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名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  62

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 「御愛子もここにいられるのだから、
  今後この邸(やしき)へお立ち寄りになることも決してないわけでないと、
  私どもはみずから慰めておりますが、単純な女たちは、
  今日限りこの家はあなた様の故郷にだけなってしまうのだと悲観しておりまして、

  生死の別れをした時よりも、
  時々おいでの節御用を奉仕させていただきました幸福が失われたように、
  お別れを悲しがっておりますのももっともに思われます。

  長くずっと来てくださるようなことはございませんでしたが、
  そのころ私はいつかはこうでない幸いが私の家へまわって来るものと信じたり、
  その反対な寂しさを思ってみたりしたものですが、
  とにかく今日の夕方ほど寂しいことはございません」
 と大臣は言ってもまた泣くのである。

 「つまらない忖度(そんたく)をして悲しがる女房たちですね。
  ただ今のお言葉のように、私はどんなことも自分の信頼する妻は許してくれるものと、
  暢気(のんき)に思っておりまして、

  わがままに外を遊びまわりまして御無沙汰(ごぶさた)をするようなこともありましたが、
  もう私をかばってくれる妻がいなくなったのですから、
  私は暢気な心などを持っていられるわけもありません。
  すぐにまた御訪問をしましょう」
 と言って、出て行く源氏を見送ったあとで、大臣は今日まで源氏の住んでいた座敷、かつては娘夫婦の暮らした所へはいって行った。

 物の置き所も、してある室内の装飾も、以前と何一つ変わっていないが、はなはだしく空虚なものに思われた。
 帳台の前には硯(すずり)などが出ていて、むだ書きをした紙などもあった。
 涙をしいて払って、目をみはるようにして大臣はそれを取って読んでいた。

 若い女房たちは悲しんでいながらもおかしがった。
 古い詩歌がたくさん書かれてある。
 草書(そうしょ)もある、楷書(かいしょ)もある。

 「上手(じょうず)な字だ」
 歎息(たんそく)をしたあとで、大臣はじっと空間をながめて物思わしいふうをしていた。

 源氏が婿でなくなったことが老大臣には惜しんでも惜しんでも足りなく思えるらしい。
 「旧枕故衾誰与共(きうちんこきんたれとともにせん)」という詩の句の書かれた横に、


亡(な)き魂(たま)ぞいとど悲しき寝し床(とこ)のあくがれがたき心ならひに


 と書いてある。

 「鴛鴦瓦冷霜花重(ゑんあうかはらにひえてさうくわおもし)」と書いた所にはこう書かれてある。


君なくて塵(ちり)積もりぬる床なつの露うち払ひいく夜寝(い)ぬらん


 ここにはいつか庭から折らせて源氏が宮様へ贈ったのと同じ時の物らしい撫子(なでしこ)の花の枯れたのがはさまれていた。
 大臣は宮にそれらをお見せした。

 「私がこれほどかわいい子供というものがあるだろうかと思うほどかわいかった子は、
  私と長く親子の縁を続けて行くことのできない因縁の子だったかと思うと、
  かえってなまじい親子でありえたことが恨めしいと、
  こんなふうにしいて思って忘れようとするのですが、

  日がたつにしたがって堪えられなく恋しくなるのをどうすればいいかと困っている。
  それに大将さんが他人になっておしまいになることがどうしても悲しくてならない。

  一日二日と中があき、またずっとおいでにならない日のあったりした時でさえも、
  私はあの方にお目にかかれないことで胸が痛かったのです。
  もう大将を一家の人と見られなくなって、どうして私は生きていられるか」
 とうとう声を惜しまずに大臣は泣き出したのである。

 部屋にいた少し年配な女房たちが皆同時に声を放って泣いた。
 この夕方の家の中の光景は寒気(さむけ)がするほど悲しいものであった。
 若い女房たちはあちらこちらにかたまって、それはまた自身たちの悲しみを語り合っていた。

