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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  133

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 「事情は、わかりました。
  けれども、わたしたちは歩道に暮すことは出来ないんでしてね」
 素子が云った。
 「少くとも、別のところを見つけるまでは、あなたも待って下さるでしょう」
 当惑した、というより、にっちもさっちも行かなくなった混乱がルケアーノフの、実直な勤め人らしく小心な顔にひろがった。
 心臓が弱いそうで、タバコをのまない彼は、途方にくれて、くみ合わせた脚の膝小僧をこするようにした。

 「期限が十日間しかないんです」
 「たった?
  わたしたちが区の住宅管理委員会へ行って話してみましょう。
  そして諒解してもらいましょう。
  モスクワで十日間で室を見つけるなんて!」
 うっすり顔をあからめておこり出した素子を、ルケアーノフは恐慌的な灰色の眼で見つめた。

 そして、出どころのない場所へ追いこまれたように、
 「新聞に出ていた布告をよまれませんでしたか」
 それまでだまって話をきいていた伸子をかえりみて訊くようにした。
 「どんな布告だったかしら?」
 ああそう云えば。
 伸子は思い出した。
 布告《アビヤブレーニエ》などという性質のものだとは思わずに読みすぎたのだが、一週間ばかり前「イズヴェスチア」に一つ小さい記事があった。

 モスクワ在住の外国人は個人のクワルティーラに住むことは許されなくなる。
 外国人はホテルに住むことを求められる。
 そんな意味だった。
 伸子は、そういう外国人のうちに自分たちが数えられるとは感じなかった。
 全く、いろんな外国人がモスクにいる。
 たとえば藤原威夫のような。
 ああいう人が、立派なクワルティーラにいる。
 だからそういう処置も当然考えられることだ。
 そう思って読んだだけだった。

 「外国人は一般に個人のクワルティーラではうけいれないことにきめられました」
 ルケアーノフがそう云ったとき、伸子は、自分で予想もしていなかった悲しさにうたれた。
 深く傷つけられた感じだった。
 伸子たちは外国人にちがいないけれども、それならば、と、トランクをいくつも橇につんでボリシャーヤ・モスクワ・ホテルへ納るような、そういう種類の外国人ではなかったし、ソヴェト生活に対して、そういう気分をもって暮してもいないのだった。

 素子も黙った。
 黙ってタバコの煙をはいている。
 こわい顔をして口をきかなくなってしまった二人の女を見ながら、ルケアーノフは不安にたえないようだった。
 彼はくりかえして、
 「よろしいですか。
  わたしはあなたがたが事情を完全に了解されることを期待しています」
 と云った。

 「全然、個人的な理由からではありません。
  全然」
 「それは十分わかりますよ」
 タバコの赤いパイプを口からとって素子が重々しく答えた。
 「もし個人的な理由ならば、わたしたちは、
  一年以上あなたがたに何一つ迷惑をかけなかったということを主張するでしょう。
  部屋を出てゆかなければならない個人的理由なんか、一つもありはしない!」

 ルケアーノフが去ってから、伸子も素子もややしばらくものを云わなかった。
 やがて素子が、自嘲もふくむいろいろな気持を、ともかくその一点へ集めてあらわすというように、
 「なんだ!
  びくびくして!」
 口のはたに皮肉な笑いをうかべた。
 「こっそり儲けて来ているもんだから、今更、おっかなくてたまらなくなったんだろう」
 ルケアーノフについて、何と云ってみたところで、十日後に伸子と素子に住むところがなくなるという事実がどう変化するだろう。

 ぐるりの人々からの民族的な偏見がちっともないために自分たちが外国人であることを忘れたように暮して来た月々について、伸子は思いかえした。
 「赤い星」にスターリンの富農絶滅の論文が出るすこし前、レーニングラードで大規模の陰謀が発見されていた。
 ドン・バス炭坑区の生産破壊計画の間にも、外国人は主役を演じた。

 「外国人」に対するソヴェトの人々の警戒と立腹とには、よその国の人たちが外国人に対してもっている偏見や先入観などとまったくちがう理由があるのだった。
 ソヴェトの人々の警戒と立腹とは、一人一人の外国人の誰彼についていうより、もっと大きく、ソヴェト社会を毒害しようとする帝国主義一般にむけられている。
 伸子は、ソヴェト社会の根本からのちがいについて感動をもって実感しながら、ストルプツェの国境駅を通過し、パリからモスクワへ帰って来た。

 ここの者と自分を感じて伸子は帰って来ているのだった。
 しかし、外面にあらわれている伸子たちのアストージェンカでの暮しには、心のうちにある善意がどれほど行動されていると云えたろう。
 伸子の精神のなかに熟しかけていて、ひそかに期待するところのある未来の人生も、それは、素子にさえもうちあけてはいない伸子の心のうちでだけの変化だった。

 いまのモスクワで、伸子の主観にまで事こまかにたちいっている暇のない人々の必要から生れた処置。
 そのことは伸子によくわかる。
 伸子は、悲しさを抑えた眼で素子を見た。
 「どうする?
  パッサージできいてみる?」
 「あわてなくったっていいさ」
 強いて椅子の上で体を重くしている声で素子が云った。
 「でも、そのときになって、部屋がないと困ることよ」

 「あすこは、そんなことないさ」
 「どうしてわかる?」
 モスクワで何か全ソヴェト的な規模で集会がもたれるような時、ホテル・パッサージは、一室に四つの寝台を入れて人々を泊めていることさえあった。
 「われわれが、何をしたっていうんだ、ばかばかしい!」
 白眼がつよく光る視線で素子は伸子を見た。
 「ぶこまで一緒になって、あわてる必要がどこにあるんだ」

 不安が伸子の心を掠めた。
 素子は、いつものでんで、ルケアーノフに対して居直れば、引越しがのばせるような気でいるのではないだろうか。
 ソコーリスキーのところで伸子たちが借りたばかりの室を急に居どころを変えた保健人民委員にとられて、ルケアーノフへ来た時の事情と、このさし迫った引越しとでは、全然たちがちがう問題なのだった。
 「ともかく、あしたパッサージへ行ってみるわ」
 「そりゃ、御勝手ですがね」

 そりゃ、御勝手ですがね。
 伸子の防寒靴の下に昼間はゆるみ出した早春のモスクワの雪がきしみ、素子のその言葉もきしむ。
 ホテル・パッサージの入口のドアの上には、伸子たちがいたころのとおり、紫インクで書いた正餐《アベード》の献立がはり出されていた。
 防寒靴《ガローシ》をあずかる階下の玄関番が、はじめて見る若い男にかわっている。
 伸子は赤や緑で小花模様を出した粗末な絨毯の上を事務所《カントーラ》へのぼって行った。

 事務所《カントーラ》の椅子は、ちっとも変っていなくて「五日週間、間断なき週間」と、壁にはり出されているのは、隣りの中央郵便局の内部と同じだった。
 葡萄色のルバーシカの上に背広の上衣を着た四十がらみの男が事務机の前にいる。
 それが、もとからいる人かどうか伸子には思い出せないのだった。

 伸子は、事務机のこちら側に立った。
 そして、あっさり切り出した。
 「こんにちは」
 「こんにちは」
 「部屋があるでしょうか」
 「いっぱいです《ポールノ》」
 簡単で、実にはっきりした答えだった。
 伸子は思わず瞬きした。

 いまは満員かもしれないけれども、絶えずひとの動いているホテルのことだから、一つの室も決して空かないということはあり得なかった。
 「わたしたちは、一つ室がほしいんです、七四番のような室でもいいし、
  七〇番のように小さい室でもいいんです」
 葡萄色のルバーシカの男は、新しい注意でデスクの向う側に立っている伸子を見あげた。
 伸子が、これまでもこのホテルに泊っていたことのある者だという意味が通じた。

 「部屋はいついるんですか」
 「早いほど結構です」
 伸子は、事情を説明した。
 「とにかく、きょうは満員です。
  あした来て見て下さい」
 「何時ごろ来ましょうか」
 「いまごろでいいです」
 伸子は、まっすぐアストージェンカの下宿へ帰って来た。

 ベルにこたえて入口のドアをあけたのはルケアーノフの細君だった。
 伸子を見て、ほほえんだ細君のまじめな碧い瞳にかすかな不安がある。
 伸子たちが果してどこかに部屋を見つけられるだろうか。
 期限に部屋をあけられるだろうか。
 モスクワの住宅難は決して緩和されていないのだった。
 素子も、やっぱり落付けずにいて部屋へ入って来た。

