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名作を読みませんかコミュの「ジャン・クリストフ」  ロマン・ロラン  135

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 遊蕩《ゆうとう》者の風俗を描いたある長編小説の純潔さが、どの新聞を見ても、多くの文学者の書信によって証明されていた。
 回答者のうちには、文学の大家や謹厳な批評家などがあった。
 通俗で旧教的なある家庭詩人は、ギリシャの悪習のごく細密な描写に、芸術家としての祝福をささげていた。

 ローマ、アレキサンドリア、ビザンチン、イタリーおよびフランスの文芸復興、大世紀……などの各時代を通ずる放逸のありさまを勤勉に細叙してある小説に、多くの叙情的な称賛の辞が浴びせられていた。
 それらの小説には放逸の変遷が何一つ省かれていなかった。
 また他の一群の研究は、世界各国を包含していた。

 細心な作者らは、聖ベノア修道会員のような忍耐をもって、世界五か所の遊蕩《ゆうとう》場の研究に身をささげていた。
 それらの快楽の地理学者や歴史家らのうちに、秀《ひい》でた詩人やりっぱな著作家が現われていた。
 人々が彼らを他人と区別してるのは、ただその博識によってばかりだった。
 彼らは完璧《かんぺき》な措辞をもって、古代の遊蕩を語っていた。

 最も驚くべきことには、りっぱな人々や真の芸術家らが、フランス文芸界において正当な名声を博してる人々までが、まったく不適当なこの仕事に努力していた。
 ある人々は他人をまねて、朝刊新聞が切り売りする卑猥《ひわい》なものを書こうと苦心していた。
 彼らはそれを、一週に一、二回、きまった日に規則正しく生み出していた。

 しかもすでに数年来引きつづいてることだった。
 彼らはもう何も言うことがなくなっても、でたらめな無作法な新しいものを頭からしぼり出しながら、やたらに生み出してばかりいた。
 公衆は食べすぎて、いかなる料理にも飽いてしまい、やがて、最も淫蕩《いんとう》な快楽の想像をもつまらなく思うようになっていた。

 それでただ競《せ》り上げを、永久の競り上げ――他人よりもまさり自分自身よりもまさろうとする――を、なさなければならなかった。
 そして彼らは自分の血をしぼり出し、自分の臓腑《ぞうふ》をしぼり出していた。
 それは痛ましいまた奇怪な光景であった。

 クリストフは、そういうあさましい職業の内幕に通じていなかった。
 もし通じていても、そのために大目に見てやりはしなかったであろう。
 なぜなら彼から見れば、銀三十枚のために芸術を売る芸術家ほど、世に許しがたいものはなかったから……。

 愛する人々の生活を確かにしてやるためにでも、いけないのか。
 いけない。
 それは人情がないというものだ。
 人情があることが問題じゃない。
 一個の人間たることが問題なのだ。

 人情だって!
 毛色の変わった君らの人情こそ、憐《あわ》れなものだ。
 人は同時に多くのものを愛するものではない。
 多くの神に仕えるものではない!

 クリストフは、勤労な生活をしているうち、自分の小さなドイツの町の地平線から、ほとんど外に出たことがなかったので、パリーに展開されてる芸術上の腐敗は、ほとんどすべての大都会に共通のものであるということを、気づき得なかったのである。
 そして、「ラテンの不道徳」にたいする「貞節なるドイツ」の遺伝的偏見が、彼のうちに目覚《めざ》めていた。

 それでもシルヴァン・コーンはシュプレー河畔に起こっている事柄を、強暴なる性質のためにその醜事がさらに嫌悪《けんお》すべきものとなっている、ドイツ帝国の選良階級の恐るべき腐敗を、クリストフの説にりっぱに対向せしめ得るはずであった。
 しかしシルヴァン・コーンはそれを利用しようとは思わなかった。
 彼はパリーの風俗に平気であるごとく、ベルリンの風俗にも平気であった。

 「各民衆にはそれぞれの風習があるものだ、」と彼は皮肉な考え方をして、周囲の社会の風習を自然なものだと思っていた。
 それを見てクリストフは、それらの風習は民族本来の性質であるとまで考えた。
 ゆえに彼は同国人らと同じように、ヨーロッパの精神的貴族社会を呑噬《どんぜい》しつつある腐食のうちに、フランスの芸術に固有な悪徳を、ラテン諸民族の欠点を、見て取らずにはいられなかった。

 パリーの文学とのこの初めの接触は、彼には心苦しいものだった。
 後にその心苦しさを忘れるまでには、多少の時間がかかった。
 とは言えそれらの著作家の一人が、「基礎的娯楽の趣味」と高尚な名前をつけてるもの、それにばかり関係してるのではないような作品も、ないではなかった。

 しかしその最もりっぱな最もよい作品は、クリストフの眼には触れなかった。
 それらの作品は、シルヴァン・コーンなどの連中に賛成を求めてはいなかった。
 それらは彼らを念頭においてはいなかったし、彼らもそれらを念頭においてはいなかった。
 両方ともたがいに知らなかった。

