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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  131

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        五

 きのうの雪の上にけさの雪が降りつもり、また明日の新しい雪がその上に降りつんで、モスクワの十二月は、厳冬《マローズ》に向ってすすんでいる。
 伸子の毎日にも、あたらしいことが次から次へとおこった。

 そして、絶え間なく降る雪が、ソコーリスキーの自然林公園のどこかで、やがて雪どけと同時に一番早く花を咲かせる雪のしたの根を埋めて行っているように、雪景色を見晴らすアストージェンカの下宿の室では、伸子の新しい日々の下に石田重吉という一人の青年の名とその青年のかいた文芸評論についての印象がうずめられて行った。

 一月二十一日の「赤い星《クラースナヤ・ズヴェズダー》」に、スターリンの「階級としての富農《クラーク》絶滅の政策に関する問題について」という論文が出た。
 モスクワ全市は真白い砂糖菓子のようになって、厳冬《マローズ》の太陽の下に白樺薪の濃い黒煙をふきあげながら活動している。

 そのモスクワが、外国人であり、何の組織に属しているのでもない伸子にさえ、それとわかる衝撃を、この一つの論文からうけた。
 富農《クラーク》がソヴェトの穀物生産計画を擾乱《じょうらん》している事実は、おととし、一九二八年の穀物危機とよばれた時期から、誰の目にもはっきりした。

 この実情が、レーニングラード、モスクワその他の都市の労働者に、集団農場《コルホーズ》化へ協力しなければならないという関心をよびさました。
 翌年の春の種蒔き時をめざして、モスクワの「デイナモ」工場や「槌と鎌工場」その他からコルホーズを組織するための協力隊がウクライナ地方を主とする各地の農村へ出かけて行った。

 伸子が肝臓の病気になって入院する前の秋から冬にかけてのことだった。
 工場の仲間におくられて賑やかに都会を出発したコルホーズ協力の労働者たちは、やがてあちこちの農民の間で予期しない経験をするようになった。
 工場からの労働者たちは、多くの場合その危害からとりのけられたが、コルホーズ指導のために村へ先のりした若い政治部員たちや、村ソヴェトの中でその村の有力富農やぐずついている中農に反対して集団農場化を支持する少数の貧農の青年たちなどが、富農に殺されることが少くなくなった。

 「コムソモーリスカヤ・プラウダ」には、そういう事件の内容が、わりあいこまかに報道されていて、なかには伸子の忘れられない、いくつかの物語があった。
 ある村へ、二人の若い集団農場《コルホーズ》化のための指導員が行った。
 その辺は富農たちの勢力のつよい地帯で、二人の若者は警戒して行った。
 ところが実際着いてみると、村ソヴェトでの集会も思ったよりはるかに集団農場《コルホーズ》化を支持している空気であったし、村の富農は非常に丁寧に二人の若い指導員たちをもてなした。

 正式の集会のあと、富農の家で村の多勢が集って活溌な討論をつづけ、「二人の客」が疲れて眠りについたのは、もう大分の夜更けだった。
 ロシアの村でよくもてなされた、というからには、二人の若い指導員たちは、話すことと同量にたっぷり食べ、また、たっぷり飲んだことだったろう。
 「二人の客」は特別のもてなしの一つとして、柔かくて、いい匂いがして、最も寝心地のよいところとされている乾草小舎に泊められたのだった。

 すると、夜あけ前に、その乾草小屋から火が出た。
 「村の連中は何しろ、おそくまでうちこんで討論したあげくだから、疲れていた」と、その通信員は村の誰かれの話を引用していた。
 「主人も、ぐっすり寝こんで、火が乾草小舎をつつんでしまうまで気づかなかった」。
 やがて火事が発見され、村のスリ半《ばん》がうちならされた。

 村人たちが現場へかけ集った。
 焔はすでに乾草小舎をつつんでいる。
 勇敢な一人の若者が火をくぐって小屋にかけよったが、錠がかけられていて手の下しようがなかった。
 「二人の客」は完全な二つの焼死体となって焼跡から発見された。

