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Mutsumi 詞の世界コミュの数字にまつわるエトセトラ

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数字にまつわるあれこれを書いてみました。
いくつまで続くかわからないけれど
何か新しい発見があったら、めっけもの。

コメント(65)

【25】quarter



25は100の1/4です。
このため百分率の習慣から25は「四半」を意味することが多いと言われているのです。
たとえば25年は四半世紀と言いならわしていますし
米国では25セント硬貨をquarterと呼んでいるんだとか。
いずれにしてもひとつの節目であることに変わりはありません。

私が25の時はOLの真っ最中。
高卒扱いでしたが、念願の一部上場企業に就職し
部署は3度ほど変わりました。
どこでも上司や相棒の男性社員に恵まれて
お茶くみではありましたが、それなりに誇りを持って仕事をしていました。

印象深い出来事はいくつかありますが
その一つが、まだ鉄骨だけの建築中のビルに上がったことです。
設計や技術と部署は変わったけれど
扱った品物は一貫して、鉄筋・鉄骨でしたから
そんな関係で当時建築中だった竹中工務店の前のビル(今は別の場所に移っています)と
やり取りがあったのです。

怖くはなかったけど、風の強さにビックリしました。
結構背丈があるビルだったので。
スラックスはいてきてね、って念を押されたことが
今でも印象に残っています。

25と言えば結婚25年て銀婚式なんですよね。
誰も気がつかなかったというか、気にしなかったというか
知らない間に通り過ぎてしまいました。
ちなみに、現在37年目に突入しております。
【26】鉄の意志が揺らぐとき



原子番号26番の元素はFeです。
鉄というのは人間の生活になくてはならない元素です。
石器から始まり、切る・叩くなど物に直接作用する物から始まって
建物、兵器など、人の生活は鉄無しでは考えられません。

そんな鉄は硬いもの・揺るぎないものの代表として扱われてきました。
鉄の意志とか、鉄の女とか・・・
決して、ダイヤモンドの意志とかダイヤモンドの女とは言いませんものね。

音楽やりたい、と言って親のアドバイスを無視し続け
フリーター生活をおくっていた長男の鉄の意志が揺らいだのは26才の時でした。
就職するにも、このあたりが限界だと思ったのでしょう。
音楽でご飯を食べられるほどの実力がないことは
自分でも、とっくにわかっていたに違いありません。

そんな長男は現在、次男と一緒に家業に従事しています。
そして忘れた頃にライヴだとか言って、スタジオ入りするわけです。
バンド仲間は、サークルの後輩たち。
9年もやっていて10曲くらいしかオリジナルがない、とぼやいていますが
それでいいのだと思います。

鉄の意志とか言っても状況は刻々変わります。
揺らいでも変えても決して恥ずかしいことではないのです。
出来るだけ悔いを残さないようにさえすれば
そして、失敗したことや、悔しいことは、その後の糧にすれば
それは決して挫折や失敗ではないのですから。





【27】27クラブ



天才と言われたロックやブルースのミュージシャン
なぜか27才で他界した人が目立ちます。
それがなぜか普通のというとおかしいけれど並みの死に方ではありません。
また、そこが伝説となる所以でもあるのでしょうが。

ジミー・ヘンドリックスは飲酒と睡眠薬
ジャニス・ジョプリンはヘロイン
カート・コバーンは自殺
ブライアン・ジョーンズはプールに沈んでいて
ジム・モリソンは心臓発作と発表されていますが検視は行われていないんだとか。

そういえば、尾崎豊は26で亡くなったそうだけれど
日本式に数え年齢で言えば27才。
27才で他界したロックやブルースのミュージシャンたちを27クラブというそう。
26、27あたりって、ひとつの壁なんでしょうかねぇ。

私の場合、27才と言えば、西山になった年。
やっぱり、大きな区切りだったと言えるのでしょう。
あれこれいろんな思いをいだきながら西山になったわけですが
長い間、我慢の日々が続いた話はあらためてするとしても
ことを起こさず、長い間我慢して暮らしてきたことは
今、充分報われていると思うのです。
ことを起こさなくて良かった、生きていて良かった、と思います。



【28】二八そば



うどんが好きですか? 蕎麦が好きですか? と聞かれたら
迷わず、うどんと答えると思いますが
そう言う割には、案外蕎麦を食べているような気がします。
小さい頃からの習慣からか、温かいうどん、冷たい蕎麦という図式が
頭の中に出来上がっているような・・・

二八蕎麦という名称は、古くから見られますが
その由来はというと、文字どおり
小麦2に対して蕎麦粉8という混ぜる割合であるとか
その昔、蕎麦が16文だったので
2・8=16の語呂合わせであるとか
あれこれ言われているようです。
でも、自分的には小麦粉と蕎麦粉の比率のような気がしています。

江戸に蕎麦屋を構えるというのは、とても大変なことだったんだとか。
お酒やつまみを出すしきたりやタイミングなどもうるさく
宗匠頭巾をかぶった、いわゆる通人と呼ばれていたような人たちは
今で言う‘マイ箸’を持参で食べに来ていたそう。

江戸前の汁というのは塩辛くて
その汁に、蕎麦の端っこをちょっぴりつけて食べる習慣で
たっぷり汁に浸して食べると‘馬方蕎麦’と言われて軽蔑されていたようです。
落語か何か忘れたけど
死ぬ前に、たっぷり汁をつけて蕎麦を食べたいと誰かが言った
なんて話しもありましたね。

鬼平犯科帳でも話に蕎麦が出てくる頻度は多く
うどんが出てくるのは木村忠吾お気に入りの‘一本饂飩’と
あと1〜2話程度だったように記憶しています。

これは作者の池波正太郎さんの好みでそうなったのかもしれないけれど
武蔵野うどん文化に対して
江戸市中は蕎麦文化だったのかしら???



【29】肉の日



ここ数日来、あちこちで
「肉食べた!」とか「肉食いてぇ〜」という話題で持ちきりです。

私が幼い頃と比べると、ずいぶんと肉が身近になってきたような気がします。
おまけに、毎日が何かの日だったり記念日だったりします。
そのほとんどが語呂合わせ的ではあるのだけれど
肉の日というのは、いかにもわかりやすいというか、なんというか。

今朝もテレビでチャーシューの特集をしていて
イベリコ豚だの金華豚だのとナレーターが連呼。
これはまぁ豚の話だけれど、豚って可愛いですよね。
20代の頃、親戚の農家に体験学習的に宿泊させてもらったことがあります。

そこのばあちゃん(祖母のお姉さん)は豚が好きで豚を飼っていて一人で世話をしていました。
豚の住まいを訪ねたら、豚が突進してきて
私は思わず逃げ腰になったのだけれど
「めごいだから。(可愛いのよ)」と目を細めて豚の世話をしていました。
豚たちは喜んで走ってきたのだと思います。
牛や豚、いくら肉用に育てて飼っているとはいえ
出荷するときは何とも言えない気持ちになるのだろうなぁ、と今でも思います。

豚より牛の方がブランド化されていますよね。
各地の牛がそれぞれの土地の名前をつけてブランド牛として売り出しています。
私は各ブランド牛の味の違いなんて、とうていわからないけれど
友人である韓国人の焼肉店店主の話によると
彼女は山形牛が一番美味しいと感じるのだそうです。

私は食べられればなんでもいいや。
武蔵村山イオンモールの中にある「ステーキくに」は
値段の割にボリュームがあって美味しいです。
ご飯、サラダ食べ放題、300gで、1370円なり。

【30】三十路



学生時代、30といったらおばちゃんのイメージそのものでした。
ゼミに30才の助手さんがいて、なんで30にもなって
女ばかりの、面白くもなんともない研究室で
ひたすら研究に勤しんでいられるのかなあ?と不思議に思っていたものです。
今なんかその倍以上の年になっちゃってて
とてもとてもそんなことを言える立場ではないのだけれど。

息子のお嫁さんたちが今ちょうどそのくらいの年で
自分もこんなだったんかなぁ?と昨日もみんなでカレー食べながら
あれこれと思いをはせたのでした。

30才のとき次男が生まれました。
会社の四天王の一人であり、胃袋怪獣の異名をいただいた頼もしい男です。
長男はまだ幼稚園にも行っていない年で、おむつがとれるのも遅かったから
一時は二人分のおむつ洗濯に追われていました。
まだまだ紙おむつは普及していなかったのです。

