが、200名以上も門下生がいると、なかには勘違いされる人もいるんですね。
また指摘しても反省がないか、あるいは唯我独尊で聞く耳を持たないか、いずれにせよ、音無しです。
近いうち「花の詩〜水木かおるの世界〜」という文を書こうと思います。
[鉛筆紅白]

*
☆先日TV番組(どれみふぁワンダーランド)で鉛筆の歌を聴いた。
 ぼくの好きな浜口庫之介さんの曲だった。
 たしかタイトルは・・・・そう!「一本の鉛筆」だったな、と思って歌好きの知人に話すと「ああ、美空ひばりさんが歌っている・・・戦争反対の曲ね」と言う。そうだったかなあ。でもいい曲だった・・・と思って調べたら、なんとくだんの曲は「エンピツが一本」というタイトルで坂本九ちゃんが歌っていたそうだ。
 まさにこれは鉛筆の紅白歌合戦だ!
************************************
○白組 歌/坂本久
【エンピツが一本】
作詞・作曲 浜口庫之介

えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくのポケットに
えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくの心に
青い空をかくときも
真っ赤な夕焼けかくときも
黒い頭のとんがった えんぴつが一本だけ

えんぴつが一本 えんぴつが一本
きみのポケットに
えんぴつが一本 えんぴつが一本
きみの心に
あしたの夢をかくときも
きのうの思い出かくときも
黒い頭の丸まった えんぴつが一本だけ

えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくのポケットに
えんぴつが一本 えんぴつが一本
ぼくの心に
小川の水の行く末も
風とこの葉のささやきも
黒い頭のちびた えんぴつが一本だけ

えんぴつが一本 えんぴつが一本
きみのポケットに
えんぴつが一本 えんぴつが一本
きみの心に
夏の海辺の約束も
も一度あえない寂しさも
黒い頭の悲しい えんぴつが一本だけ
**********************************
●紅組 歌/美空ひばり
【一本の鉛筆】
作詞 松山善三
作曲 佐藤 勝

あなたに 聞いてもらいたい あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい あなたに 信じてもらいたい
 一本の鉛筆があれば 私は あなたへの愛を書く
 一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く

あなたに 愛をおくりたい あなたに 夢をおくりたい
あなたに 春をおくりたい あなたに 世界をおくりたい
 一枚のザラ紙があれば 私は子どもが欲しいと書く
 一枚のザラ紙があれば あなたを返してと 私は書く

 一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
 一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く
【歌とはことばの芸術である。】
★以前にも何度か、歌についての話題で書いてきました。
 先日ちょっとした歌唱レコーディングにお邪魔した際、軽い打ち上げの席で、「上手い歌手」とか「いい歌手」とは何だろう?という話になりました。
 もちろん、歌、その歌詞や曲の内容は時代と共に変遷を繰り返してきたわけで、昔の歌がだんだんセピア色になっていくことは否めないのですが、それでも<長く歌い継がれる歌>と、ヒットを飛ばしたものの<僅かな間に消え去る歌>とは、いったい何が違うのか・・・誰しも疑問に思うところでしょう。でも僕には、心に残るメロディーとは心に残る詞(ことば)なのだと思えてなりません。

 歌が上手い(いい)・・・この言葉から誰しも想像することは?
 例えば、声が出る(パワーがある、伸びる)、音程やリズムがいい、音域がある、フェイク(メロディーを崩す)ができる、少し曖昧ですが、ハート(歌心)がある・・・そういったイメージではないでしょうか?つまりひとことで言うと「音楽性がある」ということになりますね。たぶん、ほとんどの方に異論はないでしょう。
 でも残念ながらぼくはそう捉えていないのです。歌が上手い(いい)とは、何よりも「詞(言葉)が立つこと」だと考えます。「立つ」とは「際立つこと」、よく聞こえること、聴き手に伝わることです。歌とは本質的に「ことばを巡る芸術」であって、音楽性とはあくまでも「言葉を立たせるための」背景、あるいは必要条件と考えるのです。そもそも歌手が歌う以前に、まず作曲家が多くの音楽的役割(=メロディー)を担っているのです。だからこそ、歌手に与えられた崇高な役割とは、詞(ことば)をと捉え、詞(ことば)を発し、詞(ことば)を伝えること、に他ならないのです。
(続き)
ところで過去の歌手と今の歌手を比べるとどちらが上手でしょうか?
 演奏家(楽器奏者)で考えてみるとこうです。例えば、サラサーテの「チゴイネルワイゼン」など作曲者本人しか弾けなかったといわれる当時と比べれば、現在では小学生でも弾いている、ということから見ても、技術は相当進歩したとも言えるのです。
 その点、歌の比較は難しい。たぶん、アメリカンポップスの影響などは、インターネット時代の現在では時間差などありませんから、見よう見まねだった頃から比べれば格段の強まったと言えるでしょう。その反面、昔は歌手としてデビューできるのはある程度歌の基礎があると認められた者だけだったので、プロ歌手の最低レベルで言えば今の方がずっと点数が低いはずです。その他様々な比較の仕方はあると思いますが、いずれにせよ音楽的知識や音楽環境、楽器の演奏レベル、DTMなどを使っての作曲などからトータルに見れば、現在の方がレベルは相当高いと思います。
 その象徴が<シンガー&ソングライター>という存在です。
 戦後最初の<シンガー&ソングライター>は「ヨイトマケの唄」などを作った美輪(丸山)明宏さんとも言われていますが、60〜70年代の歌謡曲全盛期の中から生まれてきた<シンガー&ソングライター>は、今や日本のポップスの中心と言って間違いありません。かつて歌手は歌手、作曲家は作曲家、作詞家は作詞家・・・とそれぞれの持ち場で、ある種の職人性に徹していたのが、その垣根は壊れ、歌を作ることと歌うことは一人の中で切り離せないものとなったのです。端的な言い方ですが、それまで音符など見ずとも歌詞カードを読めれば歌えた”単なる”歌手は、いまや音符をも自在に操り、時に自分で編曲(カラオケ)までやってしまう「マルチな音楽人」へと”昇格”したのです。現在こうした存在を「アーティスト」と呼ぶ所以です。
 これを見ても、歌手という存在のトータルな意味での音楽性は、昔とは比べものにならないほど豊かになったといえるでしょう。

しかし、
【歌が上手い(いい)とは、何よりも「詞(言葉)が立つこと」だ】
という命題に戻るなら、こうした音楽性の豊かさやマルチな才能・技術が、必ずしも「いい歌手」の糧と成り得ているのかははなはだ疑問です。多くの歌手の音楽性の源泉であると思われる黒人(音楽)フィーリングやフェイクの仕方、リズム感など学んでも、「詞(ことば)が立つこと」を学ばなければ、詞と音楽は永遠に一体化せず、詞(ことば)は曲によって解体させられ、虚しくもちりぢりになり、雲散霧消するでしょう。それでもその歌手が「上手い」と称されているのは、詞(ことば)とは切り離された音楽性や、特にフィーリングが豊かなことに対して、でしょう。でも、どんな音楽でも過剰なフィーリングは「クサイ!」と言われる運命にあります。今は売れていても、いつ「クサイ!」と言われてもおかしくない歌手はたくさんいると思います。上手い歌手ほどご用心です。
 僕が今まで歌や歌手について考えるようになったのは、ポプラと田村エミ子という二人の歌手の存在です。
二人は友人ではありますが、リハーサル中でも聴いていて涙が出てしまうことがあるくらい素晴らしい歌手です。「なぜこの人の歌に感動するのだろう?」それをずっと考えてきました。表現力とは何か?・・・それはやはり「詞(ことば)が立つ」ことなんですね。音楽性は、その詞(ことば)を強力に押し出すポンプなのですね。その方法は色々です。パワーを使ってもいい。囁いてもいい。もちろん二人とも時には神懸かり的な全身全霊の表現も出ます。どんな楽曲を歌おうとも、音楽によって詞(ことば)が引き裂かれることは絶対にありません。
【メロ先は訳詞から始まった?】
★続編です。必ず出る話題です。
 「歌を作るときって、詞を先に書く?曲を先に書く?」
 
 大雑把に申しましょう。「歌とはことばを巡る芸術である」と考えるならば、基本的に歌詞が先に作られるのが自然の成り行きです。その詞(ことば)のイメージをさらに膨らませるものとして、メロディーがあると考えられるわけです。事実かつて日本の歌の多くはそうでした。
 最近その光景は一変しています。特にポップス系の曲は、逆に90%曲が先だと思われます。なぜそうなったか・・・これまでも何度か分析していますが、私見で言えば、ここに至るまで、最初の<メロ先>の実験は<50〜60代アメリカンポップスの訳詞>から始まったのではないか?と思われるのです。訳詞ということは完全な創作詞ではないものの、それまで日本にはなかったようなメロディーに魅せられ、それが日本にはなかったような人物像や感性を導き出した、日本の歌謡史にとって歴史的事件だったと考えられます。
 
 「ダイアナ」「恋の片道切符」「ボーイハント」・・・その多くは、今でもカラオケやアマチュアバンドなどで健在です。
 ぼくが子供の頃強く印象に残っている歌詞は『子どもじゃないの』の「♪夜遅くに帰るとママから大目玉・・・」という一節。「大目玉」が「オッメッダマア〜」と聞こえて最初は意味が分からなかったのものです。少なくともそれまでの日本の歌「♪一人酒場で飲む酒は別れ涙の味がする(悲しい酒)」なんていう湿り気のある世界とはまるで違う、カラッとしたものでした。それらのイメージは、当時立て続けに放送された『パパは何でも知っている』とか『陽気なネルソン』とか、米国TVホームドラマに出てくる世界とピタリ重なるのです。

 しかし、訳詞からスタートした日本の<メロ先ポップス>の歴史は、その魅力溢れるメロディーによりもたらされたとしても、やはりそれまでの日本語詞の語感やイメージとの大いなる格闘があったはずです。なかにし礼さんが『知りたくないの』を訳詞という形で作った時、「♪あなたの過去は〜」の「過去」ということばについてずいぶん悩み、人からも「そんなことばは合わない」とか言われたそうです。上から<ソミドー>と下降するこのメロディー。今聴くとまるで「過去は〜」ということばを待ち望んでいたかのように、つまり詞が先だったようにも聴こえるのです。阿久悠さんの名曲『津軽海峡冬景色』も、メロ先なのに、まるで詞が先のようにも見える”職人技”が光ります。たった2小節に三連音符が15個(プラス伸ばしの一音)。この16個の音符に「♪上野 発の 夜行 列車 降りた 時か ら〜」と乗せることで、上野から青森まで一挙に移動してしまうというストーリー展開も可能となった、と言われています。

 さて、訳詞という黎明期からスタートして、先人?の努力と格闘の末、今では遍く(あまねく)定着した<メロ先>作詞法ですが、いまそこには日本語と格闘する姿は見えません。なかにし礼さんが「過去は〜」というたったひとつの言葉で悩んだような形跡は、どこを見ても見つけることはできないのです。あえて言ってしまえば歌作りにとって<メロ先>という万能の<メロディー発生装置>はできたけど、そこから詞(ことば)は決して生まれないのです。作詞とは、メロディーとの格闘の中で、最も先鋭的でイメージを膨らませることができる、とっておきの一語を紡いでいくような作業のはずです。残念ながら、現在の<メロ先>作詞行為は、メロディーという組立キットを詞(ことば)でネジ止めしていくような作業に見えるのです。ネジでしかない・・・まさに詞(ことば)の衰退です。それを「アーティストの世界観」なる賛辞でもって繕っているようにも見えます。いまや、歌のことばに向き合うということは「歌詞カードを読んで理解する」ところまで貶められています。前出のなかにし礼さんも「詞に対する疑問は詞でしか答えられない」と述べています。

 「詞(ことば)が立つ」という歌の使命。どうやら歌手にだけ責任があるのではなさそうです。
歌論3部作、完結篇!
【メロ先的歌作りの陥穽】
★2回に渡り、歌における詞=ことばの優位性を述べてきましたが、とりあえず完結篇です。
 「なぜ<メロ先>が主流となったか?」という疑問に答えます。
 最初に述べた「シンガー&ソングライターの台頭」。これも、例えば吉田拓郎、井上陽水、ユーミン、中島みゆき、サザンオールスターズ(桑田圭佑)等初期の段階では、必ずしもメロ先とは限らない作風が見られます。いずれにせよ詞と曲のマッチングはまだまだ自然。その後、何故か日本でもR&B(リズムアンドブルース・・・どこが!?)とか言われるジャンルが出てきた辺りから、はっきりとしたメロディー重視(先行)という楽曲が増えて来ました。その先駆者として小室哲哉などが脚光を浴びた時代です。いわばポップス第二世代ですね。その特徴はアメリカ音楽、特にヒップホップ、ラップなどブラック系の要素を多く取り込んだものです。また、DTM(いわゆる打ち込み)で誰でも居ながらにして作編曲が可能になったことで、楽曲アイディアの中心がサウンドに移行し、デモ音源も、歌詞はおろか、メインメロよりもリズムやアレンジを重視したものが、最終的イメージとして流通・認識されるようになってきたわけです。はっきり言うと、同じような身体つき(楽曲)なら少しでもカッコイイ衣裳を身につけたものが売れるだろうという発想です。このように、身体よりも衣裳が先行するような時代がやってきたのです。ここでは曲は歌詞と結びつくよりも、編曲=サウンドイメージ総体の一部となっているのです。この傾向は当分続くのではないか。

 さて、以上の分析のように、「詞(ことば)より曲をまず優先する作風」が、果たしてこれまでなかったような素晴らしい曲を生み出したかと言えば?・・・疑問です。
 もちろん売れるということが目的であれば、短期間に相当の出荷枚数、売上を可能にしたものもあるでしょう。でもそれはほとんどがロングセラーにはなり得ていません。長く歌い継がれていくことはないのです。先ほど例に挙げた小室楽曲も、著作権の売買で事件になったことも忘れ去られたかのようにすでに過去のものとされています。その流行サイクルは驚くほど短命です。
 曲先行でも、詞=ことばとの連携が重視されていれば、最後は詞・曲が一体化した強固な印象の作品も生まれるのですが、サウンド(編曲)に傾き過ぎると、結局詞=ことばなしでは長く生存できないのです。詞=ことばとは、新しく歌う人間の肉体を通じて何度も蘇るものだからです。その詞=ことばの支えがないと陳腐なまでにメロディーは風化していきます。その最も分かり易い例が、商店街などで流れているBGMです。昔から「歌のない歌謡曲」と言って、歌のメロディー部分を楽器で演奏しているBGMはありました。そのポップス版というわけですが、ハーモニカやアルトサックスで演奏される歌のメロディーは、まるで必然性なく並べられたとしか思えない虚しい音の羅列に聴こえませんか?

 「ユーミンをジャズで」とうたい、陽水やサザンなどのポップスをピアノトリオで編曲して人気の出たシリーズがありました。ピアニストのMさんはいつの間にかシリーズの終了を余儀なくされました。「G」というロックグループあたりから、メロが脆弱で編曲不能に陥ったそうです。

 詞よりも曲を重視した歌のはずなのに、そこから詞が抜けた時、その曲は曲だけではとても独立したものになり得ないほどひ弱な肉体だったのです。この現象をどう見たらいいのでしょう。ぼくは、詞=ことばこそ歌の肉体であり、血や肉なのだと考えます。メロのほうはそれを支える骨格、あるいは皮膚なのです。血や肉のない骨や皮膚・・・それがこうして詞=ことばと切り離されて作り出されたものなのです。それが長く生きていけないのは当然ではないでしょうか。

 ぼくはこの時代にあって、<詞先>こそが真の歌作りの方法あると主張したり、徒に<メロ先>を攻撃するものではありません。しかし、「サウンドの一部としてのメロ」という考えから脱却し、もう少し詞=ことばとの関係に重きを置くなら、どちらが先であっても、詞とメロとのいい関係は構築できるはずです。もちろん自分自身はこれからもそう心掛けるとともに、そうした精神が感じられる歌との出会いを求めていきたいと思っています。
★[遅ればせの紅白批評]と題して、昨年大晦日の「NHK紅白歌合戦」の批評を日記にて記しています。いろいろ反論もあるかとは存じますが、一応師範の意見ということで、ご興味のある方はどうぞご覧下さい。
もちろんレスもOKです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1652800351&owner_id=1475115
【メロディーの時代1】(日記からです)。

★二つのポップス楽団(もんなかもんじゃオーケストラsince2001/浅草うららオーケストラsince2008)、今年も活動を開始しました。

 <浅草うららオーケストラ>2011年の最初の新曲は『おとなのためのディズニーメドレー』。
 数多い曲の中から「星に願いを(ピノキオ)」「いつか王子様が(白雪姫)」「美女と野獣(同名映画)」の3曲を選びました。選んだ理由は?と言えば”私自身が好きだから”ということになるのですが、いろいろ調べてみましたら、この3曲にはひとつの共通点がみつかったのです。

 AFI(アメリカ映画協会)の”!00years100songs(映画史上100の名歌)”というランキング(10位まで別掲)を見ると、なんと、この3曲がランクインしているのです。
 「星に願いを(ピノキオ)」が第7位、「いつか王子様が(白雪姫)」が第19位、「美女と野獣(同名映画)」はぐっと下がりますが第62位。その他のディズニー作品となるともっと下位に「Hakuca Matata(ライオン・キング)」があるのみ。つまり、パッと思いついた曲を選んだところ、やはり誰もが認める名曲だったということですね。

