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名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  47

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 源氏の桐壺(きりつぼ)には女房がおおぜいいたから、主人が暁に帰った音に目をさました女もあるが、忍び歩きに好意を持たないで、
 「いつもいつも、まあよくも続くものですね」
 という意味を仲間で肱(ひじ)や手を突き合うことで言って、寝入ったふうを装うていた。

 寝室にはいったが眠れない源氏であった。
 美しい感じの人だった。女御の妹たちであろうが、処女であったから五の君か六の君に違いない。

 太宰帥(だざいのそつ)親王の夫人や頭中将が愛しない四の君などは美人だと聞いたが、かえってそれであったらおもしろい恋を経験することになるのだろうが、六の君は東宮の後宮(こうきゅう)へ入れるはずだとか聞いていた。
 その人であったら気の毒なことになったというべきである。

 幾人もある右大臣の娘のどの人であるかを知ることは困難なことであろう。
 もう逢うまいとは思わぬ様子であった人が、なぜ手紙を往復させる方法について何ごとも教えなかったのであろうなどとしきりに考えられるのも心が惹(ひ)かれているといわねばならない。

 思いがけぬことの行なわれたについても、藤壺(ふじつぼ)にはいつもああした隙(すき)がないと、昨夜の弘徽殿(こきでん)のつけこみやすかったことと比較して主人(あるじ)の女御にいくぶんの軽蔑(けいべつ)の念が起こらないでもなかった。

 この日は後宴(ごえん)であった。
 終日そのことに携わっていて源氏はからだの閑暇(ひま)がなかった。
 十三絃(げん)の箏(そう)の琴の役をこの日は勤めたのである。
 昨日の宴よりも長閑(のどか)な気分に満ちていた。

 中宮は夜明けの時刻に南殿へおいでになったのである。
 弘徽殿の有明(ありあけ)の月に別れた人はもう御所を出て行ったであろうかなどと、源氏の心はそのほうへ飛んで行っていた。

 気のきいた良清(よしきよ)や惟光(これみつ)に命じて見張らせておいたが、源氏が宿直所(とのいどころ)のほうへ帰ると、
 「ただ今北の御門のほうに早くから来ていました車が、
  皆人を乗せて出てまいるところでございますが、
  女御さん方の実家の人たちがそれぞれ行きます中に、
  四位少将、右中弁などが御前から下がって来てついて行きますのが、
  弘徽殿の実家の方々だと見受けました。

  ただ女房たちだけの乗ったのでないことはよく知れていまして、
  そんな車が三台ございました」
 と報告をした。

 源氏は胸のとどろくのを覚えた。
 どんな方法によって何女(なにじょ)であるかを知ればよいか、父の右大臣にその関係を知られて婿としてたいそうに待遇されるようなことになって、それでいいことかどうか。

 その人の性格も何もまだよく知らないのであるから、結婚をしてしまうのは危険である。
 そうかといってこのまま関係が進展しないことにも堪えられない。
 どうすればいいのかとつくづく物思いをしながら源氏は寝ていた。

 姫君がどんなに寂しいことだろう。
 幾日も帰らないのであるからとかわいく二条の院の人を思いやってもいた。

 取り替えてきた扇は、桜色の薄様を三重に張ったもので、地の濃い所に霞(かす)んだ月が描(か)いてあって、下の流れにもその影が映してある。
 珍しくはないが貴女(きじょ)の手に使い馴(な)らされた跡がなんとなく残っていた。

 「草の原をば」と言った時の美しい様子が目から去らない源氏は、


世に知らぬここちこそすれ有明の月の行方(ゆくへ)を空にまがへて


 と扇に書いておいた。

 翌朝源氏は、左大臣家へ久しく行かないことも思われながら、二条の院の少女が気がかりで、寄ってなだめておいてから行こうとして自邸のほうへ帰った。

 二、三日ぶりに見た最初の瞬間にも若紫の美しくなったことが感ぜられた。
 愛嬌(あいきょう)があって、そしてまた凡人から見いだしがたい貴女らしさを多く備えていた。
 理想どおりに育て上げようとする源氏の好みにあっていくようである。
 教育にあたるのが男であるから、いくぶんおとなしさが少なくなりはせぬかと思われて、その点だけを源氏は危(あやぶ)んだ。
 この二、三日間に宮中であったことを語って聞かせたり、琴を教えたりなどしていて、日が暮れると源氏が出かけるのを、紫の女王は少女心に物足らず思っても、このごろは習慣づけられていて、無理に留めようなどとはしない。

 左大臣家の源氏の夫人は例によってすぐには出て来なかった。
 いつまでも座に一人でいてつれづれな源氏は、夫人との間柄に一抹(いちまつ)の寂しさを感じて、琴をかき鳴らしながら、「やはらかに寝(ぬ)る夜はなくて」と歌っていた。

 左大臣が来て、花の宴のおもしろかったことなどを源氏に話していた。
 「私がこの年になるまで、四代の天子の宮廷を見てまいりましたが、
  今度ほどよい詩がたくさんできたり、音楽のほうの才人がそろっていたりしまして、
  寿命の延びる気がするようなおもしろさを味わわせていただいたことはありませんでした。

  ただ今は専門家に名人が多うございますからね。
  あなたなどは師匠の人選がよろしくてあのおできぶりだったのでしょう。
  老人までも舞って出たい気がいたしましたよ」

 「特に今度のために稽古(けいこ)などはしませんでした。
  ただ宮廷付きの中でのよい楽人に参考になることを教えてもらいなどしただけです。

  何よりも頭中将の柳花苑(りゅうかえん)がみごとでした。
  話になって後世へ伝わる至芸だと思ったのですが、
  その上あなたがもし当代の礼讃(らいさん)に一手でも舞を見せてくださいましたら、
  歴史上に残ってこの御代(みよ)の誇りになったでしょうが」
 こんな話をしていた。
 弁や中将も出て来て高欄に背中を押しつけながらまた熱心に器楽の合奏を始めた。

 有明(ありあけ)の君は短い夢のようなあの夜を心に思いながら、悩ましく日を送っていた。
 東宮の後宮へこの四月ごろはいることに親たちが決めているのが苦悶(くもん)の原因である。

 源氏もまったく何人(なにびと)であるかの見分けがつかなかったわけではなかったが、右大臣家の何女であるかがわからないことであったし、自分へことさら好意を持たない弘徽殿の女御の一族に恋人を求めようと働きかけることは世間体(せけんてい)のよろしくないことであろうとも躊躇(ちゅうちょ)されて、煩悶(はんもん)を重ねているばかりであった。

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