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小川 淳司コミュの最新情報

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キャンプ地の沖縄・浦添入りしたヤクルトの小川監督が異例のミッションを発令した。

 「中畑さんに負けるなですよ。(ブルワーズ移籍の)青木もいなくなったし、田中なんかもっとアピールしていい。畠山はあんな感じ(マイペース)だけど積極的になっていい」。このオフはDeNAの中畑新監督に話題が集中。指揮官はキャンプ中の盛り上がりに危機感を抱き、中堅の2人にムードメーカー役を厳命した。

 これを伝え聞いた田中は即座に反応した。「昨年は(キャンプで)約1000人にサインしたけど、今年の目標は2000人。監督とも何かコラボして盛り上げます」。畠山も「検討します」と苦笑いだ。その一方で小川監督はこう付け加えた。「僕はできないけど…」。指揮官はナインの尻叩きだけに徹する。
(スポニチアネックス)

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<DeNA6−3ヤクルト>◇10日◇横浜

 ヤクルトが、完敗した。ライアン小川が6回途中にKOされ、対DeNA3連敗。10試合連続2ケタ安打を放ってきた打線は7安打3得点に終わった。

 DeNA戦だけで借金9で、今季負け越しが決まった。小川淳司監督(56)は「(ライアンは)直球はいいけど、変化球の精度が良くない。去年とちょっと(違う)」と話し、DeNA戦負け越しについては「これだけ負けていればね。9連敗もあったし。まだ残り試合があるから」と、今季中に1つでも巻き返す意向を示した。
<広島5−6ヤクルト>◇12日◇マツダ

 最下位ヤクルトに、奇跡が起きた!? 

 接戦をものにして連敗を2で止めた小川淳司監督(56)は、興奮冷めやらぬ様子だった。

 ピンチでは打球が正面をつき、走塁ミスなど相手の拙攻で何度も窮地を救われた。

 小川監督は「今日はもう、奇跡じゃないか。みんな正面をついて、ピンチをしのいで、ツキがあったなと思う。このツキを手放さないようにしないと」と笑顔。打線も15安打を放ち「粘り強く攻撃して逆転した。その後にも点を取ったのが大きかった」と振り返った。
<広島7−3ヤクルト>◇13日◇マツダスタジアム

 ヤクルトの広島バリントン対策は実らなかった。

 通算対戦成績で31打数2安打と相性の悪い畠山をスタメンから外し、今季に本塁打を放っている左の武内を起用。それでも打線がつながらず、バリントンに6連敗を喫した。

 天敵攻略に失敗し、小川淳司監督(56)は「バリントンは良かったとは思うけど…。山田が本塁打を打ったが、右打者は苦労する。左打者が攻略しないといけない」と悔しさをにじませた。真中打撃コーチも「2シームとスライダーを、低めに丁寧に投げていた。右打者はシュート系と外のスライダーに苦しめられている。これだけやられているのでね」と、さらなる対策の必要性を口にした。
◇セ・リーグ ヤクルト0―6中日(2014年8月16日 ナゴヤD)

 ヤクルトは16日、中日に0―6で敗れた。強力打線が山井の前に今季最少の2安打に抑えられ、今季5度目の零敗を喫した。

 小川監督は「もう完敗です」と相手右腕にお手上げ。無安打だった7回2死から左前打を放った雄平も「球の切れも前回対戦したときよりもよかったし、制球も丁寧だった。安打を打てたのはたまたま甘い球だったからです」と振り返った。

 また先発の新垣は3回7安打4失点KO。7月にソフトバンクからトレード移籍し、初登板だった9日DeNA戦(横浜)に続き結果を残せず「自分の投球ができなかった」と肩を落とした。制球が定まらず、セ・リーグタイの1試合4暴投を記録。小川監督は「ボール、ボールとなりリズムが…。ちょっと厳しいかなという感じがする。(次の登板は)1回考えた方がいい」と話し、2軍で再調整することとなった。
<ヤクルト5−6巨人>◇21日◇神宮

 ヤクルトが延長で力尽きた。

 小川淳司監督(56)は「7回は1死一、三塁、8回は無死満塁。何とか犠牲フライというとことでね。延長に入ると、ほとんど負けているから。その前に点を取れるときに取っておかないと。自分が作戦できなかったミスもあるけど…」と敗戦を悔やんだ。
<ヤクルト4−2DeNA>◇23日◇松山