 地方の警察につれてゆかれるとき、その主人である富農は、こう呟いて地面へつばをはいた。
 「ウフッ!
  指導員!
  乾草小舎でタバコは禁物だってことさえ知りやがらねえ。
  奴らのもって来るのはいつだって災難きりだ」。
 しかし、その晩、「二人の客」を乾草小舎へ送りこんだ連中の中の一人の農民は次のことを目撃していた。

 タバコを吸っていた一人の指導員は、小舎に入る前に戸の手前でタバコをすてて、それをすっかりふみ消した。
 「二人の客」は酔っているというほどではなかった。
 どうして、乾草小舎に錠をかけたかという質問に対して、富農は答えた。
 ヘエ、訊きてえもんだ。
 お前のところじゃ、乾草どもが、自分で内から小舎の戸じまりでもしているところなのかね。

 俺は客人に間違ねえように、と願っただけだった。
 自分でやけ死んで、こんな迷惑がおころうとは思わなかった。
 この物語や、討議しているうしろの窓から狙撃されて死んだ政治部員の話。
 橇で林道を来かかった地方ソヴェトの役員の上へ、大木が倒れかかって来てその下につぶされて死んだ話。

 それらは、みんな伸子に、二十歳を越したばかりだったゴーリキイが、人民主義者《ナロードニク》のロマーシンといっしょに暮したヴォルガ河の下流にある村での経験を思い出させた。
 ゴーリキイとロマーシンとはその村で、農民のための雑貨店を開きながら「人間に理性をつぎこむ仕事」を試みたのだった。

 しかし、二人の外来人に敵意をもつ村の富農のために店に放火され、そのどさくさにまぎれて、包囲されたロマーシンとゴーリキイとは、もうすこしで殺されるところだった。
 シベリアの流刑地で様々の場合を経験して来ているロマーシンが、ゴーリキイにささやいた。

 ぴったり背中と背中をくっつけるんだ。
 このまんまで輪をつっきるんだ。
 ゴーリキイとロマーシンに好意をもって日ごろ仕事を助けていた貧農のイゾートは、この事件が起る前ヴォルガ河のボートの中で頭をわられて殺された。

 それは一八〇〇年代終りのことであった。
 ツァーの時代のことであった。
 一九二八年に、富農がコルホーズ化を進行させまいとしてとった手段は、やっぱりそのころとちがわない兇暴さだった。

 「話のわかる指導者」ブハーリンの一派に庇護されて、一九二一年このかたソヴェト社会の間で一つの階級にまで育って来た富農に対して「赤い星《クラースナヤ・ズヴェズダー》」にのったスターリンの論文は「これまでのように、個々の部隊をしめ出し克服する」のではなくて、「階級としてのクラークを絶滅させる新しい政策へ転換」したことの宣言であった。

 「階級としてのクラークをしめ出すためには、この階級の反抗を、公然たる戦いにおいて撃破し、彼らの生存と発展の生産上の諸源泉(土地の自由な使用、生産用具、土地の賃貸借、労働雇傭の権利等々)を彼らから剥奪してしまうことが必要である。
  これが即ち、階級としてのクラークを絶滅する政策への転換である」
 この論文は、新しくつもったばかりの雪の匂いが、きびしい寒気とすがすがしさとで人々の顔をうつ感じだった。

 伸子が帰ってきたとき、狩人広場《アホートヌイ・リャード》から消えていたモスクワの露天商人、闇市の、その根が全国的にひきぬかれようとしている。
 「生産の諸源泉を彼らから剥奪する」ほかに何と解釈しようもないこの決定的な表現は、それが必ず実現されるものであることを伸子にも告げるのだった。
 伸子がモスクワへ来てからの経験では、スターリンの名で何ごとかが発表された場合、それはもう既に実現されてしまったことか、さもなければ、これから必ず実現されるべき何ごとかなのだった。