 シルヴァン・コーンはかつて、そういう作の噂《うわさ》をクリストフにしたことがなかった。
 彼は自分や自分の友人らがフランス芸術を代表してるのだと、真面目《まじめ》に思い込んでいたし、自分らが偉人だと認めた者以外には、才能もなく、芸術もなく、フランスもないと、思い込んでいた。

 クリストフは、フランス文芸の名誉たりフランスの王冠たる詩人らについては、なんらの知るところもなかった。
 ただ数人の小説家だけが、パレスとアナトール・フランスとの数冊の書が、凡庸《ぼんよう》の潮の上に浮き出して彼の手に達した。

 しかし彼はまだフランス語に十分慣れていなかったので、後者の博識な皮肉、前者の頭脳的官能主義を、十分味わうことができなかった。
 それでも、アナトール・フランスの温室の中に萌《も》え出てる橙樹《オレンジ》の鉢植《はちう》え、パレスの魂の墓地にのぞき出てる繊細な水仙花《すいせんか》、それらの前に彼はしばらく足を止めて珍しげにながめた。

 また、メーテルリンクのやや崇高でやや幼稚な天才の前にも、しばらく足を止めた。
 世俗的な単調な一つの神秘主義がそれから発散していた。
 彼ははっと飛びのいて、こんどは太い急湍《きゅうたん》の中に、前から知っていたゾラの泥《どろ》深い浪漫主義《ロマンチズム》の中に、落ち込んでいった。
 それから出たかと思うと、文学の大|氾濫《はんらん》の中にすっかりおぼれてしまった。

 水に浸ったそれらの平野からは、女の匂いが立ちのぼっていた。
 当時の文学には、女性的男子と女子とがいっぱい群がっていた。
 もし女が、いかなる男もかつて完全に見て取り得なかったものを、すなわち女性の魂の奥底を、描写するだけの誠実を有するならば、女が文筆を執ることは結構である。

 しかしごく少数者のみがそれをなし得るのであって、大多数の女はただ男をひきつけんがためにのみ書いていた。
 彼女らはその客間におけると同じく、書物の中においても虚言者であった。
 くだらない化粧に凝り読者と戯れていた。

 自分のちょっとした不都合を語るべき聴罪師をもたなくなってからは、それを公衆に語っていた。
 無数の小説が現われた。
 ほとんどいつも不貞なもので、いつも様子ぶったもので、舌たるい言葉で書かれ、香水店の匂《にお》いのする言葉で、気のぬけた温かい甘い異臭のある言葉で書かれていた。
 その匂いが文学全体の中にこもっていた。

 クリストフはゲーテと同じように考えた。
 「婦人には思うまま詩や小説を作らせて構わない。
  しかし男子は女のようなことを書いてはいけない。
  そういうことをする男子こそ、俺《おれ》は嫌《きら》いだ。」
 その中途半端な愛嬌《あいきょう》振り、そのいかがわしい仇《あだ》っぽさ、最もつまらない人物のために好んで費やされるその感傷風、気取りと粗暴とでこね上げられたその文体、それらの野卑な心理学者を、彼は嫌悪《けんお》の情なしには見ることができなかった。

 しかしクリストフは、自分にはよく判断できないことを知っていた。
 彼は言葉の市場から来る喧騒《けんそう》に耳を聾《ろう》していた。
 笛の美しい節《ふし》は喧騒の中に消え失《う》せて、聞き取ることができなかった。

 というのは、快楽を主としたそれらの作品の間にも、底の方に、アッチカのなだらかな丘陵の線が清澄な空に微笑《ほほえ》んでいないでもなかった。
 多くの才能と優美、生の楽しみ、文体の美しさ、または、ペルジノや若いラファエルの手に成った、半ば眼を閉じて恋の夢想に微笑んでいる憂わしげな青年にも似寄った思想。

 しかしクリストフにはそれが少しも見えなかった。
 精神の諸流を、何物も彼に示してはくれなかった。
 フランス人自身でも、それを知るのは困難であったろう。
 そして、彼が確かに見て取り得た唯一のことは、著作の過多という一事だった。

 あたかも社会的災難とも言えるほどだった。
 男も女も将校も俳優も紳士も囚人も、すべての者が筆を執ってるかのようだった。
 まったく一つの流行病だった。

 クリストフは意見をたてるのを一時断念した。
 シルヴァン・コーンのような案内者についていると、まったく道に迷ってしまうかもしれないような気がした。
 ドイツにおいてある文学会から得た経験にてらしてみると、どうも自信がもてなかった。

 書物や雑誌にたいして疑惑があった。
 それらは多くの閑人《ひまじん》どもの意見だけを代表してるものでないかどうか、あるいはただ作者だけの一人よがりでないかどうか、それがわからなかった。