 終盤の逆転勝利に、ヤクルト小川淳司監督(56)も興奮冷めやらぬ様子だった。

 1−2の7回、相手失策を逃さずたたみかけ、3得点で逆転した。

 小川監督は「(決勝打の)川端が本当によく打ってくれた。その前に飯原が(一塁へのヘッドスライディングで内野安打として)つないでね。失策を生かして安打がつながったことは価値がある。なかなか安打、安打は難しいからね」と笑顔で振り返った。
<ヤクルト2−1DeNA>◇24日◇松山

 ヤクルト小川淳司監督(56)の選手起用がはまり、苦手DeNAに2連勝した。

 DeNA戦3連敗中だった小川の女房役を、中村から相川に変更。スタメンに抜てきした武内は、貴重なソロ本塁打を放った。小川監督は「投手戦だったのでなかなか点が入らない雰囲気で、こっちには本塁打がでた。小川は許さなかった。その違い。相川のリードは大きかった。武内も良かった」と、絶賛が続いた。
<広島2−1ヤクルト>◇27日◇マツダスタジアム

 ヤクルトの自力でのCS進出が消滅した。

 0−0の延長10回に代打ユウイチの適時打で勝ち越したが、その裏にバーネットが追いつかれて逃げ切りに失敗。

 延長11回には1死一、二塁で森岡が正面の遊ゴロを後逸。1死満塁となると、今度は川端が三塁線に飛んだ打球のバウンドが変化したことに反応できず内野安打とし、サヨナラ負けを喫した。

 まずい守備が続いて勝利を逃した小川淳司監督(56)は「こういう試合はミスをしたらこうなりますよね。ミスが出たら分が悪くなる。負けるべくして負けたということ」と厳しい表情で振り返った。
<広島3−6ヤクルト>◇28日◇マツダスタジアム

 ヤクルト小川淳司監督(56)が、思い切った采配でマエケン攻略を決めた。エンドランだけでなく、4回には三塁走者が畠山、打者が投手石川の場面でスクイズを敢行。意外性のある作戦で、広島前田の失策を誘った。

 「マエケンだから思い切ってやった。動かないと安打、安打、安打と、簡単にはいかない。打線も素晴らしかった」としてやったり。

 粘りの投球を見せた石川にも「よく修正して踏ん張ってくれた。それがマエケン攻略につながった。彼にとっても10勝は1つの目標だろうし、勝ちがついたのでよかった」と絶賛した。
(セ・リーグ、阪神10−5ヤクルト=九回表途中降雨コールド、18回戦、阪神10勝8敗、29日、甲子園)九回に川端の適時二塁打で5−10とし、なおも無死満塁で雄平に回ったが、雨脚が強まり降雨コールドゲーム。小川監督は「最後までやりたかったとは思いますが、仕方ない」と無念さをじっとこらえた。今季初先発の赤川は3回1/3を7失点KOで、試合後に2軍降格が決定。「全体的にレベルが低いので、上げていかないといけない」と唇をかんだ。
 ◇セ・リーグ ヤクルト4―1阪神(2014年8月30日 甲子園)

 この日57歳の誕生日を迎えたヤクルト・小川監督に、孝行息子たちが白星をプレゼント。中でも輝きを見せたのが先発の石山。7回1失点と好投し「とにかく粘れた」と笑顔を見せた。

 序盤に失点する立ち上がりの悪さをこの日も露呈。2回、無死一、二塁から今成を併殺に打ち取りながらも、直後に連打を許して先制点を与えた。それでも「これ以上、点は与えたくなかった」と先頭打者を出さないことを強く意識し、追加点は与えなかった。

 今季3勝目、先発転向後は連勝となり「これを自信にして次も投げられるように」。最下位脱出へ、安定感をみせてきた右腕がフル回転を誓った。
左アキレス腱痛のため2試合先発を外れているヤクルトのバレンティンは、2日の中日戦でも代打待機が濃厚となった。

 この日は神宮クラブハウスを訪れ治療に専念。早期復帰へ必死な姿勢を見せたが「痛みはきのうと変わらない。あすも厳しいと思う」と険しい表情だった。2ゲーム差で追う中日との3連戦に向け、小川監督は「まずはそこ(5位)が見えた。一つ一つやっていくしかない」と意気込んだ。
<ヤクルト2−3中日>◇2日◇神宮

 ヤクルトは5位中日に逆転負けを喫し、この直接対決3連戦での最下位脱出はならなかった。

 1回に2点を先制したが追加点を奪えず、終盤は相手に流れが傾いてしまった。小川淳司監督(57)は「あと1点が取れなかった。途中で取っていれば展開は変わっていたかもしれない」と、先発伊藤をとらえきれなかったことを敗因に挙げた。
「ヤクルト1‐5中日」(4日、神宮)

