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名作を読みませんかコミュの人形の家   ヘンリック・イプセン ・作   5

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リンデン ですけれど――さつきのお醫者さまは?

ノラ   何ですの?

リンデン 私、こちらへ參つた時に、丁度女中さんがさう申してゐやしませんでしたか?

ノラ   えゝ、えゝ、ランク先生。
     あの人はね、病氣を見に來るんぢやありません。
     私共の親友でして、毎日缺かさず、あゝやつて話しに來るんですよ。

     トルヴァルトはその後一日でも病氣で寢たことなんかありません。
     それから子供も丈夫で元氣ですし、私もこの通りぴん/\してゐるでせう

     (とび上つて手を叩き)
     ねえ、まあ、クリスチナさん、生きてゐられて、それで幸福でさへあれば、
     これ程結構なことはありませんねえ。

     あら、私まあ、本當にどうしたんでせう、自分のことばかり喋つてゐて
     (すぐ前にある足載臺の上に坐りクリスチナの膝に兩手をかけて)
     どうぞね、怒らないでゐて頂戴。
     さあ今度は私が聽き手ですよ。

     實際ですか、あなたはお連れ合を愛していらつしやらなかつたといふのは?
     それでどうして結婚なすつたの?

リンデン その頃はまだ私の母が生きてまして、床へ就いたきり動けなかつたのですよ。
     で、一方には二人の弟の世話もしなくちやならないし、
     いつそのこと、あの人から申込んで來たのを幸ひ、
     身を固めるのが私の義務かと思つたのです。

ノラ   それはねえ。で、その方は金持だつたんでせう?

リンデン 工面がよかつたやうですよ。
     けれども、やつてる事業が手固く行かなかつたもんですから、
     あの人が亡くなると一緒に目茶々々に壞れてしまひましてね、
     塵一つ殘らない目に逢ひました。

ノラ   それから?

リンデン それから色々工夫しまして店を開いてみたり小さな學校もやつてみたり、
     できるだけのことはしてみました。
     この三年間は私に取つちや、長い絶間のない戰爭でしたよ。

     けれども、もうそれも終へました。
     心配してゐた母は、もう私に用のない身になつて墓場へ行くし、
     弟達は仕事の口があつて獨立してやつてゐます。

ノラ   さぞ、自由な身になつたとお思ひでせうね。

リンデン いゝえ、ノラさん、何ともいへない淋しいものですよ。
     誰を當に生きてるといふぢやなし

     (いらいらした樣子で立ち上り)
     私があんな邊鄙な處に居たゝまらなくなつたのもそのためです。
     こちらへ來たら本當に仕甲斐のある仕事が見つかるだらうと思ひましてね。
     何でもいゝから私の氣を外へ散らさせない仕事がしたいと思ひますのよ。
     何かきまつた勤め口でもあればいゝんですがねえ――會社へでも出るやうな――

ノラ   だけどクリスチナさん、そんなことは氣の詰るものでせうよ。
     あなたは大變疲れていらつしやるやうだから、
     それよりか温泉にでも行つて保養した方がよかありません?

リンデン (窓の方へ行きながら)
     私にはお金を出してくれる父もゐませんし。

ノラ   あら、お氣に障つたらご免なさいね。

リンデン (ノラの方へ行きながら)
     ノラさん、ねえ、私こそお氣に障つたらご免なさいよ。
     私のやうな不幸な身になりますとね、氣難かしくばかりなつてね、
     誰を當ともなく、それでゐていつも油斷してはゐられないし、
     第一生きて行かなくちやなりませんから、どうしても手前勝手になります。

     さつきもあなた方がお仕合せな身分にお成りだと聞いた時は――
     お恥かしいことですが――私、あなた方よりも自分のために、
     まあよかつたと思つたのですよ。

ノラ   といひますと?
     あゝわかりました。主人があなたのために盡力してくれるだらうと仰有るのでせう?

