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名作を読みませんかコミュの次郎物語  下村湖人  139

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 階段をのぼると、一せいに拍手の音がきこえた。
 それは先生夫妻と俊亮とが席につき終るまで鳴りやまなかった。
 生徒は楕円形《だえんけい》の円陣をつくっていた。

 一番奥の方に三枚だけ座ぶとんがしいてあったが、それが朝倉先生夫妻と俊亮の席だった。
 朝倉先生をまん中に、夫人と俊亮とがその左右に坐った。
 大沢たちは俊亮のつぎに坐ったが、俊三だけは、少ししも手の同級生のところに割りこんだ。
 みんなのまえには、菓子袋が一つずつ置いてあり、ところどころに湯呑をのせた盆が置いてあった。

 拍手が終ったあと、しばらくは、いやにしんとしていた。
 「あいさつや話はあとだ。
  先ずめしにしよう。どうだい、すぐ運ばないか。」
 俊亮は大沢たちを見て言った。
 それはみんなにもはっきりきこえるほどの声だった。

 大沢はすぐ立ち上ろうとした。
 すると次郎が言った。
 「先輩は坐っていて下さい。
  僕たちで運びます。」
 それからみんなの方に向かって、
 「四年と五年の諸君は手伝ってくれたまえ、飯や汁をはこぶんだから。」
 大きい生徒たちがぞろぞろと立ち上った。

 「菓子袋はまだやぶいちゃいけないよ。
  あとで茶話会の時にたべるんだから。」
 次郎はそう言うと、先にたって下におりた。
 あとに残った小さい生徒たちは、うつむいてくっくっといつまでも笑っていた。

 朝倉先生はその間に部屋の様子を見まわした。文庫はちょうど自分のうしろに据えてあり、きちんと整頓されていた。
 その右上の位置に「白鳥入芦花」の額がかかっていたが、天井のない部屋の、低い桁《けた》にひもでつるし、下縁を壁の中途に小さな横木をわたしてささえてあったので、低すぎて、あまり見《み》ばえがしなかった。

 しかし、朝倉先生は、うれしそうに、しばらくそれを見ていた。
 良寛の歌を書いた掛軸は文庫の左がわにつるしてあった。
 そのうちに、大きな汁鍋が二つと握飯に沢庵や味噌漬を盛りあわした、鉢や、重箱や、切溜《きりだめ》などが十ちかくも運びこまれた。汁鍋は釜敷を置いて二ヵ所に裾えられ、鉢や、重箱や、切溜は、適当の距離をおいて、古ぼけた畳のうえにじかに置かれた。

 二三人が箸と椀を配ってあるいた。
 先生夫妻と俊亮のまえだけには、会席膳が置かれたが、それには箸と何もはいっていない椀や皿がのせてあるきりだった。
 給仕はお芳とお金ちゃんの役目だった。

 二人はめいめいに給仕盆を自分の膝のうえに立て、階段から上りたてのところにきちんと坐って、さっきからの様子を見ていたが、みんなの席が定まると、すぐ立ってお椀に汁をもりはじめた。
 「みなさん、どうぞ。
  お米のほかはみんなうちで出来たものばかりです。
  分量だけは十分用意してありますから、たらふくめしあがって下さい。」
 一とおり汁が行きわたると、俊亮が言った。

 「いただきます。」
 朝倉先生が、これまで白鳥会でおりおり会食をやった時の例にしたがって、まず箸をとった。
 しばらくは誰も無言だった。
 そとの光はもう薄墨をぬったようになっており、一つきりの電燈がかげを作って、みんなの横顔をてらしはじめた。

 そのうすぐらい光の中を、汁をすする音が入りみだれて、若い人たちの食慾の旺盛さを物語った。
 鶏汁、――それも、汁というよりは煮しめといった方が適当なほど、ふんだんに肉をたたきこんだ鶏汁、それをたらふく吸う機会は、彼らのうちの最も富裕なものにも、そうたびたびめぐまれるものではない。