 伸子を見ると、すぐ、
 「どうだった」
 ときいた。
 「いっぱい!」
 「いっぱい?
  あすこで、そんなことがあるのかな」
 だまって外套をぬいでいる伸子に、
 「まあいいや。
  どうせ、まだ十日もあるんだから」
 自分は交渉に出かけず、何か心当てでもありそうにいう素子の楽観を、伸子は背中をかたくしてきいた。

 伸子は、ホテルでも、自分たちが困っていることをよくはっきり説明した。
 どうしてもパッサージ以外に室を見つけるあてを持っていないことを説明した。
 モスクワの生活では、ホテルと云ってもそれはよその国での個人営業の客商売と同じ性質のものではなかったから、今の場合パッサージが伸子たちに室を与えるかどうかということは、つまりは、伸子たちがソヴェトに滞在している可能性があるかないかという客観的な条件までを間接に反映する事なのだった。

 きょう満員だったということは、偶然のことだったのか。或いはそうでない性質をふくむ返事だったのか。
 伸子は、そこがわからないで帰って来ているのだった。
 伸子は、自分のその懸念を素子に話すことが出来なかった。

 翌日、同じ時刻に、伸子はパッサージの事務室に現れた。
 きょうはきのうより混んでいて、三人の男が事務所のデスクを囲んでいた。
 三人の誰もが、サインやスタンプの押されている紙きれを出して部屋の交渉をしている。
 組合の用事で地方よりモスクワへ派遣されて来る人々のための室だった。
 三人の用がすむのを待って、伸子は事務室の木の長椅子から立って行った。

 事務員は、伸子を見た。
 そして、だまって頭をふり、目の前に開いてある室割りの大帳簿の上で右の手のひらをひろげて見せた。
 御覧のとおりという、しぐさであった。
 満員だというのは、ほんとうに室そのものがいっぱいなのだ。
 八分どおりまでそのことが明瞭になった。
 伸子は、むしろ陽気になった。
 「じゃ《ヌー》、いいです《ハラショー》。
  こわがらないで下さい。
  あした来ましょう」

 伸子は、日課にしてパッサージへ通った。
 五ヵ年計画は首府であるモスクワとソヴェト同盟各地方の活動とを一層緊密にした。
 モスクワへの用事をもった旅行者が急にふえている。
 「これが、わたしたちへの五ヵ年計画だったっていうわけね」
 大国営農場ギガントの広大な美しい写真を眺めたり、富農からの没収品目を新聞でよんで、五ヵ年計画の奮闘に触れているように感じていた自分たち。
 少くとも自分というものを、伸子は段々自分の責任において批評し、滑稽を感じて笑えるようになって来た。

 「わたしたちの課題なんだわ《ナーシャ・ザダーチャ》」
 引越さなければならなくなったことは、外国人一般としてわたしたちの課題だと伸子は考えはじめた。
 その課題を、自分たちとしてどんな風に解き、どういう答えをそこから引き出すか。
 伸子が、近づいて来る国境の森の入り口を眺めながら心に抱きしめて感じた思いの、真実の力をためされる機会の一つだと考えるようになった。

 問題は、素子がおこっていうように、伸子たちが個々の生活でソヴェトに対して害のある何をした、というところにあるのではなかった。
 帝国主義のやりかたを、ソヴェトの社会はどうみているか、その必然を、伸子たちがどの程度理解するか、そこに、伸子たちの課題のときかたがあるわけであった。
 素子が感じているように、ソヴェトの役に立つ外国人か、そうでない外国人か、という目安からだけひとが計られるとすれば、モスクワは遂に卑屈な外国人、ひそかなたくらみをもっているために外見は共産党員になっているかもしれないような積極的な外国人ばかりしかいなくなってしまうだろう。

 ソヴェトがそれでいいのなら、どうしてベズィメンスキーの「射撃」に対してああいう大衆の批評がおこっただろうか。
 この芝居の登場人物が、工場のウダールニキの善玉と、五ヵ年計画に反対する悪玉にわけられていて、善意をもっているが中間の立場にいるより多数の労働者に働きかけるモメントを見出していないという点が、きびしい不満をよびおこしているのだった。
 こういう考えにゆきついたとき、伸子は新しいよろこびのある見とおしと確信から思わず椅子を立ち上った。

