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名作を読みませんかコミュの「ジャン・クリストフ」  ロマン・ロラン  136

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 すべてそれらのことは、上流社会、富裕な階級――唯一の有力な階級、においてであった。
 そういう社会においては、腐敗した商品を華美の魅惑に包んで、客に提供することができるからであった。
 かく扮装《ふんそう》して市場に立ち現われると、若い女や年取った男どもが、それを非常に喜んだ。
 屍体《したい》と後宮の臙脂《えんじ》との匂いが、そこから発散していた。

 彼らの文体も、その感情と同じく混成したものであった。
 彼らはあらゆる階級のまたあらゆる国の言葉から、一つの混合的隠語をこしらえていた。
 それは衒学《げんがく》的で、冗漫で、古典的で、叙情的で、気取りすぎた、嫌味《いやみ》たらしい、下等なものであって、外国的な調子をもってるように思われる、駄法螺《だぼら》や穿《うが》ちや露骨や機知などの混和だった。

 彼らは皮肉であって滑稽《こっけい》な気質をそなえてはいたが、自然の機才をあまりもっていなかった。
 しかし器用だったから、パリー風に機才をかなり巧みにこしらえ出していた。
 たとい宝石はいつも最も清く透きわたってはいないとは言え、またその縁取りがたいていおかしな凝りすぎた趣味になってるとは言え、少なくともそれは光を受くれば輝くのであった。

 それだけで十分なのだった。
 彼らはもとより怜悧《れいり》であって、りっぱな観察者ではあったが、その眼は商売生活のために数世紀来ゆがめられていて、顕微鏡で人の感情を調べ、細かな物を大きくなし、しかも虚飾を非常に好んで、偉大なものは少しも見えないので、実は近視眼的観察者であった。

 それゆえ彼らには、その成り上がり者的な紳士気取りの考えによって、上品な社会の理想だと思うようなもの以外は、何一つ描くことができなかった。
 盗み取った金と無節操な女とを争って享楽せんとする、疲れたる道楽者や冒険者などという一握りの人々のみだった。

 時とすると、ユダヤ的なそれら著作家等の真の性質が、ある言葉の響きに一種の不思議な反響を返して、眼をさまし、彼らの存在の深みから表面にのぞき出してきた。
 するとそれは、幾多の世紀と人種との異様な混和であり、砂漠《さばく》の息吹《いぶ》きであった。
 その息吹きは海の彼方《かなた》からこれらパリーの寝所の中へ、種々のものをもたらしてきた、トルコ市場の悪臭、砂の輝き、種々の幻影、陶酔したる肉感、力強い罵詈《ばり》、痙攣《けいれん》を起こしかけてる激しい神経痛、破壊にたいする熱狂、数世紀来影の中にすわっていたのが、獅子《しし》のように立ち上がって、自分自身や敵人種の上に、奮然と殿堂の円柱を揺り倒す、かのサムソン。

 クリストフは鼻をつまんで、シルヴァン・コーンに言った。
 「力はこもってるが、しかし臭い。
  たくさんだ。他《ほか》のものを見に行こう。」
 「何を?」とシルヴァン・コーンは尋ねた。
 「フランスをさ。」
 「これがフランスだ。」とコーンは言った。
 「そんなことがあるものか。」とクリストフは言った。
 「フランスはこんなものじゃない。」

 「フランスもドイツと同じだ。」
 「僕はそう思わない。
  こんなふうの国民なら、長くはつづくまい。
  もう腐った臭《にお》いがしてるから。
  まだ他に何かあるに違いない。」
 「これ以上のものは何もないんだ。」
 「他に何かあるはずだ。」
 とクリストフは強情を張った。

 「そりゃあ、かわいい魂の人たちもいるし、」とシルヴァン・コーンは言った、
 「そういう人たちのための芝居もあるさ。
  君はそんなのが見たいのかい。
  それじゃ見せてあげてもいい。」
 彼はクリストフをフランス座へ連れていった。

 その晩は、法律問題を取り扱った散文の近代劇が演ぜられていた。
 クリストフには最初からして、どういう世界でそれが起こってるのかわからなかった。
 俳優らの声はこの上もなく豊量で緩《ゆる》やかで荘重で厳格だった。

 あたかも言葉づかいの稽古《けいこ》をでも授けるかのように、あらゆる綴《つづ》りを皆発音していた。
 悲しい吃逆《しゃくり》とともにたえず十二音脚をふんでるかと思われた。
 所作は荘厳でほとんど神前の儀式めいていた。

 ギリシャの寛袍《かんぽう》のように仮衣をまとった女主人公が、片腕を挙げ、頭をたれて、やはりアンチゴーネらしい演じ方をしていた。
 そして持ち前の美しいアルトの最も奥深い音をまろばしながら、永久の献身を示す微笑をたたえていた。

 りっぱな父親は、痛ましい品位を示し、黒衣のうちに浪漫主義《ロマンチズム》の気味を見せて、剣術者めいた足取りで歩いていた。
 色男の立役者は、冷やかに喉《のど》をひきつらして涙をしぼっていた。
 一編の作は悲劇物語めいた文体で書かれていた。
 抽象的な言葉、お役所的な形容、官学的な比喩《ひゆ》などばかりだった。

 一つの動きもなければ、不意の叫びもなかった。
 始めから終わりまで時計のような組み立て、固定した題目、劇的図形、戯曲の骸骨《がいこつ》であって、その上にはなんらの肉もなく、ただ書物的文句をつけてるのみだった。
 大胆らしく見せかけようとしたその議論の底には、臆病《おくびょう》な観念が潜んでいた。
 様子ぶった小市民の魂だった。

 女主人公は、一人の子どもを設けてるつまらない夫と離婚して、愛してる正直な男に再婚したのであった。
 かかる場合においてさえ離婚は、偏見によってもそうだが、また自然からも罰せられるということを証明するのが、一編の主眼であった。

 それは実に容易なことだった。
 先夫がその女を不意に一度わが物にするようなふうに、作者はくふうしていた。
 そしてそのあとで、悔恨やおそらくは恥辱をも感ぜさせるとともに、それだけまたさらに強く、正直な男である第二の夫を愛したいという欲求を感ぜさせるはずの、ごく単純な自然の道を取らないで、作者は自然を無視した勇壮な心境を提出していた。

 自然を無視してなら有徳たることも訳はない。
 フランスの作家たちは、美徳ということにあまり慣れていないらしい。
 彼らは美徳の話をする時には、いつでも無理なこじつけ方をする。
 どうにも信じようがない。
 あたかもコルネイユの英雄を、悲劇の王様を、いつも取り扱っているかのようである。

 それらの富裕な主人公や、少なくともパリーに一つの屋敷と田舎《いなか》に二、三の別邸とをもっているそれらの女主人公は、王様と同じではないだろうか?
 この種の作者にとっては、富裕は一つの美であり、ほとんど一つの美徳であるのだ。

 観客は脚本よりもさらに不思議だった。
 いかなる不真実さにも彼らは驚かなかった。
 面白い場所になって、笑わせるべき文句を、笑う用意をする余裕を与えるために、俳優がまず予告しながら口にする時には、彼らは皆笑った。

 また悲劇人形どもが、在来の型に従って泣きじゃくったり喚《わめ》いたり気絶したりする時には、彼らは感動のあまり涙を流して、鼻をかんだり咳《せき》をしたりした。
 「だからフランス人は軽薄だと言われるんだ。」とクリストフは芝居から出て叫んだ。
 「何事でもすぐにわかるものじゃないさ。」とシルヴァン・コーンは快活に言った。

 「君は徳操を見たがってたが、フランスにも徳操があることはわかったろう。」
 「あんなのは徳操じゃない、」とクリストフは言い返した、「ただ雄弁というものだ。」
 「フランスでは、」とシルヴァン・コーンは言った、「芝居の徳操はいつも雄弁なんだ。」
 「裁判所の徳操なら、」とクリストフは言った、
 「いちばん饒舌《じょうぜつ》な者が勝つにきまってるさ。
  僕は弁護士が嫌《きら》いだ。
  フランスには詩人はいないのか。」
 シルヴァン・コーンは彼を詩劇へ連れていった。

 フランスには詩人がいた。
 偉大な詩人さえもあった。
 しかし芝居は彼らのためのものではなかった。
 三文詩人のために存在してるのであった。

 芝居と詩との関係は、歌劇《オペラ》と音楽との関係と同じである。
 ベルリオーズが言ったように、娼家と恋愛との関係である。
 クリストフは種々のものを見た。
 身を売るのを名誉としていて、十字架に上るキリストに比較されてる、清浄によって娼婦《しょうふ》たる貴婦人――忠実なるあまり友人を欺いてる男――貞節なる三角関係――妻に裏切られてる雄々しい夫。

 この類型は、純潔なる売笑婦と同様、全欧的の題目となっていた。
 マルク王の例は彼らを熱狂さしていた。
 聖フーベルトの鹿《しか》のように、彼らはもはや円光をいただいてしか現われなかった。

 クリストフはまた、シメーヌのように恋と義理との板ばさみとなってる浮気娘をも見た。
 恋は新しい情婦のもとに走ることを求め、義理は古い男のもとにとどまることを求めていた。
 古い男というのは、彼女に金を与えてる老人で、もとより彼女から欺かれてるのであった。
 終わりになると彼女はいつも敢然として、義理の方に従うのであった。

