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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  135

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        八


 わたしの愛の小舟は難破した。
 マヤコフスキーが死ぬときに書きのこした詩のなかに云われている、その、愛の小舟というのは、何の愛の、小舟だったのだろう。

 マヤコフスキーは大きい誤りをおかした。
 しかし彼が、彼の最後の日まで革命とプロレタリアの詩人としてつくした功績は、そのために消されることはない。
 プラウダにそういう言葉がかかれていた。
 そして、その夜伸子と素子がさっきまで、十一時ごろまでいた工芸博物館の大講堂では、うしろの高い席までびっしりつまって明るい演壇に注目している聴衆に向って、「レーニングラード作家の文学の夕べ」の司会者はおなじ言葉をのべ、詩人への哀悼のために一同の起立をもとめた。

 くまなく照明されている演壇のうしろの高いところにレーニンの胸像とСССР《エスエスエスエル》の赤い旗が飾られている。
 その下に故人となったマヤコフスキーの大きい写真が数百人の視線をうけている。
 特別に大きい額、特別に大きい目玉をもったマヤコフスキーの写真の下にグランド・ピアノがあった。

 その黒いふたの上に、赤い切り紙でつくられているВ・В・マヤコフスキーという詩人の名の、二つの頭字が、はっきりさかさに映っていた。
 無言でさかさに映っている赤い二つのВの頭字を見まもりながら、伸子は聴衆の一人として、マヤコフスキーは大きい誤りをおかしたと云われる言葉をきいたのだった。
 マヤコフスキーの誤りとして云われているのは、彼が自殺という方法で、突然彼の人生をしめくくってしまったことに対する社会主義の社会としての批判だった。

 だけれども、批判は批判として、会場の雰囲気を支配しているのは、マヤコフスキーへの親愛の感情であり、彼の死に対してぼんやり人々の胸の底にわき出ている惻隠《そくいん》の情だった。

 伸子と素子とが、工芸博物館の前から19の電車にのって来て、クードリンスカヤの街角までつづいている告別式の列の最後のしっぽについたのは、かれこれ十二時ちかかった。
 マヤコフスキーの告別式は、その夜、午後九時から午前一時まで作家クラブで行われるはずだった。
 間遠な街燈の光をうけて沈黙がちの黒い列がそろそろ動いている歩道の外側に、モスクワの四月の、よごれた雪のかたまりがあった。

 車道のところを、数丁さきの作家クラブの正門まで、列にそって三騎の騎馬巡査が、しずかに行ったり来たりしている。
 列は、一歩ずつ動いていて、昔ソログーヴの邸宅であった作家クラブの建物をとりかこむ低い塀のそとまで来たとき、一番びりだった伸子たちのうしろに新しい列がつづいて、クードリンスカヤの角までのびていた。

 段々列は動いて、作家クラブの正面に入りかかったとき、伸子たちの前にたった一人で来ている若い娘が、迫って来る感動をおさえかねたようにため息をついた。
 そして伸子たちをふりかえり、哀傷と追慕で柔かく沈んだ声音で、
 「あなたマヤコフスキーの詩をよんだでしょう?」
 ときいた。
 「ええ」
 「彼はすばらしい詩人でした」
 そう云って、鈍い色のプラトークで頭をつつんでいる若い娘は胸のいっぱいになった眼を門内の光景にひきつけられた。

 作家クラブの建物の正面真白な大玄関の柱列には、十数流の黒と赤との長旗が飾られている。
 今夜の告別式のために二ヵ所にとりつけられた照明燈の強い光が、黒い列のうねっている冬枯れの内庭をてらし出した。
 列が内庭にはいると、むこうの建物の広間に燈火がきらめいているのが見え、ガラス越しに、明るい燈の下を粛然と動いている列までが見える。

 伸子は、うすら寒い早春の夜のなかで息のしにくい気持になって来た。
 伸子は顔をあげて空を見た。
 星の多い晩だった。
 夜のふけた星空のところどころに、春の白い雲がある。

 列は、正面入口の長旗に飾られた柱列の間を通って、ひとところ開かれている大扉から建物の内部にはいった。
 扉の左右に赤軍の兵士が守護している。
 列は、伸子と素子とをそのなかにつれて大階段をのぼり、まだ防寒靴をはいている人々の、遠慮がちではあるが重い跫音をつたえて広い廊下を徐々にすすんだ。

 廊下には紫陽花《あじさい》だの、大輪の菊の花だの、モスクワでは貴重な花の鉢が飾られている。
 高い窓と窓との間の壁にプラカートがはられていた。
 「自分のすべての詩をお前に、たたかう階級に与える。」
 マヤコフスキーの詩からの言葉だった。

 作家クラブの建物の、この大廊下の部分は伸子にとってはじめてだった。
 一九二七年の十二月にここで「日本文学の夕べ」がもたれたとき、伸子と素子とが案内された入口は、正面の横についている小門からつづいた石じき道の奥の出入口だった。
 そこからは「夕べ」のもたれた小講堂ばかりでなく、作家組合の事務所へも通じていて、だんだんモスクワをひとり歩きするようになった伸子は、一度ならずその入口から組合事務室へ行った。

 そこで、作家の扶助金庫の組織とその活動についてきき、ノヴィコフ・プリヴォーイが「日本海海戦」を仕上げた「創作の家」のことについてきき、そこの狭い廊下の掲示板に、作家組合で共同購入する石炭についての告知をよんだのだった。
 作家組合には、ロシア・プロレタリア作家同盟(ラップ)ばかりでなく、マヤコフスキーが死ぬ二ヵ月ほど前まで属していた左翼戦線《レフ》のグループも全露農民作家団体も、構成派の鍛冶《クーズニッツァ》も参加していた。

 裏口からのぼって行ったところの狭い廊下に向って、それらの文学団体が、めいめいのドアの上に名札を出してつまっていた。
 マヤコフスキーの遺骸は、日ごろ彼の足がふみなれ、その声を響かしていたこの作家クラブに運びこまれて、左の翼にある広間の一つに安置されているらしかった。

 大廊下をつきあたり近くまで進んだとき、列は左へ曲った。
 そこが、遺骸の安置されている広間だった。
 列からは、広間の左手の壁に沿って並べられている空の椅子と、それに対する右側の黒い幕を頭にして、赤旗と花とに飾られた棺に横わっているマヤコフスキーの背広服の姿が見えた。

 棺の頭の左右に、赤軍の兵士が一人ずつ儀仗の姿勢で侍立している。
 若い詩人らしい人が三人ばかりいる。
 マヤコフスキー夫人かと思われる黒衣の婦人は、棺からはなれて椅子の並べられている側の壁の前に立っていた。
 告別の列は、そこで一層重い流れとなり、静粛に、きわめてゆるやかなすり足で棺の足もとを通過しつつ、遺骸に注目し、哀悼の表情のまま、やがて広間のむこうの出口から順々に退出するのだった。

 広間の、そのような光景が目にはいった丁度そのとき、伸子のところで、二人ずつ並んで進んでいる告別者の列が、一区切りされた。
 伸子は思いもかけない場所、広間の敷居を越した、棺の足もとで、停止した。
 停止した伸子の目のさきに、棺からぬっとはみ出すように突立っているマヤコフスキーの大きな靴の裏があった。
 生きていないひとのはいている靴の底をまともに見ているというのは異様な感じだった。

 大きな靴の底は、その不動の位置でひとしお大きく目にうつるのだった。
 伸子が思わず一旦そらすようにした視線をふたたび、大きな靴の裏にもどしたとき、伸子の瞳に、かすかな衝撃の色と、何かをいそいで理解しようとする表情が浮んだ。
 大きい大きいマヤコフスキーの黒い靴の底に、二つのへりどめ金がうちつけられて光っているのだった。

 日本でも、学生だの実直な通勤者たちが、靴の底のへるのを防ぐために打たせる三角形の鋲。
 まぎれもないその鋲が、マヤコフスキーの靴の裏にうたれている。
 鋲は、いつもそのひとの歩きぐせで、ほかよりも早くへらされる踵のはじとか、踏みつける平ったい部分の右側とか左側に打たれるものだ。

 マヤコフスキーの靴裏で鋲のうたれているところは、踵でもなければ、拇指の力がはいる個所でもなかった。
 へりどめの鋲は、マヤコフスキーの大きな靴の爪先きりきりのところにうたれているのだった。
 爪先にうちつけられている実用一点ばりのへりどめの金は、うちつけられてからいくらか日数がたっていると見えてもうへりはじめ、まるでついさっきまで働いていたようによく光っている。

 広間じゅうは、数々の光によっておごそかに照されて居り、告別の人々の注意は、すべて型どおり遺骸の顔へと向けられている。
 偶然、自分のところで列が区切られてとまっているばかりに、凝《じ》っとマヤコフスキーの靴の裏を見た伸子は、マヤコフスキーという詩人の生と死との物語を、じかに、その大きな靴の爪先に光っている小さいへりどめ金からききとるように感じた。

 マヤコフスキーは、特別大きい額と特別大きい燃えるような眼をもって、こんなにいつも先をいそいで歩いていたのだ。
 爪先がへって、鋲をうちつけなければならないほど。
 一九一七年から十年の間、マヤコフスキーはおそらく一刻もおくれまいといそいで歩みつづけたのだった。
 革命の速度におくれまいとし、社会主義の建設におくれまいとして。

 マヤコフスキーは、おくれないばかりか、常に歴史の先頭に立つことを自分にもとめて来たのにちがいなかった。
 自分のすべての詩が、たたかう階級の詩であるという確証をもって生きようと欲していたのだったろう。
 だけれども、伸子は、メイエルホリド劇場で観た彼の諷刺劇「風呂」の空虚さを想いおこした。

