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名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  103

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 宮廷の二人の女御ははなやかに挑(いど)み合った。
 帝は何よりも絵に興味を持っておいでになった。
 特別にお好きなせいかお描(か)きになることもお上手(じょうず)であった。

 斎宮の女御は絵をよく描くのでそれがお気に入って、女御の御殿へおいでになってはごいっしょに絵をお描きになることを楽しみにあそばした。

 殿上の若い役人の中でも絵の描ける者を特にお愛しになる帝であったから、まして美しい人が、雅味(がみ)のある絵を上手に墨で描いて、からだを横たえながら、次の筆の下(お)ろしようを考えたりしている可憐(かれん)さが御心(みこころ)に沁(し)んで、しばしばこちらへおいでになるようになり、御寵愛(ちょうあい)が見る見る盛んになった。

 権中納言がそれを聞くと、どこまでも負けぎらいな性質から有名な画家の幾人を家にかかえて、よい絵をよい紙に、描かせることをひそかにさせていた。
 「小説を題にして描いた絵が最もおもしろい」
 と言って、権中納言は選んだよい小説の内容を絵にさせているのである。

 一年十二季の絵も平凡でない文学的価値のある詞(ことば)書きをつけて帝のお目にかけた。
 おもしろい物であるがそれは非常に大事な物らしくして、帝のおいでになっている間にも、長くは御前へ出して置かずにしまわせてしまうのである。
 帝が斎宮の女御に見せたく思召して、お持ちになろうとするのを弘徽殿の人々は常にはばむのであった。

 源氏がそれを聞いて、
 「中納言の競争心はいつまでも若々しく燃えているらしい」
 などと笑った。
 「隠そう隠そうとして、
  あまり御前へ出さずに陛下をお悩ましするなどということはけしからんことだ」
 と源氏は言って、

 帝へは
 「私の所にも古い絵はたくさんございますから差し上げることにいたしましょう」
 と奏して、源氏は二条の院の古画新画のはいった棚(たな)をあけて夫人といっしょに絵を見分けた。

 古い絵に属する物と現代的な物とを分類したのである。
 長恨歌、王昭君などを題目にしたのはおもしろいが縁起はよろしくない。
 そんなのを今度は省くことに源氏は決めたのである。

 旅中に日記代わりに描いた絵巻のはいった箱を出して来て源氏ははじめて夫人にも見せた。
 何の予備知識を備えずに見る者があっても、少し感情の豊かな者であれば泣かずにはいられないだけの力を持った絵であった。

 まして忘れようもなくその悲しかった時代を思っている源氏にとって、夫人にとって今また旧作がどれほどの感動を与えるものであるかは想像するにかたくはない。

 夫人は今まで源氏の見せなかったことを恨んで言った。


一人居(ゐ)て眺(なが)めしよりは海人(あま)の住むかたを書きてぞ見るべかりける


 あなたにはこんな慰めがおありになったのですわね。

 源氏は夫人の心持ちを哀れに思って言った。


うきめ見しそのをりよりは今日はまた過ぎにし方に帰る涙か


 中宮(ちゅうぐう)にだけはお目にかけねばならない物ですよ。

 源氏はその中のことにできのよいものでしかも須磨(すま)と明石(あかし)の特色のよく出ている物を一帖(じょう)ずつ選んでいながらも、明石の家の描(か)かれてある絵にも、どうしているであろうと、恋しさが誘われた。

 源氏が絵を集めていると聞いて、権中納言はいっそう自家で傑作をこしらえることに努力した。
 巻物の軸、紐(ひも)の装幀(そうてい)にも意匠を凝らしているのである。

 それは三月の十日ごろのことであったから、最もうららかな好季節で、人の心ものびのびとしておもしろくばかり物が見られる時であったし、宮廷でも定まった行事の何もない時で、絵画や文学の傑作をいかにして集めようかと苦心をするばかりが仕事になっていた。

 これを皆陛下へ差し上げることにして公然の席で勝負を決めるほうが興味のあってよいことであると源氏がまず言い出した。
 双方から出すのであるから宮中へ集まった絵巻の数は多かった。

 小説を絵にした物は、見る人がすでに心に作っている幻想をそれに加えてみることによって絵の効果が倍加されるものであるからその種類の物が多い。

 梅壺(うめつぼ)の王女御(おうにょご)のほうのは古典的な価値の定まった物を絵にしたのが多く、弘徽殿のは新作として近ごろの世間に評判のよい物を描かせたのが多かったから、見た目のにぎやかで派手(はで)なのはこちらにあった。

