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名作を読みませんかコミュのレ・ミゼラブル  ビクトル・ユーゴー 作   豊島与志雄 訳  34

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     三 四人に四人


 四十五年前の学生やうわ気女工らの野遊びのさまは、今日ではもう想像するも困難である。
 パリーは今ではもはやその頃のような郊外を持たない。
 パリーの周囲の生活とでもいうべきものの姿は、半世紀以来まったく変わってしまった。

 昔がた馬車の走っていた所には今は鉄道があり、小舟の浮かんでいた所には汽船がある。
 昔はサン・クルーのことを今日フェカンの話をするように話したものである。

 現今一八六二年のパリーは、フランス全部を郊外とする都市となっている。
 (本書は一八六二年に出版せられたものなることを記憶せられたい)

 さて四組みの男女の者は、当時でき得る限りの郊外ばか騒ぎを本気にやってのけた。
 ちょうど夏の休みになっていた時で、暑いうち晴れた日であった。
 前日、文字を知ってるただ一人の者であるファヴォリットは、四人の名前でトロミエスに次のように書いてよこした。
 「早くから出かけるのが楽しみですわ。」

 それで彼らは朝の五時から起き上がった。
 それから馬車でサン・クルーに行った。
 水の涸《か》れている滝を見て叫んだ。
 「水があったらさぞきれいだろう!」

 まだ毒殺者カスタンがやって来る前のことで、テート・ノアールの茶屋で朝食をすまし、大池の側の五点形の輪遊び場で一勝負し、ディオゼーヌの塔に上り、セーヴル橋で菓子を賭《か》けて球《たま》ころがしをし、プュトウで花を摘み、ヌイイーで芦笛《あしぶえ》を買い、いたる所でリンゴ菓子を食い、そしてすてきに愉快だった。

 若い女たちは、籠《かご》から出た小鳥のように騒ぎ回りさえずり回った。
 まったく夢中になっていた。
 時々男たちを軽くたたいた。
 人生の朝《あした》の酔いである!
 愛すべき青春の年である!

 蜻蛉《とんぼ》の翼は震える。
 おお、いかなる人にも覚えがあるはずである。
 藪《やぶ》の中を歩きながら、後《あと》について来る愛《いと》しい人の顔にかからないようにと木の枝を押し開いたことを。

 愛する女とともに、雨にぬれた坂道を笑いながらすべりおりたことを。
 その時女は君の手につかまって叫んだであろう。
 「ああ、ま新しの半靴なのに、こんなになってしまった!」

 ところですぐに言ってしまえば、その愉快な邪魔物の夕立ちは、この上きげんな一行には降らなかった。
 ただしファヴォリットは出がけに、もっともらしい年長者らしい調子で、
 「蛞蝓《なめくじ》が道にはっている、雨の降るしるしだわ、」と言ったのだったが。

 四人とも非常にきれいであった。
 当時有名なクラシックの老詩人であり、一人のエレオノールを持っていた好人物である、ラブーイスの騎士という男が、その日サン・クルーのマロニエの木の下を逍遙《しょうよう》していると、朝の十時ごろ彼らが通るのを見かけた、そして三女神カリテスのことを思い出して叫んだ、 「一人多すぎる。」

 ブラシュヴェルの情婦で二十三になる年増《としま》のファヴォリットは、緑の大きな枝下にかけ入り、溝《みぞ》を飛び越え、むやみに茂みをまたぎ、若い野の女神のようなはしゃぎ方で一行の浮かれ心を引き立てた。

 ゼフィーヌとダーリアとは、互いに相俟《あいま》ってその美しさを輝かし完《まっと》うする人がらだったので、友情からというよりもむしろ嬌艶《きょうえん》の本能から決して離れないで、互いに寄り合ってイギリスふうの態度を取っていた。

 イギリス年刊文学集が出だした頃のことで、後にバイロンふうが男を風靡《ふうび》したように憂鬱《ゆううつ》が女の流行となり初め、女性の髪は悲しげに装うことが初まっていた。

 ゼフィーヌとダーリアとは捲《ま》き髪であった。
 リストリエとファムイュとは教師らのことを論じ合って、デルヴァンクール氏とブロンドー氏との違いを、ファンティーヌに説明してきかしていた。

 ブラシュヴェルは、ファヴォリットのテルノー製の片方縁飾りのショールを日曜日ごとに腕にかけて持ち歩くために、特に天より創《つく》られたかの観があった。

 トロミエスは後《あと》に続いて、その一群を支配していた。
 彼は大変快活だった。
 しかしだれも何かしら彼のうちに皆を支配する力のあるのを感じていた。
 彼の陽気さのうちには執政権が含まれていた。

 その主な身の飾りは、南京木綿《なんきんもめん》で象脚形に仕立てたズボンと、それについてる銅色の打ちひものズボン止めであった。
 手には二百フランもする丈夫な籐《とう》の杖を持っていた。

 そしてどんなことでもやってみるつもりだったので、口には葉巻き煙草というへんてこなものをくわえていた。
 彼にとっては何もありがたいというものはなかったので、彼はそれを平気でくゆらしていた。