リンデン えゝ、さう思つたのですよ。

ノラ   盡力させますとも。
     そのことはすつかり私にお任せなさい。
     私が何かあの人の氣の向くやうに旨《うま》いことを考へて、
     見事にやらせて見せます。
     本當にまあ私、何かあなたのおためになるやうなことがしたいわ。

リンデン 美しいご親切ですわねえ。
     美しいといへば、あなたのご氣性は本當に美しい、
     浮世の荒い波風に揉まれていらつしやらないから。

ノラ   私が?
     揉まれてゐないんですつて――?

リンデン (微笑しながら)
     さうですね、少しばかりの内職くらゐのものでせう。
     全くのねんねえでいらつしやるのですよ。

ノラ   (頭を立てゝ室内を歩く)
     おや/\、そんなにねんねえ扱ひにするもんぢやありませんわ。

リンデン ぢやあないんですか?

ノラ   あなたも外の人と同じことねえ、みんな寄つてたかつて、
     私をまるで眞面目なことの出來ない人間にしてしまつてよ。

リンデン それはね――

ノラ   私、この窮屈な世間の苦勞をまるで知らないと思つてらつしやるのね。

リンデン だつてノラさん、あなたは今、
     これまでの苦勞をみんなお話なすつたぢやありませんか。

ノラ   ほゝ――あんな詰らないこと!
     (柔かに)
     私まだ大事件をお話してませんわ。

リンデン 大事件ですつて?
     どんなこと?

ノラ   あなたが私を見くびつていらつしやるのは知つてますけどね、
     あなたにその權利はないわよ、
     お母さんのために長い間一生懸命お働きなすつたといふのが、あなたの誇りでせう?

リンデン 私、決して人樣を見くびりなんかしません、
     もつとも、私が母の最後を安樂にしてやつたことは、
     考へると嬉しくもあり誇りとも存じてゐます。

ノラ   それから、あなたのご兄弟のためにお盡しなすつたことも誇りでせう?

リンデン 當り前のことぢやありませんか。

ノラ   無論ですとも。
     で今度は私の番ですがね。私も嬉しく思つて誇りにしてゐることがあるのですよ。

リンデン さうでせうとも。
     どうかそれを聞かせて下さい。

ノラ   しつ!
     大きな聲をしちやいけませんよ。
     トルヴァルトが聞かうものなら大變です。
     あの人にはどんなことがあつても聞かせられないことなんです。
     誰にも知らさないで――たゞあなただけにですよ。

リンデン どんなことでせう?

ノラ   まあ此處へいらつしやい
     (自分の傍へ、ソファに坐らせて)
     さうですよ、私、誇りにして喜んでゐることが一つあるのですよ。
     トルヴァルトの命を救つたのは私です!

リンデン 命を救つたとおつしやると?
     どうしてです?

ノラ   私共のイタリヤに行つたことをお話したでせう?
     あの時、もしイタリヤに行かなかつたら、
     トルヴァルトは死んでしまつたのですよ。

リンデン えゝ、それであなたのお父さんがお金を下すつて。

ノラ   (微笑しながら)
     えゝ、トルヴァルト始めみんなさう信じてゐますけれどね。

リンデン けれども、どうしましたの?

ノラ   父は一文もくれたのぢやありません、私がそのお金を拵へたのです。

リンデン あなたが?
     すつかりそのお金を?

ノラ   千三百ターレル、四千八百クローネ。
     どうでせう?

リンデン まあ、ノラさん、どうしてそれが出來ました?
     富籤でも當つたの?

ノラ   (蔑んだ樣子で)
     富籤ですつて?
     そんなことならどんな馬鹿にでも出來ますわ。

リンデン ぢや何處からそのお金を手に入れたの?

ノラ   (鼻唄を唄ひ、不思議な微笑を見せる)
     ふむ。
     ツラ、ラ、ラ、ラ。

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