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名作を読みませんかコミュのレ・ミゼラブル  46

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 ジャヴェルはその時まで立ちつくしていた。

 身動きもしないで、床《ゆか》に目を落として、位置を動かされてどこかに据えられるのを待ってる立像のように、この光景のまん中に立ちつくしていた。

 かけがねの音は彼を覚《さま》した。

 彼は頭を上げた。

 顔には、主権者の権力の表情、下等なものになればなるほどいっそう恐ろしくなり、野獣においては獰猛《どうもう》となり、卑しい人間においては凶悪となる表情があった。

 「下士官、」と彼は叫んだ。

 「そいつが出て行こうとするのが見えないか。そいつを許せとだれが言った。」

 「私です。」とマドレーヌは言った。

 ファンティーヌはジャヴェルの声に震え上がって、盗賊が盗んだ品物を放すようにかけがねから手を放した。

 マドレーヌの声に彼女はふり向いた。

 そしてその時から、一言も発せず、息も自由につかないで、二人が口をきくにつれて、マドレーヌからジャヴェルへ、ジャヴェルからマドレーヌへ、かわるがわる目を移した。

 市長がファンティーヌを許してやるように申し出た後、あえてこのように下士官を呼びかけるには、ジャヴェルはいわゆる「箍《たが》を外《はず》して」いたに違いない。

 そのために彼は市長がそこにいるのも気付かなかったのであろうか。

 または、いかなる「権力」といえどもかかる命令を与えることはできないと信じ、市長が自ら気付かずして何か取り違えてかかる言を発したのであると信じたのであろうか。

 もしくは、二時間前から目撃してきた暴行の前において、いよいよ最後の決断を取らなければならないと思い、小官も大官となり、一個の刑事巡査も長官となり、警官も法官となることが必要だと思い、この危急な場合においては、秩序、法律、道徳、政府、社会すべてが、おのれジャヴェル一個のうちに代表せらるべきものであると信じたのであろうか。

 それはともかくとして、前のごとくマドレーヌが私ですという言葉を発した時に、警視ジャヴェルは市長の方へ向き直り、青くなり、冷たくなり、脣《くちびる》を紫色にし、憤激の目付きをし、全身をこまかく震わし、そして目を伏せながらしかも確乎《かっこ》たる声で、あえて市長に言った。

 「市長どの、それはなりませぬ。」

 「どうしてですか。」とマドレーヌ氏は言った。

 「この女は市民を侮辱しました。」

 「ジャヴェル君、まあ聞きたまえ。」とマドレーヌ氏はなだめるような静かな調子で言った。

 「君は正直な人です。

 君に説明してあげるのは困難ではない。

 事実はこうです。

 君がこの女を引き立ててゆく時私はその広場を通った。

 まだそこには大勢の人がいた。

 私はいろいろ聞いてみてすべてのことがわかった。

 悪いのはあの男の方で、まさしく拘留すべきはあの男の方です。」

 ジャヴェルは答えた。

 「この女は市長殿を侮辱したのです。」

 「それは私一個のことです。」とマドレーヌ氏は言った。

 「私の受けた侮辱はおそらく私一個人だけに関することでしょう。
  それは私が自分でどうにでもすればいいのです。」

 「市長どの、お言葉ですが、女の侮辱はあなた一人だけにとどまらず、実に法を犯すものです。」

 「ジャヴェル君、」とマドレーヌ氏は反駁《はんばく》した。

 「最高の法は良心です。
  私はこの女の言うことを聞いた。
  そして自分のすべきことを知っている。」

 「市長どの、私は一向に了解できません。」

 「それではただ私の言に従うので満足なさるがいいでしょう。」
 「私は自分の義務に従うのです。
  私の義務は、この女が六カ月間入牢することを要求します。」
 
マドレーヌ氏は穏やかに答えた。

 「よくお聞きなさい、この女は一日たりとも入牢させてはなりませぬ。」

 その断乎《だんこ》たる言葉をきいて、ジャヴェルはそれでもじっと市長を見つめた、そして深い敬意をこめながらもなお言った。

 「私は市長どのに反対するのを遺憾に思います。
  これは生涯初めてのことです。
  しかし、私は自分の権限内において行動していると申すのを許していただきます。
  お望みですから、あの一市民に関することだけに止めましょう。
  私は現場にいました。

  この女があの市民に飛びかかったのです。
  彼はバマタボア氏と言って、選挙資格を有し、
  遊歩地の角にあるバルコニーのついた石造りのりっぱな四階建ての家屋を所有しています。

  まあそれらのことも参考にすべきです。
  それはとにかく、市長どの、この事件は私に関係ある道路取り締まりに関することです。
  私はこのファンティーヌという女を取り押さえます。」

 その時マドレーヌ氏は腕を組み、まだ町でだれも聞いたことのないほどの厳格な声で言った。

 「君の言う事実は市内警察に関する事がらです。
  刑事訴訟法第九条、第十一条、第十五条、および第六十六条の明文によって、
  私はその判事たるべきものです。
  私はこの女を放免することを命ずる。」

 ジャヴェルは最後の努力をなさんとした。

 「しかし、市長どの……」

 「不法監禁に関する一七九九年十二月十三日の法律第八十一条を思い出されるがいい。」

 「市長どの、どうか……。」

 「一言もなりませぬ。」

 「しかし……。」

 「お退《さが》りなさい。」とマドレーヌ氏は言った。

 ジャヴェルはつっ立ちながら真っ正面に、ロシア兵士のように胸のまん中にその打撃を受けた。
彼は市長の前に地面まで頭を下げ、そして出ていった。

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