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名作を読みませんかコミュの次郎物語  下村湖人  145

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    一四 残された問題


 次郎は、それから小一時間もたって家に帰って来たが、二階では、大沢、恭一、俊三、それに道江の四人が、額をあつめるようにして、何か話しあっていた。
 次郎があがって行くと、四人は急に話をやめ、一せいに彼の顔を見た。

 彼は直感的に、四人がそれまで自分のことを話していたにちがいない、という気がした。
 そして、つっ立ったまま、ほんの一二秒彼らの顔を見くらべたが、道江の眼に出っくわすと、てれくさそうに視線をそらし、默って俊三と大沢の間にわりこんだ。

 大沢の左に恭一が居り、恭一と俊三との間に道江がいたのである。
 誰もしばらくは口をきくものがなかった。
 四人は次郎の顔をのぞくようにして、彼が何か言い出すのを待っているかのようだった。

 次郎はいよいよ変な気がした。
 「どうだった?」
 大沢がとうとう口をきった。
 「え?」
 と、次郎はけげんそうな顔をしている。

 「配属将校に呼ばれたんだろう。」
 「ええ、呼ばれました。
  知っていたんですか。」
 「僕たち、朝倉先生を見送ってから、日進堂で立ち読みをしていたんだよ。」
 日進堂というのは、駅前通りから曾根少佐の家の方にまがる角の本屋なのである。

 「ふうん。」
 次郎は、学校に引きかえさないで自分から曾根少佐の自宅を選んだことが、今さらのように腹立たしかった。
 「どんな話だった?」
 「ゆうべのことです。」
 「やっぱりそうだったんか。」
 四人は顔見合わせて、まただまりこんだ。

 次郎はすこし興奮しながら、
 「僕、何もかもすっかり言っちゃったんです。
  いいでしょう。」
 「言ったっていいさ。
  何も悪いことしたわけじゃないんだから。
  しかし、朝倉先生には気の毒だったよ。」

 「先生がどうかされたんですか。」
 「先生も、ゆうべのことで、憲兵の取調べをお受けになったんだよ。」
 「いつ?」
 「きょう、駅でさ。」
 「駅で?」
 次郎は顔が青ざめるほどおどろいた。

 大沢が恭一に補足してもらいながら説明したところによると、こうだった。
 二人は俊亮といっしょに少し早目に駅に行って、見送りの名刺受付の用意をしていた。
 するとオートバイで乗りつけて来た三十歳あまりの背広の男が、少しせきこんだ調子で、「朝倉さんはまだですか」とたずねた。

 まだだと答えると、「見えたらすぐお会いしたいのです。」と言って、すぐ駅長室の方に行ったが、間もなくまたやって来て、待合室をぶらぶらしながら、時計ばかり見ていた。
 俊亮が、「お見送りでしたらお名刺をいただかして下さい。」と言うと、「いや、いいです、お会いすればわかるんですから。」と言う。

 その時には、発車までにまだ五十分近くも間があった。
 それから十分あまりたって、朝倉夫人がやって来た。
 そして三人と話していたが、その男は夫人をじろじろ見るばかりで、何とも言わない。
 そのころまでは、見送り人もまだ見えなかったので、三人は夫人を相手にゆうべの話をし出して、笑ったり、しんみりなったりしていた。

 すると、その男がいつの間にか近づいて来て、四人のすぐうしろに立っている。
 顔をあらぬ方に向けて、耳の神経だけを四人の話声に集中しているといった恰好である。
 四人は、誰からともなく、口をとじてしまった。

 ちらほら見送りの人が見え出したころ、朝倉先生が人力車で乗りつけた。
 そして見送りの人たちと挨拶を交わしていると、いきなり、その男が、横から割りこむようにして、先生に一枚の名刺をつき出し、何か小声でささやいた。
 先生はちょっと困ったような顔をして俊亮の方を見たが、そのまま、その男といっしょに駅長室の方に行った。

 そのあと、見送りの人たちがあとからあとからとつめかけた。
 朝倉夫人は、その一人一人に、「先生は」ときかれて、返事にまごついているようであった。
 また一方では、先着の見送りの人からつぎつぎにある秘密なささやきがつたわって、変に緊張した空気があたりを支配した。

 その空気は、俊亮や、恭一や、大沢たちには、発車時刻が近づいて一般乗客の混雑が大きくなるにつれ、かえってはっきり感じられたのだった。
 改札がはじまった頃、朝倉先生はやっと駅長室から帰って来た。
 気のせいか、顔が少し青ざめており、いつもの澄んだ眼の底に、気味わるいほどの冷めたい光がただよっているように見えた。

 しかし、先生は落ちついた調子で、見送りの人たちにあいさつした。
 「皆さん、今日はわざわざありがとうございました。
  つい、よんどころのないことで駅長室に行っていたものですから、
  ごあいさつがおくれまして。……」

 見送りの人たちの中には、先生に近づいて来て、固い握手を交わしたものも二三人はあった。
 しかし、その多くは、ちょうどその時、けたたましい音を立てて、駅前の広場を走り出したオートバイに気をとられていた。

 間もなくみんなは歩廊に出たが、朝倉先生は俊亮とならんで歩きながら、沈んだ調子で言った。
 「さっきのは憲兵でしたがね、やはり、ゆうべのことが問題になっているようでした。
  しかし、かくすのは却っていけないと思いましたので、ありのままを言って置いたんです。
  あるいはご迷惑になるようなことになるかも知れません。
  白鳥会も、おそらくこれまでのように気持よくはやれなくなるでしょう。
  しかし、白鳥会はまあ仕方がないとして、何より心配なのは次郎君のことですが、……」
 俊亮はただうなずいてきいているだけだった。

 それから、先生はいよいよ列車にのりこむ直前になって、また俊亮に言った。
 「まさかとは思いますが、万一にも次郎君が不幸を見るようなことがありましたら、
  すぐお知らせ下さい。
  とにかく中学は出ておく方がいいし、東京でなら何とか方法がありましょうから。」
 それにも俊亮はただうなずいたきりだった。

 大沢は、以上のことをぶちまけて次郎に話したあと、いかにも感慨《かんがい》深そうに言った。
 「きょうは、さすがの先生も、よほど不愉快だったと見えて、
  最後まで気味のわるい眼付をしていられたよ。
  僕は、あんな眼付が先生にも出来るのかと思って、不思議な気がしたくらいだ。」

 次郎は、最後に見た朝倉先生の険しい眼を、もう一度はっきりと思いうかべた。
 そして、それが自分を非難する眼であるよりも、むしろ自分のことを心から心配してくれている眼だったということを知って、おどろきもし、うれしくも思う一方、強い愛情のしめ木にかけられる苦しさを覚えた。

 次郎の複雑な表情を注意ぶかく見つめていた恭一が言った。
 「曾根少佐のうちではどうだったい?」
 次郎は、しばらく顔をふせて、考えこんでいるふうだったが、少し言いにくそうに、
 「僕、とうとうけんかしちゃったんだ。」
 「けんか?」
 「まあ!」
 恭一と道江とが同時に叫んだ。

 次郎には、しかし、二人のおどろきが、なぜかうつろなものにきこえた。
 彼は、なぜということもなく、俊三の方に視線を転じたが、俊三は、むしろ好奇的な眼をして彼のつぎの言葉を待っているかのようだった。

 「配属将校を相手にけんかなんかしたんじゃ、いよいようるさいね。」
 恭一が言うと、道江がすぐそのあとから、泣くような声で、
 「次郎さん、だめね。
  あたし、きょう、朝倉先生がおたちになったってききましたから、
  次郎さんはどうしていらっしゃるのかと思って、おたずねしてみたのよ。
  すると恭一さんから、
  さっきの大沢さんのお話のようなことをきかしていただいたんでしょう。
  あたし、それだけでも、もう心配で心配でたまらなかったんですのに。
  配属将校って、普通の先生よりよっぽどきびしいっていうんじゃありません?」

 次郎は、道江のそんな言草に真実性がないとは思わなかった。
 しかし、恭一と組みになって自分に話しかけて来るような彼女の態度が、彼の気持をかきみだした。
 また、彼女が駅での出来事を恭一にきいたと言ったのも、変に彼の耳を刺戟した。

 彼は道江の顔をちょっとのぞいたきり、すぐ恭一に向かって抗議するように言った。
 「配属将校だから、僕、よけい默って居れなかったんだよ。」
 「しかし、今の場合、少し無茶だったね。」
 「そうよ、次郎さんはいつも気みじかすぎるわよ。」
 また道江が口をはさんだ。
 次郎は何かかっとするものを胸の中に感じながら、むっつりしていた。

 すると、大沢が微笑しながら言った。
 「けんかって、まさか、なぐりあいをやったわけではないだろう。」
 「むろん、そんなばかなことはしませんよ。」
 「じゃあ馬鹿野郎とか何とか君の方で言ったんか。」
 「そんな……そんな無茶なこと、僕だって言やしません。」

 「じゃあ、どんなけんかだい。」
 「議論をしただけです。」
 「議論するのはけんかじゃないよ。
  しかし、どんな議論をしたんだい。」
 「曾根少佐は卑劣ですよ。僕をたべ物で釣ろうとしたんです。
  だから、僕、よけいしゃくにさわって、思いきって言いたいことを言ってやったんです。」
 そう言って彼は、かなり興奮した調子で、ゆうべの会合のことをきかれたことから、最後に朝倉先生のことで思いきった激論をやったことを、出来るだけくわしく話した。

 しかし、話してしまうと、急に力がぬけたように、仰向けにごろりとねころんだ。
 そして、屋根うらの一点にじっと眼をすえながら、ひとりごとのように言った。
 「僕、もう、学校なんかどうだっていいや。」
 恭一は深いため息をつき、道江はそっと涙をふいた。

 俊三は、次郎が興奮して話しているうちは、いかにも痛快だといった顔をしてきいていたが、最後には、やはり心配そうにみんなの顔を見まわした。
 大沢は、最初から最後まで、膝のうえに頬杖をつき、眼をつぶって、「うん、うん」と合槌をうっていた。

 しかし、次郎がねころんで、すてばちなようなことを言うと、何と思ったか、急にのっそり立ちあがり、默って階下におりて行ってしまった。
 大沢の足音がきこえなくなるまで、沈默がつづいた。
 誰も、大沢が何で階下におりて行ったのかをあやしんでいる様子はなかった。

 「学校よして、どうするの?」
 俊三がしばらくしてたずねた。
 「これから考えるさ。」
 次郎はねころんだまま気のない返事をした。

 だが、急に何か思いついたように、むっくり起きあがり、恭一に向かってたずねた。
 「父さんは、きょう、朝倉先生を見おくったあとで、僕のこと何とも言っていなかった?」
 「何にも言わないよ。」
 「朝倉先生は、僕に万一のことがあったら、すぐしらせるようにって、
  駅で父さんに仰しゃったっていうじゃないか。」

 「そうだよ。
  だから、僕、帰ってから大沢君と二人で、
  父さんがそれをどう考えているかたずねてみたんだ。
  しかし、父さんは、次郎のことは次郎にまかしておくさ、
  と言ったきり、まるでとりあってくれないんだよ。」
 次郎は、父の自分に対するそうした信頼の言葉をきくのが、今はむしろ苦痛だった。

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