ちなみに初めて紙おむつが店頭にお目見えしたのは長男が生まれた頃。
バリバリで肌触りも悪く、ももにフィットしないので
下手したら、すきまからはみ出て、意味をなしませんでしたが
それでも外出が格段に楽になったのは言うまでもありません。

閑話休題。
次男が生まれた頃から自分の音楽ライフは長い空白の時代が続きます。
9年半お稽古に通ったいけ花もやめました。
子育てまっしぐらの時代に突入したのが自分の30才と言えるでしょうか。

ちなみに1982年のヒット曲ランキング1位は「待つわ」。
その他上位に「セーラー服と機関銃」「チャコの海岸物語」「北酒場」「悪女」などが。
今、頭痛ハチマキで練習中の「シルエットロマンス」が18位
先輩得意の「哀愁のカサブランカ」が14位に入っています。

【31】心得があるにこしたことはない



源氏物語に何度も挑戦しました。
高校の時文化系クラスだったので古典は乙�兇泙如�
その乙�兇錬映�間源氏物語で
とうとう最後まで何がなんだかわかりませんでした。

社会人になって思いついて田辺聖子さんの訳を読みました。
結局、これが一番わかりやすかったというか・・・
その後読んだ寂聴さんの訳は3巻でギブアップ。

前置きが長くなりましたが、その昔、恋のやりとりには歌が読まれていました。
もっとも高貴な身分の方々だけだったのでしょうが
それにしても、得意でない人、心得のない人は
どうやって思いを伝えていたのでしょう。

和歌(近代短歌は含みません)のことを三十一文字と言い習わしています。
五・七・五・七・七の31文字で表されているからです。
古今集の序には「すさのをの尊よりぞ、みそもじあまりひと文字はよみける」とあります。
また「文字に写してこれを見れば,三十一文字の詠歌の言葉なりけり」と
謡曲「白楽天」に書かれています。

長い間、私は和歌より俳句を読むほうが楽ではないかと思っていましたが
和歌もコツをつかめればそれほど難しいことではないような気がしてきました。
その昔、恋する相手に自分の気持ちを伝えるときはもちろん
思いをとげたあとに‘後朝(きぬぎぬ)のふみ’とかいう
昨日は素敵な時間を過ごせた、君と迎えた朝は夢のようだった、なんて
いささかめんどい思いをしながら文を書かなければならなかった
王朝の男性たちより今の男性の方が少しは幸せなのかしら???

そうでもないかもしれませんね。
遠まわしにどこかへ連れてってくれとせがむ女を、どうかわすか、などなど
苦労の種はいつになっても尽きないものなのでしょう。

今は、メールといった容易いものがあるけれど
それにしても作文が得意でない男性も多いはず。
いつの世でも、心得があるに越したことはありません。

【32】目の前の藪を切り開く日々



32才になる少し前に三男が生まれた。
三男の生い立ちから今までを書いたら本が1冊書けそうなのでやめるけれど
すぐにハンディーがあることがわかった。
西山の父の苛立ちが手に取るようにわかったが
こちらに答える術はないし。

まわりがあれこれ心配してくれることはわかるけれど
余計な口は出して欲しくなかった。
手間はかかったけれど、苦労しているのでも悩んでいるのでもなんでもなかったから。
お医者さん紹介されたって薬や手術で普通になるわけじゃないし
親へのカウンセリングも必要としていなかったし。

なんか偉そうだけれど、私は愛情と今気強い教育しかないって信念を持っていた。
どう変わっていくか予測もつかないから
目の前にある破をひとつひとつ切り開いていけば
自然に道はできるし、やがて目的地に到達出来るんじゃないかって。

逆に、三男のことがあったおかげで
いろんなスキルを身につけることができたような気がする。
先生を動かす方法だとか、社会性を身につけさせる方法だとか。

パートではあるけれど、職業訓練校をへて一般企業に就職し
数年前に、勤続10年の表彰をされた。
入社した当時はなかった、歓送迎会などのイベントに参加できるようになったし
何よりも良いところは、礼儀正しくて正義感が強いところ。
そして、外国生まれの社員さんたちとすぐに仲良しになれること。

みなさんの助けを借りなければならない部分はたくさんあるけれど
兄貴達もいるし
万が一かあちゃんがどうかなっちゃってもなんとかなるだろう。


【33】戦うものの面目



京都の三十三間堂での戦いは
武蔵にとって、吉岡一門との2つ目の戦いでした。

清十郎に「武蔵と戦うな!」と止められた伝七郎でしたが
兄を罵り、武蔵に戦いを挑んでやぶれて
ついに吉岡一門は滅んでしまいます。

もし自分が伝七郎の立場だったらどうでしょう。
家名を汚さぬため(血を絶やさぬよう)に戦うな、と言った
清十郎の気持が汲み取れるでしょうか。

自分がどこに重きを置くかは、とても重要なことであり
決断の一番大切な要素です。
どちらがいいとか悪いとかいう次元ではなく
自分はどうありたいか、生き方そのものであるわけで
それをどうこう言う権利は誰にもありません。



【34】偉大なる左腕



偉大なるピッチャー金田正一さんの背番号34は
読売ジャイアンツで永久欠番になっています。

中学校の時、出席番号が34番だった私は
それまであまり興味がなかった金田さんに親しみを感じるようになりました。

とりわけ運動が得意でない私が球技なんていうのは思いもよらないことですが
体調管理やトレーニングについては学ぶところが多いし
取り入れるべきことがたくさんあるのではないかと思うのです。
例を挙げれば


★就寝時には利き腕の肘を守るためにサポーターを着けて
  冷えたりしないよう万全のケアをしてから寝床に入った。

★自家用車にはエアコンを置かず、扇風機を付けていた。
  また、自宅のクーラーは1台だけだった


冷やすのはいけないんですよね。
そういえばB'zのボーカリスト稲葉浩志さんも
寝るときはエアコンつけない、という話を聞いたことがあります。



★マッサージを受ける時は、一部分のみのマッサージはせずに
  必ず全身をマッサージするように心がけた。


身体全部をすみずみまでケアしなければいけないということですよね。
その他、オフ・休養の重要性を説いていますし
下半身の強化、肺活量の向上のために誰よりも走り込みをやったということ、などなど
あげたらキリがないほどです。

現役を引退しても、エピソードに事欠かない彼ですが
TVで流れている全日警のコマーシャルで「良かったなざ。」という
金田さんが大好きです。


【35】偉大なる横綱



第35代横綱双葉山定次は相撲史に名を残す大横綱です。
リアルタイムで知らない私でさえも
連勝記録をはじめとする数々の業績の話は、ちらちらと聞こえてきます。

そんな双葉山が目と右手にハンディーを持っていたことを
私は長い間知りませんでした。
その話を聞いたとき、私は
彼がハンディーさえも自分の味方につけてしまったのだろうと思いました。
もっともハンディーを味方につけるためには
なみなみならぬ量の稽古と努力があったのだろうと思いますが。

よく、象牙の塔という言葉が使われます。
天才、達人でもそのことしかできないという意味で。
力士にはそういう人が多いのではないか?という印象でしたが
双葉山は違いました。

理事長に就任してからは
相撲協会構成員65才定年制を取り入れたことを筆頭として
部屋別総当りの実施、相撲茶屋の再編と法人化など
数々の業績を残しています。

親方としては、横綱鏡里、大関大内山、北葉山、豊山などを育て上げました。
余談になりますが、力士の名前で一番古い記憶は鏡里です。
アナウンサーが実況中に鏡里の名前を出していたのです。
しかし、その時、横綱鏡里はすでに引退していて
横綱は、栃錦、若乃花、朝潮の時代でした。

最後に、双葉山が残した数々の名言からいくつか。

☆稽古は本場所のごとく、本場所は稽古のごとく
☆相撲は体で覚えて心で悟れ
☆勝負師は寡黙であれ
☆絶対に同体というものはない

などなど。
一つ一つうなづける話ではありませんか。




【36】三十六計逃げるにしかず(ちと長い・・・)



