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名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  44

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 帝はもうよい御年配であったが美女がお好きであった。
 采女(うねめ)や女蔵人(にょくろうど)なども容色のある者が宮廷に歓迎される時代であった。
 したがって美人も宮廷には多かったが、そんな人たちは源氏さえその気になれば情人関係を成り立たせることが容易であったであろうが、源氏は見馴(な)れているせいか女官たちへはその意味の好意を見せることは皆無であったから、怪しがってわざわざその人たちが戯談(じょうだん)を言いかけることがあっても、源氏はただ冷淡でない程度にあしらっていて、それ以上の交際をしようとしないのを物足らず思う者さえあった。

 よほど年のいった典侍(ないしのすけ)で、いい家の出でもあり、才女でもあって、世間からは相当にえらく思われていながら、多情な性質であってその点では人を顰蹙(ひんしゅく)させている女があった。
 源氏はなぜこう年がいっても浮気(うわき)がやめられないのであろうと不思議な気がして、恋の戯談を言いかけてみると、不似合いにも思わず相手になってきた。

 あさましく思いながらも、さすがに風変わりな衝動を受けてつい源氏は関係を作ってしまった。
 噂されてもきまりの悪い不つりあいな老いた情人であったから、源氏は人に知らせまいとして、ことさら表面は冷淡にしているのを、女は常に恨んでいた。

 典侍は帝のお髪上(ぐしあ)げの役を勤めて、それが終わったので、帝はお召(めし)かえを奉仕する人をお呼びになって出てお行きになった部屋には、ほかの者がいないで、
 典侍が常よりも美しい感じの受け取れるふうで、頭の形などに艶(えん)な所も見え、服装も派手(はで)にきれいな物を着ているのを見て、
 いつまでも若作りをするものだと源氏は思いながらも、どう思っているだろうと知りたい心も動いて、後ろから裳(も)の裾(すそ)を引いてみた。

 はなやかな絵をかいた紙の扇で顔を隠すようにしながら見返った典侍の目は、瞼(まぶた)を張り切らせようと故意に引き伸ばしているが、黒くなって、深い筋のはいったものであった。
 妙に似合わない扇だと思って、自身のに替えて源典侍(げんてんじ)のを見ると、それは真赤(まっか)な地に、青で厚く森の色が塗られたものである。

 横のほうに若々しくない字であるが上手(じょうず)に「森の下草老いぬれば駒(こま)もすさめず刈る人もなし」という歌が書かれてある。
 厭味(いやみ)な恋歌などは書かずともよいのにと源氏は苦笑しながらも、

 「そうじゃありませんよ、『大荒木の森こそ夏のかげはしるけれ』で盛んな夏ですよ」
 こんなことを言う恋の遊戯にも不似合いな相手だと思うと、源氏は人が見ねばよいがとばかり願われた。
 女はそんなことを思っていない。

 君し来(こ)ば手馴(てな)れの駒(こま)に刈り飼はん盛り過ぎたる下葉なりとも

 とても色気たっぷりな表情をして言う。


 笹(ささ)分けば人や咎(とが)めんいつとなく駒馴(な)らすめる森の木隠れ

 あなたの所はさしさわりが多いからうっかり行けない」
 こう言って、立って行こうとする源氏を、典侍は手で留めて、
 「私はこんなにまで煩悶(はんもん)をしたことはありませんよ。
  すぐ捨てられてしまうような恋をして一生の恥をここでかくのです」
 非常に悲しそうに泣く。

 「近いうちに必ず行きます。
  いつもそう思いながら実行ができないだけですよ」
 袖(そで)を放させて出ようとするのを、典侍はまたもう一度追って来て「橋柱」(思ひながらに中や絶えなん)と言いかける所作(しょさ)までも、お召(めし)かえが済んだ帝が襖子(からかみ)からのぞいておしまいになった。

 不つり合いな恋人たちであるのを、おかしく思召(おぼしめ)してお笑いになりながら、帝は、
 「まじめ過ぎる恋愛ぎらいだと言っておまえたちの困っている男もやはりそうでなかったね」
 と典侍(ないしのすけ)へお言いになった。

 典侍はきまり悪さも少し感じたが、恋しい人のためには濡衣(ぬれぎぬ)でさえも着たがる者があるのであるから、弁解はしようとしなかった。
 それ以後御所の人たちが意外な恋としてこの関係を噂(うわさ)した。

 頭中将(とうのちゅうじょう)の耳にそれがはいって、源氏の隠し事はたいてい正確に察して知っている自分も、まだそれだけは気がつかなんだと思うとともに、自身の好奇心も起こってきて、まんまと好色な源典侍の情人の一人になった。

 この貴公子もざらにある若い男ではなかったから、源氏の飽き足らぬ愛を補う気で関係をしたが、典侍の心に今も恋しくてならない人はただ一人の源氏であった。
 困った多情女である。

 きわめて秘密にしていたので頭中将との関係を源氏は知らなんだ。
 御殿で見かけると恨みを告げる典侍に、源氏は老いている点にだけ同情を持ちながらもいやな気持ちがおさえ切れずに長く逢いに行こうともしなかったが、夕立のしたあとの夏の夜の涼しさに誘われて温明殿(うんめいでん)あたりを歩いていると、典侍はそこの一室で琵琶(びわ)を上手(じょうず)に弾(ひ)いていた。

