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映画「夏の家族」コミュのコメント集・1

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8月試写までにいただいたコメントを更新順に掲載しております。


映画は監督の理想を現すものである。
いかなる苦痛も快楽も聖も俗も、監督の理想郷の風土で芽生えたものだ。その監
督の意をくんで、キャストやスタッフが一丸とならない限り、映画は芸術にはな
らない。
第一この「夏の家族」は商業用の映画ではない。たんまりと資金があって制作さ
れたのではない。舞踏者岩名雅記の、突き上げられた生の処罰が映画技法に乗り
移り、池の鯉のようにパクパク鰓呼吸を獲得した映画だ。

わたしはこの「夏の家族」の試写をみた。
聖と俗と罪と罰と快楽が主題だと直感した。それらは芸術者の上着のポケットに
ある必要な題材だ 。
主な登場人物は男性一人と女性三人。この配置は、岩名監督の聖家族の構図で装
置されている。
この「夏の家族」は岩名監督にとって、2本目の長編劇映画であり、今回監督
はむろんシナリオをかき、撮影までも自らがおこなった。それは資金の面からの
選択でもあるが、それならば、それなりにおもう存分な映像を作り上げてしまう
大胆さが、岩名映画には処女作から顕著に現れている。

(以下コメントが続きますが映画の詳細な内容に即しているので中略とします:広報担当者)

岩名監督は、人間は罰せられる存在である、との命題を有していると直感する。
当然、むやみに罰せられたくはない。 罰せられてもよい状況の設定こそ、岩名監督の映画に賭けるファンタジィ―なのでしょう。(後略)

ハングマン・首くくり栲象

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「朱霊たち」とスタイルは異なる面もありますが生と死を濃密に画として焼きつけつつスクリーンを超えて観る者に差し迫ってくるという点は相通じる と感じました。今回は「性」という行為を直視されていますが、過激さや俗受けを狙ったものでも耽美的なポルノグラフィーでもないリアリティ、実存感が確か に感じられました。「朱霊たち」もそうですし、岩名さんが踊られる舞踏を何度か見た限りでは、岩名さんという芸術家はつねに実存というものを問いかけられ るのかな、とふと思ったりしました。

高橋森彦(舞踊評論)

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呼吸する動物、風に揺れる樹木、燃える炎そして性行為までもが、「舞踏」という身体表現と同一化して、生命の迸り を生み出している。表向きは平穏な営みを装っているが、内なる生と死の錯綜した奥深いドラマが通奏低音を奏でて見る者に迫ってくる。日本国内では、なかな か生まれない稀有な作品だ。だからこそ、岩名監督が生み出す価値がある。

川井田博幸(映像プロデューサー)

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観終わって、自然に両手のひらが祈りの形にあわさった。
リビドーをあおるようなベートーヴェンのピアノをバックに黒いダイヤモンドの中で奏でられる性愛のうたげ。

鏡谷真一(牢人・ミクシー)

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光や場所、人やそうでないものが全て一つになった。
不思議な日記を見ているようで、面白かった。

岸健太(建築家)

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他人の内側を覗く事程つらいこともない訳で、現実も物語も踊りについちゃおんなじことで、身につまされるばっかり。だからにおいが欲しくてついふらふらと足を向ける。
其処で人肌やら肉やらに惑わされるなんて百も承知で。
なるほど吉田喜重かぁ、それはあるなぁ。
既成のマーケットじゃ裏モノ文芸作品とでもいわれるんだろうな。
間違いのないところじゃ――映画という手法をとった完成度の高い舞踏。

踊りはやっぱり生に限る。説明の無い一瞬、一回性のそれはわびしい。
ふっと消えてしまう、勝手な印象だけ残して。
僕だって男根の一つや二つ持ってるし、作品観て半勃ちもするし、大陰僕の唇で弄りたくも思う。――でも作品では(見落としかも知れぬが)そこに喜悦がない。
踊る歓びを分けてはくれない。

園田勇治(舞踏家)

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懐かしさを覚える映像。美しい風景。
だが、タダの家族映画ではない。岩名雅記の「裸の直球」だ。

白澤吉利(舞台監督)

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めったに見られないもの(映画及び岩名さんご本人)を拝見することができ、貴重な体験を得ることができました。