このことわざ
「形成が不利になったときは、あれこれと策を練るよりも
逃げるべきときに逃げて身を守る方法もある」という意味ですが
負けるが勝ちという意味ではないと思うのです。
引くべき時、進むべき時を見極めることだと私は思ってます。

英語で同じような意味合いの文を探すならば
Discretion is the better part of valor.(用心深さは勇気の大半である)
とうことになりましょうか。

しかし私が興味を持ったのは、このことわざではなく
三十六計そのものです。
三十六計とは・・・

「兵法三十六計」という中国の兵法書があります。
このことわざと直に結びついているのではないそうだけれど
兵法における戦術を六段階の三十六通りのに分けてまとめたものだという内容が
どんなものか探ってみました。


★勝戦計
こちらが戦いの主導権を握っている場合の定石。

瞞天過海 - 敵に繰り返し行動を見せつけて見慣れさせておき、油断を誘って攻撃する。
囲魏救趙 - 敵を一箇所に集中させず、奔走させて疲れさせてから撃破する。
借刀殺人 - 同盟者や第三者が敵を攻撃するよう仕向ける。
以逸待労 - 直ちに戦闘するのではなく、敵を撹乱して主導権を握り、敵の疲弊を誘う。
趁火打劫 - 敵の被害や混乱に乗じて行動し、利益を得る。
声東撃西 - 陽動によって敵の動きを翻弄し、防備を崩してから攻める。



★敵戦計
余裕を持って戦える、優勢の場合の作戦。

無中生有 - 偽装工作をわざと露見させ、相手が油断した所を攻撃する。
暗渡陳倉 - 偽装工作によって攻撃を隠蔽し、敵を奇襲する。
隔岸観火 - 敵の秩序に乱れが生じているなら、あえて攻めずに放置して敵の自滅を待つ。
笑裏蔵刀 - 敵を攻撃する前に友好的に接しておき、油断を誘う。
李代桃僵 - 不要な部分を切り捨て、全体の被害を抑えつつ勝利する。
順手牽羊 - 敵の統制の隙を突き、悟られないように細かく損害を与える。



★攻戦計
相手が一筋縄でいかない場合の作戦。

打草驚蛇 - 状況が分らない場合は偵察を出し、反応を探る。
借屍還魂 - 死んだ者や他人の大義名分を持ち出して、自らの目的を達する。
調虎離山 - 敵を本拠地から誘い出し、味方に有利な地形で戦う。
欲擒姑縦 - 敵をわざと逃がして気を弛ませたところを捕らえる。
抛磚引玉 - 自分にとっては必要のないものを囮にし、敵をおびき寄せる。
擒賊擒王 - 敵の主力や、中心人物を捕らえることで、敵を弱体化する。



★混戦計
相手がかなり手ごわい場合の作戦。

釜底抽薪 - 敵軍の兵站や大義名分を壊して、敵の活動を抑制し、あわよくば自壊させる。
混水摸魚 - 敵の内部を混乱させ、敵の行動を誤らせたり、自分の望む行動を取らせる。
金蝉脱殻 - あたかも現在地に留まっているように見せかけ、主力を撤退させる。
関門捉賊 - 敵の退路を閉ざしてから包囲殲滅する。
遠交近攻 - 遠くの相手と同盟を組み、近くの相手を攻める。
仮道伐虢 - 攻略対象を買収等により分断して各個撃破する。



★併戦計
同盟国間で優位に立つために用いる策謀。

偸梁換柱 - 敵の布陣の強力な部分の相手を他者に押し付け、自軍の相対的立場を優位にする。
指桑罵槐 - 本来の相手ではない別の相手を批判し、間接的に人心をコントロールする。
仮痴不癲 - 愚か者のふりをして相手を油断させ、時期の到来を待つ。
上屋抽梯 - 敵を巧みに唆して逃げられない状況に追い込む。
樹上開花 - 小兵力を大兵力に見せかけて敵を欺く。
反客為主 - 一旦敵の配下に従属しておき、内から乗っ取りをかける。



★敗戦計
自国がきわめて劣勢の場合に用いる奇策。

美人計 - 土地や金銀財宝ではなく、あえて美女を献上して敵の力を挫く。
空城計 - 自分の陣地に敵を招き入れることで敵の警戒心を誘い、攻城戦や包囲戦を避ける。
反間計 - スパイを利用し、敵内部を混乱させ、自らの望む行動を取らせる。
苦肉計 - 人間というものは自分を傷つけることはない、と思い込む心理を利用して敵を騙す。
連環計 - 敵と正面からぶつかることなく、複数の計略を連続して用いて勝利を得る。
走為上 - 勝ち目がないならば、戦わずに全力で逃走して損害を避ける。



どうですか?
ちょっとばかり面白かったでしょう?



【37】チー37号事件



1961年、日銀の秋田支店で
廃棄処分にされる紙幣の中から偽千円札が発見されました。
‘チ’というのは千円札を意味する警察のコードです。

発見された偽札は、本物と比較してようやく偽札とわかるほど
当時としては巧妙な作りだったそうです。

犯人はどんな小さな記事も見逃さずに次々と改良を重ね
チ-37号は「日本の偽札史上、最高の芸術品」と言われているのだそう。

ドイツのザンメル印刷機が使われたとか
秋田の米倉が偽札を印刷する和紙をしまうのに適していたとか
もともとは戦争中、陸軍の登戸研究所がからんでいたとか
あれこれ、噂が流れもようだけれど迷宮入りしてしまいました。

話は横道にそれるけれど
この登戸研究所というのは、どうも大層なところであったらしく
頭脳戦の中枢をなしていたようで、ありとあらゆる研究を手がけ
悪名高い‘731部隊’とも密な関係があったみたいです。

悪用されるということは、どんな技術でもありうることで
技術そのものが悪いことなんて、ひとつもないはずです。
どんな技術も悪用することのないよう、自分自身を戒めたいものです。

【38】ワルサーP38



ドイツの銃器メーカーであるCarl Walther社が開発した軍用自動拳銃です。
撃鉄を起こさなくても、引き金を引いていけば自動的にハンマーが起き上がり
そのまま引き切ることで発砲できました。

しかし一方では、スライド上部のカバーが
プレス加工で作られた板バネ状のラッチで引っかける簡単なものであり
連続で射撃を行うと反動で外れてしまうことがありました。
その際リアサイトも外れることがあり、射手を傷つける恐れもあったのです。
おまけに、設計が古いため、命中率が悪かったとも言われているのです。

有名なこの拳銃はいろいろな作品に登場します。
マンガ・アニメでは「アドルフに告ぐ」や「ルパン三世」
映画では「インディー・ジョーンズ」や「コンバット」
テレビドラマの「0011ナポレオン・ソロ」など。

どんなものでも利点・欠点は背中合わせで
どの部分をどう捉えるかは利用する人の心次第ということでしょう、という結びで
銃器の開発や話題にふれることの是非をコメントいただくのは
ひたすらご容赦願いたく思います。



【39】刑法第39条



非常にデリケートな話題ではありますが
どうしてもこのことにふれたいと思いました。

刑法の第39条には
「心神喪失者の行為は、罰しない
心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」と書かれています。

いろんな状況、いろんな状態の人がいて千差万別
一括りにすることはできませんが
つい先日も、お友達の書き込みに
施設を利用しているシニアの暴言、暴行の話題がありましたし
ハンディーを持った人たちの反社会的行為で
泣くに泣けない思いをされた人の話などは
遡れば枚挙に暇がありません。

「刑法第39条」という映画があります。
この条文を逆手にとって無罪を狙ったサスペンス映画だそうです。
(私は見ていませんので)
こういったことはごく特殊な例としても
実際に自分が関係者であったらどうでしょう。

日本は被害者にやさしくない傾向があると言われています。
私もそんな感じがしてなりませんが・・・

私にはハンディーを持った子がいて養護学校にお世話になっていました。
そういった事件が起こると、いつもお母さんたちの間では
もし自分の子供たちが加害者になってしまったら・・・という話題が出ました。

そんなことが起こらないように
一生懸命社会の決まりを教えましたけれど可能性はゼロではありません。
もしそういった事態になってしまったら
普通の人と同じように罰してもらうのが当然だというのが
お母さんたちの一致した意見でした。
それでなければ、同じ社会で生きることは許されないだろうと考えたからです。

