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名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  81

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 旅住居(ずまい)がようやく整った形式を備えるようになったころは、もう五月雨(さみだれ)の季節になっていて、源氏は京の事がしきりに思い出された。恋しい人が多かった。歎(なげ)きに沈んでいた夫人、東宮のこと、無心に元気よく遊んでいた若君、そんなことばかりを思って悲しんでいた。源氏は京へ使いを出すことにした。二条の院へと入道の宮へとの手紙は容易に書けなかった。宮へは、


松島のあまの苫屋(とまや)もいかならん須磨の浦人しほたるる頃(ころ)


いつもそうでございますが、ことに五月雨にはいりましてからは、悲しいことも、昔の恋しいこともひときわ深く、ひときわ自分の世界が暗くなった気がいたされます。

 というのであった。尚侍(ないしのかみ)の所へは、例のように中納言の君への私信のようにして、その中へ入れたのには、

流人(るにん)のつれづれさに昔の追想されることが多くなればなるほど、お逢いしたくてならない気ばかりがされます。


こりずまの浦のみるめのゆかしきを塩焼くあまやいかが思はん


 と書いた。

 なお言葉は多かった。
 左大臣へも書き、若君の乳母(めのと)の宰相の君へも育児についての注意を源氏は書いて送った。

 京では須磨の使いのもたらした手紙によって思い乱れる人が多かった。
 二条の院の女王(にょおう)は起き上がることもできないほどの衝撃を受けたのである。

 焦(こが)れて泣く女王を女房たちはなだめかねて心細い思いをしていた。
 源氏の使っていた手道具、常に弾(ひ)いていた楽器、脱いで行った衣服の香などから受ける感じは、夫人にとっては人の死んだ跡のようにはげしいものらしかった。

 夫人のこの状態がまた苦労で、少納言は北山の僧都(そうず)に祈祷(きとう)のことを頼んだ。
 北山では哀れな肉親の夫人のためと、源氏のために修法(しゅほう)をした。
 夫人の歎(なげ)きの心が静まっていくことと、幸福な日がまた二人の上に帰ってくることを仏に祈ったのである。

 二条の院では夏の夜着類も作って須磨へ送ることにした。
 無位無官の人の用いる(かとり)の絹の直衣(のうし)、指貫(さしぬき)の仕立てられていくのを見ても、かつて思いも寄らなかった悲哀を夫人は多く感じた。

 鏡の影ほどの確かさで心は常にあなたから離れないだろうと言った、恋しい人の面影はその言葉のとおりに目から離れなくても、現実のことでないことは何にもならなかった。
 源氏がそこから出入りした戸口、よりかかっていることの多かった柱も見ては胸が悲しみでふさがる夫人であった。

 今の悲しみの量を過去の幾つの事に比べてみることができたりする年配の人であっても、こんなことは堪えられないに違いないのを、だれよりも睦(むつ)まじく暮らして、ある時は父にも母にもなって愛撫(あいぶ)された保護者で良人(おっと)だった人ににわかに引き離されて女王が源氏を恋しく思うのはもっともである。

 死んだ人であれば悲しい中にも、時間があきらめを教えるのであるが、これは遠い十万億土ではないが、いつ帰るとも定めて思えない別れをしているのであるのを夫人はつらく思うのである。

 入道の宮も東宮のために源氏が逆境に沈んでいることを悲しんでおいでになった。
 そのほか源氏との宿命の深さから思っても宮のお歎(なげ)きは、複雑なものであるに違いない。

 これまではただ世間が恐ろしくて、少しの憐(あわれ)みを見せれば、源氏はそれによって身も世も忘れた行為に出ることが想像されて、動く心もおさえる一方にして、御自身の心までも無視して冷淡な態度を取り続けられたことによって、うるさい世間であるにもかかわらず何の噂(うわさ)も立たないで済んだのである。

 源氏の恋にも御自身の内の感情にも成長を与えなかったのは、ただ自分の苦しい努力があったからであると思召(おぼしめ)される宮が、尼におなりになって、源氏が対象とすべくもない解放された境地から源氏を悲しくも恋しくも今は思召されるのであった。

