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名作を読みませんかコミュの人形の家   ヘンリック・イプセン ・作   14

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     (リンデン夫人が廊下で外出仕度の物を脱ぎ入つて來る)


ノラ   おや、あなた?
     クリスチナさん、外には誰も來ませんでしたか?
     まあよくいらつしやつたわね。

リンデン 私の所へお出でになつたさうですね。

ノラ   えゝ、丁度通りかゝつたものですからね。
     私、あなたに是非手傳つて頂きたいことがあるんですよ。
     さあ、お掛けなさい、ソファがいゝわ。

     さう、明日の晩ね、
     この二階にゐる領事のステンボルグさんで假裝舞踏會があるのですよ。
     それでね、トルヴァルトが私にナポリの漁師娘になれといふんです。
     そして私がイタリアのカプリで習つたタランテラを踊れといふんですよ。

リンデン さうですか、見物でせうね。

ノラ   えゝ、トルヴァルトがそれがいゝといひますから。
     ご覽なさい、これがその衣裳ですよ。
     イタリアで私に拵へてくれたのです。
     けれども、もうこんなにぼろぼろになつちやつて、どうしていゝか――

リンデン あなた、直ぐなほせますよ。
     たゞ縁が所々ほぐれたばかりですもの。
     針と絲がありますか?
     あゝここにあります。

ノラ   まあ、すみませんねえ。

リンデン では明日は、すつかり衣裳をお着けになるのね。
     ノラさん、どんなにか――私、拜見に來ますよ。
     ちよつとでいゝから、お仕度の出來上つたところを。
     おや、お禮をいふのを忘れてゐた。
     昨晩はご馳走さま。

ノラ   (立ち上り室を向ふへ歩く)
     いゝえ、昨日はね、不斷ほど面白くなかつたのですよ。
     もう少し早くいらつしやるとよかつた。
     トルヴァルトは實際、家の中を樂しくするのが上手なの。

リンデン あなただつてさうぢやありませんか。
     でなければお父さんのお子さんぢやありませんもの。
     それはさうと、ランク先生はいつもあんなに、
     昨晩のやうに沈んでいらつしやいますか?

ノラ   いゝえ、昨晩は特別でしたのよ。
     あの方はね、恐ろしい病氣を持つてゐます、背髓癆ださうです。

リンデン (縫物を續ける、ちよつと經つて)
     ランク先生は毎日此方へ見えるの?

ノラ   えゝ、毎日。
     あの方はね、トルヴァルトの子供の時からのお友達で私も大變親しくしてゐるの。
     まるで家のもの同樣にしてゐるの。

リンデン ですがね、あなた――あの方は全く眞面目な方なの? 
     口先だけの出任せをいふ人ぢやありませんか?

ノラ   そんなことはありませんわ。
     どうしてそんな風にお考へなすつて?

リンデン 昨日あなたがお引合せ下すつた時にあの方は、
     何度も私の名を聞いたといつたでせう? 
     ところがお宅のご主人は少しも私をご存じなかつたでせう? 
     それでどうしてランク先生が――?

ノラ   あ、それはランク先生のいふ通りですの。
     クリスチナさん。
     全體トルヴァルトが私を愛してることといつたら、
     一通りや二通りぢやないんですからね。

     私の體を全く自分の物にしきらないと承知しないの、いつも自分でさういつてるのよ。
     ですから結婚した當座なんか、
     私が里にゐる頃親しくしてゐた人の名でもいはうものなら、
     もうすぐ妬きもちをやくのですよ。

     そんな風で自然にさうしたことをいはないやうにして置いたのですけれどね。
     ランク先生にはよく昔のことなんか話しましたのよ。
     あの方はそんなことを聞くのが大變好きなものだから。

リンデン ですけれどねえ、ノラさん、あなたはまだ、どうしてもねんねえよ。
     私あなたよりは年も上だし、經驗も幾らか餘計に積んでるからいひますがね。
     あなたはランク先生との關係を、きちんとしておく必要がありますよ。

ノラ   どんな關係?

リンデン あなたは昨日、金持であなたを崇拜してる人にお金を拵へて貰ふといつたでせう?

ノラ   えゝ、實際はゐない人にねえ、お氣の毒さま、それがどうしました?

リンデン ランク先生はお金を持つてるの?

ノラ   えゝ、持つてます。

リンデン そして、遺産相續といつては、誰もゐないでせう?

ノラ   誰もゐません。
     だけれど――

リンデン それで以て、あの人は毎日この家へ來るんでせう?

ノラ   えゝ、毎日。

リンデン 私は、あの人がもう少し嗜みを持つててくれるといゝと思ひます。

ノラ   私まだあなたのおつしやる意味がわからない。

リンデン 白ばくれちやいけませんよ、ノラさん。
     あなたまだ千二百ターレルのお金をあなたに貸した人が、
     誰だか私に當てがつかないと思つてるの?

ノラ   はゝはゝ、どうかしてるわ、あなた、さういふ考へでゐたのですね。
     毎日家へ來るお友達から借金をするなんて! 
     どんなに氣まづいだらう。

リンデン ぢやあ本當にあの人ぢやないの?

ノラ   えゝ本當に。
     そんなことは今まで考へて見たこともありません。
     それにあの頃はまだ、あの方には人に貸すやうなお金は無かつたのですよ。
     財産の手に入つたのは後の事なの。

リンデン まあ、その方があなたのためにはよかつたと思ひます。

ノラ   全く私、ランク先生のことなんぞは考へても見なかつたのだけれど、
     もしあの方に頼んだらきつと――

リンデン けれども、あなた頼む氣は無論ないのでせう?

ノラ   無論ですとも。
     そんな必要なんかないんですもの。
     けれども、きつと何よ、もしランク先生に話したら――

リンデン ご主人にいはないで?

ノラ   私ね、これから切り拔けなくちやならないことがあるの。
     それも主人に隱して是非その方の片をつけなくちやならない。

リンデン それがいゝわ、私、昨日もさういつたでせう? たゞ――

ノラ   (あちらこちらと歩きながら)
     えゝ、こんなことを運ぶのは、女よりもずつと男の方がいゝんだけれど。

リンデン 夫にさせるなら、無論いゝですとも。

ノラ   そんな馬鹿な
     (じつと立止る)
     あのね、借りてたものをすつかり返せば證書は返つて來るのでせうか?

リンデン 無論ですよ。

ノラ   返つて來たら、あの汚れた嫌なものをずたずたに引き裂いて燒いてしまひたいわ!

リンデン (じつとノラを見て、仕事の物を下に置いて徐々と立上る)
     ノラさん、あなたは私に何か隱していらつしやるのね?

ノラ   さう私の顏に書いてあるの?

リンデン 昨日の朝から何か變なことがあつたのね。
     何です? ノラさん。

ノラ   (リンデン夫人の方へ行きながら)
     クリスチナさん――
     (聞耳を立てる)
     しつ! トルヴァルトが歸つて來た。

     さ、乳母の室へ行つてゝ頂戴。
     あの人は裁縫なんか見てることの出來ない人ですからね。
     それから、アンナに手傳はせて下さいな。

リンデン (手近の物を取り集めて)
     はいはい、ですけれども、すつかりお話を聞くまでは歸りませんよ。

     (リンデン夫人は左手に出て行く、引きちがへにヘルマーが廊下から入つて來る)

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