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名作を読みませんかコミュの「ジャン・クリストフ」  ロマン・ロラン  137

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 フランスは慧敏《けいびん》だと自称してるくせに、滑稽《こっけい》にたいしては少しも感じがないということを、クリストフは見て取って驚いた。
 何よりもいけないのは、宗教が流行してる時だった。
 当時、四旬節祭の間、俳優らがゲーテ座で、オルガンの伴奏につれて、ボシュエの説教を読んでいた。

 イスラエル式の作者らが、イスラエル式の女優のために、聖テレザに関する悲劇を書いていた。
 ボディニエール座では十字架への途が演ぜられ、アンビギュ座では幼きキリストが、ポルト・サン・マルタン座では御受難が、オデオン座ではイエスに傍点]が、動植物園ではキリストに関する管絃楽の組曲が、それぞれ演ぜられていた。
 ある華々《はなばな》しい話し手が、豊艶《ほうえん》な恋愛の詩人が、シャートレー座で贖罪について講演をしていた。

 もとより、これらの俗人らが福音書中で最もよく頭に留めてるのは、ピラトとマグダラのマリアとであった。
 「真理とはなんぞや?」と狂気の処女とであった。
 そして広場を彷徨《ほうこう》する彼らのキリストは恐ろしく饒舌《じょうぜつ》で、世間的良心批判のごく機微な点にまで通じていた。

 クリストフは言った。
 「これはいちばんひどい。
  虚偽の化身《けしん》だ。
  僕は息がつけなくなる。
  出て行こう。」

 それでも、偉大な古典芸術が存在していた。
 現代ローマの気障《きざ》な建築物中における、古代殿堂の廃址《はいし》のように、それは近代の工芸品の中にそびえ立っていた。
 しかしクリストフは、モリエールを除いては、それを鑑賞し得るまでになっていなかった。

 彼には言葉の深い意味がわからなかった。
 したがって、民族の特性がつかめなかった。
 十七世紀の悲劇くらい彼にわかりにくいものはなかった。
 それはちょうどフランスの中心に位しているがためにかえって、外国人にとっては最も近づきがたいフランス芸術の田舎《いなか》だった。

 クリストフから見ると、それはたまらなく退屈なもので、冷淡乾燥で、嬌媚《きょうび》や衒学《げんがく》を事としてる嫌味《いやみ》なものだった。
 貧弱なあるいは無理な筋の運び、修辞学の議論みたいに抽象的な、あるいは社交婦人の会話みたいに実のない人物。

 古い主題と主人公との漫画。
 理性と理屈と空論と心理と時代後《おく》れの考古学との陳列。
 議論に議論に議論、フランス流のはてしない饒舌《じょうぜつ》。
 それがりっぱであるかどうかを、クリストフは皮肉にも判断することを拒んだ。

 彼はそういうものに少しも興味を覚えなかった。
 シンナの演説者らによって代わる代わる主張される問題がたといなんであろうと、それら議論機械のいずれが最後に勝利を占めるかは、彼にとってまったく無関係だった。
 そのうえ彼は、フランスの観客が自分と同意見でないこと、たいへん喝采《かっさい》してることを、見て取ったのである。

 しかしそれは、彼の誤解を一掃する役にはたたなかった。
 彼は観客を通じて芝居を見ていた。
 そして、古典者流のある変形した特質を、近代フランス人のうちに認めた。
 あまりに明徹な眼が、婀娜《あだ》な老婦人のしぼんだ顔のうちに、その娘の純粋な顔だちを見て取るがようなものだった。

 そういう観察は、恋の幻を生ぜしむるにはあまり適しないものである。
 たがいに顔を見馴《みな》れてる一家族の人々のように、フランス人はその類似さに気づかないでいた。
 しかしクリストフはそれにびっくりして、それを誇張していた。
 もはやその類似をしか眼に止めなかった。

 現代の芸術は、偉大な祖先の漫画を示しているように思われた。
 そして偉大な祖先自身も、彼の眼には漫画として映じた。
 崇高な荒唐無稽《こうとうむけい》な心境を至るところにもち出そうと熱中してる、末流の詩的修辞家らと、本物のコルネイユとを、彼はもはや区別しなかった。

 またラシーヌも気障《きざ》な態度で自分の心をのぞいてるパリーの群小心理家らの末流と、混同して考えられた。
 それらの老書生らは、少しも古典芸術の外に踏み出さなかった。
 批評家らは際限もなくタルチュフやフェードルについて議論をつづけていた。