 芝居の方がずっと正確に、社会の実情を伝えてくれるのだった。
 芝居はパリーの日常生活中に、法外な場所を占めていた。
 それは放縦《ほうじゅう》な料理店だったが、それでもこれら二百万人の食欲を満足させるに足りなかった。

 三十余の大劇場、その他四方にある小劇場、奏楽珈琲店、種々の見世物。
 毎晩興行して毎晩ほとんど満員となる有余の小屋。多数の役者や事務員。政府の補助を受けてる四大劇場だけでも、三千人近くの専属人員と、千万フラン余の費用。
 大根役者の人気ばかりで湧《わ》きたってるパリー全市。

 一歩ごとに眼に触れるものは、彼らのしかめ顔を示してる、無数の写真や絵や漫画、彼らの鼻声を示してる蓄音器、芸術や政治に関する彼らの意見を掲げてる新聞。
 彼らはそれぞれ自分の新聞をもっていた。
 大胆な立ち入った覚え書きを発表していた。

 人真似《まね》をして時間をつぶす遊惰な大子供たるパリー人中で、それらの完全な猿《さる》どもが牛耳《ぎゅうじ》を取っていた。
 そして劇作家らは、彼らの侍従となっていた。
 クリストフはシルヴァン・コーンに、反映と影との王国へ案内してくれと頼んだ。

 しかしシルヴァン・コーンは、書物の世界におけると同じく、この世界においても安全な案内者ではなかった。
 クリストフが彼のおかげによって、パリーの芝居から受けた最初の印象は、最初の読書から受けた印象に劣らず不快なものであった。
 頭脳的売淫《ばいいん》の同じ精神が、至るところに支配してるようであった。

 この快楽の商人のうちに、二派あった。
 その一つは、おめでたい旧式で、国民式であって、無遠慮な賤《いや》しい快楽、醜悪や貪欲《どんよく》や肉体的欠陥などの喜び、半裸体の人々、兵卒小屋の冗談、羹物《あつもの》や赤胡椒《こしょう》や油の乗った肉や特別室。
 ふざけきった四幕のあとで、事件の錯綜《さくそう》によって、欺こうとしてる夫の寝床に正妻がはいるようなことになって、法典の勝利をもたらすがゆえに、法律が救わるれば美徳も救われるというのだ。

 彼らの言葉に従えば、卑猥《ひわい》と道徳とを和解させんとする「男らしい淡泊《たんぱく》さ」、結婚に淫蕩《いんとう》の様子を与えながら結婚を保護する放逸な貞節さ、いわゆるゴール風なのであった。

 他の一派は、近代式であった。
 前者よりはるかに精練されてるとともに、またより嫌味《いやみ》なものであった。
 パリー化されたユダヤ人ら(およびユダヤ化されたキリスト教徒ら)が芝居にうようよはいり込んで、衰退した世界主義の特徴たるいつもの感情の陰謀を、芝居に導き入れていた。

 父祖を恥じてる息子《むすこ》どもが、民族の意識を打ち消さんとつとめていた。
 そしてうまく成功していた。
 古臭い自分らの魂を赤裸になした後、彼らに残ってる性格と言えば、他民族のあらゆる知的道徳的価値を混ぜ合わせるということばかりだった。

 彼らは諸種の民族で、一つのマケドニア人を、一つの雑炊を、作り上げていた。
 それが彼らの享楽方法だった。
 パリーの芝居の頭《かしら》立った人々は、汚辱と感情とをこね合わせること、美徳に悪徳の匂いを与えること、悪徳に美徳の匂いを与えること、年齢や性や家族や愛情の諸関係をかき回すこと、などに秀《ひい》でていた。

 かくて彼らの芸術は、それ独特の臭みをもっていた。
 その臭みは、よいとともに悪いもので、言い換えれば、ごく悪いものだった。
 彼らはそれを「非道徳主義」と名づけていた。

 彼らが当時好んで用いていた主人公の一人は、恋してる老人であった。
 彼らの芝居には、そういう老人の姿がたくさん並んでいた。
 彼らはそういう類型的人物を描写するに当たって、機微にわたる多くの事柄を並べたてていた。

 あるいは、六十歳にもなる主人公が、自分の娘を腹心の友としていた。
 彼は娘に自分の情婦のことを話し、娘は彼に自分の情人らのことを話した。
 二人は親しく相談し合った。
 親切な父は娘の不品行を助けた。
 親切な娘は父の不貞な情婦に近づいて、もどって来てくれるように懇願し、家へ連れ込んできた。

 あるいは、りっぱな老人が自分の情婦の内密話の相手になっていた。
 彼は彼女の情人らのことを彼女と噂《うわさ》し、彼女の放逸の話を懇望し、ついにはそれに愉快をさえ感ずるようになった。
 それからまた、情人らも出て来るのであった。

 皆りっぱな紳士であるが、昔の情婦たちの雇い監督となり、彼女らの取り引きや情交などを監視した。
 社交界の婦人は盗みを事としていた。
 男子は媒介人であり、娘は淫猥《いんわい》だった。

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