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名作を読みませんかコミュの吾輩は猫である 夏目漱石 5

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 主人は毎日学校へ行く。
 帰ると書斎へ立て籠《こも》る。
 人が来ると、教師が厭《いや》だ厭だという。
 水彩画も滅多にかかない。
 タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。

 小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。
 帰ると唱歌を歌って、毬《まり》をついて、時々吾輩を尻尾《しっぽ》でぶら下げる。

 吾輩は御馳走《ごちそう》も食わないから別段肥《ふと》りもしないが、まずまず健康で跛《びっこ》にもならずにその日その日を暮している。
 鼠は決して取らない。
 おさんは未《いま》だに嫌《きら》いである。

 名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯《しょうがい》この教師の家《うち》で無名の猫で終るつもりだ。



 二


 吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
 元朝早々主人の許《もと》へ一枚の絵端書《えはがき》が来た。
 これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑《ふかみど》りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞《うずくま》っているところをパステルで書いてある。

 主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、竪《たて》から眺めたりして、うまい色だなという。
 すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。
 からだを拗《ね》じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相《さんぜそう》を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。

 早くやめてくれないと膝《ひざ》が揺れて険呑《けんのん》でたまらない。
 ようやくの事で動揺があまり劇《はげ》しくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうと云《い》う。
 主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。

 そんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品に半《なか》ば開いて、落ちつき払って見ると紛《まぎ》れもない、自分の肖像だ。
 主人のようにアンドレア・デル・サルトを極《き》め込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。

 誰が見たって猫に相違ない。
 少し眼識のあるものなら、猫の中《うち》でも他《ほか》の猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派に描《か》いてある。
 このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。

 出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい。
 吾輩であると云う事はよし分らないにしても、せめて猫であるという事だけは分らしてやりたい。
 しかし人間というものは到底《とうてい》吾輩猫属《ねこぞく》の言語を解し得るくらいに天の恵《めぐみ》に浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。

 ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。
 人間の糟《かす》から牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。

 いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。
 よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入《はい》って見るとなかなか複雑なもので十人十色《といろ》という人間界の語《ことば》はそのままここにも応用が出来るのである。

 目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。
 髯《ひげ》の張り具合から耳の立ち按排《あんばい》、尻尾《しっぽ》の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。
 器量、不器量、好き嫌い、粋無粋《すいぶすい》の数《かず》を悉《つ》くして千差万別と云っても差支えないくらいである。

 そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論相貌《そうぼう》の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。
 同類相求むとは昔《むか》しからある語《ことば》だそうだがその通り、餅屋《もちや》は餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。

 いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。
 いわんや実際をいうと彼等が自《みずか》ら信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。
 またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。

 彼は性の悪い牡蠣《かき》のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開《ひら》いた事がない。
 それで自分だけはすこぶる達観したような面構《つらがまえ》をしているのはちょっとおかしい。

 達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画《え》だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。

 吾輩が主人の膝《ひざ》の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書《えはがき》を持って来た。
 見ると活版で舶来の猫が四五疋《ひき》ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。

 その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍《おど》っている。
 その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側《わき》に書を読むや躍《おど》るや猫の春一日《はるひとひ》という俳句さえ認《したた》められてある。

 これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶《うかつ》な主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻《ひね》って、はてな今年は猫の年かなと独言《ひとりごと》を言った。
 吾輩がこれほど有名になったのを未《ま》だ気が着かずにいると見える。

 ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。
 今度は絵端書ではない。
 恭賀新年とかいて、傍《かたわ》らに乍恐縮《きょうしゅくながら》かの猫へも宜《よろ》しく御伝声《ごでんせい》奉願上候《ねがいあげたてまつりそろ》とある。

 いかに迂遠《うえん》な主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。
 その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。
 今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目《しんめんぼく》を施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。

 おりから門の格子《こうし》がチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。
 大方来客であろう。
 、来客なら下女が取次に出る。

 吾輩は肴屋《さかなや》の梅公がくる時のほかは出ない事に極《き》めているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。
 すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。

 何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。
 人間もこのくらい偏屈《へんくつ》になれば申し分はない。
 そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。
 いよいよ牡蠣の根性《こんじょう》をあらわしている。

 しばらくすると下女が来て寒月《かんげつ》さんがおいでになりましたという。
 この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話《はな》しである。

 この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。
 来ると自分を恋《おも》っている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄《すご》いような艶《つや》っぽいような文句ばかり並べては帰る。

 主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点《がてん》が行かぬが、あの牡蠣的《かきてき》主人がそんな談話を聞いて時々相槌《あいづち》を打つのはなお面白い。

 「しばらく御無沙汰をしました。
  実は去年の暮から大《おおい》に活動しているものですから、
  出《で》よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」
 と羽織の紐《ひも》をひねくりながら謎《なぞ》見たような事をいう。

 「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿《くろもめん》の紋付羽織の袖口《そでぐち》を引張る。
 この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。

 「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。
 見ると今日は前歯が一枚欠けている。
 「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。

 「ええ実はある所で椎茸《しいたけ》を食いましてね」
 「何を食ったって?」
 「その、少し椎茸を食ったんで。
  椎茸の傘《かさ》を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」

 「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭《じじいくさ》いね。
  俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」
 と平手で吾輩の頭を軽《かろ》く叩く。

 「ああその猫が例のですか。
  なかなか肥ってるじゃありませんか。
  それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね。
  立派なものだ」
 と寒月君は大《おおい》に吾輩を賞《ほ》める。

 「近頃大分《だいぶ》大きくなったのさ」
 と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。
 賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。

 「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」
 と寒月君はまた話しをもとへ戻す。
 「どこで」
 「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。
  ヴァイオリンが三挺《ちょう》とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。
  ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。
  二人は女で私《わたし》がその中へまじりましたが、
  自分でも善く弾《ひ》けたと思いました」

 「ふん、そしてその女というのは何者かね」
 と主人は羨《うらや》ましそうに問いかける。
 元来主人は平常枯木寒巌《こぼくかんがん》のような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない。
 かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっと惚《ほ》れる。

 勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着《れんちゃく》するという事が諷刺的《ふうしてき》に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。
 そんな浮気な男が何故《なぜ》牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底《とうてい》分らない。

 或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質《たち》だからだとも云う。
 どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。

 しかし寒月君の女連《おんなづ》れを羨まし気《げ》に尋ねた事だけは事実である。
 寒月君は面白そうに口取《くちとり》の蒲鉾《かまぼこ》を箸で挟んで半分前歯で食い切った。
 吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。

 「なに二人とも去《さ》る所の令嬢ですよ、御存じの方《かた》じゃありません」
 と余所余所《よそよそ》しい返事をする。
 「ナール」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。

 寒月君はもう善《い》い加減な時分だと思ったものか
 「どうも好い天気ですな、御閑《おひま》ならごいっしょに散歩でもしましょうか。
  旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」
 と促《うな》がして見る。

 主人は旅順の陥落より女連《おんなづれ》の身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。
 やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念《かたみ》とかいう二十年来着古《きふ》るした結城紬《ゆうきつむぎ》の綿入を着たままである。
 いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。
 所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。

 主人の服装には師走《しわす》も正月もない。
 ふだん着も余所《よそ》ゆきもない。
 出るときは懐手《ふところで》をしてぶらりと出る。
 ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。
 ただしこれだけは失恋のためとも思われない。

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