 そして、この論文に示されているのは、まさに、一つの画期的な決意であった。
 ソヴェト社会の確保と建設のために一層はっきりとした方向にそのハンドルがしっかり握られたことを告げる。
 ロンドンで行われる軍縮会議は、とことんのところではソヴェト同盟の存在をめぐっての軍備拡充のうちあわせのようなものだったから、ソヴェトの人々が自身の社会を護るために、その社会を内部から崩壊させようとしている階級を、とりのける決意をしたことは当然だった。

 雪につつまれた厳冬《マローズ》のモスクワが新しい雪の匂いよりもっと新鮮できつい雪の匂いをかいだように感じたのは、スターリンの論文がもっている理論の明確さのせいばかりではなかった。
 論文を支えている階級的な決意の動かしがたさが、その身はもとより富農ではなく、日々モスクワの工場や経営で働いているすべての人々にまでなまなましく迫って自分を調べなおさずにいられないこころもちにさせた。

 そのころ、誰かが誰かと会って「読みましたか《チターリ》?」ときけば、それは「赤い星」の論文のことであった。
 伸子がパリにいた間に、素子はオリガ・ペトローヴァという、語学上の相談あいてになってくれる女友達を見出した。

 素子は一週に一度、数時間ずつ彼女の部屋で過すのだった。
 オリガの住んでいるのはモスクワの町はずれに近いところで、まだ五ヵ年計画の都市計画がそこまではのびて来ない昔風な大きな菩提樹のかげの門の中だった。
 古びたロシア風の丸木造りで小さい家の下には誰も住んでいず、二階に、三十をいくつか出ている年ごろのオリガが石油コンロ一つ、ブリキのやかん一つという世帯道具で暮していた。

 食事は、つとめ先の組合食堂ですますのだった。
 素子の勉強がすんだころ、散歩がてらに伸子もそこへ行くことがあった。
 オリガの故郷は、ミンスク附近のどこかの村だった。
 田舎には母親と弟妹たちがいるらしくて、弟の四つばかりになる息子を、オリガは「私の英雄《モイ・ゲロイ》」とよんで、可愛がっているのだった。

 ソヴェトでは、まだ珍しいその甥のスナップ写真が伸子たちに見せられた。
 「あなたがたに、ほんとうのロシアの田舎というものを見せてあげたい!」
 長年の勤人生活になれたオリガの丸っこくて事務的な頬と眼の中に、あこがれが浮んだ。
 「あなたがたがどんなに夢中になるか。
  わたしによくわかる!」

 シガレット・ケースをあけてオリガにもすすめながら素子が、「外国人」である自分を自分でからかうように、
 「わたしたちだって、いくらかは『ロシアの田舎』を見ていますよ」
 と云った。
 「すくなくとも、タガンローグの蠅は、ワタシの鼻のあたまを知っている」
 アゾフ海に向って下り坂になっている大通りのはずれに公園をもっているタガンローグの町は、チェホフの生れたところだった。

 タガンローグの町に唯一のチェホフ博物館があって、そこにはチェホフに直接関係があってもなくても、とにかく町の住人たちにとって見馴れないもの、あるいは日常生活に用のないものは、みんなもって行って並べることにしてあるらしかった。
 昔、アイヌがイコロとよんで、熊の皮や鰊《にしん》の大量と交換に日本人からあてがわれていた朱塗蒔絵大椀や貝桶が、日本美術品として陳列されていた。

 伸子と素子とは、タガンローグの住人にとってめずらしい二人の日本婦人として子供に見物されながら町を歩き、メトロポリタンという堂々とした名前のホテルに一晩泊った。
 田舎の町やホテルの面白さ。
 だが、タガンローグの町で、チェホフが一日じゅう蠅をつかまえて暮している退屈な男を主人公にして小説をかいたわけだった。

 その蠅のひどいこと!
 少しおおげさに云えば、伸子と素子とは蠅をかきわけて食堂《ストローヴァヤ》のテーブルにつき、アゾフ海名物の魚スープといっしょに蠅をのみこまないためには、絶えずスプーンを保護して左手を働かせていなければならない程だった。
 「タガンローグの五ヵ年計画には、必ずあの蠅退治がはいっているだろうと思いますね」

