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名作を読みませんかコミュの源氏物語  与謝野晶子・訳  23

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 右近のこの話で源氏は自身の想像が当たったことで満足ができたとともに、その優しい人がますます恋しく思われた。
 「小さい子を一人行方(ゆくえ)不明にしたと言って中将が憂鬱(ゆううつ)になっていたが、
  そんな小さい人があったのか」
 と問うてみた。

 「さようでございます。
  一昨年の春お生まれになりました。
  お嬢様で、とてもおかわいらしい方でございます」

 「で、その子はどこにいるの、
  人には私が引き取ったと知らせないようにして私にその子をくれないか。
  形見も何もなくて寂しくばかり思われるのだから、それが実現できたらいいね」
 源氏はこう言って、

 また、
 「頭中将にもいずれは話をするが、あの人をああした所で死なせてしまったのが私だから、
  当分は恨みを言われるのがつらい。
  私の従兄(いとこ)の中将の子である点からいっても、
  私の恋人だった人の子である点からいっても、私の養女にして育てていいわけだから、
  その西の京の乳母にも何かほかのことにして、お嬢さんを私の所へつれて来てくれないか」
 と言った。

 「そうなりましたらどんなに結構なことでございましょう。
  あの西の京でお育ちになってはあまりにお気の毒でございます。
  私ども若い者ばかりでしたから、行き届いたお世話ができないということで、
  あっちへお預けになったのでございます」
 と右近は言っていた。

 静かな夕方の空の色も身にしむ九月だった。
 庭の植え込みの草などがうら枯れて、もう虫の声もかすかにしかしなかった。
 そしてもう少しずつ紅葉(もみじ)の色づいた絵のような景色(けしき)を右近はながめながら、思いもよらぬ貴族の家の女房になっていることを感じた。

 五条の夕顔の花の咲きかかった家は思い出すだけでも恥ずかしいのである。
 竹の中で家鳩(いえばと)という鳥が調子はずれに鳴くのを聞いて源氏は、あの某院でこの鳥の鳴いた時に夕顔のこわがった顔が今も可憐(かれん)に思い出されてならない。

 「年は幾つだったの、
  なんだか普通の若い人よりもずっと若いようなふうに見えたのも短命の人だったからだね」
 「たしか十九におなりになったのでございましょう。
  私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、
  三位(さんみ)様がかわいがってくださいまして、
  お嬢様といっしょに育ててくださいましたものでございます。

  そんなことを思いますと、あの方のお亡(な)くなりになりましたあとで、
  平気でよくも生きているものだと恥ずかしくなるのでございます。
  弱々しいあの方をただ一人のたよりになる御主人と思って右近は参りました」

 「弱々しい女が私はいちばん好きだ。
  自分が賢くないせいか、あまり聡明(そうめい)で、
  人の感情に動かされないような女はいやなものだ。
  どうかすれば人の誘惑にもかかりそうな人でありながら、
  さすがに慎(つつ)ましくて、
  恋人になった男に全生命を任せているというような人が私は好きで、
  おとなしいそうした人を自分の思うように教えて成長させていければよいと思う」

 源氏がこう言うと、
 「そのお好みには遠いように思われません方の、お亡(かく)れになったことが残念で」
 と右近は言いながら泣いていた。
 空は曇って冷ややかな風が通っていた。

 寂しそうに見えた源氏は、


見し人の煙を雲とながむれば夕(ゆふべ)の空もむつまじきかな


 と独言(ひとりごと)のように言っていても、返しの歌は言い出されないで、右近は、こんな時に二人そろっておいでになったらという思いで胸の詰まる気がした。

 源氏はうるさかった砧(きぬた)の音を思い出してもその夜が恋しくて、
 「八月九月正長夜(まさにながきよ)、千声万声(せんせいばんせい)無止時(やむときなし)」 と歌っていた。

 今も伊予介(いよのすけ)の家の小君(こぎみ)は時々源氏の所へ行ったが、以前のように源氏から手紙を託されて来るようなことがなかった。
 自分の冷淡さに懲りておしまいになったのかと思って、空蝉(うつせみ)は心苦しかったが、源氏の病気をしていることを聞いた時にはさすがに歎(なげ)かれた。