 クリストフは、その義理なるものは汚らわしい利害と大差ないものだと思った。
 しかし観客は満足していた。
 義理という言葉だけで十分なのであった。
 実物はどうでもよかった。
 保証のしるしがついてるだけでたくさんだった。
 情欲的な不道徳とコルネイユ風の勇侠《ゆうきょう》とが、最も矛盾した方法で一致し得る時に、芸術の極致に達するのであった。

 かくてこのパリーの観客は、精神の放逸も饒舌《じょうぜつ》な徳操も、すべてにおいて満足させられていた。
 それには無理からぬ点もあった。
 彼らは放逸ではあるがさらにより多く饒舌《じょうぜつ》だった。
 雄弁に出会うと恍惚《こうこつ》となるのだった。
 りっぱな演説を聞くためなら鞭《むち》打たれても構わないほどだった。

 美徳にせよ悪徳にせよ、すてきな勇侠《ゆうきょう》にせよ卑猥《ひわい》な下劣にせよ、調子のよい脚韻と響きのよい言葉とで飾られる時には、彼らはどんな物でも丸飲みにした。
 あらゆるものが対句《ついく》の材料となった。
 すべてが文句だった。
 すべてが遊戯だった。

 ユーゴーはその霹靂《へきれき》の声を聞かせようとする時、すぐに弱音機を用いて(彼の使徒たるマンデスが言ったように)小さな子供をも驚かすまいとした。
 この使徒はそれを賞賛のつもりで言ってるのだった。
 フランス詩人の芸術のうちには、自然の力が感ぜられることはかつてなかった。

 彼らはすべてを世間風になした、恋愛も苦悶《くもん》も死をも。
 また音楽におけると同じように――フランスにおいてはまだ年若い比較的|素朴《そぼく》な芸術である音楽におけるよりも、さらにはなはだしく――彼らは「すでに言われたこと」にたいして恐怖をいだいていた。

 最も天分に富んだ詩人らは、逆の道を取ろうと冷静に努めていた。
 その方法は簡単だった。
 伝説か童謡かを選んで、それらに本来の意味と正反対なことを語らした。
 かくて、青髭《あおひげ》はその妻たちから打たれ、ポリフェモスはみずから善意をもって眼をえぐって、アシスとガラテアとの幸福のために身を犠牲にした。
 すべてそれらのもののうちには、形式以外にはなんらの真面目《まじめ》さもなかった。

 クリストフ(彼はよく理解してない批判者であったろうけれど)の眼から見れば、それら形式の大家らは、おのれの文体を創造して縦横に描写する大作家というよりも、むしろ小作家であり模造大家であるように思われた。

 彼らの勇武劇の中には、詩的虚偽がこの上もなく横柄《おうへい》に現われていた。
 彼らは英雄というものについて、滑稽《こっけい》な観念をいだいていた。

壮大なる魂、鷲《わし》の眼差《まなざし》、
前廊の如く広く高き額《ひたい》、
魅力ある輝かしき剛壮なる風貌《ふうぼう》、
戦《おのの》きに満てる心、夢に満てる眼、
そを持つこそ肝要なれ。

 かかる詩句が真面目《まじめ》に受け取られていた。

 大袈裟《おおげさ》な言葉や羽根飾り、ブリキの剣と厚紙の兜《かぶと》とをつけた芝居がかりの空威張《からいば》り、そういう扮装《ふんそう》の下にはいつも、操《あやつ》り人形のギニョル式に歴史をもてあそんでる無謀なヴォードヴィル作者サルドゥー流の、救済しがたい軽薄さが見て取られるのであった。

 シラノのごとき虚妄《きょもう》な勇武に相当するものが、現実にあり得るだろうか。
 しかもこの詩人らは、驚天動地の業《わざ》を演じていた。
 皇帝とその軍団、神聖同盟の軍勢、文芸復興期の傭兵《ようへい》など、宇宙を荒した人類の旋風をことごとく、その墳墓から引き出していた。

 それも、残虐な軍隊と囚《とら》われの婦女らに取り囲まれ、殺戮《さつりく》のさなかにあっても平然として、十年か十五年か前に見た一婦人にたいする、空想的な馬鹿げた恋で身を焦がしてるある傀儡《かいらい》を、示さんがためであった。
 あるいは、恋人に愛されないからといって、わざわざ死地に身をさらしてる国王アンリー四世を、示さんがためであった。

 かくてその薄野呂《うすのろ》な人々は、国王や英雄らの室内劇をやっていた。
 キロス大王の時代の有名な馬鹿者ども、理想的なガスコン人ども――スキュデリーやラ・カルプルネード――のふさわしい後裔《こうえい》であり、真の英雄主義の敵たる、あり得べからざる虚偽の英雄主義の謳歌《おうか》者であった。

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