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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  132

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        六

 クロコディール(鰐《わに》)の漫画の取材が、かわって来た。

 官僚主義に対する諷刺や、自分の経営に「清掃《チーストカ》」がはじまると決定した翌朝から、人が変ったように下のものに対して愛想よく謙遜になる上級勤人。
 カールした髪を俄《にわか》に赤いプラトークで包みあげて、カルタだのコニャックの瓶だのをいそいでとりかたづけているその妻などが、新しい哄笑のテーマとなっているほかに、鰐の頁に、テカテカ光る長靴をはいた富農が登場して来た。

 集団農場加入資格審査委員会というものが、あらゆる村々で組織されていた。
 資格審査委員会は、村びとたちの財産調査をして、中農、貧農を集団農場加入の資格者とするのだった。

 審査委員たちが一軒の富農の内庭へやって来た。
 日ごろ太っているエルフィーモフが、きょうは一層肥えふとって、息づかいもくるしそうにしている。
 エルフィーモフのかみさんの裾《ユーブカ》が、きょうはまた何とふくらんでいることだろう。
 気転のきく頓智ものの審査委員の一人が、頬っぺたを赤くして入って来た連中を睨みつけているおかみさんの手をむりやり執って、踊り出した。

 両手をつかまえられて元気よく円くふりまわされて逃げるに逃げられないかみさんのユーブカの中から、おかしい落しものがはじまった。
 都会風に、にせ宝石で飾られた婦人用夜会靴。
 白い毛皮のついた寝室用スリッパの片方。
 コーカサス細工の女長靴。

 エルフィーモフの腹のまわりから十ヤールの羅紗地があらわれた。
 その上に、彼は金モールつきの宮廷礼服の上着を一着して、ルバーシカのボタンをしめていたのだった。
 「農民新聞」や「コムソモーリスカヤ・プラウダ」「モスクワ夕刊」などに報道される富農の隠匿物資の目録は、伸子に笑止なようなその暗い貪婪が苦しいような心持をおこさせた。

 それらの品目は、一九一七年から二〇年の飢饉の年に、都会の没落した上流生活者や小市民が、ひとかたまりのパンのためには、銀のサモワールからはじめてどんなにありとあらゆるかさばった品物を、農村へ向って吐き出したかを語っていた。
 家畜について、富農たちはずっと実際的に狡猾にふるまった。

 この何年間かいつも一頭の乳牛と二匹の豚しか飼っていなかった「中農」が、実は十頭ちかい牛と馬とをもっていて、それらの家畜はみんなそれぞれ遠くの村々の貧農たちに、わけてかしつけられていたというような事実も調査された。
 審査委員会は、村の情実にしばられないようなしくみで「持たない者」たちの側からの調査であった。
 夥《おびただ》しい量の穀物も発見されて行った。
 あらゆる農村に二度めの「十月」が進行していた。

 モスクワではモスクワ地方プロレタリア作家同盟の大会がはじまっていた。
 未来派の詩人であったマヤコフスキーが、これまで同伴者風な詩人たちの組織としてもっていた「左翼戦線《レフ》」を発展させて「革命戦線」とし、ロシア・プロレタリア作家同盟に参加した。

 十七年以来「大胆な表現とほとばしる情熱の輝き」とで支持されて来ているマヤコフスキーは、この冬の演劇シーズンに「風呂」という諷刺劇をメイエルホリド劇場で上演していた。
 「風呂」の演出は、いかにもメイエルホリドという才人とマヤコフスキーという才人との考案らしかった。

 舞台の中央に動かない円形がのこされ、そのまわりにいくつかの小型まわり舞台がつくられていた。
 小型まわり舞台は、その上にそれぞれの場面をのせてまわりながら、チュダコフという労働者出身の若いソヴェト・エジソンを主人公とする六幕の芝居を運んで行くのだった。
 小型のまわり舞台は、ある瞬間、急にグルリ、グルリと一廻転二廻転して、群集の心理激動を表現したりした。

 メイエルホリド劇場専属のよく訓練されている人体力学《ビオメカニズム》の一団が始終舞台の上に活躍して、主人公である発明家チュダコフとその仲間のすべての動作、大発明であるところの何かの機械、実体は舞台に現れない、の組立て、運搬などを、統一されたリズミカルな体操まがいの身ぶりで表徴した。