 それに良人(おっと)の任国へ伴われる日が近づいてくるのも心細くて、自分を忘れておしまいになったかと試みる気で、

 このごろの御様子を承り、お案じ申し上げてはおりますが、それを私がどうしてお知らせすることができましょう。


問はぬをもなどかと問はで程ふるにいかばかりかは思ひ乱るる


苦しかるらん君よりもわれぞ益田(ますだ)のいける甲斐(かひ)なきという歌が思われます。

 こんな手紙を書いた。

 思いがけぬあちらからの手紙を見て源氏は珍しくもうれしくも思った。
 この人を思う熱情も決して醒(さ)めていたのではないのである。

 生きがいがないとはだれが言いたい言葉でしょう。


うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よ


 はかないことです。

 病後の慄(ふる)えの見える手で乱れ書きをした消息は美しかった。
 蝉(せみ)の脱殻(ぬけがら)が忘れずに歌われてあるのを、女は気の毒にも思い、うれしくも思えた。

 こんなふうに手紙などでは好意を見せながらも、これより深い交渉に進もうという意思は空蝉になかった。
 理解のある優しい女であったという思い出だけは源氏の心に留めておきたいと願っているのである。

 もう一人の女は蔵人(くろうど)少将と結婚したという噂(うわさ)を源氏は聞いた。
 それはおかしい、処女でない新妻を少将はどう思うだろうと、その良人(おっと)に同情もされたし、またあの空蝉の継娘(ままむすめ)はどんな気持ちでいるのだろうと、それも知りたさに小君を使いにして手紙を送った。

死ぬほど煩悶(はんもん)している私の心はわかりますか。


ほのかにも軒ばの荻(をぎ)をむすばずば露のかごとを何にかけまし


 その手紙を枝の長い荻(おぎ)につけて、そっと見せるようにとは言ったが、源氏の内心では粗相(そそう)して少将に見つかった時、妻の以前の情人の自分であることを知ったら、その人の気持ちは慰められるであろうという高ぶった考えもあった。

 しかし小君は少将の来ていないひまをみて手紙の添った荻の枝を女に見せたのである。
 恨めしい人ではあるが自分を思い出して情人らしい手紙を送って来た点では憎くも女は思わなかった。
 悪い歌でも早いのが取柄(とりえ)であろうと書いて小君に返事を渡した。


ほのめかす風につけても下荻(したをぎ)の半(なかば)は霜にむすぼほれつつ


 下手(へた)であるのを洒落(しゃ)れた書き方で紛らしてある字の品の悪いものだった。
 灯(ひ)の前にいた夜の顔も連想(れんそう)されるのである。
 碁盤を中にして慎み深く向かい合ったほうの人の姿態にはどんなに悪い顔だちであるにもせよ、それによって男の恋の減じるものでないよさがあった。

 一方は何の深味もなく、自身の若い容貌(ようぼう)に誇ったふうだったと源氏は思い出して、やはりそれにも心の惹(ひ)かれるのを覚えた。
 まだ軒端の荻との情事は清算されたものではなさそうである。

 源氏は夕顔の四十九日の法要をそっと叡山(えいざん)の法華堂(ほっけどう)で行なわせることにした。
 それはかなり大層なもので、上流の家の法会(ほうえ)としてあるべきものは皆用意させたのである。

 寺へ納める故人の服も新調したし寄進のものも大きかった。
 書写の経巻にも、新しい仏像の装飾にも費用は惜しまれてなかった。
 惟光(これみつ)の兄の阿闍梨(あじゃり)は人格者だといわれている僧で、その人が皆引き受けてしたのである。

 源氏の詩文の師をしている親しい某文章博士(もんじょうはかせ)を呼んで源氏は故人を仏に頼む願文(がんもん)を書かせた。
 普通の例と違って故人の名は現わさずに、死んだ愛人を阿弥陀仏(あみだぶつ)にお託しするという意味を、愛のこもった文章で下書きをして源氏は見せた。
 「このままで結構でございます。これに筆を入れるところはございません」
 博士はこう言った。

 激情はおさえているがやはり源氏の目からは涙がこぼれ落ちて堪えがたいように見えた。
 その博士は、
 「何という人なのだろう、
  そんな方のお亡(な)くなりになったことなど話も聞かないほどの人だのに、
  源氏の君があんなに悲しまれるほど愛されていた人というのはよほど運のいい人だ」
 とのちに言った。

 作らせた故人の衣裳(いしょう)を源氏は取り寄せて、袴(はかま)の腰に、


泣く泣くも今日(けふ)はわが結(ゆ)ふ下紐(したひも)をいづれの世にか解けて見るべき


 と書いた。

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