 モスクワには、幾足もの靴をもっている人というのはない。
 おそらくマヤコフスキーのこの靴が、爪先にうたれている鋲の音をかすかにカタカタさせながらメイエルホリドの舞台の上を、精力的に歩きまわったことだろう。
 「左翼戦線《レーヴィフロント》」を「革命戦線《レヴォルチョンヌイ・フロント》」とし、ロシア・プロレタリア作家同盟に参加するために、この靴はどんなにいそいでモスクワの冬から春への鋪道を歩いたことだろう。

 わたしの愛の小舟は難破した。
 そのすべての意味が、伸子の心を貫いて閃くようにのみこめた。
 マヤコフスキーが、こんなにいつもいそぎつづけて、はげしく進むソヴェトの事業の第一列よりも猶先へ立とうと力をつくして生きたにもかかわらず、いいえ、そうではない、彼が詩人らしい正直さと情熱で自分により高い任務をさずければさずけるほど、彼の革命的抒情詩の骨格であるシムボリズムとロマンティシズムが、重荷になって、いそいでもいそいでも、あるいは、いそげばいそぐほど自分から抜け出ること、自分を追いぬくことのまどろっこしさに辛抱しきれず、マヤコフスキーは、革命への愛、民衆の建設への愛の小舟を難破させてしまった。

 マヤコフスキーは、大きい誤りをおかしたと公的に云われていて、しかも伸子はその言葉に冷酷な非難を感じなかった。
 今夜工芸博物館にレーニングラードから来た作家たちの「文学の夕べ」が開かれ、会場ではフェーディンが心をこめてマヤコフスキーの詩を朗読した。

 その詩は、エセーニンが自殺したとき、マヤコフスキーが書いた作品だった。
 詩は、なまなましい傷心と生の確信とが不思議な激情となってまじりあっているようだった。
 時代が詩人にとって苦しいものであることをマヤコフスキーはその詩の中で大胆率直に承認していた。

 しかし、たゆみない社会主義の前進とともにある生の力によって、何とかなってゆくものだ、とおおまかに、抽象的に、彼のすべての革命と社会主義とが華々しい火花であるにかかわらず、いつもシムボリックであったとおり、生活と詩人の任務を肯定しているのだった。

 フェーディンは、マヤコフスキーの告別の今夜、特にその詩を読んだ。
 同じ時刻に、場所をへだてて行われている作家クラブの告別式に、これらの作家や詩人たちが列席していないという事実も、伸子を考えさせた。
 リベディンスキーは、こっちへ来ないで、「文学の夕べ」の会場で、彼の近作であって、自然主義と心理主義がこねまわされている点からさまざまの議論をまきおこしている「英雄の誕生」について大衆質問に答えていた。

 アレクセイ・トルストイが執筆中である「ピョートル大帝」の一節を朗読しているとき、伸子と素子とはそっと席をぬけて、告別式へ来たのだった。
 伸子たちばかりでなく、その夜の「文学の夕べ」の会場は、いつものとおり超満員であったけれどもいつものような落つきがなく、大講堂の側面のドアは絶えずそっと開いたりしまったりして、人々を出入りさせていた。

 おおかたの人々は、同じ時刻の九時からはじまった「文学の夕べ」とマヤコフスキーの告別式と、二つの場所の間で、その夜をくらしたのだった。
 告別式へ来て、伸子は列の中にやっぱり19の電車で来た若い男女の顔を見わけた。
 棺の左側に高く一台の照明燈が据えられていて、そこからふりそそぐ強い光線に掠められ、伸子の目の前にあるマヤコフスキーの大きな靴底の鋲は鋭く光りつづけている。

 最後の最後まで、モスクワの鋪道で磨りへらされ、みがかれていたことを語る光りかたで。
 その光るものを見つめている伸子は、眼玉がこわばって瞬きしにくいような切ない心持になって行った。

 ヴェルダンのドゥモン要塞で、霜枯れた叢の中に落ちている一つの金の輪、嬰児の円くした唇のように西日をうけて光っていた小さな銃口。
 限りなく寂しい訴えをもっているその円い小さい金の輪は、伸子の瞳のまわりに、はまりこんで、もう伸子は、戦争という文字を、その金の輪をとおしてでなければ読むことができない者となった。

 自分では生きることをやめてしまったマヤコフスキー。
 しかしソヴェトの社会とその人々の生きることをひとしおつよく肯定したマヤコフスキーの硬直した靴の裏に、なお生あるように光っている小さい鉄の三角鋲は、伸子の柔かい胸の肌に、痛みをもって、赤紫のあざになってうちこまれたようだった。

 伸子は目の中に涙をうかべながら、再びそろそろ動きはじめた列について棺の裾を通過し、いかめしいマヤコフスキーの顎と額とを瞥見した。
 列に運ばれて広間の裏廊下から、階段を下りて白い雲のある星空の下に凍っている内庭へ出た。

 暗い内庭のなかほどに佇んで、出て来た建物をふりかえり、明るい大窓の中をまだ黒く動いている列の影を見たとき、伸子は深い顫慄《せんりつ》におそわれた。
 伸子は生きているうちは会ったこともないマヤコフスキーの靴の裏から今夜秘密な小さい貴重なおくりものを手のひらのなかにもらって自分はそれをにぎりしめたことを感じるのであった。

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