一括りにはできませんが
やられた方だけが泣きを見る社会であってはならないと思います。




【40】四十にして惑わず



孔子さまはさすがに偉かったのか逆に昔は寿命が短かったのか
根拠は漠然としているけれど自分に当てはめてみると
ちょうど10年ずつ遅れているような気がします。

論語から来ているこの言葉
10人いれば10通りの解釈があっていいと思うのです。
自分が40才のの時はちょうど長男が中学に進学する頃で
私立に出すことに決めていました。
そういう意味では、迷いは無かったし
自分の人生を振り返る余裕すらありませんでしたから
まだ迷いは生じていませんでした。

ちなみに、なぜ私立に出すことに決めたかというと
勉強はそこそこでいいので、なんでもいいのでたくさんスポーツをしてほしかったから。
一生懸命やればそれでいいと言われたら
自分も少しはスポーツやっていたと思うし
こんなに酷い運動音痴にならなかったろうと思っていたので。

幸い、長男も次男も高校まで水泳部で
それなりに頑張ったので自分の思いは達せられたと言えます。

しかしながら、それこそ10年後の50になって
というより少し過ぎて、モスリン師匠やhiroさんMOGAMIさんたちと初めて出会ったとき
自分がやりたかったことをやらずに終わってしまうのは
なんて虚しいんだろうという思いが生じたのです。

そしてようやく1年ほど経った頃、決心ができたのです。
ですから私の場合は「五十にして惑わず」なんだろうと思います。
脱線したり暴走したりして
今は「六十にして天命を知る」といったところでしょうか。

子曰、
吾十有五而志于学、
三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、
六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。

孔子が云う、
「私は十五才で(学問の道に入ろうと)決めた。
三十才で(学問に対する自分なりの基礎)を確立した。
四十才で戸惑うことがなくなった。
五十才で天命を悟った。
六十で何を聞いても動じなくなった。
七十になってからは、心のおもむくままに行動しても、道理に違うことがなくなった」と。


実年齢に照らし合わせると
確かに、クソ度胸はすわってきたかもしれません。


【41】憲法第41条



「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」



国会は、主権者たる国民の意思を直接反映する機関として
最高機関として位置づけるものである、と解釈するものですが
その一方で‘三権分立’という言葉もあり
国会に対して行政権および司法権から監視ないしは抑制を及ぼすことは
当然のことと言えます。

しかしながら‘国会は、国権の最高機関であって・・・」の条文は
一歩間違えば、国会さえ通れば・・・という話になってきます。

脳みその足りない頭で考えても
国権の最高機関はどこかにおかなければならないと思うけれど
流れがとんでもない方向へ行った時に、どう修正されるかは
大変大きな問題だと思うのです。

それと‘国権の最高機関である’という考えは
時として、良いように拡大解釈されがちです。
地方裁判所の裁判長にもっと上の方の人から
‘アドバイス’なる判決への方向性を指示された。
指示した上の方の人は実力派の議員さんからの‘アドバイス’があった
などという話も聞いています。
これってゴリ押し以外の何物でもないですよね。

国として成り立っていくため、舵をとるためには
国民の意思を直接反映する最高機関として位置づけられなければならないけれど
その裏側で、行政はもちろん、司法も立法も官僚化してしまっているという歪は
なんとかならないものでしょうか。



連日の暑苦しい話題で恐縮です。
憲法見直す時期かもしれませんね。


【42】僕のマリー



昭和42年はGS時代の幕開けでした。
私は「僕のマリー」を初めて聴いたとき、なんて軟弱なんだろう、と思いました。
ブルーコメッツを初めて見たときは
スーツなんか着ちゃって、なんてダサいんだろうと思いましたが
そのうち虜になっていく自分がはっきりわかりました。

レコード買えないので
1ヶ月遅れの雑誌の付録をタダ同然で買って
譜面を見ながら覚えたりもしましたが
たいていは1〜2回聴くと、すっかり刷り込まれました。
今とは大違い。
今あれだけの吸収する力があったら、今こんなに四苦八苦しなくて済むのにね。

楽典ももう少し身を入れてやっていれば
その後の展開は違ったものになっていたと思うけれど
それは今言っても仕方がないこと。

Stardustは「銀河のロマンス」「青い鳥」「すみれ色の涙」「想い出の渚」「青空のある限り」と
5曲、GSをカバーしています。
あ、「すみれ色の涙」ってね、もともとブルーコメッツの歌なんですよ。

当時活躍していたみなさん、亡くなったり病気になられたりで悲しいけれど
残っている人たちは、できるだけいつまでも元気で活躍して欲しいものですね。

不思議なもので、当時あまり興味がなかった曲
今ではすごくいいと思えたりします。
そして割合地味目だったみなさん
今聴くと、素晴らしくお上手で目からウロコだったりします。
そういう方々って、間違いなく
途切れることなく、ずっと演奏を続けていらした方々なんです。
細々とでもいいから続けること、とっても大事だと思います。

GSの曲、みんな好きです。
でも、今カバーしてみたい曲と言われたら

「色つきの女でいてくれよ」(タイガース)
「花のヤングタウン」(ワイルドワンズ)
「草原の輝き」(ブルーコメッツ)


あたりかしら。

【43】サッポロ一番みそラーメン

即席ラーメンが出来た時って、それはそれはすごいカルチャーショックでした。
私は今でも即席ラーメンの中では、このサッポロ一番みそラーメンが一番好き。
昭和43年9月に、このサッポロ一番みそラーメンが発売になりました。

麺をお湯に入れる前に一緒にキャベツか白菜を刻んで煮て
そこに麺入れて仕上げたら、トッピングにコーンとバター。
大抵はそれで終わりですが、そこにチャーシューでも乗れば上出来。
今でも私にとってはご馳走です。

その昔、まだエアコンがなかった頃
真夏の盛りに、熱いみそラーメン食べて大汗かいたら
ぬるいお風呂に飛び込んで扇風機の風にあたるのが
逆説的涼の取り方でした。

今は汗が流れるのが嫌で外で食べる時は
冷やし中華とかいただいてしまうけれど
すぐにシャワーとか浴びられるなら
熱い味噌ラーメンとか食べたいですよね。

汗かくのは決して嫌いじゃないけれど
出先でお化粧がくずれたり
髪から汗が滴り落ちたりするのは困るし
皮膚が弱くて、あっというまに汗疹になってしまうのです。
その皮膚の弱さといったらひどいもので
太物の内側に貼った絆創膏はがしたら
その形に皮膚が一緒に剥がれてしまった、という悲惨な事態がおこるのです。

話はそれましたが、やはりサッポロ一番は最高。
即席麺の中では王者ではないかしら?
そう思うのは私だけかな?


【44】安田講堂事件



昭和44年1月の寒い時期におきたこの事件は
私の中で、もっとも重大な事件です。

ことの是非や背景、考察などは数え切れないほど論じられていますし
それぞれの考え方は変わるものではないので
ここで触れるつもりはまったくないのです。

母があとで「よくおまえはヘルメットかぶらなかった。」と述懐するほど
血の気の多い性格でしたが
この出来事は青春を象徴するものであったことは間違いありません。

学生、警察、マスコミ、大学など
いろいろなことについて考えるきっかけになりました。
佐々淳行さんは動画の最後に「卑怯者でありたくないと思った。」とおっしゃっています。
まったく同感です。
そして私は、物事は一方向からばかり見ないで
必ず反対側も見なくてはいけない、ということを学んだような気がします。

あの大きな事件で、数え切れないほど多くの人たちの人生が変わりました。
かかわった人たちのその後を見ると
あのときの勢いはどうしたの! と思えるような人や
そうだったの、あの人が・・・なんて、ため息が出るような話も。

今にして思えるのは
どんな出来事でも、それに潰されてしまう人にとっては災難だったし
お気の毒さまとしか言いようがないけれど
それを糧にすれば、それは決して失敗でも挫折でもないわけです。
ただ、人の気持ちを踏みにじってしまうことはどうかと思いますが。

あれこれあったいろんな?は自分の中で
ほとんど解決できたと思っていますが
たったひとつ、未だに霧の中の謎が残っています。

それは当時の警察のえらいさんの子供が
同級生のなかにいたのではないか?ということ。
もしそれが事実だったとしたら、生徒たちは気付かなかったのか?
先生たちはそのマル秘事項をどうやって守り通したのか?ということ。
普通に考えたら、そんな風潮の中で真っ先に
活発に活動した同級生のターゲットになったでしょうからねぇ。

