ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  108

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 源氏は御堂(みどう)へ行って毎月十四、五日と三十日に行なう普賢講(ふげんこう)、阿弥陀(あみだ)、釈迦(しゃか)の念仏の三昧(さんまい)のほかにも日を決めてする法会(ほうえ)のことを僧たちに命じたりした。

 堂の装飾や仏具の製作などのことも御堂の人々へ指図(さしず)してから、月明の路(みち)を川沿いの山荘へ帰って来た。
 明石の別離の夜のことが源氏の胸によみがえって感傷的な気分になっている時に女はその夜の形見の琴を差し出した。

 弾(ひ)きたい欲求もあって源氏は琴を弾き始めた。
 まだ絃(いと)の音(ね)が変わっていなかった。
 その夜が今であるようにも思われる。


契りしに変はらぬ琴のしらべにて絶えぬ心のほどは知りきや


 と言うと、女が、


変はらじと契りしことを頼みにて松の響に音(ね)を添へしかな


 と言う。

 こんなことが不つりあいに見えないのは女からいえば過分なことであった。
 明石時代よりも女の美に光彩が加わっていた。

 源氏は永久に離れがたい人になったと明石を思っている。
 姫君の顔からもまた目は離せなかった。

 日蔭(ひかげ)の子として成長していくのが、堪えられないほど源氏はかわいそうで、これを二条の院へ引き取ってできる限りにかしずいてやることにすれば、成長後の肩身の狭さも救われることになるであろうとは源氏の心に思われることであったが、また引き放される明石の心が哀れに思われて口へそのことは出ずにただ涙ぐんで姫君の顔を見ていた。

 子心にはじめは少し恥ずかしがっていたが、今はもうよく馴(な)れてきて、ものを言って、笑ったりもしてみせた。
 甘えて近づいて来る顔がまたいっそう美しくてかわいいのである。
 源氏に抱かれている姫君はすでに類のない幸運に恵まれた人と見えた。

 三日目は京へ帰ることになっていたので、源氏は朝もおそく起きて、ここから直接帰って行くつもりでいたが、桂の院のほうへ高官がたくさん集まって来ていて、この山荘へも殿上役人がおおぜいで迎えに来た。

 源氏は装束をして、
 「きまりの悪いことになったものだね。
  あなたがたに見られてよい家(うち)でもないのに」
 と言いながらいっしょに出ようとしたが、心苦しく女を思って、さりげなく紛らして立ち止まった戸口へ、乳母(めのと)は姫君を抱いて出て来た。

 源氏はかわいい様子で子供の頭を撫(な)でながら、
 「見ないでいることは堪えられない気のするのもにわかな愛情すぎるね。
  どうすればいいだろう、遠いじゃないか、ここは」
 と源氏が言うと、

 「遠い田舎の幾年よりも、
  こちらへ参ってたまさかしかお迎えできないようなことになりましては、
  だれも皆苦しゅうございましょう」
 など乳母は言った。

 姫君が手を前へ伸ばして、立っている源氏のほうへ行こうとするのを見て、源氏は膝(ひざ)をかがめてしまった。
 「もの思いから解放される日のない私なのだね。
  しばらくでも別れているのは苦しい。
  奥さんはどこにいるの、なぜここへ来て別れを惜しんでくれないのだろう。
  せめて人心地(ひとごこち)が出てくるかもしれないのに」
 と言うと、乳母は笑いながら明石の所へ行ってそのとおりを言った。

 女は逢(あ)った喜びが二日で尽きて、別れの時の来た悲しみに心を乱していて、呼ばれてもすぐに出ようとしないのを源氏は心のうちであまりにも貴女(きじょ)ぶるのではないかと思っていた。

 女房たちからも勧められて、明石(あかし)はやっと膝行(いざ)って出て、そして姿は見せないように几帳(きちょう)の蔭(かげ)へはいるようにしている様子に気品が見えて、しかも柔らかい美しさのあるこの人は内親王と言ってもよいほどに気高(けだか)く見えるのである。
 源氏は几帳の垂(た)れ絹を横へ引いてまたこまやかにささやいた。

 いよいよ出かける時に源氏が一度振り返って見ると、冷静にしていた明石も、この時は顔を出して見送っていた。
 源氏の美は今が盛りであると思われた。

 以前は痩(や)せて背丈(せたけ)が高いように見えたが、今はちょうどいいほどになっていた。
 これでこそ貫目のある好男子になられたというものであると女たちがながめていて、指貫(さしぬき)の裾(すそ)からも愛嬌(あいきょう)はこぼれ出るように思った。

 解官されて源氏について漂泊(さすら)えた蔵人(くろうど)もまた旧(もと)の地位に復(かえ)って、靫負尉(ゆぎえのじょう)になった上に今年は五位も得ていたが、この好青年官人が源氏の太刀(たち)を取りに戸口へ来た時に、御簾(みす)の中に明石のいるのを察して挨拶(あいさつ)をした。

 「以前の御厚情を忘れておりませんが、
  失礼かと存じますし、浦風に似た気のいたしました今暁の山風にも、
  御挨拶を取り次いでいただく便(びん)もございませんでしたから」

 「山に取り巻かれておりましては、海べの頼りない住居(すまい)と変わりもなくて、
  松も昔の(友ならなくに)と思って寂しがっておりましたが、
  昔の方がお供の中においでになって力強く思います」
 などと明石は言った。

 すばらしいものにこの人はなったものだ、自分だって恋人にしたいと思ったこともある女ではないかなどと思って、驚異を覚えながらも蔵人(くろうど)は、
 「また別の機会に」
 と言って男らしく肩を振って行った。

 りっぱな風采(ふうさい)の源氏が静かに歩を運ぶかたわらで先払いの声が高く立てられた。
 源氏は車へ頭中将(とうのちゅうじょう)、兵衛督(ひょうえのかみ)などを陪乗させた。
 「つまらない隠れ家を発見されたことはどうも残念だ」
 源氏は車中でしきりにこう言っていた。

 「昨夜はよい月でございましたから、
  嵯峨(さが)のお供のできませんでしたことが口惜(くちお)しくてなりませんで、
  今朝(けさ)は霧の濃い中をやって参ったのでございます。
  嵐山(あらしやま)の紅葉(もみじ)はまだ早うございました。
  今は秋草の盛りでございますね。
  某朝臣(ぼうあそん)はあすこで小鷹狩(こたかがり)を始めて、
  ただ今いっしょに参れませんでしたが、どういたしますか」
 などと若い人は言った。

 「今日はもう一日桂(かつら)の院で遊ぶことにしよう」
 と源氏は言って、車をそのほうへやった。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

名作を読みませんか 更新情報

名作を読みませんかのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング