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名作を読みませんかコミュの「ジャン・クリストフ」  ロマン・ロラン  144

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 クリストフは、時々数時間しかコレットに会っていなかったし、彼女の転身の二、三をしか見ることができなかったので、右のようなことを知るだけでもかなり困難だった。
 いったい彼女はいつが真面目《まじめ》なのか。
 あるいは、彼女はいつも真面目なのか。
 あるいは、彼女は決して真面目なことがないのか、それを彼は怪しんでいた。

 コレット自身もそれには答えることができなかったろう。
 遊惰な拘束された欲望にすぎない多くの若い娘と同じく、彼女も闇夜《やみよ》の中に生きていた。

 自分がいかなるものであるかをも知らなかった。
 なぜなら、自分の欲するところを知らなかったし、実際に行なってみないうちはそれを知ることができなかった。
 そして彼女は、周囲の人々の真似《まね》をしようとつとめ、彼らの道徳的標準にならおうとつとめながら、できるだけ多くの自由と少しの危険とをもって、自己流に行なってみるのだった。
 彼女は選択を急がなかった。
 すべてを利用するためにすべてをあやなしたがっていた。

 しかしクリストフのような友を相手には、都合よくいかなかった。
 人が彼を捨てて、彼から尊敬されていない者らを取り、もしくは彼から軽蔑《けいべつ》されてる者らを取ることは、彼も許していた。

 しかし彼は彼らと同視されることを人に許さなかった。
 人はそれぞれ自分の趣味をもっている。
 しかし少なくとも、趣味は一つでなければいけない。

 彼がことに我慢しかねたことは、彼から最も厭《いや》がられるようなくだらない青年らを、コレットが自分の周囲に集めて喜んでるらしいことだった。
 たまらない気取りやどもで、多くは金持ちでとかく閑散であるか、あるいは何かの官省の閑官の気に入りであった。

 いずれにしても同じことだった。
 皆物を書いていた。
 書いてると自称していた。
 それは第三共和政時代における一つの精神病であった。

 ことに虚栄的な怠惰の一形式であった。
 知的労働はあらゆる労働のうちで、最も点検しがたいものだったし、最も空威張《からいば》りのきくものだったから。
 彼らはその大なる労苦については、控え目ではあるがしかしもったいぶった言葉を、少しばかり口にするきりだった。
 自分の仕事の重大さをしみじみ感じてるがようであり、その重荷の下に苦しんでるがようだった。

 初めのうちクリストフは、彼らの作品や名前を全然知らないので少々困却した。
 そしてひそかに調べてみた。
 戯曲界の大立物だと彼らから言われている一人の男の書いた物を、彼はことに知りたかった。

 ところが、その大劇作家はただ一幕物を一つ作ったのみだと知って、彼はびっくりした。
 しかもその一幕物が、最近十年間にわたって彼らの雑誌の一つに発表された、一連の短編というよりむしろ一連の小品からでき上がった一つの長編小説を、さらに抜粋してきたものであった。

 他の者らの作も、同じような分量だった。
 二、三の一幕物、二、三の短編、二、三の詩だった。
 一つの論文で名高くなってる者もいた。
 「これから作るはずの」書物で有名になってる者もいた。

 彼らは大きな長い作品をいつも軽蔑《けいべつ》していた。
 文句中の言葉の布置を極端に重んじているらしかった。
 それでも、「思想」という言葉が彼らの話にはしばしば出て来た。

 しかし普通の意味とは異なってるらしかった。
 文体の些細《ささい》な事柄にその言葉をあてはめていた。
 とは言え、彼らのうちにも、偉大な思想家や偉大な諷刺《ふうし》家がいた。
 そういう連中は、物を書く時に、深遠巧妙な言葉を読者が見誤らないようにとイタリックになしていた。

 彼らは皆自己崇拝者であった。
 それが彼らの有する唯一の崇拝だった。
 その崇拝を他人にも分かとうとしていた。
 あいにくなことには、他人も皆それをすでにそなえていた。

 彼らは話すにも、歩くにも、煙草《たばこ》を吹かすにも、新聞を読むにも、頭や眼を向けるにも、たがいに挨拶《あいさつ》し合うにも、たえず公衆を念頭に置いてやっていた。
 道化《どうけ》は青年につきものである。
 彼らが微々たる人物であればあるほど。

 換言すれば人から閑却さるればさるるほど、なおさらそうである。
 ことに女性にたいしては、ひどく骨を折る。
 なぜなら、女性を渇望してるからであり、女性から渇望されることを――さらに――望んでいるからである。

 しかし初対面の男にたいしてさえ、彼らは気取ってみせる。
 唖然《あぜん》たる眼つきをしか期待できないような擦《す》れ違う男にたいしてさえ、そうである。
 クリストフはしばしばそういうくだらない孔雀《くじゃく》の雛《ひな》どもに出会った。

 画家や音楽家や俳優などの卵どもであって、ヴァン・ダイク、レンブラント、ベラスケス、ベートーヴェン、などのよく知られてる様子をまねたり、りっぱな画家、りっぱな音楽家、りっぱな労働者、深遠な思想家、快活な好男子、ダニューヴの百姓、自然人、などの役割を演じたりしていた。

 他人に注目されてるかどうかを見るために、通りすがりにちらと横目をつかった。
 クリストフは彼らがやって来るのを見、いよいよそばに近づいてくると、意地悪くも素知らぬ顔で眼をそらした。
 しかし彼らは長く気にかけはしなかった。二、三歩も行くと、もう次に出会う人に気取って見せていた。

 コレットの客間に集まる連中は、いくらか垢《あか》ぬけがしていた。
 彼らはことに精神を粉飾《ふんしょく》していた。
 二、三のモデルをもっていた。
 しかもそのモデルがすでに本物ではなかった。

 あるいはまた、彼らは一つの観念をまねていた。
 力、喜悦、憐憫《れんびん》、連帯責任、社会主義、無政府主義、信仰、自由、などと。
 それが彼らの役割だった。
 最も高尚な思想をも文学上の一事となし、人間の魂の最も勇壮な飛躍にも、流行の襟《えり》飾りと同じ役目を帯ばせるだけの才能を、彼らはりっぱにそなえていた。

 しかし彼らの最も得意な世界は、恋愛であった。
 恋愛は彼らの領有だった。
 快楽の研究においては彼らの通じないところはなかった。
 彼らはその手腕に任して、解釈の名誉を得んがために新しい問題までこしらえ出した。

 そういうことはいつでも、他に能事のない連中の仕事だった。
 恋をしていないから、せめて「恋を作り出す」のである。
 そしてことに恋を説き明かすのである。
 原文はきわめて貧弱なくせに、注釈が馬鹿《ばか》に豊富だった。

 社会学は最も放縦《ほうしょう》な思想に珍味を与えていた。
 当時はすべてが社会学の天幕に覆《おお》われていた。
 自分の不貞な欲望を満足させるのがいかに愉快であろうとも、それを満足させながら新時代のために働いているのだと思い込まなかったら、何か物足りない点が生ずるほどだった。

 それは明らかにパリー的な一種の社会主義であった。
 恋愛社会主義であった。
 かかる恋愛の小宮廷を当時沸きたたせていた問題の中に、結婚における男女の平等および恋愛にたいする権利の平等というのがあった。

 善良で正直で抗弁好きでやや滑稽《こっけい》な青年ら――スカンジナヴィア人やスイス人のごとき――がいて、貞操の平等を要求して、女子と同じく男子も童貞で結婚すべきことを主張していた。
 パリー式の通人らは他の種類の平等を、不品行の平等を要求して、男子と同様に女子も身を涜《けが》して結婚すべきことを――情人をもつの権利を――主張していた。

 パリー人らは、想像上においても実行上においてもあまりに姦淫《かんいん》をやり遂げたがために、それをもう無趣味に思い始めていた。
 文学界においては、もっと特殊な考案をもってそれに換えようとしていた。
 それは若い娘の売淫《ばいいん》であった。

 言う意味は、規則的な、普遍的な、貞節な、瑞正な、家庭的な、おまけに社会的な、売淫である。
 最近に現われた巧妙な一事が、この問題に範例をたれていた。
 諧謔《かいぎゃく》的な博識の四百ページ中で、「ベーコンの方法の規則に従って」、「快楽の最上整理法」が研究されていた。

 それは自由恋愛の講義で、優雅、適宜、良趣味、品位、美、真理、貞操、道徳、などがしきりに説かれていた。
 堕落したがってる上流の若い娘らにとっては、ベルカン式の好読物だった。
 それは一時福音書となって、コレットの小宮廷でも盛んにもてはやされ、注釈されていた。

 もちろん、弟子《でし》たちのいつものやり方に漏れず彼らも、正しいものや、よく観察されたものや、かなり人間的なものまでが、逆説の下に隠されてるのをすべてうち捨てて、その悪いものをばかり取り上げていた。
 その甘いちっちゃな花の花壇から、彼らは最も有毒なものを摘み取らずにはおかなかった。

 すなわち次のような警句を。
 「逸楽の趣味は勤勉の趣味を鋭敏にするのみである。」
 「処女が享楽しないうちに母となるのは奇怪である。」
 「童貞の男子を所有することは女子にとって、思慮深き母性へ至る自然の準備である。」

 「息子《むすこ》の自由を護るに用いると同じ微妙謹直な精神をもって、
  娘の自由を取り計らってやるのは」母親たる者の役目である。
 「年若な娘らは現今、講演会や友人の家の茶話会などから平気な顔でもどってくるが、
  それと同じ様子で情人のもとからもどってくる」時代が、やがて来るであろう。

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