酷暑に内輪の暑苦しい話で恐縮でありました。


https://www.youtube.com/watch?v=Sr0UcDhvQE0

【45】プレアデス星団



冬の代表的な散開星団「プレアデス星団(昴)」は
メシエ45(M45)といわれています。

ところでM〜というと思い出しませんか?
M78星雲・ウルトラの星。
実在するM78はオリオン座にある反射星雲(星間分子雲)で
地球からの距離は1600光年と言われています。

このMの由来は人名で
フランスの天文学者シャルル・メシエが作成した
星雲・星団・銀河のカタログ『メシエカタログ』に載っている天体に
M〜という表記をしているのです。

彗星の探索に際して
彗星と紛らわしい天体の一覧を作ったのが始まりである
と言われています。

プレアデス星団(Pleiades)は、例の歌の大ヒットのおかげで
ばあ様も知っているほど有名になってしまった
おうし座の散開星団です。
散開星団も説明したいけれど
私自身がまだよく分かっていないので省略。

肉眼でも輝く5–7個の星の集まりを見ることができ
双眼鏡で観測すると数十個の青白い星が集まっているのが見えます。
比較的近距離にある散開星団であるため
狭い範囲に小さな星が密集した特異な景観を呈しており
このため昔から多くの記録に登場し
各民族で星座神話が作られてきました。

プレアデス星団の名前は、ギリシア神話に由来し
巨人アトラースとニンフのプレーイオネーの間に生まれた
プレイアデス7人姉妹(アステロペー、メロペー、エーレクトラー、マイア
ターユゲテー、ケライノー、アルキュオネー)を指しているそうです。
プレイアデスは女神アルテミスに仕えていました。

日本でプレアデス星団について言及した最古の記録は
平安時代に醍醐天皇皇女勤子内親王の命で作成された
百科事典『倭名類聚抄』だと考えられています。
この中で、昴星の和名は須波流と記されているそうです。

ほかに、清少納言の著した『枕草子』の一節(第236段)が有名で

「星はすばる。ひこぼし。ゆふづつ。
よばひ星、すこしをかし。尾だになからましかば、まいて。」

という記述があります。
「星はすばる、ひこぼし、宵の明星が良い。
流れ星も少し趣がある。尾を引かなければもっとよいのだけれど」
という意味です。

星を見に行きたくなりましたね。

【46】46回引っ越した作家



探偵小説・・・というよりも
私的に言えば、怖い小説を書く代表である江戸川乱歩は
生涯で46回引っ越したと言われています。

乱歩は執筆に関して、長編小説のプロットをまとめることが苦手だったそう。
多くの長編連載を場当たりで執筆
筋の展開に行き詰まってしまうことがあったということでした。
ストーリー展開の行き詰まりから休筆を繰り返すことも多く
引越しが多かったのも、そういったことが関係しているのかもしれません。

その昔、数える程しか読んでいない乱歩作品の中で
非常に印象的だったのが「陰獣」です。
目にしたのが20才になるかならないかの頃だったので
トリックもさることながら、内容の刺激的なことに
少なからずショックを受けました。
終わり方も、思わせぶりだったし。

もう1作品あげるならば「孤島の鬼」。
読み物としては‘楽しい(あえて)’部類に入ると思います。
終わり方も納得できるものだし。

読み物の終わり方って大切だと思うのです。
私は、ごく最近まで、読者が考える余地を残している終わり方って
受け入れることができませんでした。
どちらでもいいので、白黒付けて欲しい、という思いが大きかったのです。
ある意味、それが芥川賞と直木賞の違いかな?とも思うわけで。

出だしも大切だと思っています。
最初の1行で作品に入り込めるか否かが決まるような気がしますし。
いわゆる古典と言われている作品には
多数の人が暗記しているような出だしのものがいくつもあります。

代表的なのは平家物語の「祇園精舎の鐘の声・・・」ですよね。
私の中では宮本武蔵の「どうなるものかこの天地の大きな動きが・・・」が一番です。

明日からお盆休みの方、とっくにお9盆休みの方
残念ながらそうでない方
どちらにしても、お出かけは混んでいるし暑いし疲れるし
かき氷でもいただきながら、以前に読んだ本を読み直すのも良いかもしれませんね。


【47】赤穂の塩



赤穂の殿様、浅野内匠頭が殿中で刃傷沙汰を起こしたが
思いを果たせず、浅野の殿様だけが切腹を命じられたことに対する
抗議といいうか、そんな背景があって家臣たちは
吉良屋敷に討ち入りしたわけです。

しかし浅野の殿様はなんで殿中で刃傷に及んだか?
勅使を接待するために高家筆頭である吉良上野介に教えを乞うたが
賂を惜しんだので意地悪をされたから、というのが通説です。

もともと浅野の殿様は、大変な気分屋で癇癪持ちで
過敏に反応したからだという説もあります。

しかし、大なり小なり意地悪をされたことは事実ではないかと想像するのです。
それも、意地悪の理由は賂云々ではなく塩。
浅野、吉良ともに藩の重大な産業の一つが製塩でした。

赤穂の塩の方が良いと評されたいたので
吉良では浅野に教えを乞うたが拒絶されたそう。
拒絶された仕返しだとか、評判の良い赤穂の塩そのものに対する恨みとか
あれこれ言われています。
私はここいらあたりが1番の原因ではないかと感じます。

争いや戦いがおこるもとのひとつは
自分たちの産業や仕事が立ち行くか
ひいては、自分たちが食べていかれるかどうかということ。
争いや戦いの種は尽きないのでしょうねぇ。

いわゆる赤穂の義士は47人と言われています。
47人は何を思いながら討ち入り
そして切腹したのでしょうかねぇ。

【48】板挟み



赤穂浪士48番目の男・毛利小平太は
討ち入り直前になって脱盟したと言われています。

患っていて、討ち入り後の勝鬨を聞きながら血を吐いて絶命したという話もありますが
大垣新田藩主戸田氏成に仕えていた小平太の兄に説得されて脱盟したという説もあり
私は、こちらが本当ではないかなぁと思っているのです。

武士は殿様に仕える身
おそらく親類縁者もどこかしらの殿様に仕えていたでしょうから
「おまえがそんなことをしでかせば、一族郎党の運命は・・・」と迫られれば
板挟みになって、頭を抱えることになっていたでしょう。
他人事とはとても思えないのです。

自分がやりたいことを諦めたり
信じる道から外れざるを得なかったり
人が己の信じる道をまっしぐらに生きることは
昔も今も難しいことに違いありません。

不本意にも、信じる道から外れざるを得なかった人
決して恥じることも卑下することもないのです。
己を捨てたことで生かされた人もいることを忘れないで。

人の一生は平等です。
どこでどのくらいの凸と凹ができるか、という差だけ。
たいらにすればみんなゼロになります。
人の平等とは、そういうことを言うのだと思っています。


【49】その一夜のために



宝塚で「ベルサイユのバラ」が初めて演じられたのは
昭和49年のことです。

その前にコミックスが出ていましたが
例によってへそ曲がりな私は、そっぽを向いていました。
しかし、ふとした拍子に中身を目にして即刻全巻まとめ買いし読みふけりました。
自分はこういうのは読まない人間だと思っていたのに・・・
あぁ〜情けない!

でもわかりやすかったんです。
西洋史、いささか苦手、特にフランス革命のあたり
ブルボン王朝のあたりがこんがらかりまくっていた糸がどんどんほぐれて行く気がして。

そしてそれにもまして
オスカルとアンドレの戦い前の一夜
アントワネットとフェルゼンのパリから逃げ延びる前の一夜は
どんな思いだったのだろう、って思うのです。

その一夜のために長いあいだ耐えてきた様々な辛いことや悲しいことは
報われたのだろうと思うのです。
そして死ぬ覚悟が出来た・・・

心に思う人との一夜は勇気と覚悟を育みます。
結婚するだけが全てじゃない。
女の幸せは、心が思う人とともにあるということなのでしょうか。
【50】普通



その昔、50といえばかなりのお年寄りでした。
自分が50のときは、息子たちが
それぞれ22・20・19でした。

戦国の武将たちなら、そろそろ家督を譲る時期でもありますし。
今はみんな若いから、とてもとてもご隠居などという言葉はあてはまりませんが。

ただ所帯を持って二人元気で50年ていうと
さほど珍しくないにしても、かなりおめでたいことであることに
まちがいありません。
ちなみに我が家はまる36年たって37年めに投入しております。



話は突然飛びますが、偏差値で50というと普通のはずです。
ちょうど100の半分ではあるのですが・・・
なんか、50?とちょっと首を傾げたくなりませんか?