 このランキングを注意深く見てみますと、第一位の「オーバー・ザ・レインボウ(オズの魔法使い)」の1939年を始め、第二位「アズ・タイム・ゴーズ・バイ(カサブランカ)」1942年など、1930年代から1960年代までの作品が多いことに気づきます。「星に願いを(ピノキオ)」が1940年、「いつか王子様が(白雪姫)」も1937年(「美女と野獣」は例外的に1991年)となっています。

 特に1990年以降はほとんどランクインされていなくて、例えば1990年の映画『ゴースト』にしても挿入歌「アンチェインド・メロディー」はリバイバル曲、1992年『ボディーガード』の中でホイットニー・ヒューストンが歌う「アイ・ウィル・オールウエイズ・ラブ・ユー」にしても古いカントリーの曲です(つまり書き下ろしではないということ)。

 今でも歌われ続けているアメリカの多くのスタンダードは映画やミュージカルから生まれたといいます。
 特に1940年代から1960年代の”映画黄金時代”ともいえる時期の音楽は、まさに”メロディーの宝庫”でした。
 ソ連から亡命した作曲家たちによるラフマニノフを思わせるロマンチックな音楽がハリウッドを席巻し、ジャズのエッセンスをうまく採り入れたG・ガーシュインやC・ポーター、そしてイタリア系のH・マンシーニ等、映画という小宇宙で、素晴らしい感性が解き放たれたされたのでしょう。
 
 『おとなのためのディズニーメドレー』で選ばれた曲たちは、いずれもそんな”メロディーの時代”を強く感じさせるもなのです。
 
【AFI's100years100songs/BEST10】
1,Over the Rainbow
2.As Time Goes By
3.Sing'n in the Rain
4.Moon River
5.White Cristmas
6.Mrs.Robinson
7.When You Wish Upon a Star
8.The Way We Were
9.Stay In Alive
10. The Sound of Music
 さらに知りたい方はこちら↓
http://en.wikipedia.org/wiki/AFI%27s_100_Years%E2%80%A6100_Songs

●なお、「美女と野獣」日本語版のテーマを歌っているのは、尊敬している友人のポプラさん。
http://www.youtube.com/watch?v=ASQH7PimpRc
【メロディーの時代2】(日記からです)。

★歌というものを考えるとき、<詩と曲>、<言葉と旋律>、<メロと歌詞>・・・という切っても切れない二つの要素があることは明白ですね。その関係とはいったいどうなっているのか?長く考えてきたテーマです。これまでも何度か日記でも取り上げています。でもまだ明確にはなっていません。
 
 今回ディズニーの「星に願いを」「いつか王子様が」「美女と野獣」という3曲をポップス楽団で取り上げ、歌うのではなく演奏するのですが、なぜかいつも”いい歌は演奏してもいい曲だ”という事実に突き当たるのです。例えば、ビートルズの「イエスタデイ」。これは歌だけでなく演奏でもよくカバーされますね。J・コルトレーンが好んで演奏した「マイ・フェバリット・スィングス」は『サウンド・オブ・ミュージック』の有名な挿入歌です。いや、演奏の曲として取り上げられるジャズのスタンダードは、その多くが歌ものなのです。
 
 このように、これまでヒットした多くの歌からその歌詞が切り離され、単に曲だけになって演奏されてもずっと輝きを放ち続ける現象はどう説明したらよいのでしょう?ひとつの推測ですが、やはり歌詞もグッドなのだろうと思うのです。
 
 曲が先か詩が先かという創作方法はいろいろあるたにせよ、歌とは<詩と曲>、<言葉と旋律>、<メロと歌詞>という【不可分一体のイメージ】が先行するもので、最終的にそのイメージに向かって練られ、絞られ、完成させられていくものなのだと思います。
 また、かつて人々はメロディーというものに対して、ある種の神秘性を感じていたと考えられます。それがいわゆる「メロディーの時代」です。神秘性とは、まだ見ぬ(聴かぬ)ものへの憧憬、初めて出会ったものへの驚きと歓び、闇の中から生まれてくる何かをじっと待ち続ける”祈り”のような思い・・・等々です。作る側だけでなく、聴く側にもそうした純粋な精神的風土が少なからず存在していたはずです。