 暑い盛りに熱い汁をふるまった俊亮の智恵の足りなさを、彼らのうちに万一にも笑ったものがあったとすれば、それはおそらく、その生徒が、慢性の胃腸病にでも取りつかれていて、とうに若さを失った証拠でしかなかったであろう。
 暮色がふかまり、電燈の光がそれに比例して次第に明るく感じられ出したころには、彼らの腹も相当ふくらんで来た。

 腹がふくらんで来ると、もうたべることばかりには専念していなかった。
 あちらこちらに雑談の花が咲き、警句がとび、笑声が湧いた。
 一時間まえに、次郎の思いつきで、裏手の廂に梯子をかけ、三十人もの生徒たちが、足音をしのばせてこの二階にはいりこんだ時の光景や、そのまえに、朝倉先生の裸姿を橋の下に見つけて、大あわてで水にもぐりこんだり、逃げ出したりした時の光景やが、彼らの断片語によって次第に浮彫《うきぼり》にされて来た。

 こうした場合の、頭のいい青年の断片語というものは、ちょうどすぐれた彫刻家の鑿《のみ》みたような役目をするものなのである。
 朝倉先生夫妻も、俊亮も、腹をかかえて笑った。
 そして三人の笑いごえがきこえるたびごとに、彼らの興味は、しだいに食うことよりも話すことの方にうつって行くらしかった。

 本来ならば、憤激にはじまり憤激に終るべき性質のこの集まりが、こうした愉快な空気の中でその序幕を切ったということは、誰の頭にも計画されていなかった一つの偶然であったかも知れない。
 しかし、その偶然も、幾羽かの鶏の犠牲なくしては生まれなかったとすれば、その鶏を犠牲にした本田一家の、とりわけ俊亮の智恵は、たといそれが無意識の智恵であり、それも一つの偶然に過ぎなかったとしても、決して軽視されてはならないことだったのである。

 食事が終ると、また次郎の音頭で、鍋やその他の食器が階下に運ばれ、菓子袋がきちんともとの位置にもどり、土瓶が四五ヵ所に配置された。
 やがて大沢が立ち上った。
 「きょうはいつもとちがった特別の集まりなので、少し形式ばっているが、
  司会みたいなことを僕にやらしてもらいます。」
 そうまえ置きして、彼は、まず、きょうの会合をひらくにいたったいきさつを述べ、俊亮の骨折と好意に対して深い感謝の意を表した。

 それから朝倉先生送別の辞にうつったが、彼の言葉は、じっくりと落ちついていた。
 激越な調子になりそうだと、しばらく声をのんで、自分を制するといったふうだった。
 その中で、彼はストライキ問題にもふれたが、その時だけは、声を大にして、次郎や新賀や梅本のとった態度を賞讃した。

 最後に彼は、さっき座敷できいた朝倉先生と俊亮との対話をひいて、つぎのように結んだ。
 「いろいろの事情をのりこえて、
  人間の真実が終始一貫生かされて来たことは喜びにたえません。
  白鳥会員は、人間の真実を生かしたという点で、見事な勝利者であります。

  もし基督教徒が基督を十字架上に仰ぐことによって真に人生の勝利者になったとすれば、
  われわれもまた朝倉先生を権力という十字架の上に仰ぐことによって、
  人生の勝利者になったといわなければなりません。
  そして、この勝利の源が、朝倉先生の崇高なご人格にあることはいうまでもありませんが、
  また、使徒の中の使徒としての本田、新賀、梅木の三君の殉教《じゅんきょう》的努力が、
  さながら宝玉の如く光っていることを忘れてはなりません。

  そして、われわれが特に感銘を深くするのは、
  さっき申しました本田君のお父さんのお言葉であります。
  もし本田君のお父さんの、ああした切実なお言葉がなかったとすれば、
  われわれは、あるいは、この最後の晩餐なしに、
  朝倉先生とお別れしなければならなかったかも知れないのであります。