 そして三度目に、また満員だとことわられてホテルから帰って来たその日の落胆を忘れた。
 どんな誇張も卑下もなしに、伸子はありのままの自分をモスクワに止ってよい者として確認することができた。
 なぜなら、伸子は社会主義に向って変りつつあるのだから。
 ほかならぬソヴェトの社会が、より高い社会主義にすすみつつあるその日々の生活の中で伸子もそのなかみとして。

 オリガ・ペトローヴァのところで、素子と三人の間に部屋の話が出たとき、伸子は、おぼつかない言葉ながら熱心に云った。
 「わたしたちは住むところを見出す権利があると信じているんです。
  わたしたちにはえらい人からの『書きつけ』はないけれど、
  わたしたちがソヴェトに対してもっている支持と、
  それによってわたしたちが話したこと、書いたものを持っているんですもの。

  そしてね、オリガ・ペトローヴァ、
  一般に、もし『書きつけ』がそれほど絶対の価値をもっているなら、
  モスクワはこんなに到るところで清掃《チーストカ》をやる必要はなかったでしょう」
 そういう点から考えると、伸子たちの今までいるアストージェンカの組合住宅の内容というものも、問題があるのだろうと思える。

 鉄道関係の従業員組合の住宅建設委員会が建てたその建物の中には、一番はじめに伸子たちが部屋がりしたルイバコフのように、いつも緑色の技師帽をかぶって出勤する者も住んでいたが、何か政治的な理由で保健人民委員をかくまって伸子たちを追い出したソコーリスキーが、鉄道のどんな従業員だったろう。

 それから、カール・ラデック。
 ラデックはポーランド革命をあやまって指導した政治家であり、「プラウダ」の論説員の一人であった。
 最近の数年間はトロツキストとの連関で問題になっている人物だった。
 門番の肥った男にたのんで素子がルケアーノフのクワルティーラへ本をつめた木箱を運びあげて貰っていたとき、もう一つ上の階から、タタタタという迅《はや》さで瘠せぎすの、鞣外套の男が降りて来た。

 その男は、
 「重そうだね」
 と門番に声をかけてゆっくりわきをすりぬけ、また同じような早さにかえって建物の出入口へ下りて行った。
 伸子が一目みたその顔の特徴から、それと思われた人の名を頭に浮べたのと素子が、
 「ラデックだろう」
 と云ったのと同時だった。

 その後、どうしてだか、素子はラデックの細君はすらりとして美しい、ごく内気そうな婦人だと云ったことがあった。
 ラデックの最初の妻は、ラリサ・レイスネルだった。
 レイスネル博士の娘であったラリサは、一九一七年から二一年ごろまで、国内戦の前線で政治指導員として働いた。
 決して、疲れたと云ったことのないラリサとして人々に記憶された。

 そのころ彼女が書いた興味ふかい報告、感想集があって、素子は、いつかそれを訳そうとしていた。
 レイスネルは、ジョン・リードを殺したチブスの年、同じ病で死んだのだった。
 そういう興味もあって素子は、たまに見かけるラデックやその現在の妻であると思われる婦人に目がとまるのだった。

 「ラデックって男は、器量ごのみだね。
  写真でみるとレイスネルも美しかったが、
  いまのひとだってモスクワでは珍しいぐらいきれいだ。
  ちっとも政治的なところのないひとだけれど」
 伸子は、どうしてだか、その美しい人というのに出会ったことがなかった。
 けれども、素子から噂をきき、ラデックの政治的な立場を思いあわせると、同じくらい美しいにしても、いまの細君がレイスネルとは全くちがった性格の婦人であるだろうということは推察がつくのだった。

 そのようにして、その内部ではさまざまな種類の生活が営まれているアストージェンカ一番地の建物から伸子たちの荷物が運び出されたのは、十日という期限、ぎりぎりの前日だった。
 その日伸子は午前に一度、午後早くに一度とパッサージへ出かけた。
 二度目に行ったとき、伸子は三時間事務所の壁ぎわの長椅子で室のわりあてられるのを待った。

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