 大詰は、社会主義国の首府からチュダコフを迎えの飛行機がやって来る。
 飛行機は、未来の社会では滑走路を必要としないほど進歩して、高層建築のてっぺんにとまるのだそうだった。
 舞台の奥の高いところから、銀と赤との飛行服をつけた婦人使節スワボーダ(自由)が迎えに来て、チュダコフ一行は、見物の目には見えない重大な発明品をビオメカニズムの行進で運搬しつつ、一歩一歩と舞台の高みへとのぼってゆく。

 チュダコフの光栄にあやかって社会主義の社会へ飛ぼうとして、高いやぐらによじのぼりはじめた俗人男女、チュダコフの発明を妨害していた反社会主義の人物は、一つの爆音と煙とで、やぐらから舞台へおっこちてしまう。
 そして、飛行機は、見物に見えないところからプロペラの響をきかせて、社会主義の社会へと翔《と》び去ってしまうのだった。

 演劇であるというより「風呂」はメイエルホリド流の「見るもの《スペクタークル》」だった。
 そして、大詰では、労働者である観衆が、やぐらから舞台の上へふりおとされて来る邪魔者たちととりのこされて、チュダコフそのひとは、煙と爆音のかなた高くに消え去ってしまうというのも、考えようによっては、皮肉だった。

 立派な外套を着た外国人と見ると、つべこべする国際文化連絡協会《ヴオクス》の案内人などはマヤコフスキーによって鋭く諷刺された。
 伸子は、立派な外套を着ていないモスクワの外国人の一人として、その事実を感じている。

 でも、そういう鋭さはむしろ小さな部分としての成功だった。
 「もしかしたら、マヤコフスキーにもメイエルホリドにも、
  何となし脚本の空虚さがわかっていて、心配だったのかもしれないわね。
  だから、せいぜい目先の新しいまわり舞台を工夫したり、
  高い櫓をくみ立てたりしたのかもしれない。
  でも、結局、それだけじゃ」
 例のメイエルホリドのこけおどしにすぎなかった。

 そして、メイエルホリドのこけおどしは、この場合ソヴェトの演劇の弱さとして現れかかっている。
 雪の凍っている並木道の間を、素子と橇に合い乗りで帰りながら、伸子はひと晩つまらない芝居を観てすごした不満というにしては、こだわるところのある、いらだたしさのようなものを感じた。

 「ここで社会主義があんな象徴主義《シンボリズム》で扱われるなんて。」
 伸子が腹立たしいような抗議を感じるのは、そこだった。
 モスクワの生活に、社会主義は目に見えるものであり、触れ得るものであり、生きている現実であるからこそ、伸子はこんなにモスクワの沸騰を愛しているのに。この冬が最後のモスクワ暮しと思えばこそ、こうしてすべってゆく橇のかたいバネを通じて体につたわる並木道の凍った雪のでこぼこさえ、忘れがたく思っているのに。

 「『射撃《ヴィストレル》』の方が、あれでまだ芝居になっている」
 素子が劇通らしく云った。
 登場人物が善玉・悪玉に固定されているような点に難があったが、ベズィメンスキーのその詩劇は、五ヵ年計画から出現した工場の突撃隊《ウダールニキ》の活動を主題としたものだった。

 「射撃」を上演しているのもメイエルホリド劇場だった。
 「メイエルホリドも目下あれをやって見、これをやってみというところなんだろうな」
 素子がいうとおり「射撃」の方は、全くリアリスティックに演出されているのだった。
 リアリスティックになったメイエルホリドの舞台は、しかし革命劇場の舞台にくらべて、どれだけの特色があると云えたろう。

 伸子は、あれこれを考えながら、デスクに向って黒表紙の帳面に、ゆうべ観て来た「風呂」のプログラムと切符とを、はりつけていた。
 パリから帰ってから、伸子は、モスクワの最後のシーズンに観るすべての芝居の記念を保存しているのだった。

 上演目録の選定のやかましい芸術座は、このシーズンもことさら五ヵ年計画を題材にした脚本を追いまわしていなかった。
 ドストエフスキイの「伯父の夢」と「オセロ」と「復活」などを上演している。
 「復活」を芸術座は全くこれまでにない演出でやっていた。
 カチャーロフが、カチューシャの裁判の場面では舞台の袖に立ち、ネフリュードフの苦悩の場面では、さながらネフリュードフの良心の姿のように、ネフリュードフの背後に迫って、この上なく印象的に小説の中から原文のままを朗読した。