今の学校のレベルがどうなっているかよく知らないけれど
どこの学校もものすごくレベルが上がっていて
以前のような感覚は当てはまらないと聞いています。
それだったら、テストでいい点とれる人しか
続けて教育を受けることはできないのだろうか?
って思っていまいますよね。

勉強したい人が勉強したり教育を受けたり自由にできるといいのに。
そしてもっと欲を言うなら
一度社会に出てやりたいことを見つけてから学校に入りなおせるといいのに。

そりゃぁ、今だって出来ないことはないけれど
そう容易くはないですし、社会がそうい風潮ではないですものね。
普通と言っても、それぞれの普通が違うのだろうなぁ。
【51】「落葉が雪に」



昭和51年にリリースされた「落葉が雪に」は
私がもっとも好きな曲の1つです。

ドラマチックなうたいっぷりの布施さんが
抑え気味にうたうところがとてもよくて聴き入りました。

まず詞がとても良いです。
2番の「縦笛ならし帰る子供たちの影に・・・」という部分
近所にまだ子供が大勢いた頃のシーンそのものでしたし。

作詞作曲とも布施明さんご自身です。
まだ私が10代半ばだった頃
作詞作曲を同じ人が手がけることに対する疑問を先輩にぶつけた時

「詞 メロディーを 同じ人物が手掛けるいいところは 

同時進行ができること

そして 何よりも良いことは

詞のハートを 一番良く理解している人が 

メロディーを手掛けることができることだ」

と諭してくれました。
先輩、18才のときです 。
なんかカッコよすぎ・・・

だけど、うたっているのも布施さんご自身ですし
「落葉が雪に」は良い例だと思いました。
本当は井上順さんがうたう予定だったのだそうです。
【52】ターニングポイント



人の一生には何回か大きなターニングポイントがあるものです。
逆算するとたぶん(なぜかはっきりした記憶がない・・・)
52のときに、音楽活動の第一歩を踏み出したことになります。

その頃は、まだ何にも楽器ができなくて
モスリン師匠にギター弾いていただいたのです。
曲は「500マイル」。
歌詞間違えたらどうしよう、って言ったら
師匠は、お守りがわりに歌詞カード置いとけば?って言ってくださった。
それをいいことに、すっかり歌詞カードに頼る習慣がついてしまいました。
最近は、反省して少しずつ離れられるよう努力していますが、なかなか。

自分で楽器弾いてうたったのは
たぶん、その年の「オトナ文化祭」。
やさしい大黒屋さんが、こんな駆け出しにチャンスをくださいました。
そのときは、まだ鍵盤でした。
確か「遠くで汽笛を聞きながら」をうたったのでした。
そういえば、大黒屋さん、東京にお帰りになっているんですよね。
10月にはお目にかかれると思うけれど、会いたい、会いたい、会いたい。

そして何年かたって、福祉施設で音楽の時間を受け持つように。
友人のおかあさんが特養に入所されていて
「あなた、どうせ暇してるんでしょ?
みんな外に出られなくて退屈してるから、うたいに来てよ。」と
半ば強引に連れて行かれたのがきっかけです。
そこはちゃんとキーボードがありましたので。

それから何年かたって、先輩とユニットで活動することになりました。
ダメ元で話を持ちかけたら、ひょうたんからコマ。
私は、このままどうなってもいいほど狂喜したけど
先輩はギタリスト、どう考えても
ギター、じゃら〜んとコード鳴らすくらいはできなくちゃいけないと思って
自分なりに、少しは頑張ったわけです。

あ、鍵盤から始めたというのは
鍵盤なら指が届けば音が出るだろう、という安易な考え。
ピアニストやキーボード奏者に袋叩きにされそうです。
ゴメンナサイ。

音楽やりだしてから、自分の性格も変わったと思うし
人生観も変わった(というと大げさだけれど)と思います。
そして、何より、学生時代とは比べ物にならないほど友達が増えた・・・

「あの日に帰りたい」というユーミンの歌があるけれど
私は帰らなくていいんです。
今が一番幸せですし、あの時ああすれば良かった、ということもないのです。
その時、その時でベストの決断を下した、って言い切れるから。
【53】日本の大動脈



東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は
江戸時代に整備された五街道の一つ、東海道にある53の宿場を指します。
鉄道唱歌にもうたわれています。

起点は日本橋。
1の宿は品川で、53の宿は大津。
終点は、京の三条大橋です。

古来、道中には風光明媚な場所や有名な名所旧跡が多く
浮世絵や和歌・俳句の題材にもしばしば取り上げられましした。

現代でも、真っ先に新幹線がとおり
JR各社の中でも、お鼻が高い筆頭のような気もします。

東京をはじめとして、名古屋、大阪、京都と、いわゆる大都市が勢ぞろいし
当然のことながら、高速道路も真っ先に整備されました。

なぜ東海道筋が日本の大動脈となったか。
あくまで個人的意見ですが次のように想像します。

まず、将軍の江戸と帝の京をつないでいる。
それならルートは他にもありそうですが・・・

名古屋には、御三家筆頭・大納言の尾張徳川家がありました。
起点、終点、中間点が決まれば、ルートはほぼ決定です。

もちろん、いくつもの別な要因はあったろうと思いますが
最大のポイントはおわり・徳川家。
なんと日本のインフラにも徳川の影響があったのねぇ。

【54】あぁ「源氏物語」



全54帖からなる源氏物語、最初に出会ったのは高校3年の時でした。
数�靴�ら逃れたいばかりに文化系コースを選択した自分は
数�靴梁紊錣蠅妨電飢記兇鬚箸蕕覆韻譴个い韻覆い海箸話里辰討い泙靴燭�
それがどんな内容の授業なのかは想像もできませんでした。

蓋を開けてみたら「源氏物語」。
今なら、一所懸命聞いいたと思う授業も
やっとこ助動詞の活用をおぼえた程度の知識では
とても手にあまるしろものだったのです。

担当の古典の教師は
牛乳瓶の底のようなメガネをかけたおじさん。
どう考えたって面白い授業なんぞ期待できるわけがありませんでした。

単位落とすと卒業できないし
それなりに勉強はしたのだろうけれど
それにも関わらず、まったく何も記憶がなくて
よく単位が取れた、と今でも不思議でしょうがありません。

結局、子供たちがかなり大きくなって
気持ちに余裕が出来てから田辺聖子さんの訳を読んだのですが
これが一番わかりやすかった。
寂聴さんの役も買ったけれど
何度トライしても3巻あたりで挫折でおしまいまで行きません。
恋愛小説だから、ガツガツ読めていいはずなのだけれどねぇ。

大勢の女性が登場する源氏物語のなかで
花散里は変わらない心根のやさしい女性ではあるけれど
一番印象に残るのは六条御息所。
思い悩むうちに自分の意に反して生霊となり葵上にとりついてしまう自分を
どんなにか疎ましく思ったに違いないのです。

女は強いと言われるけれど、かわいそうな生き物なんですよねぇ。
【55】35才です(ちょっと長い)



昭和55年3月28日長男が生まれました。
今年35才です。

今回は手抜きして、以前書いた文を転載いたします。
ご容赦ください。

・・・
5月に結婚して翌年の3月待望の第一子が誕生した。
吸引機の助けを借りて生まれた。 
3000gをわずかに欠けるくらい。

血が1滴もないのでは? と思うくらい色が白かった。 
私は思わず「貧血ではないのか?」というようなことを口走ったらしい。 

血管が下のほうにあるので赤い色が見えてこないのだろう
という助産士さんの話に、少しホッとした。

西山の家にとっても、小出(旧姓)の家にとっても初孫。
それも男の子で、とりあえず義務は果たしたことになり
私は、ホッと一息。
でも、面妖しいよねぇ、跡取り・男の子ばかりが望まれて喜ばれるっていうの。