 お返事も以前のものに比べて情味があった。

 このごろはいっそう、


しほたるることをやくにて松島に年経(ふ)るあまもなげきをぞ積む


 というのであった。

 尚侍(ないしのかみ)のは、


浦にたくあまたにつつむ恋なれば燻(くゆ)る煙よ行く方(かた)ぞなき


今さら申し上げるまでもないことを略します。

 という短いので、中納言の君は悲しんでいる尚侍の哀れな状態を報じて来た。

 身にしむ節々(ふしぶし)もあって源氏は涙がこぼれた。
 紫の女王のは特別にこまやかな情のこめられた源氏の手紙の返事であったから、身にしむことも多く書かれてあった。


浦人の塩汲(く)む袖(そで)にくらべ見よ波路隔つる夜の衣を


 という夫人から、使いに託してよこした夜着や衣服類に洗練された趣味のよさが見えた。

 源氏はどんなことにもすぐれた女になった女王がうれしかった。
 青春時代の恋愛も清算して、この人と静かに生を楽しもうとする時になっていたものをと思うと、源氏は運命が恨めしかった。

 夜も昼も女王の面影を思うことになって、堪えられぬほど恋しい源氏は、やはり若紫は須磨へ迎えようという気になった。

 左大臣からの返書には若君のことがいろいろと書かれてあって、それによってまた平生以上に子と別れている親の情は動くのであるが、頼もしい祖父母たちがついていられるのであるから、気がかりに思う必要はないとすぐに考えられて、子の闇(やみ)という言葉も、愛妻を思う煩悩(ぼんのう)の闇に比べて薄いものらしくこの人には見えた。

 源氏が須磨へ移った初めの記事の中に筆者は書き洩(も)らしてしまったが伊勢(いせ)の御息所(みやすどころ)のほうへも源氏は使いを出したのであった。
 あちらからもまたはるばると文(ふみ)を持って使いがよこされた。熱情的に書かれた手紙で、典雅な筆つきと見えた。

 どうしましても現実のことと思われませんような御隠栖(いんせい)のことを承りました。
 あるいはこれもまだ私の暗い心から、夜の夢の続きを見ているのかもしれません。
 なお幾年もそうした運命の中にあなたがお置かれになることはおそらくなかろうと思われます。
 それを考えますと、罪の深い私は何時をはてともなくこの海の国にさすらえていなければならないことかと思われます。


うきめかる伊勢をの海人(あま)を思ひやれもしほ垂(た)るてふ須磨の浦にて


 世の中はどうなるのでしょう。
 不安な思いばかりがいたされます。


伊勢島や潮干(しほひ)のかたにあさりても言ふかひなきはわが身なりけり


 などという長いものである。

 源氏の手紙に衝動を受けた御息所はあとへあとへと書き続(つ)いで、白い支那(しな)の紙四、五枚を巻き続けてあった。

 書風も美しかった。
 愛していた人であったが、その人の過失的な行為を、同情の欠けた心で見て恨んだりしたことから、御息所も恋をなげうって遠い国へ行ってしまったのであると思うと、源氏は今も心苦しくて、済まない目にあわせた人として御息所を思っているのである。

 そんな所へ情のある手紙が来たのであったから、使いまでも恋人のゆかりの親しい者に思われて、二、三日滞留させて伊勢の話を侍臣たちに問わせたりした。

 若やかな気持ちのよい侍であった。
 閑居のことであるから、そんな人もやや近い所でほのかに源氏の風貌(ふうぼう)に接することもあって侍は喜びの涙を流していた。
 伊勢の消息に感動した源氏の書く返事の内容は想像されないこともない。

 こうした運命に出逢う日を予知していましたなら、どこよりも私はあなたとごいっしょの旅に出てしまうべきだったなどと、つれづれさから癖になりました物思いの中にはそれがよく思われます。
 心細いのです。


伊勢人の波の上漕ぐ小船(をぶね)にもうきめは刈らで乗らましものを
あまがつむ歎(なげ)きの中にしほたれて何時(いつ)まで須磨の浦に眺(なが)めん


いつ口ずからお話ができるであろうと思っては毎日同じように悲しんでおります。

 というのである。

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