まず驚嘆したのは、ほぼ自分を主人公にした映画を自分が主演をしてかつ自分が撮影し、その物語の中で、女性たちに、自分のことを「肯定的」に語ら せるという岩名さんの徹底的なナルシズムでした。やはり表現者は、それぐらい自己肯定的で自我が強くないといけないのかと素直に感心しました。
次に物語ですが、盛り込みすぎという印象を受けました。子供の話は、冒頭で「オチ」が分かってしまったので、物語としてのサスペンスを感じさせる には、もうひと工夫する必要があると思いました。例えば、女性が狂気にいたる心理プロセスをもう少し説得的にするとか、また物語を解体するのなら、もっと 徹底するとか、などです。一番良かったのは、物語とは直接関係のない舞踏のシーンであり、もっとこれを見たいと思いました。

撮影に関しては、カメラの首振りばかりで落ち着きがなく、素人のホームムービーという感は否めないので、ここはやはり素直に専門家に任せた方が良いと思います。

一番、気になったのが演出で、セリフが多すぎてかつ説明的過ぎたと思います。
子供の話し方は人形の異化効果を出そうとしてあえて棒読みをさせているのでしょうが、単に話し方が下手という印象を与えてしまいうまくいっているとは思いませんでした。
ところどころ印象的なショットがあり(ノルマンディーの雪や鳩のシーン)、また舞踏の部分はさすがに専門家だけあり、迫力満点でした。こちらの比重がもっと増えればもっと興味深い映画になったと思います(性行為のシーンはあえて入れる必要が感じられませんでした)。

神田浩一
(仏文学者  東京藝術大学、一橋大学、フェリス女学院大学、大妻女子大学等非常勤講師)

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それは上映が始まった瞬間から感じてしまいました。
私は写真家としてモノクロ写真を三十年間撮り続けてきました。時としてモノクロの織りなす映像美はカラーを超えるものですが、映画の冒頭から浅い トーンでこの色調がテーマなのかと思っていたところ、途中で調子が展開に関係なく変わり始め技術的に残念です。昔、映画のスチールの仕事も少し行いました が、フレーミングの決め方も映画は写真とは違い、流れに沿い構図を決めていたのは勉強になりました。その点も、監督の視点が読み切れません。そして、コン セプトがフィクションしか見えないむなしさがあり、舞踏家として生きてきた岩名さんが織りなす映像の世界の新たな展開を期待していただけに、残念です。 『朱霊たち』は、監督一作目としては良い感触を得ていました。ここからさらに深く推し進めれば岩名さんの感性で世界が深まる可能性を期待していました。
それもあるのでしょうか不要なカットが多く、性描写も不要ですしラストのシーンもあまりに稚拙な演劇的表現で舞踏表現を生かした映画の本質から離 れていました。プロットの問題か製作スタッフの問題からか、魂のシークエンスの積み上げにより作りあげられる世界から遠のいた感があります。
もう一度基本に立ち返り、コンセプトを明確にし技術的な破綻のない、舞踏から生まれる映像に次回期待したいと思います。

池上直哉(写真家)

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私のように日本にかじり付き、舞踏(この言葉は現在の日本では意味不明のジャンル)に縋り、シコシコと自己研鑽している者と貴方のように早くからヨーロッパへ渡り舞踏を続行している人との表現意識の差異が炙り出されたかのようにも感じました。

私の知る限りでのイワナという人の生身の像と映像中のカミムラとが剥がれず(当たり前といえば当たり前)困りました。そう、この困ったというトーンが最後まで付きまとった。
そして、そのことは舞踏家である貴方の映像でなければならないという選択が十二分に当方へ届いていたとは言い難く、硬い言い方をすれば映像の力学が私にとっての貴方を無化させることで届けられるモノになると思いました。

あの「夏の家族」での話題は勢い、からだという自然の一断面たる性交描写(兎角、世間はそうしたもの)に集中することでしょう。私が初めてエロ写 真を見た時の当惑(わくわくしながら怪訝な面もち)を思い出しました。そして、とても不思議なことに(これは狙いでもあったか?)まったく卑猥でも、エロ ティックでも、イヤラシクも、淫猥でもない。無機質的な、均質的な無味無臭で即物的な様態を顕微鏡で覗いている感じ。エロティシズムの波動とは無縁な 「凪」でした。一番近い言葉を探せば「稚戯の神妙さ」とでも言えるかな。

カミムラが映像中、寝姿で話す円谷幸吉の件、日本の精神の佇まいの消失について。不思議なことに前日、円谷幸吉の事を何故か狂ったような暑さのなか、空を睨んで思っていたのです。その符合に驚きました。
映像オンチのあまりにも素朴な印象、絶賛にはほど遠いことばかり書き連ねましたが見終わっての感想です。
ただ、三十数年前になるでしょうか、亡くなった大野一雄の稽古場でさかんに言われていた「イノチの根源に触れる」という言葉を想起させる幾つかの刹那がありました事を最後に申し添えます。