 典侍(ないしのすけ)や内侍(ないし)や命婦(みょうぶ)も絵の価値を論じることに一所懸命になっていた。
 女院も宮中においでになるころであったから、女官たちの論議する者を二つにして説をたたかわせて御覧になった。

 左右に分けられたのである。
 梅壺方は左で、平典侍(へいてんじ)、侍従の内侍、少将の命婦などで、右方は大弐(だいに)の典侍、中将の命婦、兵衛(ひょうえ)の命婦などであった。

 皆世間から有識者として認められている女性である。
 思い思いのことを主張する弁論を女院は興味深く思召(おぼしめ)して、まず日本最初の小説である竹取の翁(おきな)と空穂(うつぼ)の俊蔭(としかげ)の巻を左右にして論評をお聞きになった。

 「竹取の老人と同じように古くなった小説ではあっても、
  思い上がった主人公の赫耶(かぐや)姫の性格に、
  人間の理想の最高のものが暗示されていてよいのです。
  卑近なことばかりがおもしろい人にはわからないでしょうが」
 と左は言う。

 右は、
 「赫耶姫の上った天上の世界というものは空想の所産にすぎません。
  この世の生活の写してある所はあまりに非貴族的で美しいものではありません。
  宮廷の描写などは少しもないではありませんか。
  赫耶姫は竹取の翁の一つの家を照らすだけの光しかなかったようですね。

  安部(あべ)の多(おおし)が大金で買った毛皮がめらめらと焼けたと書いてあったり、
  あれだけ蓬莱(ほうらい)の島を想像して言える倉持(くらもち)の皇子(みこ)が、
  贋物(にせもの)を持って来てごまかそうとしたりするところがとてもいやです」
 この竹取の絵は巨勢(こせ)の相覧(おうみ)の筆で、詞(ことば)書きは貫之(つらゆき)がしている。

 紙屋紙(かんやがみ)に唐錦(からにしき)の縁が付けられてあって、赤紫の表紙、紫檀(したん)の軸で穏健な体裁である。
 「俊蔭は暴風と波に弄(もてあそ)ばれて異境を漂泊しても芸術を求める心が強くて、
  しまいには外国にも日本にもない音楽者になったという筋が、
  竹取物語よりずっとすぐれております。
  それに絵も日本と外国との対照がおもしろく扱われている点ですぐれております」
 と右方は主張するのであった。

 これは式紙地(しきしじ)の紙に書かれ、青い表紙と黄玉(おうぎょく)の軸が付けられてあった。
 絵は常則(つねのり)、字は道風であったから派手(はで)な気分に満ちている。
 左はその点が不足であった。

 次は伊勢(いせ)物語と正三位(しょうさんみ)が合わされた。
 この論争も一通りでは済まない。
 今度も右は見た目がおもしろくて刺戟(しげき)的で宮中の模様も描かれてあるし、現代に縁の多い場所や人が写されてある点でよさそうには見えた。

 平典侍が言った。


伊勢の海の深き心をたどらずて古(ふ)りにし跡と波や消つべき


 ただの恋愛談を技巧だけで綴(つづ)ってあるような小説に業平朝臣(なりひらあそん)を負けさせてなるものですか。

 右の典侍が言う。


雲の上に思ひのぼれる心には千尋(ちひろ)の底もはるかにぞ見る


 女院が左の肩をお持ちになるお言葉を下された。
 「兵衛王(ひょうえおう)の精神はりっぱだけれど在五中将以上のものではない。


見るめこそうらぶれぬらめ年経にし伊勢をの海人(あま)の名をや沈めん


 婦人たちの言論は長くかかって、一回分の勝負が容易につかないで時間がたち、若い女房たちが興味をそれに集めている陛下と梅壺(うめつぼ)の女御の御絵はいつ席上に現われるか予想ができないのであった。

 源氏も参内して、双方から述べられる支持と批難の言葉をおもしろく聞いた。
 「これは御前で最後の勝負を決めましょう」
 と源氏が言って、絵合わせはいっそう広く判者を求めることになった。

 こんなこともかねて思われたことであったから、須磨、明石の二巻を左の絵の中へ源氏は混ぜておいたのである。
 中納言も劣らず絵合わせの日に傑作を出そうとすることに没頭していた。

 世の中はもうよい絵を製作することと、捜し出すことのほかに仕事がないように見えた。
 「今になって新しく作ることは意味のないことだ。持っている絵の中で優劣を決めなければ」
 と源氏は言っているが、中納言は人にも知らせず自邸の中で新画を多く作らせていた。

 院もこの勝負のことをお聞きになって、梅壺へ多くの絵を御寄贈あそばされた。

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