  その点で、僕たちは本田君のお父さんに対して、
  ご馳走に感謝する以上に感謝しなければならないと思います。」
 拍手の嵐をあびて大沢は坐った。
 さすがにいくらか興奮したらしく、顔をあからめてしばらくうつむいていた。

 それから、ふと気がついたように、あわてて朝倉先生の方に上体をのり出し、
 「どうぞ、はじめに先生から、何か……」
 朝倉先生はすぐうなずいた。
 しかし、なかなか立ちあがらなかった。
 立ちあがる代らに、腕組みをして眼をつぶった。

 部屋じゅうの眼がしいんとして先生を見つめている。
 一分たち、二分たち、おおかた三分もたったころ、先生はやっと眼を開いたが、やはり立とうとはしない。
 先生のまつ毛はいくらかぬれていた。
 それはみんなの気のせいではなかった。
 先生は見ひらいた眼を二三度しばたたいたあと、坐ったままで、ぽつりぽつり話し出した。
 その中には次のような言葉があった。

 「私は、つい一時間まえまでは、
  諸君と今夜こうして集まることが出来ようとは少しも思っていなかった。
  それは、私自身、集まるまいと決心していたからだ。」

 「集まるまいと決心していた間は、
  諸君に言って置きたいことが山ほどあるような気がしていたが、
  現にこうして集まってみると、ふしぎに何も言うことがないような気がする。

  これは、おそらく、この集まりが、
  すみからすみまで人間の真実にみたされているからだと思う。
  真実にみたされた世界では、言葉というものはあまりその必要がないものなのだ。」

 「私が諸君と集まるのをさけたのも、私の人間としての真実であった。
  それは諸君の真実とはまるで正反対の方向をとっていた。
  しかし両者の間に矛盾はない。
  それはいずれも人間の真実だからだ。

  両者は光と闇のようなものではない。
  いずれも光で、ただその位置を異にするだけだ。
  光の交錯《こうさく》は決して闇の原因にはならない。
  それどころか、それはあらゆる場所から闇を退散させる力なのだ。

  人間は、だから、それぞれの位置において真実であればいい。
  いや、それより外に道はないのだ。
  諸君と私とは、方向のちがった真実を胸に抱いて、現にこうして照らしあっているし、
  将来も永く照しあうだろう。」

 先生は、そんなことを言ったあと、また眼をつぶった。
 話が終ったようには思えない。
 みんなの眼も、耳も、先生の顔に集中している。
 月がのぼりかけたらしく、ほのぼのとした明るさが、庭木をてらしはじめた。

 しばらくして先生はつづけた。
 「諸君と一堂に集まる機会は、恐らくこれが最後だろう。
  しかし、諸君のうちの誰かとは、きっと再びどこかで会えるだろうと期待している。
  その時、諸君がどんなふうに成長しているかを見るのは、私にとって何よりの楽しみだ。

  だが、同時に、私には一つの大きな心配がある。
  それは時代の変化ということだ。
  諸君と再び会うのが、五年さきになるか、十年さきになるかわからないが、そのころには、
  時代は今とはずいぶんちがっているだろう。

  あるいは恐ろしいほどの変化を見せているかも知れない。
  しかもその変化は、私の考えるところでは、決していい方への変化ではないのだ。」
 それまで眼を畳の一点におとしてじっときき入っていた次郎は、何かにはじかれたように、急に眼をあげて先生を見た。

 彼は、五・一五事件が起きて二三日もたたないある晩、ひとりで先生をたずねたことがあったが、その時、先生が、いつもにない沈痛な顔をして、張作霖《ちょうさくりん》の爆死事件以来、柳条溝《りゅうじょうこう》事件、上海事変、満州建国とつぎつぎに大陸に発生した事件の真相を説明し、もし日本がこのままの勢いでおし進むならば、道義日本の面目はまるつぶれになるであろう。

 そして国際的には全く孤立の状態に陥《おちい》り、国内的には一種の暗黒時代が来るにちがいない。
 その結果、国運は隆盛になるどころか、或は百年の後退を余儀なくされるかも知れない、とまで極言したことを思いおこしていた。