武内 靖彦(舞踏家)

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異業種の監督の作品というのもいろいろ観させて貰っているが、大体は自身の日常捉えたセミドキュメンタリーのような作品が多い。従って、この作品 もある程度はドキュメンタリーかなという先入観で観ていた。その点の本作は、モノクロ16ミリで撮影された作品全体の雰囲気もそうだが、岩名の舞踏などの パフォーマンスも随所に挿入されて、それなりのものとしても楽しめた。

それでいてこの作品では、物語の始まりでは画面に登場しない子供の声など、何か不思議な雰囲気も持っており、さらにその子供の存在が途中からいろいろ変化し、それはそれなりに観客を戸惑わせて、面白い展開になっていた。
ただその展開が、前後の脈絡などがあまり明確に提示されておらず、そこら辺が商業映画ではないのかなあという感じにはなってしまう。もちろん本作は自主映画なのだし、監督には商業映画を作るつもりはないのだろうから、それも仕方がないとは言えるが…。

でも、作品の全体を通してフィクションの部分には興味を引かれたし、この方向でもっと進めてくれたら、それは商業映画としても通用するレヴェルのように感じられた。少なくとも商業映画として観せられる一部の作品よりは観られる感じがした。
一般上映版を観ていないので映画の評価は下し辛いが、作品
としてはそれなりに面白く観られた作品だった。

井口健二(On the Production主宰者)

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とても静謐な世界の中に徐々にエントロピーが増大していくのが予感され、最後にそれが一つの悲劇的な結末に至るという展開にはまるで古典悲劇のような様式 美を感じました。そしてそれが人類全体の黙示録的なカタストロフの予感にも繋がっているように感じられたのが最も惹き付けられた点です。一方この映画は一 見ストーリーとは関係ない「モノのデッサン集」、スクリーンの物質的な肌理の映画という魅力もありましたが、そのモノがより物質性を顕わにして欲しかった という憾みも持ちました。最もこれにはデジタル上映だったことも関係しているかもしれませんが。

二つ疑問に思ったことがあります。一つは主人公の妻と愛人の関係です。暗示されている声だけで不在の娘の“事件”が二人を結び付けたのかもしれませんが、 やはりこの二人の関係はあまりに主人公に都合が良過ぎるように感じられます。そしてもう一つは映画の最後の方で主人公が呟く円谷幸吉賛美のセリフで、私に は円谷は戦前の軍国主義的な精神構造を受け継いだ人物にしか思えず、その生き死ににはとても共感できません。東京五輪の次の年に生まれた私にはまるで自分 達の世代の日本人を否定されたようで悲しく思いました。私には昔の日本人がそんなに美しかったとは思えませんし、岩名さんにはもう少し今の日本人を偏見な く見て欲しいという気持ちを持ちました。

竹重伸一(舞踊批評家)

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素晴らしかった。
目を閉じてもフランスの刺すような光が未だ残っている。
人は「マユ」の外側へは出ていけない。
内側へも、手を伸ばすことは許されない。
多分それは、目を開けては視ることが出来ないもの。

山出淳也(アーティスト/BEPPU PROJECT代表)

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生々しい虚構と浮遊するような日常が交差して、
なんとも不思議な映画だった。
過激な性の表現さえ、風に揺れる木々のように、おおらかに素直に受け入れられる。
現実のなかの作り事、あるいは作り事のなかの現実。

芹沢 高志(アートディレクター)

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自然のいとなみ、
   隠花のぬめり。
  ― 愛は狂気でファンタジー!!

浅尾典彦(メディアライター・日本SF作家クラブ会員)

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凄い映画だ。
こんな映画を撮った監督が日本人であることが誇らしくなるほどである。
昨今の映画からは<身体>=魂が消えてしまった、と感じることが多いが、
この映画は全篇<身体>で出来ている。
それも人間の身体だけではなく、動物も家屋も植物もあらゆる事物が
<身体>で出来ていることを痛感させてくれる。
そして究極は<純化した身体>の性交・・・・これは本当は大島渚やゴダールが
撮りたかったものではなかろうか。
その上でのラストの衝撃は、そんじょそこらのホラー映画すら凌駕している。
なんという恐るべき大傑作・・・・。

大口和久(批評家)

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