名前は、義父がつけた。(ちなみに次男も!)
最初は、この名前が気に入らなかった。
なんか‘与作’みたいで。

でもあとになって、「探偵物語」の工藤俊作、「踊る大捜査線」の青島俊作
「三つ首塔」の高頭俊作、「無法松の一生」を書いた岩下俊作
タミヤ(模型の)の田宮俊作氏などを知って
悪くない名前だ、と思うようになった。

家中が‘手’や‘口’を出したがってウズウズしている。 
イライラした。 
「私の子供なんだ、ほっといてくれ〜〜〜!」と何度も心の中で叫んだ。 

母乳オンリーで育てた。 
‘ミルクを足すのは失格’(ではないんだけれど)みたいな空気が流れていて
たくさん‘口’を出されるのも煩わしいから、最後まで我慢させてしまった。 

ピーピーよく泣く赤ん坊だったのは、年中すきっ腹だったのだと思う。 
かわいそうなことをした。 
それでも、なんとか普通に大きくなった。

近いの第一主義で、家から一番近い幼稚園に入れた。 
伝統のサッカークラブに入れたかったが
柱にしがみついて嫌がったのであきらめ、学研の幼児教室に入れた。 

ところが、先生と相性が悪かったのか、長男の虫の居所が悪かったのか
それともおふざけだったのか
テスト用紙の名前の欄に‘しゅんさく’と書かないで
‘せみさく’と書いてしまった。 

呼びつけられ、ぼろくそに小言を言われたので
こちらが悪いことはどこかに置いて戦ってしまい
幼児教室を退会させてしまった。

附属小学校を受験させたが、みごとに失敗し、地元の小学校に入学した。 
積極的に外で遊ぶ方ではなかった。 
かといって、家で何かに熱中している、というのでもなかった。 

特に勉強ができるというのでもなく
目立たない親の言うことをよくきく子だった。 と、思っていた。 

ところが驚いた。 
かなり後に長男自身が語ったところによると
「僕は家庭の平和のためにやりたいことを我慢していた」のだそうだ。 

ビックリした。 次男は正反対の自由人だったからだ。 
確かに、二人も勝手に好きなことをしていたのでは
ビッグストームが起こるに決まっている。
なんでも、文句をつける人が1名いたし。
 
3年生から塾に通わせた。 
絶対、中学は私立(ほんとは国立に入れたかったけど)に入れるつもりだった。 

連れ合いは「地元でいいんじゃないか?」と言ったが私は耳をかさなかった。 
受験は1回ですませてクラブ活動にせいを出してくれれば
という思いだったのだが、あとになってそれは間違いだと悟った。

何とか明星中学に入ることができた。 
‘西山’の名前がいちやく有名になったのは体育祭のときだ。 

運動神経が良かったからではない。 
チームのマスコット人形に‘セーラームーン’を使って
マスコット最優秀賞に選ばれたのだ。 
男子校に似合わない乙女チックなマスコット人形は賛否両論だった。

富士見幼稚園にスイミングができてすぐに水泳を始め
小学校のときもずっと続けていたので
引き続き中高は水泳部ですごすことになった。 
「なんでもよいから運動部に入ること」が私の厳命であったためである。

小学校の時は親が強制的に入れた塾だったが
高校になって突然自分から塾に行くと言い出した。 

そして、そのまま内部推薦で進学した。 
理工学部機械工学科である。 
ところが、突然サークルでドラムをたたき出した。 

びっくりしたが、私も嫌いな方ではないし反対する理由もなかったので
絶対留年しないことを条件に認めた。 
それがずるずると現在に至っている。 

【56】続・35才です



私の話はよく聞いてくれた。 
長い間には三男のこと以外にも色々なことがあって
気がつくと、連れ合いに愚痴るべきようなことまで話していることがあった。 

重い話を聞かされても、なんともしようのない長男は
「俺の部屋で遊んでいけば?」というのが口ぐせ。

そのたびに「ああ、また聞かせなくてもいいことを聞かせてしまった」
と自責の念にかられるのだった。 

そのうち、私も開き直ってきた。 
「泣いても、わめいても、変わらないものは変わらないし
見通しをたてて生きてもその場その場で状況は刻々変化するのだから
とりあえず、目の前の問題をひとつずつ解決していこう。 
そうすればおのずと道は開けるだろう。」と。 

ウジウジしてたら3人に悪影響を与えるだけだし
だんだん私は物事をあまり深刻に考えなくなった。 
でも、これっていいのか、悪いのか...

【56】連続安打記録



Joseph Paul DiMaggioはニューヨーク・ヤンキースでプレーし
MVP3回、首位打者・本塁打王・打点王を各2回獲得した
56試合連続安打のMLB記録保持者です。

両親はシチリア島からの移民という
いわゆるプアホワイトの家庭に生まれています。
しかし、ジョーを含め兄弟3人がメジャーリーガーです。
すごいですよね。

シチリアマフィアとつながっていたという話が
近年になって伝えられていますが
彼の生い立ちから考えてもそれはしかたがないことなのかもしれません。

私は、リアルタイムでディマジオを知るわけではないけれど
伝え聞くところによると
グラウンドでの態度やファンへの誠実な対応は、野球選手の鑑とされたそうですし
長島さんも野球選手の模範として彼の名前を上げているんだとか。

アーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』にディマジオに関する記述があり
サイモン&ガーファンクルのヒット曲『ミセス・ロビンソン』[にも彼の名前が出てきます。
ディマジオがいかにアメリカ人にとってヒーローであったかが窺えます。
そのため、ディマジオもそのイメージを保つ為に自分の節制にはとても厳しかったそう。

離婚はしてしまったけれど
心からマリリン・モンローを愛していたという
彼のプレー、目の前で見てみたかったですね。

【57】心にしみる音楽



★あみん 「待つわ」
★岩崎宏美 「聖母たちのララバイ」
★郷ひろみ 「哀愁のカサブランカ」
★ザ・タイガース「色つきの女でいてくれよ」
★上田正樹 「悲しい色やね」
★薬師丸ひろ子 「セーラー服と機関銃」
★大橋純子「シルエット・ロマンス」
★三好鉄生 「涙をふいて」・・・等々


これらの楽曲は昭和57年にリリースされています。

未だ練習半ばで足踏みしている「シルエットロマンス」は
是が非でも仕上げたい曲ですが、なかなか。

「哀愁のカサブランカ」は先輩の弾き語りに
バイオリンを入れてみたいですが、バイオリンの方が手つかずで。

「悲しい色やね」はギター1台で
せつせつと弾き語りしてみたいけれどねぇ。

なかなか思うようにはいかないわねぇ。


【58】ユニットを組む



記憶に誤りがなければ、確か58才のバースデーライヴで
Stardustがデビューしたのでした。
それからあとは、あれこれ考えることがあって
バースデーライヴはやらないことにしたのだけれど
そのうち二人が演奏ができなくなってしまうと困るから
来年あたりやってもいいかなぁ、と思っています。

毎度書いていることなんだけれど
あちこちのしがらみにどうしていいかわからなくなって
結局、やらなくていいや、ということになっちゃうのよね。
どうしたもんかなぁ。

と、前置きが長かったですが
ともかくも念願のユニットを組むことができたわけです。
嬉しかったなぁ。
2人でも3人でも、とにかく複数で音楽やってみたかった。
それが、先輩と活動できることになったのですから。

先輩はプロになる人だと思ってたから
卒業したあとも追いかけることはしなかったのだけれど
もしプロになってたら、こういう展開はなかったと思うから
神さまは私をかわいそうに思ってくれたのかもしれません。

Stardustというユニット名は
あの有名なスタンダードに因んだものです。
今は日本語詞をつけてうたっていますが
デビューのときは、そのまま英語でうたいました。
また、英語でうたってみたいなぁ、と思います。

あと10年は元気で活動したいね、っていつも話しています。
その間に自分たちの記録も残しておきたいし。
精力的な活動はできないかもしれないけれど
自分たちのペースで楽しく前向きに活動できたらと思います。
みなさん、ご声援よろしくね。
そしてライヴに呼んでやってくださいね。
【59】紙おむつは進化する



