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名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  91

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 夫人には明石の話をあまりしないのであるが、ほかから聞こえて来て不快にさせてはと思って、源氏は明石の君の出産の話をした。

 「人生は意地の悪いものですね。
  そうありたいと思うあなたにはできそうでなくて、そんな所に子が生まれるなどとは。
  しかも女の子ができたのだからね、悲観してしまう。
  うっちゃって置いてもいいのだけれど、そうもできないことでね、親であって見ればね。
  京へ呼び寄せてあなたに見せてあげましょう。
  憎んではいけませんよ」

 「いつも私がそんな女であるとしてあなたに言われるかと思うと私自身もいやになります。
  けれど女が恨みやすい性質になるのはこんなことばかりがあるからなのでしょう」
 と女王《にょおう》は怨《うら》んだ。

 「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。
  あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてくれない。
  私の思っていないことを忖度《そんたく》して恨んでいるから私としては悲しくなる」
 と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。

 どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。

 「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。
  今から話せばまた悪くあなたが取るから」
 とその話を続けずに、
 「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。
  とにかく平凡でない珍しい存在だと思いましたよ」
 などと子の母について語った。

 別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌《ようぼう》の批評、名手らしい琴の弾《ひ》きようなどを忘られぬふうに源氏の語るのを聞いている女王は、その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていたことであろう、

 仮にもせよ良人《おっと》は心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女のために歎息《たんそく》をしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、
 「どんなに私は悲しかったろう」
 歎息しながら独言《ひとりごと》のようにこう言ってから、


思ふどち靡《なび》く方にはあらずとも我《われ》ぞ煙に先立ちなまし

「何ですって、情けないじゃありませんか、


たれにより世をうみやまに行きめぐり絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ

 そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。
 つまらぬことで人の感情を害したくないと思うのも、ただ一つの私の願いのあなたと永《なが》く幸福でいたいためじゃないのですか

 源氏は十三絃の掻《か》き合わせをして、弾《ひ》けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。
 おおようで美しく柔らかい気持ちの女性であるが、さすがに嫉妬《しっと》はして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。

 五月の五日が五十日《いか》の祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いやられ、その子が恋しくてならないのであった。
 紫の女王に生まれた子であったなら、どんなにはなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。

 あの田舎《いなか》で父のいぬ場所で生まれるとは憐《あわ》れな者であると思っていた。
 男の子であれば源氏もこうまでこの事実に苦しまなかったであろうが、后《きさき》の望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。
 五十日《いか》のために源氏は明石へ使いを出した。

 「ぜひ当日着くようにして行け」
 と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。
 華奢《かしゃ》な祝品の数々のほかには実用品も多く添えて源氏は贈ったのである。


海松や時ぞともなきかげにゐて何のあやめもいかにわくらん


 からだから魂が抜けてしまうほど恋しく思います。
 私はこの苦しみに堪えられないと思う。
 ぜひ京へ出て来ることにしてください。
 こちらであなたに不愉快な思いをさせることは断じてない。
 という手紙であった。

 入道は例のように感激して泣いていた。
 源氏の出立の日の泣き顔とは違った泣き顔である。
 明石でも式の用意は派手《はで》にしてあった。
 見て報告をする使いが来なかったなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。

 乳母《めのと》も明石の君の優しい気質に馴染《なじ》んで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。
 入道の身分に近いほどの家の女《むすめ》もここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうかといえば京の宮仕えに磨《す》り尽くされたような年配の者が生活の苦から脱《のが》れるために田舎《いなか》下りをしたのが多いのに、
 この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳《しんしん》の家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。

 源氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もして始終話した。
 乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、また自分の生んだ子を愛してくれているのは幸福でなくて何であろうと明石の君はようやくこのごろになって思うようになった。

 乳母は源氏の手紙をいっしょに読んでいて、人間にはこんなに意外な幸運を持っている人もあるのである、みじめなのは自分だけであると悲しまれたが、乳母はどうしているかということも奥に書かれてあって、源氏が自分に関心を持っていることを知ることができたので満足した。

 返事は、


数ならぬみ島がくれに鳴く鶴《たづ》を今日もいかにと訪《と》ふ人ぞなき


 いろいろに物思いをいたしながら、たまさかのおたよりを命にしておりますのもはかない私でございます。
 仰せのように子供の将来に光明を認めとうございます。


 というので、信頼した心持ちが現われていた。

 何度も同じ手紙を見返しながら、
 「かわいそうだ」
 と長く声を引いて独言《ひとりごと》を言っているのを、夫人は横目にながめて、
 「浦より遠《をち》に漕《こ》ぐ船の」(我をば他《よそ》に隔てつるかな)と低く言って、物思わしそうにしていた。

 「そんなにあなたに悪く思われるようにまで私はこの女を愛しているのではない。
  それはただそれだけの恋ですよ。
  そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、私は当時の気持ちになってね、
  つい歎息《たんそく》が口から出るのですよ。
  なんでも気にするのですね」
 などと、恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。

 品のよい手跡で貴女《きじょ》も恥ずかしいほどなのを見て、夫人はこうだからであると思った。

 こんなふうに紫の女王《にょおう》の機嫌《きげん》を取ることにばかり追われて、花散里《はなちるさと》を訪《たず》ねる夜も源氏の作られないのは女のためにかわいそうなことである。

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