ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

名作を読みませんかコミュのジャン・クリストフ  ロマン・ロラン  258

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 まさにそうである。
 しかしジョルジュは、これからしようとすることについてはクリストフに相談するのを避けた。

 彼自身でも何をするつもりかわかっていたろうか?
 彼は済んでしまったときにしか何一つ話さなかった。

 すると?
 するとクリストフは、自分の言葉なんかは聞き入れてくれないことを知ってる老伯父《おじ》みたいに、肩をそびやかし微笑《ほほえ》みながら、無言の叱責《しっせき》でこの放蕩《ほうとう》児をながめるのほかはなかった。

  そういう場合には、しばしの間沈黙がつづいた。
 ジョルジュはごく遠くから来るように思えるクリストフの眼をながめた。
 その眼の前では自分がごく小さな子供のような心地がした。

 意地悪な光が輝いてるその洞察《どうさつ》的な眼の鏡の中で、自分のありのままの姿を見てとった。
 そしてあまり得意にはなれなかった。

 クリストフはジョルジュがなした打ち明け話の尻尾《しっぽ》をとらえることはめったにしなかった。
 あたかもそれを聞きとっていないかのようだった。

 彼は眼と眼との無音の対話をしたあとに、あざけり気味に頭を振った。
 それから前の話とはなんの関係もなさそうな話を始めた。
 自分の身の上の話や他人の話などで、ほんとうのもののこともあれば作ったもののこともあった。

 そしてジョルジュは、自分の雛形《ひながた》(だと彼は認めた)が、自分と同じような過失を通って、新しい光の下に、嫌《いや》な滑稽《こっけい》な姿で、しだいに浮き出してくるのを見てとった。

 自分を、なさけない自分の顔つきを、笑わざるを得なかった。
 クリストフは注釈を添えなかった。
 そして話よりもなおいっそうの効果を与えるものは、話し手の力強い好人格であった。

 彼は自分のことを話すときにも、他人のことを話すときと同じように、一種の超脱さと快活な晴れやかな気分とを失わなかった。
 その静平さにジョルジュはまいってしまった。

 彼が求めに来たのはそういう静平さであった。
 彼は自分の饒舌《じょうぜつ》な告白をしてしまうと、夏の午後大木の影に手足を伸ばして横たわってるような心地になった。

 焼けるような日の眩《まぶ》しい炎熱は消えていった。
 庇護《ひご》の翼の平和が自分の上に漂ってるのを感じた。

 重々しい生の重荷を平然とになってるこの人のそばにいると、自分自身の焦燥からのがれる気がした。
 その人の話を聞いてると安息が味わえた。

 彼のほうもいつも耳を傾けてばかりはいなかった。
 自分の精神を彷徨《ほうこう》するままに任した。
 しかしどんな所へさ迷い出ても、常にクリストフの笑《え》みに取り巻かれていた。

 それでも、彼はこの年老いた友の観念とは縁遠かった。
 クリストフがどうして自分の魂の寂寞《せきばく》に馴《な》れることができ、芸術や政治や宗教の各党派に、人間のあらゆる団体に、執着を断ってしまうことができたかを、彼は怪しんだのだった。

 「なんらかの陣営に立てこもりたいことはかつてなかったか、」と彼は尋ねてみた。
 「立てこもるんだって!」とクリストフは笑いながら言った。

 「外に出てるほうがいいじゃないか。
  野外に出ることの好きな君が、蟄居《ちっきょ》などということを説くのかい?」
 「いいえ、身体のことと魂のこととは同じじゃありません。」とジョルジュは答えた。

 「精神には確実ということが必要です。
  他人といっしょに考えることが必要です。
  同時代のすべての人が認めてる原則にくみすることが必要です。
  私は昔の古典時代の人々が羨《うらや》ましい気がします。
  私の仲間が過去のりっぱな秩序を回復しようとしてるのは道理《もっとも》です。」

 「腰抜けだね!」とクリストフは言った。
 「そんな弱虫が何になるものか。」

 「私は弱虫じゃありません。」とジョルジュは憤然と抗弁した。
 「私どものうちには一人も弱虫はいません。」

 「自分を恐《こわ》がってるようじゃ弱虫に違いない。」とクリストフは言った。
 「なんだって、君たちは秩序を一つ求めていながら、
  それを自分たちだけで作り出すことはできないのか。
  昔のお祖母《ばあ》さんたちの裾《すそ》にすがりつきに行かなくちゃならないのか。
  どうだい、自分たちだけで歩いてみたまえ。」

 「根を張らなくちゃいけないよ……。」とジョルジュは当時の俗謡の一節を得意げにあげた。

 「根を張るためには、樹木はみな鉢《はち》に植えられる必要があるのかね?
  皆のために大地があるじゃないか。
  大地に根をおろしたまえ。自分自身の掟《おきて》を見つけたまえ。
  それを自分自身のうちに捜したまえ。」

 「私にはその隙《ひま》がないんです。」とジョルジュは言った。
 「君は恐がってるんだ。」とクリストフは繰り返した。

 ジョルジュは言い逆らった。
 けれどもしまいには、自分の奥底をながめる気がないことを承認した。
 自分の奥底をながめて楽しみを得られるということがわからなかった。
 その暗い穴をのぞき込んでるとその中に落ち込むかもしれなかった。

 「手を取っててあげよう。」とクリストフは言った。
 彼は人生にたいする自分の現実的な悲壮な幻像の蓋《ふた》を少し開いて見せて面白がった。

 ジョルジュは後退《あとしざ》りをした。
 クリストフは笑いながら蓋を閉めた。

 「どうしてそんなふうに生きてることができるんですか。」とジョルジュは尋ねた。
 「僕は生きてる、そして幸福だ。」とクリストフは言った。
 「いつもそんなものを見なければならなかったら、私は死ぬかもしれません。」

 クリストフは彼の肩をたたいた。
 「それでいて剛の者と言うのかね!
  じゃあ、もし頭がそれほど丈夫でない気がするなら、見なくってもいいよ。
  何もぜひ見なくちゃならないということはないからね。
  ただ前進したまえよ。
  しかしそれには、家畜のように君の肩に烙印《らくいん》をおす主長が、
  なんで必要なものか。

  君はどんな合図を待ってるんだい。
  もう長い前に信号はされてる。
  装鞍《そうあん》らっぱは鳴ったし、騎兵隊は行進してる。
  君は自分の馬だけに気を配ればいい。

  列につけ!
  そして駆け足!」

 「しかしどこへ行くんですか。」とジョルジュは言った。
 「君の隊の目ざす所は、世界の征服なんだ。
  空気を占領し、自然原素を従え、自然の最後の城砦《じょうさい》を打ち破り、
  空間を辟易《へきえき》させ、死を辟易させるがいい……。

  ダイダロスは虚空を窮《きわ》めて…

  ラテン語の選手たる君はそれを知っているかい。
  その意味を説明することくらいはできるだろう。

  彼は三途《さんず》の川に侵入せり…

  それが君たちの運命だ。
  征服者らよ幸いなれ!」

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

名作を読みませんか 更新情報

名作を読みませんかのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング