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名作を読みませんかコミュのジャン・クリストフ  ロマン・ロラン  174

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 ジューシエのような人物は、蚕食してくる結核のために、目近にさし迫ってる死のために、誘惑から免れてはいたけれど、そういう者一人に比べて、いかに多くの他の者が、裏切ったり倦《う》み疲れたりしたことだろう!
 彼らは皆、当時のあらゆる党派の為政家らを呑噬《どんぜい》してる災厄の犠牲となっていた。

 その災厄というのは、女もしくは金による腐敗、女と金と――(この二つの災いは実は一体にすぎないのである)――による腐敗だった。
 政府党のうちにもまた反対党のうちにも、第一流の才能ある人々がいた。
 国家の大人物たる素質を有する人々がいた。
 (他の時代だったら、彼らはおそらく国家の大人物となっていたろう。)

 しかし彼らには信念もなく性格もなかった。
 享楽の要求と習慣と倦怠とに萎靡《いび》しきっていた。
 享楽のために彼らは、広大な計画のさなかで取り留めもない行ないをしたり、または突然に、やりかけの仕事や祖国や主旨をも投げ捨てて休息し楽しんでいた。
 彼らは戦闘において戦死をするくらいには勇敢だった。
 しかしながら、大袈裟《おおげさ》な空言を弄《ろう》せず、自分の位置で泰然と事務を執りつつ、舵《かじ》の柄《え》を握りしめて、死んでゆくことのできる者は、それらの首領のうちのきわめて少数にすぎなかった。

 そういう根深い弱点の意識のために、革命は跛にされていた。
 労働者らはたがいに非難し合ってその時間を過ごした。
 彼らの同盟罷業はいつも失敗した。
 その原因は、首領間のあるいは職業団体間の不断の不一致、改革派と革命派との間の不断の不一致、――威勢のよい大言壮語のもとにある深い臆病《おくびょう》心、――正規の降伏勧告に会えばただちにそれらの反抗者らを軛《くびき》の下に立ちもどらせる、従順な遺伝性、――他人の反抗を利用して、主人のもとに駆けつけ、手柄顔をなし、利益本位の忠義だてを高価に売りつけんとする者どもの、卑怯な利己主義と下劣さ、などであった。

 なお、群集につきものの無秩序、一般民衆の無政府性は、言うまでもないことだった。
 彼らはあらゆる革命的性質を帯びた団体的同盟罷業をなしたがっていた。
 しかし人から革命派だと見なされることを欲しなかった。
 彼らは銃剣に少しも趣味をもたなかった。
 卵をこわさないで玉子焼をこしらえ得るものだと思っていた。
 どうせこわされるものなら、自分の卵より他人の卵のほうを望んでいた。

 オリヴィエは打ちながめ観察していた。
 そして少しも驚きはしなかった。
 それらの人々は実現せんと主張してるその事業よりもいかに劣ってるかを、彼はただちに見てとっていたのである。

 しかし彼はまた、彼らを引きずってゆく運命的な力をも見てとっていた。
 クリストフまでが知らず知らず水の流れに従ってることを、彼は気づいた。
 流れに運ばれるのを本望としてる彼については、流れのほうで好まなかった。
 彼は岸に残ったままで、水の流れ行くのをながめていた。

 それは強い流れだった。
 たがいに押し合いぶつかり合い融《と》け合って、湧《わ》き立つ泡《あわ》や衝突する渦巻《うずまき》をこしらえてる、熱情と利害と信念との巨大な塊《かたまり》を、その流れは押し起こしていた。

 首領らがその先頭に立っていた。
 彼らはあとから押し進められてたのだから、皆のうちでもっとも自由でなかった。
 またおそらく皆のうちで、もっとも信じていない連中だった。

 彼らも以前は信じたことがあった。
 そして、彼らがあれほど嘲笑《あざわら》った牧師らのように、昔の祈誓の中に信仰の中に閉じこめられて、それを最後まで主張しなければならなくなっていた。

 彼らのあとにつづいてる群集の大部隊は、兇暴で不確信で浅見《せんけん》だった。
 その大多数の者は、流れが今はそれらの理想郷へ向かってるからというので偶然に信じてるのだった。
 一度流れの方向が変わったならば、もう今晩にも信じなくなるかもしれなかった。

 多くは、行動を求め事変を願ってるために信じていた。
 ある者らは、常識の欠けた理屈好みの理論に駆られて信じていた。
 ある者らは、心の温良なために信じていた。
 抜け目のない者らは、それらの観念を戦いの武器としてしか使用せず、一定の賃金のために、労働時間数減少のために、戦っていた。
 もっとも欲張りな者らは、自分の悲惨な生活の太々しい復讐《ふくしゅう》を、ひそかに望み企《たくら》んでいた。

 しかし彼らを運んでいる流れは彼らよりもさらに賢くて、どこへ行くべきかを心得ていた。
 それが旧世界の堤防にぶつかって一時砕かるべき運命にあっても、あえて意に介するに及ばなかった。
 社会的な革命は現今では鎮圧されるだろうということを、オリヴィエは予見していた。

 しかし彼はまた知っていた。
 革命がその目的を達するのは、勝利によるも失敗によるも同じことであると。
 なぜならば、圧迫者が被圧迫者の要求を正当と認めるのは、その被圧迫者から恐怖を覚えさせらるるときにおいてのみだからである。

 かくて、革命者らの不正な暴力もやはり、彼らの主旨の正義と同じく彼らの主旨に役だっていた。
 暴力と正義とは共に、人類の群れを導く盲目確実な力の筋書きの一部をなしていた……。

 主《しゅ》に呼ばわれたる爾《なんじ》ら、爾らのいかなるものなるやを考えみよ。
 肉よりすれば、爾らのうち多くの賢き者なく、多くの強き者なく、多くの尚《たか》き者あるなし。

 されど主は、賢き者を惑わしめんがために、この世の愚かなることどもを選みたまえり。
 強き者を惑わしめんがために、この世の弱きことどもを選みたまえり。
 今あることどもを廃《すた》れしめんがために、この世の卑しきことどもと、蔑《さげす》まれしことどもと、あるなきことどもとを選みたまえり……。

 とは言え、事物を統ぶる主が何物であろうとも――(理性であろうともあるいは没理性であろうとも)――また、産業革命主義によって準備されたる社会組織が、将来のために一つの相対的遊歩を建設しているとしても、新世界を開きもしないこの卑俗なる戦いのうちに、幻影と献身との全力を注ぎ込むのは、クリストフや自分にとって労に価することであるとは、オリヴィエは考えなかった。

 革命にたいする彼の神秘な希望は裏切られた。
 彼には民衆が他の階級よりより良きものだとは思えなかったし、より真面目《まじめ》だともほとんど思えなかった。
 ことに民衆も他の階級と大して異なってはいなかった。

 利益と泥《どろ》まみれの熱情との激流のさなかにあって、オリヴィエの眼と心とは、あたかも水上の花のように彼方《かなた》此方《こなた》に浮き出してる、独立せる人々の小島のほうへ、ほんとうに信じてる人々の小さな群れのほうへ、ひきつけられるのであった。

 優秀者は群集の中に交わることを、いかに欲しても駄目である。
 優秀者は常に優秀者のほうへ行くものである――あらゆる階級とあらゆる党派との優秀者のほうへ――火をもってる人々のほうへ。そして、その火が消えないように監視することこそ、神聖なる義務である。

 オリヴィエはすでに選択をしてしまっていた。

 彼の家から数軒隔たった所に、街路より少し低い所に、古靴屋《ふるぐつや》の店があった――店と言っても、数枚の板を釘《くぎ》付けにして、ガラスやガラス代わりの紙が張ってあった。
 街路から三段降りて中にはいるようになっていて、中では背をかがめなければ立っておれなかった。

 一つの古靴棚《だな》と二つの腰掛とを並べるだけの場所しかなかった。
 昔からの古靴屋の例によって、ここの主人も歌を歌ってるのが毎日聞こえた。
 彼は口笛を吹いたり、古靴の底をたたいたり、俗歌や革命歌を嗄《しわが》れた大声で歌ったり、通りかかる近所の女どもを窓越しに呼びかけたりしていた。

 翼の折れた一羽の鵲《かささぎ》が、ぴょこぴょこ人道を飛び歩いて、門番小屋のほうから彼のところへやって来た。
 そして店の入り口の階段のいちばん上に立ち止まって、古靴屋をながめた。
 古靴屋はちょっと仕事の手を休めて、甲高い声で卑猥《ひわい》なことを言いかけたり、万国労働歌を口笛で吹いてきかしたりした。

 鵲は嘴《くちばし》をもたげて、真面目《まじめ》くさった様子で聞いていた。
 そしてときどき、挨拶《あいさつ》でもするように嘴をつき出して水潜りめいた動作をし、そしてまた身体の平均をとるために無器用な羽ばたきをした。
 それから突然向きをかえ、相手が何か言いつづけてるのをそのままにして、一方の翼と他方の折れ残りの翼とで、腰掛の倚木《よりき》の上に飛び上がり、そこから近所の犬どもをからかった。
 すると古靴屋はまた靴の甲革《こうかわ》をたたき始めて、相手が逃げていったのも構わずに、途切れた先刻の話を終わりまで語りつづけた。

 彼は五十六歳だった。
 元気な気むずかしい様子、太い眉《まゆ》の下の冷笑的な小さな眼、蓬髪《ほうはつ》の上に卵形にもち上がってる禿《は》げた脳天、毛むくじゃらの耳、ひどく笑うときには井のようにうち開く前歯のぬけた黒い口、靴墨で真黒な太い鋏《はさみ》でよく手いっぱい刈り取っている逆立った汚《きたな》い髯《ひげ》。

 彼は町内では、フーイエ親父《おやじ》だのフーイエットだのラ・フーイエットお父《とっ》つあんだのという名で知られていた――怒らせるためにはラ・ファイエットと呼ばれた。
 というのは、この老人は政治上では過激思想にとらわれていた。
 ごく若いころパリー臨時政府に関係したことがあって、死刑を宣告されたがあとで流罪に処せられたのだった。

 彼は過去の思い出を自慢にしていて、バダンゲやガリーフェやフートリケなどをいっしょにして恨んでいた。
 彼は革命者らの会合につとめて出て来て、コカールに惚《ほ》れ込み、コカールがみごとな髯と雷のような声とで予言する復讐《ふくしゅう》観念に魅せられていた。

 コカールの演説を一つも聞きもらしたことがなく、その言葉を鵜呑《うの》みにし、その諧謔《かいぎゃく》に頤《あご》を打ち開いて打ち笑い、その罵《ののし》りに湯気をたてて憤り、戦闘と約束された天国とに夢中になっていた。

 翌日になると自分の店で、新聞にのってる演説の梗概《こうがい》を熟読し、自分のためにまた小僧のために高々と読み返した。
 それをよく味わうために小僧に読まして、一行でも読み落とそうものなら殴《なぐ》りつけた。
 それで、約束の期限までに品物を渡すことがしばしば遅れた。
 その代わり仕事は確かなものだった。
 はく人の足を擦《す》り減らしはしても靴のほうは減らなかった。

 老人は自分の家に十三歳の孫をもっていた。
 佝僂《せむし》で病身でいじけていたが、小僧の役目をしていた。
 彼の母親は、十七歳のとき家を捨てて、よからぬ労働者と駆け落ちしたのだった。
 その労働者は無頼漢となり、やがて捕えられて処刑され、それから姿を消してしまった。

 彼女は子供のエマニュエルと二人きりになり、家の者からは寄せつけられなかったが、エマニュエルを大事に育てた。
 情夫にたいする愛情と憎しみとを子供のほうへ向けていた。
 彼女は病的なまでに嫉妬《しっと》深い気荒な女だった。
 熱烈に子供をかわいがり、手荒に子供をいじめつけ、子供が病気になると気も狂わんばかりに絶望するのだった。

 機嫌《きげん》が悪いときには、食事どころか一片のパンも与えないで子供を寝かしておいた。
 手を引いて往来を歩くようなとき、子供が疲れてしまったり、もう前へ進みたがらなくて地面にすわったりしようものなら、足で蹴《け》りつけて引き立てた。
 彼女の言葉には取り留めがなかった。
 涙を流してるかと思うとまたすぐに、ヒステリー的な陽気さではしゃいでいた。

 彼女は死んだ。
 祖父は当時六歳になる子供を引き取った。
 彼は子供をごくかわいがった。
 しかし独特のやり方で愛情を示すのだった。

 すなわち職業を覚えさせるために朝から晩まで、子供をひどく取り扱い、いろんな悪口を浴びせかけ、耳を引っ張ったり打ったりした。
 それと同時にまた、自分の社会的な反僧侶的な教理を教え込んだ。
 エマニュエルは祖父がけっして意地悪でないことを知っていた。
 けれどその頬《ほお》打ちを防ぐためにはいつでも肱《ひじ》を上げるだけの覚悟があった。

 彼にはこの老人が恐《こわ》かった。
 ことに老人が酩酊《めいてい》してるときは恐かった。
 というのは、ラ・フーイエットお父《とっ》つあん(樽《たる》のお父つあん)はその綽名《あだな》にしごく相当していて、月に二、三回は酔っ払っていた。
 酔っ払うと、めちゃめちゃなことをしゃべり、笑い出し、様体ぶり、しまいにはいつも子供に当たり散らした。
 それも騒ぎのほうが大きくて、そうひどいことはしなかった。

 しかし子供はおずおずしていた。
 彼は病身のために人一倍物に感じやすかった。
 彼は早熟な知力をもっていたし、母親から粗野奔放な心を受け継いでいた。
 そして、祖父の乱暴と革命的宣言とに心顛動《てんどう》していた。
 重い乗合馬車が通るとき店が揺れるのと同じように、彼のうちではすべてが外界の印象から反響を受けていた。

 彼の狂乱した想像の中には、鐘の振動のようになっていろんなものが交じり合っていた。
 日々の感覚、幼な心の大きな苦しみ、尚早な経験の痛ましい思い出、パリー臨時政府の物語、夜学や新聞小説や会合の演説などの断片、一家の者から受け継いだ混濁した急激な性的本能。すべてのものがいっしょになって、闇夜《やみよ》の中の沼みたいな奇怪な夢の世界をこしらえていて、そこから希望の眩《まぶ》しい光が迸《ほとばし》り出ていた。

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