 先生は今夜思いきって、みんなにそのことを言おうとしていられるのだ。
 そう思うと、彼は何か秘密な会合にでも臨《のぞ》んでいるような気になり、一瞬、息をつめ、先生のつぎの言葉に耳をそばたてながら、みんなのそれに対する反応を読もうとして、眼を八方にくばった。

 先生は、しかし、次郎の予想に反して、そうした現実の問題には何ひとつふれず、ごくあっさり話を片づけてしまった。
 「時代がいい方に向いていないということについては、
  いろいろ説明しなければならないこともあるが、今夜は私はそれについて何も言いたくない。
  言ってもどうにもならないことだし、言わなくても、
  いずれは諸君が身をもって体験することだと思う。」

 次郎は「おや」という気がして、もう一度先生を見た。
 先生も、ちょうどその時、次郎の方に視線をそそいでいた。
 「しかし、――」
 と、先生は次郎から眼をはなし、

 「念のため、ただ一ことだけ言っておきたいことがある。
  それは、国民の良心が完全にねむらされる時代が来るということだ。
  このことは、或いは国民の多数が気がつかないでしまうかも知れない。
  諸君もよほどしっかりしていないと、恐らくそれに気づかないでしまうだろう。

  それは、悪い時代のいろいろの現象に逐いたてられて、国民の頭が、
  自分でも気づかないうちに狂ってしまうからだ。
  しかし、日本にとってこれほど危険なことはない。
  何が悪い時代だといって、国民の良心が眠らされる時代が来るほど悪い時代はない。

  そういう時代には、善と悪とがあべこべになり、光栄と恥辱とがその位置をかえ、
  一時的な喜びのために永遠の喜びが台なしにされ、
  野心家が権力の地位について真の愛国者を牢獄につなぐ、
  というようなことになりがちなものだ。

  諸君は今そういう時代を迎えようとしている。
  いや実はもうそういう時代に一歩も二歩も足をふみこんでいるのだ。
  私が今度諸君と会う時には、諸君はそういう時代に相当もみぬかれた頃だと思うが、
  その時諸君の良心が果して健全であるか、或いは大多数の国民と同様、
  眠らされてしまっているか、それを見るのが、私にとっては一つの興味でもあり、
  また恐怖でもあるのだ。

  むろん、諸君の良心が健全であろうとなかろうと、時代は行くところまで行くだろう。
  それは必至の勢いだ。
  少数の力をもってはもうどうにもならないほど時代は傾いてしまっている。
  その傾きを直そうとしてあせればあせるほど、却ってその下敷になるばかりだとさえいえる。

  だから、諸君の良心も今は時代を直すには大して役には立たない。
  しかし、時代が極度に傾いてしまって、
  或いは転覆してしまってといった方が適当かも知れないが、
  それ以上傾きようがなくなる時代が、五年か十年かの後にはきっとやって来るにちがいない。
  その時こそ、どんなに眠らそうとしても眠らなかった自由な良心が、
  目に見えて役に立つのだ。

  恐らくそういう最悪の時には、大多数の国民は、
  ただ途方《とほう》にくれて右往左往するばかりだろう。
  永いこと目かくしをされていた良心では、その目かくしをとり去られても、
  急にはものの見わけがつかないからだ。

  そうした国民の間にまじって彼らを励まし、同時に、
  はっきりと彼らに将来の方向を示してやることは、
  どんな脅迫にも屈しないで良心の眼かくしをはねのけ、
  はっきりと時代の罪過《ざいか》を見つめて来たものだけに出来ることなのだ。

  私は、何年かの後に、そういう諸君と再会し、
  そういう諸君と手をたずさえて歩いてみたいと心から期待している。
  私は、今は、時代に反抗するようなあらわな活動を何も諸君にのぞんでいない。
  今は、いや、時代が極度に傾いてしまって、それ以上傾きようがなくなるまでは、
  むしろしずまりかえって、
  ただ諸君の良心の自由を守ることに専念してもらいたいと思っているのだ。」

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