 ヤクルトは逆転で敗れ、“最下位争い”直接対決で負け越した。5位・中日とのゲーム差が3に広がった。二回に畠山の2試合連続の15号ソロで先制したものの追加点を奪えず、チームトップの10勝を挙げている石川が6回2/3を5失点と踏ん張りきれなかった。

 小川監督は「(石川から山本哲に)交代したオレのせい」と采配を反省。「最下位なので、1試合1試合勝つために一生懸命やるとしかコメントできない」と、力なく話した。

 左アキレスけん痛のバレンティンのスタメン復帰が微妙な見通しの中で、5日からは首位・巨人と3連戦。夏の終わりを前に正念場を迎えている。
ヤクルトが今季で契約切れとなる小川淳司監督(57)に代わり、来季の監督として真中満1軍打撃コーチ(43)の昇格を検討していることが8日、分かった。チームは2年連続最下位の危機。監督問題に関して衣笠剛球団社長兼オーナー代行は「まだ残り日数もあるので、その件に関してはノーコメント」と無言を貫いている。

 選手として1997年、2001年の日本一に貢献した真中コーチは、明るく前向きな性格で若手から慕われている。また、昨年は2軍監督として5年ぶりにイースタン優勝。今季は1軍打撃コーチとしてリーグトップのチーム打率を誇る打線をつくりあげた手腕が、高く評価されているようだ。

 一方、小川監督はゼネラル・マネジャー(GM)としてフロント入りする可能性も浮上している。
ヤクルト・衣笠剛球団社長兼オーナー代行(65)は9日、1年契約の小川監督の去就について、全日程終了を待たずに結論を出す意向を示した。DeNA戦(横浜)の試合前に取材に応じ、「まだ23試合残っている。シーズンも余すところ数試合となったら(堀)オーナーと話をして決める。(続投、交代など)あらゆる選択肢がある」とした。

 小川監督は就任4年目の今季、館山、小川の負傷離脱などもあって投手力不足に苦しみ、昨季に続いて最下位に低迷している。自身の進退については「現時点で球団との話し合いは一切ない。コメントすることはできない」とした。
<DeNA2−0ヤクルト>◇10日◇横浜

 ヤクルトのドラフト1位、杉浦稔大投手(22)が初登板初先発を飾ることができなかった。キャンプ中に右肘内側側副靱帯(じんたい)断裂で大幅に出遅れ、ようやく1軍のマウンドに立った。その初回、梶谷にいきなり先頭打者アーチの洗礼を浴びる。さらに2回の開始前には雨による8分の中断というアクシデントにも見舞われた。

 それでも崩れることなく6回2失点と先発の役目は十分に果たした。「いきなりホームランを打たれたけど、その後は落ち着いて投げられた。真っすぐはしっかり差し込めたし、打者は振り遅れていた。フォークも低めに決まっていた。ただグリエル(6回の適時打)には高めに浮いた。その1球は反省しなきゃいけない」と手応えと反省を口にした。

 小川監督が「(次回も)期待は当然持てる」と言えば、高津投手コーチも「早く次が見たい」と高く評価し、大きな期待を寄せていた。
<巨人6−3ヤクルト>◇19日◇東京ドーム

 ヤクルトが守りのミスで連敗となった。

 4回は無死一塁から亀井の右飛を飯原が後逸。記録は安打となったが二、三塁とピンチを広げて2失点につながった。7回は1死一、三塁から内海の投前バントを山本哲が一塁へ悪送球。捕球後に本塁へ送球しようとしたが、三塁走者片岡は走っておらず、あわてて一塁へ送球したことがミスになった。

 小川淳司監督(57)は「(飯原の場面)記録はヒットになったけど、投手に気の毒だった。捕れなくても後ろにそらしてはいけない。(山本哲の場面)片岡は走塁技術を持っている。セーフティースクイズに対して、いいバントなら走る、正面なら止まれるからね。バントをさせないようにしないといけなかった」と指摘した。
ヤクルトは好機を生かし切れず3連敗。五回無死一塁では雄平が右翼フェンス直撃の大飛球を放ったが、一塁走者のバレンティンが判断を迷い得点につなげられず、小川監督は「得点できていれば展開も変わった」と悔やんだ。

 わずかに残っていたCS進出の可能性も消滅し、2年連続の4位以下が決定。指揮官は「仕方がない。結果ですから」と下を向いた。(東京ドーム)
「巨人4‐2ヤクルト」(20日、東京ド)

 左アキレスけん痛治療のため途中離脱するヤクルトのバレンティンについて、小川監督は「残り3打席。それが最後になると思う」と話した。

 21日にシーズン規定打席(446)に達した場合、翌22日に帰国することになるもようだ。
ヤクルト・小川淳司監督(57)が22日に都内で衣笠剛球団社長兼オーナー代行と会談を行い、今季限りでの辞任を申し入れることが21日、分かった。

 チームの成績不振からの引責辞任で、球団側も受理することが確実。新監督については、既に12日に衣笠社長が「最有力候補」と明言した真中満チーフ打撃コーチ(43)の昇格が既定路線となっており、シーズン終了後にも正式発表される見通しとなった。

 10年途中に監督代行に就任し11年から4季にわたった小川政権に終止符が打たれる。小川監督は監督代行だった10年に、最大で19あった借金を完済するなど低迷していたチームを立て直した。正式に監督となった11、12年は2年連続でクライマックスシリーズ(CS)に進出したが、昨季は故障者が相次いだこともあり最下位。新たに1年契約を結んでチーム再建を期した今季も、5位中日に5ゲーム差の最下位で20日には2年連続のBクラスが確定。常々「これだけ負けていたら責任を取らなくてはいけない」と漏らしており、けじめをつける形となった。

 今季の残り11試合は最後まで指揮を執る意向。最多安打を目指す山田や、野手転向5年目で5番に定着した雄平ら将来性の豊かな選手も多く、指揮官は「1試合でも多く勝つしかない。まだ上にいける可能性がある」と話している。

 ◆小川 淳司(おがわ・じゅんじ)1957年(昭32)8月30日、千葉県生まれの57歳。習志野ではエースとして75年に春夏連続甲子園出場し、夏は全国制覇。中大で外野手に転向。河合楽器を経て、81年ドラフト4位でヤクルト入団。92年に日本ハムに移籍し、同年で現役引退。通算成績は940試合で打率・236、66本塁打、195打点。引退後はヤクルトの2軍監督などを歴任し、08年に1軍ヘッドコーチへ昇格。10年5月から監督代行を務め、11年から監督に就任した。
ヤクルトの小川淳司監督(57)が22日、都内の球団事務所で衣笠剛球団社長兼オーナー代行と会談を行い、成績不振の責任をとって今季限りで辞任する考えを伝えた。

 10年途中から監督代行に就任。11年から正式に監督として指揮を執ってきた。昨年は最下位に沈み、今季もここまで最下位に低迷している。すでに2年連続のBクラスが決定しており「監督という立場だから(辞任は)当然のこと」と話した。

 今季の残り11試合については「最後までやるのが自分の仕事ではないかと思っている」とし、指揮を執る意向を口にした。
ヤクルトの小川淳司監督(57)が22日、東京・北青山の球団事務所で成績不振を理由に辞任を球団に申し入れ、衣笠剛球団社長兼オーナー代行に受理された。「ずっと成績が下位で、自分で線を引かないとと思った」と説明した。2年連続でチームは最下位に低迷し「悔しさしかない。2011年にリーグ優勝を逃した時も、悔しさが残った」と振り返った。

 10年の途中に高田前監督の引責辞任を受け監督代行に就任。11年から監督を務め、2年連続でクライマックスシリーズ(CS)進出を果たした。だが昨季は故障者が続出。今季も5位と5ゲーム差の56勝74敗3分けで6位とCS進出の可能性は消滅している。

 小川監督はこれまでスカウトや2軍監督、1軍ヘッドコーチなどを歴任しており、衣笠社長は「球団への貢献度が高いので何らかの形で」と球団フロントに迎え入れる方針を示した。後任は真中満チーフ打撃コーチが就任する見通しで、シーズン終了後にも正式発表される。球団関係者の話によると、小川監督の腹心である佐藤真一ヘッドコーチの入れ替えの可能性もあるという。
<ヤクルト2−7広島>◇23日◇神宮

 ヤクルト小川淳司監督(57)は、初対戦で7回2安打に抑えられた広島ヒースに脱帽した。「いいボールを放られていた。球の質もいいし、4回以降はコントロールも球も良くなった。あれだけの球をコントロール良く投げられると難しい」とお手上げの様子。

 前日22日に今季限りでの退任を表明した翌日に完敗となったが、「目の前の試合を一生懸命頑張るとしかコメントできない」と話した
<広島12−9ヤクルト>◇29日◇マツダスタジアム

 18安打を放ったものの逆転負けを喫し、ヤクルトの2年連続最下位が確定した。

 先発ナーブソンが3回5失点でKO。打線が追い上げて6回に山田の28号2ランで逆転したが、7回に救援陣が踏ん張れずに6失点で万事休す。先発は崩れ、失策が絡んで大量失点を喫するという、今季の低迷を象徴するような敗戦となった。

 小川淳司監督(57)は「点を取った時は取られるし、抑えている時は取れない。これが現状じゃないか。これだけ負けているので(最下位は)結果として受け止めます」と厳しい表情で語った。
<ヤクルト2−1巨人>◇1日◇神宮

 ヤクルト小川淳司監督(57)が、7回1失点で2勝目を挙げた先発杉浦を絶賛した。

 1回から4者連続三振のスタートに「コントロールが良かった。三振をどれだけ取るかと思ったよ」と満面の笑み。「コントロールとキレが良かった。ある程度安定した投球をできるんじゃないかと思う。調子が良いときも悪いときも出てくるけど、その中でも何とかする投球ができる感じがした」と、賛辞を惜しまなかった。杉浦の好投もあって投手戦を制し「こういう試合をものにしていれば、チームの強さにつながっていく。こういう試合を来年できればいいんじゃないか」と話した。
 ◇セ・リーグ ヤクルト3―4DeNA(2014年10月7日 神宮)

 今季限りで辞任するヤクルト・小川淳司監督(57)が、神宮球場で行われたレギュラーシーズン最終戦のDeNA戦後にあいさつを行った。

 指揮官が最後に言葉を詰まらせた。「監督として4年…」。ここまで言うと言葉が続かなかった。目は真っ赤に充血し涙がいまにもこぼれそうだった。それでも「結果を出すことができませんでしたがファンの皆さん、監督代行、監督にさせていただいたフロントの方、選手、関係者の方に感謝を申し上げて最後のあいさつにしたいと思います」と何とか言葉を絞り出した。

 選手そしてファンに愛された指揮官だった。実直な性格ですべての人に誠実に向き合った。だが、勝負の世界は時に非情だ。「昨シーズンの最下位から今年こそという思いを持って戦ってまいりました。しかし監督としての力量が足りず、最下位という成績に終わってしまい、期待していただいたファンの皆さんに申し訳なく思っております」

 シーズン193安打で最多安打のタイトルを獲得した4年目の山田、投手から野手に転向した雄平らが素質を開花させ、12球団最多の667得点を挙げたものの、結果は最下位。「高いアベレージを残した選手がたくさんいながらチームを勝利に導くことができず選手たちにも申し訳ない気持ちです」と謝罪。続けて「しかしながら成長した選手が強いスワローズを築き上げてくれると期待してます。優勝へ導いてくれるものと思います」と期待した。

 10年途中に監督代行に就任し11年から4季にわたった小川政権。正式に監督となった11、12年は2年連続でクライマックスシリーズ(CS)に進出したが、昨季から故障者が相次いだこともあり2年連続の最下位に終わった。

 球団は小川監督にフロント入りを要請。シーズン終了後にも結論を出すこととなるが、今後もチームを支えていく可能性は高い。来季監督は真中満チーフ打撃コーチ(43)の昇格が確実で、シーズン終了後にも発表される。
球団歴代3位となる314個の白星を残し、選手に慕われファンに愛された指揮官がグラウンドを去った──。

 10月7日に神宮球場で行われた東京ヤクルトスワローズの2014年最終戦。それは監督代行時代からチームを5シーズン率いた小川淳司監督のラストゲームであった。その試合前、小川監督は冗談交じりに1つの「不安」を口にしていた。
「あんまり最後、最後って言われると(あいさつで)話せなくなっちゃうよ……オレ、そういうのダメなんだよ。涙腺弱いからさ」

 不安は現実となった。試合後のファンへのあいさつで、これまでの監督生活を振り返ろうと「監督として4年……」と口にした刹那、思わず言葉に詰まった。こみ上げてくる感情と必死に戦うように目を閉じ、唇をグッと曲げたが、再び開かれたその瞳は涙で光っていた。それでも「結果を出すことができませんでしたが、最後まで温かいご声援をいただいたファンのみなさん……」と懸命に言葉を続ける小川監督の表情スタンドに目をやればファンも目を潤ませ、ボロボロと涙を流しているファンもいる。さらにフィールド上では小川監督の後ろに整列しているスワローズナインの多くも、目を赤くしていたのである。

「ここまで成長させてもらったのはやっぱり、小川監督に我慢して使ってもらったおかげだと思うんで、感謝の気持ちはすごい持ってます」
 この試合に先立ってそんなふうに思いを口にしていた畠山和洋も、目を赤くしながら真っすぐに前を向いていた。

 今年はフルシーズンの出場で初めて3割を打った川端慎吾も、思いは同じだった。彼には、小川監督との忘れられない思い出がある。
「まだ出始めのころですけど、僕のエラーで逆転されて負けた試合があって……まだ出始めだったんで、相当落ち込んでたんですよ。でも、その時に監督が“使ってるオレが悪いんだから、お前は思い切ってやればいいんだ”って言ってくれて、あれで相当気持ちが楽になりました」

「(小川監督は)すごくよく声をかけてくれます。僕は(主力で)一番年下ですけど、そんな僕にも気を遣ってくれるんです」と言うのはプロ4年目の山田哲人。6日の試合で、日本人右打者の年間最多安打記録を64年ぶりに塗り替えた22歳は、小川監督にとっては“特別”な選手である。

「初めてのドラフトでクジを外して、外して、(3度目に)当たったのが山田だったんですよね。そういう意味ではすごい思い入れがあるんですよ」
 監督として初めて臨んだ10年秋のドラフトで、斎藤佑樹(現、北海道日本ハム)、塩見貴洋(現、東北楽天)と立て続けにクジで外した末に、オリックスとの抽選でようやく引き当てたのが山田だったのだ。

 
 もちろん、小川監督を慕っていたのは彼らのようないわゆる「小川チルドレン」だけではない。プロ13年目の今季、自身10度目の2ケタ勝利を挙げた石川雅規は「(小川監督は)僕がプロに入って一番長くやらせてもらった監督さんですけど、すごくやりやすい環境を作ってもらいました。僕も含め良いシーズンも悪いシーズンもありましたけど、若手が伸びてきたのは小川監督の下だったからだと思います。(今後)どうすれば恩返しできるか分からないですけど、1年でも長くプレーしたり(小川監督と一緒にやった)今のメンバーで優勝できたら、ちょっとは恩返しになるのかなと思います」と語る。

 また、今年で20年目の大ベテラン、相川亮二が「何よりも勝つことを一番に考えて、なおかつ選手を大事にしてくれる監督でした。(今年は出場機会が激減したが)監督はどうすれば勝つ確率が高くなるかを常に考えているわけで、そこに自分が入ってないことに悔しい気持ちもありましたけど不満はなかったですし、それが納得できる監督でしたね」と言えば、左アキレス腱検査のために一足早く日本を離れたウラディミール・バレンティンも、離日前に「選手との接し方をよく分かっている。気を遣ってくれるし、時に厳しいことを言われることもあるけど、それはオレのために言ってくれてるんだと思う。これまでいろんな監督の下でプレーしてきたけど、間違いなく最高の監督の1人だ。辞めてほしくないね」と、小川監督を評していた。
ところが、その監督を胴上げしたいというナインの思いは実らなかった。正式に監督に就任した11年は終盤まで首位を走りながら、土壇場で中日にひっくり返されて2位。翌年は3位となったが、いずれもクライマックスシリーズで敗れた。そして13、14年は故障者の続出もあって2年連続で最下位に沈むと、その責任を痛感した小川監督は選手で10年、指導者としては19年もの間、着続けたスワローズのユニホームに別れを告げる決意を固めた。

 最初に書いたとおり、監督代行時代も含めて5年間で積み上げた314勝は野村克也監督(通算628勝=90〜98年)、若松勉監督(通算496勝=99年〜05年)に次いで球団歴代3位(前身のサンケイ、アトムズ、国鉄時代を含む)。2年連続Aクラス入りも、小川監督のほかには若松監督(4年連続=01〜04年)、野村監督(3年連続91〜93年)、そして広岡達朗監督(2年連続=77〜78年)しかいない。

 あいさつを終え、ファンの盛大な拍手と労いの声に送られながらグラウンドを後にした小川監督は、いつもと同じようにクラブハウスで囲み取材に応じると、言葉に詰まった理由をこう話した。
「やっぱり悔しさかな。2年連続最下位っていう悔しさは当然ありますけど、それと2011年に優勝できなかったっていう悔しさと両方かなぁ」

 トータルでは球団史に残る成績を収めながら、悔しさを抱えたまま小川監督はグラウンドを去った。しかし、8日に就任が発表された真中満新監督をバックアップするべく、衣笠剛球団社長兼オーナー代行はその小川“前”監督にフロント入りを打診していることを明らかにしている。

 足掛け5年に及ぶ「小川スワローズ」のストーリーは、残念ながらハッピーエンドを迎えることはできなかった。だが、これからは真中新監督がどのように「新章」を紡いでいくのか、そしてそれを小川前監督がどう支えていくのかを、楽しみにしていきたいと思う。
退任するヤクルトの小川淳司監督が9日、東京都港区のヤクルト本社を訪れ、堀澄也オーナーに、2年連続最下位に終わった今季の報告と退任のあいさつをした。同監督によると、オーナーから「結果よりもどれだけ一生懸命やったかが大切」とねぎらわれた。
 球団から編成部門でのフロント入りを要請されている小川監督は、オーナーからも協力を求められたそうで、「もちろんそうなると思う」と話した。 
ヤクルトの小川監督が今季限りで退任することになった。2010年5月に、高田元監督の辞任を受けてヘッドコーチから監督代行に就任。翌11年から正式に監督となると、同年には優勝争いを演じるなど手腕を発揮。一方で、ここ2年は最下位に沈み「悔しさしかない」とも。代行時代も含めて約5年。指揮官として最も印象に残った試合とは−。