 清涼殿の音楽の御遊びの時、ほかは皆男の殿上役人の中へも加えられて琵琶の役をするほどの名手であったから、それが恋に悩みながら弾く絃(いと)の音(ね)には源氏の心を打つものがあった。
 「瓜(うり)作りになりやしなまし」という歌を、美声ではなやかに歌っているのには少し反感が起こった。

 白楽天が聞いたという鄂州(がくしゅう)の女の琵琶もこうした妙味があったのであろうと源氏は聞いていたのである。
 弾きやめて女は物思いに堪えないふうであった。

 源氏は御簾(みす)ぎわに寄って催馬楽(さいばら)の東屋(あずまや)を歌っていると、
 「押し開いて来ませ」という所を同音で添えた。
 源氏は勝手の違う気がした。

 立ち濡(ぬ)るる人しもあらじ東屋にうたてもかかる雨そそぎかな

 と歌って女は歎息(たんそく)をしている。
 自分だけを対象としているのではなかろうが、どうしてそんなに人が待たれるのであろうと源氏は思った。

人妻はあなわづらはし東屋のまやのあまりも馴(な)れじとぞ思ふ

 と言い捨てて、源氏は行ってしまいたかったのであるが、あまりに侮辱したことになると思って典侍の望んでいたように室内へはいった。

 源氏は女と朗らかに戯談(じょうだん)などを言い合っているうちに、こうした境地も悪くない気がしてきた。

 頭中将は源氏がまじめらしくして、自分の恋愛問題を批難したり、注意を与えたりすることのあるのを口惜(くちお)しく思って、素知らぬふうでいて源氏には隠れた恋人が幾人かあるはずであるから、どうかしてそのうちの一つの事実でもつかみたいと常に思っていたが、偶然今夜の会合を来合わせて見た。

 頭中将はうれしくて、こんな機会に少し威嚇(おど)して、源氏を困惑させて懲りたと言わせたいと思った。
 それでしかるべく油断を与えておいた。
 冷ややかに風が吹き通って夜のふけかかった時分に源氏らが少し寝入ったかと思われる気配(けはい)を見計らって、頭中将はそっと室内へはいって行った。

 自嘲(じちょう)的な思いに眠りなどにははいりきれなかった源氏は物音にすぐ目をさまして人の近づいて来るのを知ったのである。
 典侍の古い情人で今も男のほうが離れたがらないという噂のある修理大夫(しゅりだゆう)であろうと思うと、あの老人にとんでもないふしだらな関係を発見された場合の気まずさを思って、

 「迷惑になりそうだ、私は帰ろう。
  旦那(だんな)の来ることは初めからわかっていただろうに、
  私をごまかして泊まらせたのですね」
 と言って、源氏は直衣(のうし)だけを手でさげて屏風(びょうぶ)の後ろへはいった。

 中将はおかしいのをこらえて源氏が隠れた屏風を前から横へ畳み寄せて騒ぐ。
 年を取っているが美人型の華奢(きゃしゃ)なからだつきの典侍が以前にも情人のかち合いに困った経験があって、あわてながらも源氏をあとの男がどうしたかと心配して、床の上にすわって慄(ふる)えていた。

 自分であることを気づかれないようにして去ろうと源氏は思ったのであるが、だらしなくなった姿を直さないで、冠(かむり)をゆがめたまま逃げる後ろ姿を思ってみると、恥な気がしてそのまま落ち着きを作ろうとした。
 中将はぜひとも自分でなく思わせなければならないと知って物を言わない。

 ただ怒(おこ)ったふうをして太刀(たち)を引き抜くと、
 「あなた、あなた」
 典侍は頭中将を拝んでいるのである。

 中将は笑い出しそうでならなかった。
 平生派手(はで)に作っている外見は相当な若さに見せる典侍も年は五十七、八で、この場合は見得(みえ)も何も捨てて二十(はたち)前後の公達(きんだち)の中にいて気をもんでいる様子は醜態そのものであった。

 わざわざ恐ろしがらせよう自分でないように見せようとする不自然さがかえって源氏に真相を教える結果になった。
 自分と知ってわざとしていることであると思うと、どうでもなれという気になった。

 いよいよ頭中将であることがわかるとおかしくなって、抜いた太刀を持つ肱(ひじ)をとらえてぐっとつねると、中将は見顕(みあら)わされたことを残念に思いながらも笑ってしまった。
 「本気なの、ひどい男だね。
  ちょっとこの直衣(のうし)を着るから」
 と源氏が言っても、中将は直衣を放してくれない。

 「じゃ君にも脱がせるよ」
 と言って、中将の帯を引いて解いてから、直衣を脱がせようとすると、脱ぐまいと抵抗した。
 引き合っているうちに縫い目がほころんでしまった。

 包むめる名や洩(も)り出(い)でん引きかはしかくほころぶる中の衣に

 明るみへ出ては困るでしょう

 と中将が言うと、

 隠れなきものと知る知る夏衣きたるをうすき心とぞ見る

 と源氏も負けてはいないのである。
 双方ともだらしない姿になって行ってしまった。

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