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名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  61

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 源氏はまだつれづれさを紛らすことができなくて、朝顔の女王(にょおう)へ、情味のある性質の人は今日の自分を哀れに思ってくれるであろうという頼みがあって手紙を書いた。

 もう暗かったが使いを出したのである。
 親しい交際はないが、こんなふうに時たま手紙の来ることはもう古くからのことで馴(な)れている女房はすぐに女王へ見せた。

 秋の夕べの空の色と同じ唐紙(とうし)に、


わきてこの暮(くれ)こそ袖(そで)は露けけれ物思ふ秋はあまた経ぬれど


「神無月いつも時雨は降りしかど」というように。

 と書いてあった。

 ことに注意して書いたらしい源氏の字は美しかった。
 これに対してもと女房たちが言い、女王自身もそう思ったので返事は書いて出すことになった。

このごろのお寂しい御起居は想像いたしながら、お尋ねすることもまた御遠慮されたのでございます。


秋霧に立ちおくれぬと聞きしより時雨(しぐ)るる空もいかがとぞ思ふ


 とだけであった。

 ほのかな書きようで、心憎さの覚えられる手紙であった。
 結婚したあとに以前恋人であった時よりも相手がよく思われることは稀(まれ)なことであるが、源氏の性癖からもまだ得られない恋人のすることは何一つ心を惹(ひ)かないものはないのである。

 冷静は冷静でもその場合場合に同情を惜しまない朝顔の女王とは永久に友愛をかわしていく可能性があるとも源氏は思った。

 あまりに非凡な女は自身の持つ才識がかえって禍(わざわ)いにもなるものであるから、西の対の姫君をそうは教育したくないとも思っていた。

 自分が帰らないことでどんなに寂しがっていることであろうと、紫の女王のあたりが恋しかったが、それはちょうど母親を亡(な)くした娘を家に置いておく父親に似た感情で思うのであって、恨まれはしないか、疑ってはいないだろうかと不安なようなことはなかった。

 すっかり夜になったので、源氏は灯(ひ)を近くへ置かせてよい女房たちだけを皆居間へ呼んで話し合うのであった。
 中納言の君というのはずっと前から情人関係になっている人であったが、この忌中はかえってそうした人として源氏が取り扱わないのを、中納言の君は夫人への源氏の志としてそれをうれしく思った。
 ただ主従としてこの人ともきわめて睦(むつま)じく語っているのである。

 「このごろはだれとも毎日こうしていっしょに暮らしているのだから、
  もうすっかりこの生活に馴(な)れてしまった私は、
  皆といっしょにいられなくなったら、寂しくないだろうか。
  奥さんの亡(な)くなったことは別として、
  ちょっと考えてみても人生にはいろいろな悲しいことが多いね」
 と源氏が言うと、初めから泣いているものもあった女房たちは、皆泣いてしまって、

 「奥様のことは思い出しますだけで世界が暗くなるほど悲しゅうございますが、
  今度またあなた様がこちらから行っておしまいになって、
  すっかりよその方におなりあそばすことを思いますと」
 言う言葉が終わりまで続かない。

 源氏はだれにも同情の目を向けながら、
 「すっかりよその人になるようなことがどうしてあるものか。
  私をそんな軽薄なものと見ているのだね。
  気長に見ていてくれる人があればわかるだろうがね。
  しかしまた私の命がどうなるだろう、その自信はない」
 と言って、灯(ひ)を見つめている源氏の目に涙が光っていた。

 特別に夫人がかわいがっていた親もない童女が、心細そうな顔をしているのを、もっともであると源氏は哀れに思った。

 「あてきはもう私にだけしかかわいがってもらえない人になったのだね」
 源氏がこう言うと、その子は声を立てて泣くのである。

 からだ相応な短い袙(あこめ)を黒い色にして、黒い汗袗(かざみ)に樺(かば)色の袴(はかま)という姿も可憐(かれん)であった。

 「奥さんのことを忘れない人は、つまらなくても我慢して、
  私の小さい子供といっしょに暮らしていてください。
  皆が散り散りになってしまってはいっそう昔が影も形もなくなってしまうからね。
  心細いよそんなことは」
 源氏が互いに長く愛を持っていこうと行っても、女房たちはそうだろうか、昔以上に待ち遠しい日が重なるのではないかと不安でならなかった。

 大臣は女房たちに、身分や年功で差をつけて、故人の愛した手まわりの品、それから衣類などを、目に立つほどにはしないで上品に分けてやった。

 源氏はこうした籠居(こもりい)を続けていられないことを思って、院の御所へ今日は伺うことにした。
 車の用意がされて、前駆の者が集まって来た時分に、この家の人々と源氏の別れを同情してこぼす涙のような時雨(しぐれ)が降りそそいだ。
 木の葉をさっと散らす風も吹いていた。

 源氏の居間にいた女房は非常に皆心細く思って、夫人の死から日がたって、少し忘れていた涙をまた滝のように流していた。
 今夜から二条の院に源氏の泊まることを予期して、家従や侍はそちらで主人を迎えようと、だれも皆仕度(したく)をととのえて帰ろうとしているのである。

 今日ですべてのことが終わるのではないが非常に悲しい光景である。
 大臣も宮もまた新しい悲しみを感じておいでになった。
 宮へ源氏は手紙で御挨拶(あいさつ)をした。

 院が非常に逢(あ)いたく思召(おぼしめ)すようですから、今日はこれからそちらへ伺うつもりでございます。
 かりそめにもせよ私がこうして外へ出かけたりいたすようになってみますと、あれほどの悲しみをしながらよくも生きていたというような不思議な気がいたします。
 お目にかかりましてはいっそう悲しみに取り乱しそうな不安がございますから上がりません。

 というのである。

 宮様のお心に悲しみがつのって涙で目もお見えにならない。
 お返事はなかった。

 しばらくして源氏の居間へ大臣が出て来た。
 非常に悲しんで、袖(そで)を涙の流れる顔に当てたままである。
 それを見る女房たちも悲しかった。
 人生の悲哀の中に包まれて泣く源氏の姿は、そんな時も艶(えん)であった。

 大臣はやっとものを言い出した。
 「年を取りますと、何でもないことにもよく涙が出るものですが、
  ああした打撃がやって来たのですから、
  もう私は涙から解放される時間といってはございません。

  私がこんな弱い人間であることを人に見せたくないものですから、
  院の御所へも伺候しないのでございます。
  お話のついでにあなたからよろしくお取りなしになっておいてください。
  もう余命いくばくもない時になって、子に捨てられましたことが恨めしゅうございます」
 一所懸命に悲しみをおさえながら言うことはこれであった。

 源氏も幾度か涙を飲みながら言った。
 「いつだれが死に取られるかしれないのが人生の相であると承知しておりましても、
  目前にそれを体験しましたわれわれの悲しみは理窟(りくつ)で説明も何もできません。
  院にもあなたの御様子をよく申し上げます。
  必ず御同情をあそばすでしょう」

 「それではもうお出かけなさいませ。
  時雨(しぐれ)があとからあとから追っかけて来るようですから、
  せめて暮れないうちにおいでになるがよい」
 と大臣は勧めた。

 源氏が座敷の中を見まわすと几帳(きちょう)の後ろとか、襖子(からかみ)の向こうとか、ずっと見える所に女房の三十人ほどが幾つものかたまりを作っていた。
 濃い喪服も淡鈍(うすにび)色も混じっているのである。
 皆心細そうにめいったふうであるのを源氏は哀れに思った。

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