 さて、時代は飛んで現代。マイミクの鈴音さんは、メロディーに魅力が感じられなくなったのはごく最近(ここ10〜15年ほど?)のことだと仰っています。ぼくもある意味では同感です。ただ、ヒットしている曲にそういう傾向があるとしても、一方知らないところでメロディーの力を発揮している歌が存在しているかもしれませんので断定はできません。
 
 最後に、どうして最近そういう傾向が強いのか、の仮説を述べます。
 端的に言いますと「詩をないがしろにしている」からでしょう。
 
 60年代アメリカンポップス(ポール・アンカ、ニール・セダカ、コニー・フランシスなど)をわれわれ日本人はまず最初に”訳詞”することで新しいメロディーを受け入れました。これがある意味、初めての<メロディー先行>による歌作りです。それまでの歌作りはほとんど<詩先行>だったと推測されますので、ある意味革命的な出来事だったと言ってもよいでしょう。
 その後60年代から70年代にかけてアメリカンポップスの影響はさらに増大、その”あか抜けた”メロディーへの憧れは留まるところをしらなかった、という事態はご存じの通りです。
 いつしか、詩先よりメロ先が当たり前となり、詩とメロの<不可分一体のイメージ>は壊れ、なによりもカッコイイメロディーを作ることを優先、しかもDTM(いわゆる打ち込み)の発展によりサウンド重視も加わって曲・アレンジ一体化が進み、詩は置いてけぼりを食うことになっていったのです。
 <不可分一体のイメージ>という詩と曲の理想のあり方を”上下揃った一着のスーツ”に喩えるならば、その後の多くの歌は、”曲というドレスに詩というネッカチーフを飾っている”ようなものへと変化していったのです。いい曲(つまり売れそうな曲という意味ですが)を作るという歪んだ目的によって、本来<不可分一体のイメージ>の重要な要素であった詩(言葉)がスルリと抜け落ち、その結果として、一見カッコよく聴こえる曲自体が、支える根拠の薄い存在へと化してしまったのです。もちろん、多くの創作者は「詩をないがしろにしている」などという自覚はありません。売れたからいい歌なんだという自信があるからでしょう。ただし、その脆弱な肉体では歌の寿命はとても短いという事実は誰も否定できないでしょう。
 
 カッコいい曲作りを優先すると、本来<不可分一体のイメージ>の一方を占めていた詩が損なわれ、結局曲自体も短命で終わってしまうという悲しい皮肉。
 果たして新たな「メロディーの時代」は到来するのでしょうか?
☆日記からの引用で恐縮ですが。

[望郷]
☆「望郷」とは、遠く離れた地から故郷を、その風景や家族・友人、そしてかけがえのない思い出を心のなかで強く慕う気持ちのことでしょう。それは普通、いつかは帰ることを前提に思うことのはずです。
 
 ナターシャ・グジー。3年ほど前にも日記で取り上げたウクライナの歌手です。彼女は6歳の時、父が働くチェルノブイリ原発の近くの自宅で被爆し、その後各地を転々とし、キエフで音楽を学んだといわれます。
彼女にとって「望郷」とは、「決して帰ることのできない故郷への思い」なのです。
 代表的なアルバム『ナタリア』に収められた15曲を改めて聴くと、どの歌にも、失った故郷(その風景や家族・友人、かけがえのない思い出)への強い望郷の念と、それを静かに受け入れてきた人生の哀しみとが、深く心を捉えるのです。
<以前の日記>
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=769824436&owner_id=1475115&org_id=768162546

 いま、原発の町周辺に起こっていることの未来を思うとき、”永遠に帰ることのできない地”への思いを歌う彼女の歌の真実が、恐ろしいまでに哀しく迫ってきます。原発の町とその周辺地域が、彼女の故郷と同じ運命を辿らないことをひたすら祈るのみです。

 遥かに遠い空
        作詞:ナターシャ・グジー
        作曲:井上鑑

あの日見た空 遥かに遠い空
いまも忘れない
ひとみ閉じて もう一度もう一度
ふるさとの空を

空わたる風 緑に薫る風
いまも忘れない
手をつないで もう一度もう一度
母と歩きたい

いまは遠く離れていても 私は歌ってる
あふれだすこの思いを あなたに伝えたい

あの日見た夢 遥かに遠い夢
いまも忘れない
空を見上げ いつの日かいつの日か
かなえるあの夢を かなえるあの夢を

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