 どん底で指揮官を任され、11年には終盤まで首位を守ると、2年連続クライマックスシリーズ(CS)にも出場。13、14年はケガ人続出も影響して連続6位と、この5年間は浮き沈みが激しかった。その中で、今も心に残っている試合として真っ先に挙げたのが、監督代行として初めて指揮を執った10年5月27日の楽天戦(神宮)だった。

 前夜までチームは交流戦で9連敗を喫し、高田元監督が辞任する引き金となった。この日は左腕の村中が先発。六回まで2失点に抑えて救援陣に託すと、打線も七回に一気に3点を奪って逆転。九回に同点とされたものの、その後は延長十二回まで粘りきった。

 小川監督はこの一戦を振り返り、「10連敗していたらこういう成績はなかった」と言い切った。次戦となった29日のオリックス戦(京セラドーム)に11−4で勝利し、就任後初勝利を手にするとともに連敗を9で止めると、その後は一時19あった借金を完済し、最終的には72勝68敗4分けで4つの貯金を作り4位に浮上。その結果が評価されて、翌年から正式に監督に就任しただけに、忘れられない試合だったのだろう。

 そのほかにも、優勝をあと一歩で逃した11年のクライマックスシリーズで、巨人と戦って3−1で勝利し、ファーなるステージ進出を決めたファーストステージ第3戦や、バレンティンが56号本塁打を放ち、シーズン最多本塁打記録を更新した13年9月15日の阪神戦(神宮)や、同じく記録を60本の大台に乗せた同10月5日の同戦(同)なども列挙したが、「(楽天戦とは)ちょっと違う感覚」とも口にした。

 ただ、近年は成績が低迷し、「(監督業は)つらい方が多かったかな」と漏らした。若手の山田や雄平らも積極的に起用し、セ・リーグを代表する選手にも育て上げた。「毎年優勝を争えるチームになってほしい。若い選手が育って魅力あるチームになると思う」。その願いを、来季以降のチームに託した。
ヤクルトは31日、前監督の小川淳司氏(57)が編成部門の最高責任者として新設されるシニアディレクター(SD)就任が決定した。

 都内の球団事務所で行われた「1、2軍合同フロント会議」に出席し、要請を受諾した。

 11月中に正式契約し、業務開始は来年1月1日からとなる。それだけに、補強について小川SDは「今の時点で言うべきではない。今の時点で、こうだとかはまだ言えない」とコメントを控えた。それでも、球団初のSD就任だけに「責任があるという思いが強い。監督をやらせてもらっていて、なかなか結果が出なかったことから、とにかくチームを強くするために、少しでも力になれればと思います」と意気込みを語った。
来季から球団初のシニアディレクター(SD)に就任するヤクルトの小川前監督が人生初のホールインワンを達成した。

 千葉県市原市内で行われた野手会ゴルフコンペに参加。3番ホール(140ヤード、パー3)、8Iでの一打はピン手前に落ちると、ツーバウンドでカップインした。「ありえない。ビックリ!」と大興奮。来年1月1日付でSDとしての仕事をスタートさせる57歳は「いい兆しです」とご満悦だったが、「きょう、宝くじを買おうと思っていたけど、運を使ってしまった」と我に返った。
昨季限りでヤクルトの監督を退任し、1日付で編成部トップの新設ポストに就いた小川シニアディレクター(SD)が、「フロント1年生なのでアドバイスを聞きながら勉強し、チームの優勝に貢献できるように頑張っていきたい」と所信表明した。今オフは、FAで成瀬、大引を獲得するなど、大型補強に成功した。衣笠剛球団社長兼オーナー代行も「昨年は勝利を目指してと言ったが、今年は優勝という言葉を使いたい」と自信をのぞかせていた。
ヤクルトのトニー・バーネット投手(31)が2日、小川淳司シニアディレクター(58)とともに東京都内の球団事務所で記者会見し、ポスティングシステム(入札制度)でのメジャーリーグ挑戦の手続きを行うと発表した。ヤクルトは、譲渡金を50万ドル(約6000万円)に設定。5日にコミッショナーに申請する予定という。