長男が赤ん坊の頃、初めて紙おむつが発売されました。
外出の時に布おむつを持って歩かなくてもすむというのは
子育て中のおかあさんたちにとって大変な福音となったのは言うまでもありませんが
まだまだ家庭では布おむつが主流で
自分などは子供たちの実年齢が長男とでは3年10ヶ月ほどしか離れていなくて
おまけにおむつが取れたのがみな遅かったものだから
二人分のおむつを洗濯していた時期がかなりあったのです。

しかし、とにもかくにも外出の時に紙おむつを使えるというのは
本当にありがたいことでした。
そしてもう一つありがたかったのは
お腹を壊した時に、たくさんのおむつを洗わなくて済むことでしたが
最初に発売されたパンパースはガリガリで肌触りも悪くギャザーもなかったので
足の隙間から○ン○がはみ出してしまうこともありました。
長男はお腹をこわすのが得意で足も細かったものだから
なんど隙間からのもれでがっかりしたかわkぁりません。

それが昭和59年の7月にメリーズが発売されて
ちょっと様子がかわりました。
メリーズには、ちゃんと足の部分にギャザーがあったのです。
こりゃ〜凄いな!と思いました。
おむつを使わなければいけない大人の人用のもできればいいのにと思っていたら
いつのまにか発売されていましたし
おむつとパンツの中間時期に使う‘トレーニングパンツ’なるものも
その後発売されました。

いつまでもおむつが取れなくて
トレーニングパンツのお世話になった我が家の息子たち。
次男などはお尻の大きさがトレーニングパンツでは間に合わなくなって
しかたなく普通のパンツにして、やっとトイレを教えるようになったといういわくつき。
心地よいおむつも痛し痒しかもしれませんよね。

紙おむつは30年の間にどんどん進化してどんどん広まって
今ではおむつを干してある家などまったく見かけなくなりました。

【60】60とおりの組み合わせ



60歳で還暦のお祝いをする方、されるかた多いですよね。
私などは長いあいだ、家族からも誕生日を忘れられていて
銀婚式も還暦もお祝いとはご縁がありませんでしたが
ひょっとすると誰かが還暦ライヴやりませんか?なぁ〜んて言ってくれないかなと思って
密かに、真っ赤なロングスカート購入していたんですが
とうとう、出番は来なくて洋服ダンスの邪魔者に・・・

という話は余分でしたが。
十干十二支を組み合わせると60とおりの組み合わせになります。
そういえば数学で順列組み合わせっていうのがありましたよね。
あのあたりから数学がわからんちんになってきた・・・
あまりいい思い出はおりません。

ちなみに私の生まれ年、昭和27年は「壬(水兄:みずのえ)  辰(たつ)」であります。
自分の生まれ年の十二支は知っていても
十干(「じっかん」て読むんですよ)は知らない人が多いわけで
私もいつも忘れます。

ちなみに十干というのは
中国の五行思想から来ていて
万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説です。
5種類の元素は「互いに影響を与え合い
その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが
根底に存在しているとか。

さらにその5つを陽(兄)・陰(弟)にわけて十干となっているわけです。
ちなみに、私の壬(みずのえ)は
“妊”に通じ、陽気を下に姙む、ということだそう。
なんだか意味不明のところもあるけれど、わかったような気もします。

それに比べて十二支の方は、動物ですからわかりやすい。
その中で唯一空想上の生き物が龍(辰)なんですよね。
中国で四種の霊獣の一つとされ、中国の王様はリュウの生まれ変わりで
重要な動物としてあがめられたという説。
また古代の中国人はリュウを実在する動物と考えたからだという説もあります。

十二支は身近な動物を取り上げたと言われていますが
猫が入っていないのはなぜだと思いますか?

お釈迦さまが亡くなった時
寒がりのネコだけコタツから離れるのがいやでいかなかった罰だという説。
弔問にいこうとしていたネコがネズミにだまされ葬式の時間に遅れてしまったからだという説。
いずれにしても真偽のほどは定かではありません。

また亀がいないのは
蛇と亀は中国古代では、同種異形と考えられていたので
雄の蛇が世帯主として入ったということです。

いずれにしても、十干十二支は私たちの生活に密着しています。
そうそう、私は直接人に年齢を聞きにくい時
「何どしですか?」って聞くんです。
そうするとあからさまじゃないし、聞かれた方も答えやすい。
よほどでないと、一回り間違うことはありませんから。

でも私・・・一周り下だと思われたことあるよ。うふふ。

【61】空白



昭和61年というと、息子たちが、6・4・3才で
長男がちょうど小学校に入る頃。
ちょうど、この頃から私の音楽ライフはまったくの空白になって
それがしばらく続くことになります。

過去の記録を紐解いてみても
題名は聞いたことあるけれど印象に残っている曲というのがまったくありません。
それでいて、何か毎日とても慌ただしくて
おまけに耐え切れないことも多かったのです。

どの子もひとつの学校で1回は委員をやりましたので
年中なにかの委員をしていたわけですが
家には殊のほか気を使う人がいたし楽しくてやっていたわけではありませんでした。

その頃楽しかったことはなんかあったか
あれこれ考えてみたのですが
寝る前とか、夕食の準備をおえて夕食になるまでのわずかな時間に
編み物をすることが唯一の気晴らしであったかもしれません。

その編み物も、あれこれ凝ったものを作るのではなく
浸すたら真っ直ぐに編めばすむマフラーが主。
怒りのはけ口をマフラーに編み込んでいたのかもしれません。
幸い貰い手には事欠かなかったので今は一つも残っていませんが。

そんな閉塞的な日常を変えたのがパソコン。
SNSがこんなに大はやりになるまえからのお友達がその時できました。
田村博昭さんとか小野ちゃんとか。
そこから、いろんなつながりができて
今のようにたくさんのお友達にめぐまれたわけです。

お友達には恵まれたけれど
流行りの音楽からは完全にみはなされてしまって
未だに復帰sることができないのは
少しばかり残念ではありますが
一生の半分以上過ぎてしまったのだから
逆にさかのぼってもいいかな、と最近は思うわけで・・・

【62】Marionette



昭和62年にリリースされたこの歌を初めて聞いたのは
長男が高校生、次男が中学生の時でした。

中学2年の時からベースを持って活動し始めた次男たちのバンドは
最初BOØWYのコピーから入ってGLAYのコピーへと移行していきました。

長男がドラムを始めたのは大学の音楽サークルに入ってからで
こちらはオリジナルとブランキージェットシティーのコピーでした。

それまでロックと縁がなかった私は
二人が聞いている音楽を聴いて目が点になりました。
ため息が出るばかり。
だって私が一番好きな音楽は教科書に載っている歌だったのですから。

私がロックの歌詞も悪くない、と思ったのは、サビの部分の

   鏡の中のMarionette 自分のために踊りな

というところ。
一番大切なのは自分自身。
自分を大切にできない人は他の人も大切にできないし
愛することもできないって・・・含蓄のあるフレーズです。

長男が高校生の頃、この歌のイントロ弾いて
ラジオの「下手くそ選手権」みたいな番組に応募したら
見事採用されたという
喜んでいいのか気合を入れなきゃいけないのかわからない
笑える話がおまけについております。
【63】そして今



次男の一番上の娘は今年小学校3年です。
そんなところを見ると自分もそれなりの年齢なのだなぁ、と思うけれど
気持ちはまったく変わったような気がしないのです。

さかのぼってみて
どのくらいの時期から変わっていないかというと
学生時代とは少し違うかな?
子供が小さい時とも違うかな? と思うわけで
変わらない、というよりは
上向きに変化している、と言った方がいいのかもしれません。

子供を育てる責任が九分九厘終了した・・・
親を看取る義務が九分九厘終わった・・・
そして、音楽を始めたことで
他人と接する自信がついた・・・という感じです。

まだまだ終わっていないことはあります。
それは家族、友人をふくめて
まわりの人たちに対する恩返しです。
これは、この世におさらばするまで忘れてはいけないこと。

でも、やっと自由になれた自分に
少しだけご褒美をあげてもいいといいような気がするのです。
我慢しすぎることは、もうやめようと思います。
63才7ヶ月(ちょっと欠ける)・・・

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