 「トロミエスは実にえらい。」と他の者らは尊敬の言葉を発した。
 「あのズボンはどうだ!
  あの元気はどうだ!」

 ファンティーヌに至っては見るも喜ばしい女であった。
 そのみごとな歯並びは明らかに神から一つの職分を、すなわち笑いを、授かっていた。

 長い白ひものついた麦藁《むぎわら》編みの小さな帽子を、頭に被《かぶ》るよりもむしろ好んで手に持っていた。
 そのふさふさした金髪は、ややもすれば波打って容易に解《ほど》けやすいので絶えず押さえ止めなければならなかった。
 そして柳の木の下を逃げてゆくガラテア姫にもふさわしく思われるのだった。

 その薔薇《ばら》色の脣《くちびる》は人を惑わす魅力をもってむだ口をきいていた。
 その口の両端は、エリゴーネの古代面におけるがように肉感的にもち上がっていて、男の元気を励ますように見えた。

 しかし影深い長い睫毛《まつげ》は、顔の下部のそのはなやかさの上に、それを静めるためででもあるかのようにしとやかに下がっていた。
 その全体の服装《みなり》は、歌うがごとく燃ゆるがごとく、何ともいえない美しさだった。

 葵《あおい》色の薄ものの長衣をつけ、海老茶《えびちゃ》色の小さな役者靴をはいていた。
 靴のリボンは、真っ白な繊《こま》かな透き靴足袋の上にX形に綾取《あやど》られていた。
 それからモスリンの一種の胴着をつけていた。

 それはマルセイユで初めて作られたものでカヌズーという名前のものであるが、その名は、キャンズ・ウー(八月十五日)という語をカヌビエール地方でなまってできたもので、上天気、暑気、正午、などの意味を有するのである。

 他の三人は、既に述べたとおり、それほど内気ではなく、すっかり首筋を露《あら》わにしていた。
 それは夏には、花を一面につけた帽子を被ると、非常に優美で男の心を苛《い》ら立たせるのである。

 しかしそれらの大胆な装いの傍にあって、金髪のファンティーヌのカヌズーは、同時に肌を隠すようでも現わすようでもある透明な不謹慎なかつ控え目な様を呈して、人の心をそそる珍しい上品さをそなえていた。

 そしてあの海のように青い目をしたセット子爵夫人が主宰していた有名な恋愛会は、しとやかさを目ざしたこのカヌズーに妖艶《ようえん》の賞を与えたことであろう。
 最も素朴なものは時として最も賢いものである。
 往々そういうものがある。

 顔は燃ゆるがようで、顔立ちは優美で、ごく青い目、大きいまぶた、甲高の小さい足、かっこうのよい手首と足首、所々に血管の青い筋を見せている真っ白い肌、あどけない瑞々《みずみず》しい頬、エジナ島で見い出されたジュノーの像のように丈夫な首、しっかりしてまたしなやかな首筋、クーストーが彫刻したかと思われるようで真ん中にモスリンを透かして肉感的なくぼみが見えている両の肩、夢想で和らげられてる快活さ、彫刻のようで美妙な姿、そういうのが即ちファンティーヌであった。

 そしてその衣装の下には一つの立像があり、その立像の中には一つの魂があることが見えていた。

 ファンティーヌは自ら知らずしてきれいであった。
 世にまれな夢想家ら、何物をもひそかに完成に比較する美の不思議な司祭らは、この小さな女工のうちに、パリー婦人の透明な美を通して、古代の聖《きよ》い階調を見い出したであろう。

 この下層の娘はその美の血統を持っていた。
 彼女は風姿と調子との二つの種類において美しかった。
 風姿は理想の形体であり、調子はその運動である。

 われわれはファンティーヌをもって快楽そのもののように言った。
 が、ファンティーヌはまた貞淑そのものでもあった。

 彼女をよく注意して見る時には、その年齢と季節と愛情との酔いを通して彼女から浮かび上がって来るところのものは、内気と謙譲とのうちに消し難い表情であった。
 彼女はいくらかびっくりしたようなふうをしていた。
 その潔《きよ》いびっくりした様こそは、サイキーをヴィーナスと異ならしむる色合いである。

 彼女の真っ白な長い細い指は、金の留め金で聖火の灰をかきまわすという貞節を守る巫女《みこ》のそれのようだった。
 後《あと》で明らかにわかるとおり、彼女はトロミエスに対しては何事も拒まなかったけれども、その穏やかな平時の顔はまったく処女のようだった。

 まじめなそしてほとんどいかめしい一種の威厳が時々突如として現われた。
 そして快活さが急に消え失せて何ら推移の影を見せないで直ちに沈思の趣に変わってゆく様子は、まったく不思議な驚くべきことだった。

 その突然のそして時としては厳《いか》めしくきわ立って見えるまじめさは、女神の軽蔑《さげすみ》にも似ていた。
 額と鼻と顎《あご》とは、割合の平衡とはまったく異なる線の平衡を示していた。
 そしてそれによって顔立ちの調和が取れていた。

 また鼻の下と上脣《うわくちびる》との間のごく目につきやすい間隔のうちには、見えるか見えないかの魅力あるしわがあった。
 それは貞節の神秘な兆《しるし》で、バルバロッサをしてイコニオムの発掘の中に見い出されたディアナに恋せしめたところのものである。

 恋は過ちである。
 さもあらばこそ、ファンティーヌは過ちの上に浮かんでいる潔白そのものであった。

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