 それに少しも飽きることがなかった。
 老人になってからも、子どもの時に面白がった同じ冗談に笑っていた。
 民族がつづく最後までそのとおりかもしれなかった。
 およそ世界のいかなる国でも、祖先崇拝の情をかほど根深く維持してるものはなかった。

 宇宙のうちで祖先以外の他の部分は、彼らになんらの興味をも起こさせなかった。
 いかに大多数の者が、フランスにおいて大王の御代において書かれたもの以外は、何一つ読んでいなかったし、何一つ読みたがらなかったことだろう!
 彼らの芝居には、ゲーテも、シルレルも、クライストも、グリルパルツェルも、ヘッベルも、ストリンドベリーも、ローペも、カルデロンも、他国のいかなる偉人の作も、演ぜられていなかった。

 ただ古代ギリシャの物だけは別だった。
 彼らは古代ギリシャの後継者だと自称していた。
 ヨーロッパのあらゆる国民と同様に。
 またごくまれにシェイクスピヤを取り入れたがっていた。

 それは試金石だった。
 彼らのうちには演戯上の二派があった。
 一方では、エミル・オージエの劇のように、通俗的な写実主義をもって、リヤ王を演じていた。
 他方では、ヴィクトル・ユーゴー式の声太な勇ましい調子で、ハムレットを歌劇《オペラ》にしていた。

 現実も詩的であり得ること、生命にあふれた心にとっては詩も一の自発的言語であること、などを彼らは思い及ばなかった。
 そしてシェイクスピヤは虚偽のように思われて、また急いでロスタンに立ちもどっていた。

 けれどもこの二十年来、芝居を改革するために努力が尽くされていた。
 パリー文学の狭い範囲は広げられていた。
 大胆を装《よそお》ってすべてに手が触れられていた。
 外部の変動が、一般の生活が、恐ろしい力で慣習の幕を押し破ったことも、二、三度あった。

 しかしながら、その裂け目はまた急いで縫い合わされた。
 ありのままに事物を見ることを恐れてる、気の小さな父親らであった。
 社会の精神、古典的伝統、精神と形式との旧習、深い真摯《しんし》の欠乏、などは彼らをして、その大胆な試みを最後まで押し進めることを許さなかった。
 最も痛切な問題も巧みな遊戯となった。

 そしていつも帰するところは婦人――つまらない婦人――の問題であった。
 イプセンの勇壮な無秩序、トルストイの福音、ニーチェの超人など、偉大な人々の影法師が、彼らの舞台でなんと悲しげな顔をしていたことだろう!
 パリーの著作者らは、新しいことを考えてる様子をするのに、たいへん骨折っていた。
 が根本は皆保守的であった。

 大雑誌、大新聞、政府補助の劇場、学芸会などのうちにあって、過去が、「永遠なる昨日」が、これほど一般的に君臨してる文学は、ヨーロッパに他に例がなかった。
 パリーが文学における関係は、ロンドンが政治におけるのと等しかった。
 すなわちヨーロッパ精神の調節機であった。

 フランス翰林院《かんりんいん》は、一つのイギリス上院であった。
 旧制に成っている幾多の制度は、その古い精神を新しい社会に飽くまで課そうとしていた。
 革命的な諸分子は、すぐに排斥されるか同化されるかした。
 そうされるのがまた彼らの本望でもあった。

 政府は政治上では社会主義的態度を装《よそお》っていたが、芸術上では、官学派の導くままになっていた。
 人々は諸学芸会にたいして民間の団体としてしか争わなかった。
 それもへまな争い方だった。
 なぜなら、団体の一人がある学芸会にはいり得るようになると、すぐにそれへはいり込んで、最もひどく官学風になるからであった。

 そのうえ、ある軍隊の前衛にいようが後列にいようが、作者はその軍隊の捕虜《ほりょ》であり、その軍隊の思想の捕虜であった。
 ある者は官学的な信条のうちに蟄居《ちっきょ》し、ある者は革命的な信条のうちに蟄居していた。
 そして結局は、いずれにしても同じ目隠しであった。

 クリストフの眼を覚《さ》まさせるために、シルヴァン・コーンはまた特殊な芝居へ連れて行こうと言い出した。
 精練の極致たる芝居へ。
 そこでは、殺戮《さつりく》、強姦《ごうかん》、狂暴、拷問、えぐり出された両眼、臓腑《ぞうふ》をぬき出された腹など、あまりに開化した選良人らの神経を刺激し、隠れたる野蛮性を満足させるようなものが、見られるのであった。

 美しい女や当世風の才士などからなる観客――裁判所の息苦しい室の中に午後じゅうはいり込んで、しやべったり笑ったりボンボンをかじったりしながら、破廉恥な裁判を傍聴するのと、同じような奴《やつ》ら――に、それは非常な魅力を及ぼしていた。

 しかしクリストフは、憤然としてそれを拒んだ。
 この種の芸術にはいり込めばはいり込むほど、臭気がますますはっきりしてきて、やがて彼をとらえ、ほのかに匂《にお》ってたのが、次に執拗《しつよう》になり、息苦しいほどになってきた。

 それは死の臭気だった。
 死、それはかかる華麗と喧騒《けんそう》とのもと至るところにあった。
 それらのある作品にたいしてただちに嫌悪《けんお》の情を感じたのが、なにゆえであるか今やクリストフにわかった。

 彼を不快ならしめたのは、その不道徳ではなかった。
 道徳、不道徳、非道徳。
 そういう言葉は皆なんらの意味をもなさない。
 クリストフはかつて道徳論をたてたことはなかった。
 彼は過去のうちに、ごく偉大な詩人と音楽家とを愛していた。

 しかしそれらはけちな聖者ではなかった。
 彼は偉大な芸術家に出会う機会を得る時、告白録を尋ねはしなかった。
 むしろこう尋ねた。
 「あなたは健全ですか。」
 健全であること、それが万事だった。

 ゲーテは言った。
 「もし詩人が病んでるなら、まず回復することから始めるがよい。
  回復したら、その時に書くがよい。」
 パリーの著作者らは病気になっていた。
 あるいは、健全な者はそれを恥として、健全なことをみずから押し隠し、りっぱな病気にかかろうとつとめていた。

 彼らの病気は、その芸術の何かの特質に現われてはしなかった。
 快楽の嗜好《しこう》に、思想の極端な放逸さに、破壊的な批評精神に、現われてはしなかった。
 すべてそれらの特質は、健全でも不健全でもあり得るのであった。

 場合によっては、実際にそうであった。
 その中には死の萌芽《ほうが》は少しもなかった。
 もし死があるとしても、それはそういう力から来たのではなかった。
 それらの人々の力の使い方から来たのであった。
 それらの人々の中にあるのであった。

 そして彼クリストフもまた、快楽を好んでいた。
 彼もまた自由気ままを好んでいた。
 彼はかつて種々意見を率直に述べたために、故郷の小さなドイツの町で不評を買ったことがあった。

 ところが今では、それらの意見がパリー人らによって唱道されているのを見出し、そしてパリー人らによって唱道されてると、今では嫌悪《けんお》の情を感じた。
 それにしても意見は同じものだった。

 しかしながら同じ響きをたててはいなかった。
 クリストフがいらだって、過去の大家らの軛《くびき》を払いのけた時、パリーの審美眼と道徳とにたいする征途にのぼった時、それは彼にとって、これらの才人らにとってのように一つの遊戯ではなかった。

 彼は真摯《しんし》だった、恐ろしく真摯だった。
 そして彼の反抗の目的は、生命だった。
 来たるべき幾世紀間にわたる豊饒《ほうじょう》な巨大な生命だった。
 ところがこれらの人々にあっては、すべてが無益な享楽のみに向かっていた。

 無益、無益。
 それが謎《なぞ》を解く鍵《かぎ》であった。
 思想と官能との不妊的な放蕩《ほうとう》。機才と技巧とに富んだはなやかな芸術――確かに美しくはある形式、外国の影響を受けてもなお巍然《ぎぜん》とそびえてる美の伝統――芝居としての一つの芝居、文体としての一つの文体、おのれの業《わざ》をよく知ってる作者、書くことを知ってる著作者、かつて強健であった芸術の、思想の、かなり美しい骸骨《がいこつ》。
 が要するに骸骨だった。

 音色のよい言葉、響きのよい文句、空虚の中でぶつかり合う諸観念の金属性な軋《きし》り、機知と戯れ、肉感の纏綿《てんめん》してる頭脳、理屈っぽい感覚。
 すべてそれらのものは、なんの役にもたっていなかった、利己的な享楽以外にはなんの役にもたっていなかった。

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