 バーネットは「スワローズが今まで自分にしてきてくれたことへの感謝というか、FAで『さようなら』ではなく、ポスティングで自分の道を決めたいと思った」と説明した。米マイナーから2010年にヤクルト入団。通算260試合に登板し、11勝19敗97セーブで防御率3・60。今季も59試合で41セーブを挙げるなど14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。

 会見でバーネットは「夢だったメジャーリーグでプレーするチャンスを頂けたこと、また今までサポートして頂いたことに感謝している」とコメント。ヤクルトに入団してからの6年間は、「日本で野球をやっている間は日本での試合にフォーカスを合わせて、日本で頑張るんだという気持ちでやっていた」としながらも、「頭の後ろの方にはメジャーへの思いもあった」と認め、「今、選択肢に(メジャー挑戦を)入れていること自体が幸運で、これまでスワローズでやってきたことがこの形になっているのだと思う」と感謝しきり。

 ファンへも「言葉に表せられないほど感謝してる。CSや日本シリーズでの大きな声援は絶対に忘れない」と話した。同席した小川SDは「(FAではなく)ポスティングで、という気持ちはうれしい。しかし戦力的にはかなりダウンしてしまうので、引き続き残留を要請していく」とした。
ヤクルトの小川淳司SD(58)は9日、同日に国内フリーエージェント(FA)権の行使を表明した中日の高橋聡文投手(32)の獲得に乗り出さない考えを示した。

 ヤクルトは今季セ・リーグ最多の41セーブを挙げたトニー・バーネット投手がポスティング制度を利用しての米大リーグ挑戦を表明し、リリーフ陣が手薄になると見られるが、小川SDは「興味がないことはないが、今年はFA補強はしない方針だし、ウチにはほかに優先すべきことがある」と話した。
ヤクルトの新監督就任会見が5日、都内の球団事務所で行われ、前監督の小川淳司シニアディレクター(SD、60)が監督に復帰した。

 2年契約で年俸は8000万円。背番号は「80」に決まった。チームは今季、球団史上ワーストの96敗を喫し、借金51の最下位に終わった。現時点で、球団は来季も優勝を狙える力がないと判断。チーム再建に向けて、新監督に「優勝」ではなく「育成」を求める異例の人事に打って出た。

 泥沼に沈んだチームを救うため、現状を最も知る男が立ち上がった。14年の監督退任後、編成トップを3年間務めていた小川SDが新監督に就任した。「チームの状況を何とかしないといけないというのは、SDの立場でも非常に責任を感じていた。全てはチーム力アップということになる」と、決意を表明した。

 就任要請を受けたのは9月1日。8月22日、真中前監督の辞任表明を受け、球団は速やかに動いた。衣笠球団社長は今回の人選について、理由を説明した。

 衣笠球団社長「今年は層が薄いというか、チーム力が非常に低いということを確認しました。来年も優勝を狙えるようなチームには至っていないということから、今のチームの全てを知っているのは小川SDということで、優勝というよりもチーム力の強化、底上げということをお願いした」

 チームは今季、96敗を喫し、球団ワースト記録を67年ぶりに更新。45勝96敗2分けの借金51で最下位に終わった。大きな要因の一つは故障者の多さ。川端、畠山、雄平、小川と主力選手の長期離脱が相次いだ。新指揮官は「けが人が出ても、それに近いだけの戦力を整えられるようにしないと」と課題を挙げた。

 故障者が出た時にどうするか―。優勝した広島の場合、4番・鈴木を欠いた穴を松山が埋めた。そこで、長い時間をかけて土台を作る。衣笠社長は「優勝」ではなく「育成」という異例のリクエストを新監督に出した。2年目までにAクラスを目指し、優勝を狙えるチームへの変貌を期待した。

 小川新監督はチーム底上げのため、全体のバランスを重視。監督の経験に編成からの視点をプラスし、補強には頼らず、育成に主眼を置く。しかし、もちろん勝つことを諦めるわけではない。「プロ野球である以上、優勝を目指したいと思う」。全身全霊で2度目の指揮を執る。(中村 晃大)

 ◆小川 淳司(おがわ・じゅんじ)1957年8月30日、千葉・習志野市生まれ。60歳。習志野高のエースとして75年夏の甲子園優勝。中大で野手に転向し、河合楽器を経て82年ドラフト4位でヤクルト入団。92年に日本ハムに移籍、同年に引退した。その後はヤクルトのスカウト、2軍守備走塁コーチ、2軍監督を歴任。2008年から1軍ヘッドコーチを務め、10年途中から監督代行、11年から監督に就任。14年限りで退任し、15年からは編成部門トップのシニアディレクターに就いていた。

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