 「わたしたちの村では清潔ですよ」
 オリガが、ほこらしげに、単純な満足で目を輝かした。
 「村のぐるりに森があって、森は素晴らしいんです。
  大抵の家で手入れのいい乳牛をかっていてね。
  クリームで煮たキノコの味!
  あなたがたが、あすこを見たら!
  彼らは、生活しているんです」
 オリガのむき出しな四角い部屋の一方に寝台があり、その反対側の壁によせておかれているテーブルの上に三つのコップが出ている。

 三人は茶をのみながら話しているのだったが、伸子はオリガの話しかたをきいていて彼女の郷愁と村自慢にしみとおっているモスクワ生活の独特さを感じた。
 オリガの善良な灰色の瞳は、森や耕地の景色をそっくりそのまま浮べているような表情だった。
 いまにも、村の家の暮しの物語があふれて出そうだった。

 けれどもオリガは決して必要以上に田舎の家族についておしゃべりでなかった。
 くりかえして、伸子たちがあれを見たら!
 と村の自然のゆたかさを語りながら、彼女は決して、わたしの田舎へいっしょに行きましょう、とは云わない。

 そこにモスクワの節度があった。
 オリガがまじめな勤め人であり、伸子たちが私的にモスクワに暮している外国人である以上、その節度は当然であり、いわば、それがソヴェトの秩序でもあるのだった。
 「赤い星」の論文について「読みましたか《チターリ》?」と伸子にきいた最初のひとが、このオリガだった。

 「彼は、非常に決定的に書いていると思います」
 伸子は、そう答えた。
 「ええ。
  それは全くね」
 「わたしには、読んでわかる範囲にしかわかっていないんだけれども。
  でも大きな恐慌がおこっていることだけはたしかよ」
 「恐慌《パーニカ》?」
 意外そうに、同時に突然何かの心配がおこったような眼でオリガが伸子を見た。
 「どんな《カカーヤ》恐慌《パーニカ》?」

 「もちろん、富農のところによ。
  それは、あきらかでしょう? 
  それから、すべての外国新聞の通信に。
  見ていらっしゃい。
  あのひとたちは『五日週間』についてさえ、
  強制労働が全住民へ拡大したってかいたんです、わたしはパリでそれを読んだわ」
 オリガは非常に考えぶかく、自分のひとことひとことに責任をとっているようにつぶやいた。

 「それが彼らの習慣なんです」
 「オリガ・ペトローヴァ、わたし、思うとおりを云って、いいでしょうか」
 「どうぞ《パジャーリスタ》」
 パというところで一旦区切って、オリガは力を入れてジャーリスタと云った。
 「わたしは、富農を気の毒だと思えないんです、それは、
  わたしが田舎を知らないからじゃないわ。
  彼らは、もう十分若い指導員たちを殺したし、牛や豚も殺しました」
 集団農場化が、ソヴェト権力としてあとへひかない方針だとわかると、それをよろこばない村々で、破壊的な家畜殺しがはやった。

 一匹の牛馬豚などというものは、集団農場化されても自分のところで飼育していていいという規定だった。
 それを、わずかの鶏まで農場の資産として出さなければならないように宣伝して、農民のやぶれかぶれな気持をそそったのは、程度のちがいこそあれ、二人のお客を「乾草小舎でもてなした」ような者たちの仕業だった。
 自分できり出した話だったのに、オリガは「赤い星」の論文について、特別言葉すくなだった。

 「あのひとの田舎のうちって、どういう暮しをしているんだろうな」
 雪の夜道に淋しくアーク燈の光の輪がゆれている。
 アストージェンカに向って足早に歩いてきながら、素子がひとりごとのように云った。
 「あの様子じゃ、貧農じゃないね」
 こんな工合にして、伸子たちにさえ触れて来る深さと鋭さとで「赤い星」の論文はソヴェト全市民の生活感情の隠微な部分へまで浸透して行った。

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