 「殿様がおっしゃいますようにして、若君にお仕えして、
  私はそれを悲しい慰めにしようと思っていますけれど、
  あまりにお形見は小さい公子様ですわね」
 と言う者もあった。

 「しばらく実家へ行っていて、また来るつもりです」
 こんなふうに希望している者もあった。
 自分らどうしの別れも相当に深刻に名残(なごり)惜しがった。

 院では源氏を御覧になって、
 「たいへん痩(や)せた。毎日精進をしていたせいかもしれない」
 と御心配をあそばして、お居間で食事をおさせになったりした。
 いろいろとおいたわりになる御親心を源氏はもったいなく思った。

 中宮(ちゅうぐう)の御殿へ行くと、女房たちは久しぶりの源氏の伺候を珍しがって、皆集まって来た。
 中宮も命婦(みょうぶ)を取り次ぎにしてお言葉があった。
 「大きな打撃をお受けになったあなたですから、
 時がたちましてもなかなかお悲しみはゆるくなるようなこともないでしょう」

 「人生の無常はもうこれまでにいろいろなことで教訓されて参った私でございますが、
  目前にそれが証明されてみますと、厭世(えんせい)的にならざるをえませんで、
  いろいろと煩悶(はんもん)をいたしましたが、
  たびたびかたじけないお言葉をいただきましたことによりまして、
  今日までこうしていることができたのでございます」
 と源氏は挨拶(あいさつ)をした。

 こんな時でなくても心の湿ったふうのよく見える人が、今日はまたそのほかの寂しい影も添って人々の同情を惹(ひ)いた。
 無紋の袍(ほう)に灰色の下襲(したがさね)で、冠(かむり)は喪中の人の用いる巻纓(けんえい)であった。
 こうした姿は美しい人に落ち着きを加えるもので艶(えん)な趣が見えた。

 東宮へも久しく御無沙汰(ごぶさた)申し上げていることが心苦しくてならぬというような話を源氏は命婦にして夜ふけになってから退出した。

 二条の院はどの御殿もきれいに掃除(そうじ)ができていて、男女が主人の帰りを待ちうけていた。
 身分のある女房も今日は皆そろって出ていた。

 はなやかな服装をしてきれいに粧(よそお)っているこの女房たちを見た瞬間に源氏は、気をめいらせはてた女房が肩を連ねていた、左大臣家を出た時の光景が目に浮かんで、あの人たちが哀れに思われてならなかった。

 源氏は着がえをしてから西の対(たい)へ行った。
 残らず冬期の装飾に変えた座敷の中がはなやかに見渡された。
 若い女房や童女たちの服装も皆きれいにさせてあって、少納言の計らいに敬意が表されるのであった。

 紫の女王(にょおう)は美しいふうをしてすわっていた。
 「長くお逢(あ)いしなかったうちに、とても大人になりましたね」
 几帳(きちょう)の垂(た)れ絹を引き上げて顔を見ようとすると、少しからだを小さくして恥ずかしそうにする様子に一点の非も打たれぬ美しさが備わっていた。

 灯(ひ)に照らされた側面、頭の形などは初恋の日から今まで胸の中へ最もたいせつなものとしてしまってある人の面影と、これとは少しの違ったものでもなくなったと知ると源氏はうれしかった。

 そばへ寄って逢えなかった間の話など少ししてから、
 「たくさん話はたまっていますから、ゆっくりと聞かせてあげたいのだけれど、
  私は今日まで忌(いみ)にこもっていた人なのだから、気味が悪いでしょう。
  あちらで休息することにしてまた来ましょう。
  もうこれからはあなたとばかりいるのだから、
  しまいにはあなたからうるさがられるかもしれませんよ」

 立ちぎわにこんなことを源氏が言っていたのを、少納言は聞いてうれしく思ったが、全然安心したのではない、りっぱな愛人の多い源氏であるから、また姫君にとっては面倒(めんどう)な夫人が代わりに出現するのではないかと疑っていたのである。
 源氏は東の対へ行って、中将という女房に足などを撫(な)でさせながら寝たのである。

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