 短い鉛筆を、右手にもち左手は上衣のポケットにおさめ、黒ずくめのカチャーロフが、舞台の下に立って、錆びのある声で、吹雪の中を去ってゆくネフリュードフを追って遂に失神するカチューシャの歎きを物語ったとき、満場の観客はひき入れられて、カチャーロフと一身一体のようだった。

 あの充実した見事さ。
 だが、モスクワではどんな芸術家も、破綻のない「完成」にだけおさまってはいられないのだ。
 「風呂」が失敗であるにしろマヤコフスキーは、自分をひろい地帯へと押しだした。

 考えこんでいた伸子を我にかえらせて誰かがドアをノックした。
 「どうぞ」
 デスクに向いたまま伸子は返事した。
 「よろしいですか」
 ドアから半身あらわしたのは、伸子たちのいる下宿の主人であるルケアーノフだった。

 伸子は、ちょっと瞬きした。
 彼女たちが越して来てから、主人のルケアーノフが自身で室へ訪ねて来たという前例がまだなかった。
 「おはいり下さい、どうぞ」
 デスクの前から立って伸子はドアのところへ出て行った。
 ルケアーノフは、ドアのノッブに片手をかけたまま、
 「あなたおひとりですか」
 ときいた。

 「吉見さんは、正餐《アベード》に帰って来ます」
 ルケアーノフは、栗色の髪がうす禿になっている顔をすこしかしげ、何か考えたが、
 「よろしいです」
 いそいでいるが、待とうと決心した口調で云った。
 「では、正餐《アベード》のあとで」
 「御都合がよかったら、わたしたちが、あなたのところへ行きましょうか」
 「わたしが来ます、では、のちほど」
 ドアをしめて去ったルケアーノフの靴音が、食堂につかわれている隣室のむき出しの床の上に暫くきこえて、やがてクワルティーラじゅうがひっそりとした。

 何かがおこっている。
 ルケアーノフと伸子たちとにとって、何か愉快でないことが。
 その予感を疑うことは出来なかったが、伸子には、たしかに愉快でないにちがいないことの内容が、推察されなかった。
 ことしから必要とされるようになった居住証明の書付。
 それは伸子がモスクワ・ソヴェトのその係へ行って、つい先日、三ヵ月間の証明をもらって来てある。

 食糧の配給切符。
 それはルケアーノフの細君に二人分そっくり渡して伸子たちは賄つきで暮しているのだった。
 素子が帰って来る。
 その踵を追うようにしてルケアーノフの細君がはいって来た。
 「正餐をお出ししていいでしょうか」
 「どうぞ」

 伸子は、
 「ね」
 と、素子を見た。
 「何かでしょう?」
 いつも落付いて、皿を運んで来て、ときには、
 「いかがです?
  お気に入りますか」
 とテーブルのわきに立っていることもあるルケアーノフの細君は、正直で親切な主婦が、ざっと一年悶着なしに暮して来た下宿人に対して急におこった気まずさをかくしているときのかたくるしさで、振舞っているのだった。

 「まあ、いいや。
  話があるなら聞こうじゃないか」
 正餐がすんでからの十五分を待ちかねていたように、ドアがノックされた。
 ルケアーノフは、食事の片づけられたあとの円テーブルに向って伸子が出しておいた椅子にかけた。
 椅子のなくなった伸子は、自分のベッドにかけた。

 「用事というのは、こういうことなんですが」
 こんど住宅管理法がかわった。
 従来一つの建物は、そこに住んでいる人たちの間から選出された管理委員会で管理していて、たとえばこのアストージェンカ一番地の住宅は、ルケアーノフ自身も委員の一人である管理委員会が見ていた。
 新しい管理法では、区《ライオン》の住宅委員会が各町々の住宅を綜合して管理することになった。

 この建物の管理委員会から区《ライオン》の管理委員会への代表が選定された。
 そして、いままで個人的に部屋がしをしている者は、その室をあけて、各組合の住宅難で困難している人々の間にふりかえることに決定された、というのだった。
 「決定された」という言葉が、ルケアーノフと伸子にとってどういう実行力をもつものであるかということはモスクワに二年いる伸子たちによくわかった。
 そういう決定があった以上伸子たちはもうルケアーノフの借室人であることは不可能になったのだ。

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