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名作を読みませんかコミュの吾輩は猫である 夏目漱石 10

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 これで雑煮の元気もさっぱりと回復した。
 いい心持になった。
 帰りに例の茶園《ちゃえん》を通り抜けようと思って霜柱《しもばしら》の融《と》けかかったのを踏みつけながら建仁寺《けんにんじ》の崩《くず》れから顔を出すとまた車屋の黒が枯菊の上に背《せ》を山にして欠伸《あくび》をしている。

 近頃は黒を見て恐怖するような吾輩ではないが、話しをされると面倒だから知らぬ顔をして行き過ぎようとした。
 黒の性質として他《ひと》が己《おの》れを軽侮《けいぶ》したと認むるや否や決して黙っていない。

 「おい、名なしの権兵衛《ごんべえ》、近頃じゃ乙《おつ》う高く留ってるじゃあねえか。
  いくら教師の飯を食ったって、そんな高慢ちきな面《つ》らあするねえ。
  人《ひと》つけ面白くもねえ」
 黒は吾輩の有名になったのを、まだ知らんと見える。

 説明してやりたいが到底《とうてい》分る奴ではないから、まず一応の挨拶をして出来得る限り早く御免蒙《ごめんこうむ》るに若《し》くはないと決心した。
 「いや黒君おめでとう。
  不相変《あいかわらず》元気がいいね」
 と尻尾《しっぽ》を立てて左へくるりと廻わす。

 黒は尻尾を立てたぎり挨拶もしない。
 「何おめでてえ?
  正月でおめでたけりゃ、御めえなんざあ年が年中おめでてえ方だろう。
  気をつけろい、この吹《ふ》い子《ご》の向《むこ》う面《づら》め」
 吹い子の向うづらという句は罵詈《ばり》の言語であるようだが、吾輩には了解が出来なかった。

 「ちょっと伺《うか》がうが吹い子の向うづらと云うのはどう云う意味かね」
 「へん、手めえが悪体《あくたい》をつかれてる癖に、
  その訳《わけ》を聞きゃ世話あねえ、だから正月野郎だって事よ」
 正月野郎は詩的であるが、その意味に至ると吹い子の何とかよりも一層不明瞭な文句である。

 参考のためちょっと聞いておきたいが、聞いたって明瞭な答弁は得られぬに極《き》まっているから、面《めん》と対《むか》ったまま無言で立っておった。
 いささか手持無沙汰の体《てい》である。

 すると突然黒のうちの神《かみ》さんが大きな声を張り揚げて
 「おや棚へ上げて置いた鮭《しゃけ》がない。
  大変だ。
  またあの黒の畜生《ちきしょう》が取ったんだよ。
  ほんとに憎らしい猫だっちゃありゃあしない。
  今に帰って来たら、どうするか見ていやがれ」
 と怒鳴《どな》る。

 初春《はつはる》の長閑《のどか》な空気を無遠慮に震動させて、枝を鳴らさぬ君が御代《みよ》を大《おおい》に俗了《ぞくりょう》してしまう。
 黒は怒鳴るなら、怒鳴りたいだけ怒鳴っていろと云わぬばかりに横着な顔をして、四角な顋《あご》を前へ出しながら、あれを聞いたかと合図をする。

 今までは黒との応対で気がつかなかったが、見ると彼の足の下には一切れ二銭三厘に相当する鮭の骨が泥だらけになって転がっている。
 「君不相変《あいかわらず》やってるな」
 と今までの行き掛りは忘れて、つい感投詞を奉呈した。

 黒はそのくらいな事ではなかなか機嫌を直さない。
 「何がやってるでえ、この野郎。
  しゃけの一切や二切で相変らずたあ何だ。
  人を見縊《みく》びった事をいうねえ。
  憚《はばか》りながら車屋の黒だあ」
 と腕まくりの代りに右の前足を逆《さ》かに肩の辺《へん》まで掻《か》き上げた。

 「君が黒君だと云う事は、始めから知ってるさ」
 「知ってるのに、相変らずやってるたあ何だ。
  何だてえ事よ」
 と熱いのを頻《しき》りに吹き懸ける。

 人間なら胸倉《むなぐら》をとられて小突き廻されるところである。
 少々辟易《へきえき》して内心困った事になったなと思っていると、再び例の神さんの大声が聞える。

 「ちょいと西川さん、おい西川さんてば、用があるんだよこの人あ。
  牛肉を一斤《きん》すぐ持って来るんだよ。
  いいかい、分ったかい、牛肉の堅くないところを一斤だよ」
 と牛肉注文の声が四隣《しりん》の寂寞《せきばく》を破る。

 「へん年に一遍牛肉を誂《あつら》えると思って、いやに大きな声を出しゃあがらあ。
  牛肉一斤が隣り近所へ自慢なんだから始末に終えねえ阿魔《あま》だ」
 と黒は嘲《あざけ》りながら四つ足を踏張《ふんば》る。

 吾輩は挨拶のしようもないから黙って見ている。
 「一斤くらいじゃあ、承知が出来ねえんだが、仕方がねえ、
  いいから取っときゃ、今に食ってやらあ」
 と自分のために誂《あつら》えたもののごとくいう。

 「今度は本当の御馳走だ。結構結構」
 と吾輩はなるべく彼を帰そうとする。
 「御めっちの知った事じゃねえ。
  黙っていろ。
  うるせえや」
 と云いながら突然後足《あとあし》で霜柱《しもばしら》の崩《くず》れた奴を吾輩の頭へばさりと浴《あ》びせ掛ける。

 吾輩が驚ろいて、からだの泥を払っている間《ま》に黒は垣根を潜《くぐ》って、どこかへ姿を隠した。
 大方西川の牛《ぎゅう》を覘《ねらい》に行ったものであろう。

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