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名作を読みませんかコミュの「次郎物語」  下村 湖人  17

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   二〇 旧校舎

 その晩、お浜が別れを告げに来た時には、本田の一家も、流石にしんみりとなった。
 ふだん彼女の顔を見るのも嫌いだったお祖母さんまでが、みんなと調子を合わせて、十一時近くまで起きていた。

 そして、俊亮やお民が、お浜に二三日泊っていくようにすすめると自分もはたから口を出して、
 「次郎もかわいそうだから、是非そうしておくれ。」とか、
 「お正月も、もう近いことだし、どうせそれまでゆっくりしたらどうだね。」
 とか言って、いやにちやほやした。

 お浜は心の中で、
 「ふふん、そのご挨拶の気持も、どうせ明日まではつづくまい。」
 と考えながらも、流石にいつもよりはずっと楽な気分になって、腰を落ちつけた。
 そして、すすめられるままに、一晩だけ、泊っていくことにした。

 次郎とお浜は、同じ蒲団の中にねたが、二人とも、容易に寝つかれなかった。
 眠ったかと思うと、すぐ眼をさまして、何度も冷たい夜具の中で、かたく抱きあった。
 しかし、翌朝次郎が眼を覚ました時には、お浜はもう寝床の中にはいなかった。

 次郎ははね起きて、家じゅうを探しまわったが、彼女の姿はどこにも見えなかった。
 彼は、昨夜彼女が風呂敷包を持って来ていたことを思い出して、そのありかを探してみたが、やはりそれも見つからなかった。

 彼はかなりうろたえた。
 しかし、誰にもお浜のことをたずねてみようとはしなかった。
 人に秘密にしていたものを失くした時のように、一人でそわそわと、家じゅうを歩きまわっていた。

 みんなは、彼のそうした様子を見ながら、わざとのように口をきかなかった。
 朝飯をすますと、彼はすぐ戸外に飛び出して、仲間を集めた。
 そして、いつものように戦争ごっこを始めたが、何となく気乗りがしなかった。
 「進め」の号令をかけて、仲間を前進さしておきながら、自分だけは、ぽかんと道の真ん中に突っ立っていたりした。

 「面白くないなあ。」
 とうとう仲間の一人が不平を言い出した。
 「学校に行ってみようや。」
 他の一人が提議した。
 みんながすぐそれに、賛成した。

 「前へ進め!」
 次郎はすぐ、彼らを二列縦隊に並べて、号令をかけた。
 彼はみんなの先顔に立って、今度は非常に元気よく歩き出した。
 むろん、他の子供たちは新校舎の方に行くつもりでいた。

 ところが、次郎は、別れ道のところまでくると、道を左にとって、旧校舎の方に行こうとした。
 「どこへ行くんだい?」
 「こっちだい。」
 みんなは列をくずして、がやがや言い出した。
 それからしばらくの間、彼らと次郎との間に論戦が交された。

 彼らは、あんな破れかかった学校なんかつまらない、と言った。
 次郎は、空家になった校舎の中であばれるのは面白い、と言った。
 議論は容易に決しなかった。
 「僕一人で行かあ。」
 とうとう次郎は怒り出して、さっさと一人で旧校舎の方に歩き出した。
 するとみんなもしぶしぶそのあとについた。

 ところで、空家になった校舎の中で、存分にあばれまわることは、彼らの予期しなかった新しい楽しみだった。
 第一、床板の反響が、異様に彼らの耳を刺激した。
 壁の破れ目に、棒を突っこんでこじ上げると、大きな壁土がくずれ落ちて、砲撃の瞬間を思わせるような感じを与えるのも彼らの興奮の種だった。

 彼らは、ついに、むりやりに数枚の床板をはずして、そこを塹壕《ざんごう》になぞらえ、校庭から沢山の小石を拾って来て、それを弾丸にした。
 小石が土壁にあたると土煙が立ち、板壁にあたると、からからと音を立てた。
 墓地や鎮守の杜でやる戦争ごっことちがって、次から次へと、眼の前に惨澹《さんたん》たる破壊のあとが現れるので、彼らはいよいよ興奮した。

 次郎は、しかし、彼らが興奮すればするほど、淋しくなった。
 彼は、間もなく、自分の思いつきを後悔した。
 そして、仲間が石投げに夢中になっている間に、一人でこっそり校番室に這入りこんで、昨日お浜が腰をおろしていたあたりに、悄然と腰をおろした。

 小石はおりおり、校番室の隣の部屋にもがらがらと音を立てて、ころげて来た。
 そのたびに、彼は胸の底を何かで突っつかれるような痛みを感じた。
 この部屋だけは荒らさせたくない。
 彼は、急に、仲間のすべてを敵にまわして、自分一人で校番室を守ってでもいるような、悲壮な気分になった。

 「わあっ!」
 突撃がはじまったらしく、廊下を狂暴に走りまわる音がきこえた。
 しかし、間もなく誰かが叫んだ。
 「おい!
  次郎ちゃんがいないぞ。」
 「ほんとだ。どうしたんだろう。」
 「戦死したんか。」
 「馬鹿いえ。」
 「弾丸を取りに行ったんだろう。」
 「そうかも知れん。」
 「おうい、次郎ちゃん!」
 「じーろーちゃん!」
 みんなが声をそろえて叫んだ。

 次郎は、しかし、彼らに答える代りに、そっと床下にもぐりこんで、息を殺した。
 かなり永い間、次郎の捜索が続けられた。
 最後に、みんながどやどやと校番室に這入って来た。
 「いないや。」
 「馬鹿にしてらあ。」
 「もう次郎ちゃんなんかと遊ぶもんか。」
 「そうだい。」
 「怪我したんじゃないだろうな。」
 「そんなことあるもんか。」
 「帰ろうや、つまんない。」

 「馬鹿言ってらあ、これから、新しい学校に行くんだい。」
 「そうだ、次郎ちゃんも、もう行ってるかも知れんぞ。」
 「そうかも知れん。
  早く行こうよ。」
 「行こう。」
 「行こう。」

 みんなが去ったあと、次郎は、荒らされきった校舎の中を、青い顔をして、一人であちらこちらと歩きまわった。
 廊下にころがっている小石が、時たま彼の足さきにふれて、納骨堂で骨が触《ふ》れあうような冷たい音を立てた。
 壁の破れ目から、うっすらとした冬の陽が、射したり消えたりするのも、たまらなく淋しかった。

 乳母やは、もういない。
 彼は、ふと立ち停って、しみじみとそう思った。
 とたんに、彼の眼から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。



   二一 土台石

 お浜の一家からは、その後、到着を報じたくちゃくちゃの葉書が、年内に一通と、年が明けて十日も経ったころ、次郎に宛《あ》てたお鶴の年賀状が来たきり、何の音沙汰もなかった。

 年賀状は、真紅《まっか》な朝日と、金いろの雲と、真青《まっさお》な松とを、俗っぽく刷り出した絵葉書であったが、次郎は、何よりもそれを大切にして、いつも雑嚢《ざつのう》の中にしまいこんでいた。

 そのうちに学年が変って、彼は四年に進級した。
 そして、新しい校舎からは、木の香がそろそろとうせていった。
 同時に、お浜たちに関するいろいろの記憶も、次第に彼の頭の中でぼやけはじめた。
 旧校舎のあとには、永いこと、土台石がそのままに残されていた、その白ちゃけた膚を、雑草の中から覗かせていた。
 次郎はそれを見ると、泣きたいような懐しさを覚えた。

 彼は、学校の帰りなどに、仲間たちの眼を忍んでは、よく一人でそこに出かけて行った。
 ある日、彼が例のとおり、土台石の一つに腰をおろして、お鶴から来た年賀状を雑嚢から取り出し、じっとそれに見入っていると、いつの間にか、仲間たちが彼の背後に忍びよって来た。
 「次郎ちゃん、何してんだい。」

 次郎は、だしぬけに声をかけられて、どぎまぎした。
 そして、なにか悪いものでも隠すように急いで絵葉書を雑嚢の中に押しこみながら、彼らの方にふり向いた。
 「ほんとに何してんだい。」
 仲間の一人が、いやに真面目な顔をして、もう一度訊ねた。
 「この石が動かせるかい。」
 次郎はまごつきながらも、とっさにそんな照れかくしを言うことが出来た。

 そして、言ってしまうと、不思議に彼のいつもの横着さが甦って来た。
 「何だい、こんな石ぐらい。」
 仲間の一人がそう言って、すぐ石に手をかけた。
 石は、しかし、容易に動かなかった。
 するとみんなが一緒になって、えいえいと声をかけながら、それをゆすぶり始めた。
 まもなく、石の周囲に僅かばかりの隙間が出来て、もつれた絹糸を水に浸して叩きつけたような草の根が、真っ白に光って見え出した。

 次郎は、大事なものを壊されるような気がして、いらいらしながら、それを見ていたが、
 「馬鹿!
  みんなでやるんなら、動くの、当りまえだい。」
 と、いきなり彼らを呶鳴りつけた。
 「なあんだい、一人でやるんかい。」
 みんなは手を放した。
 「当り前だい。
  僕だって一人でやってみたんだい。」

 「何くそっ。」
 最初に石に手をかけた仲間が、また一人でゆすぶり始めた。
 が、一人ではどうしても動かなかった。
 「よせやい。
  動くもんかい。」
 次郎はそう言って雑嚢を肩にかけると、さっさと一人で帰りかけた。
 「馬鹿にしてらあ。」
 仲間達は、不平そうな顔をして、しばらくそこに立っていたが、次郎がふり向いても見ないので、彼らも仕方なしに、ぞろぞろと動き出した。

 だが、土台石も、夏が近まるとすっかり取り払われて、敷地は間もなく水田に変った。
 そして今では、どこいらに校舎があったのかさえ、見当がつかなくなってしまっている。
 お鶴からの年賀状だけは、その後も大事に雑嚢の中にしまいこまれていたが、手垢がついたりするにつれて、それも次第に次郎の興味を惹《ひ》かなくなり、いつとはなしに、彼の雑嚢の中から影をひそめてしまった。

 お浜に関する思い出の種が、こうしてつぎつぎに消えていくことは、ある意味では、次郎の心を落ちつかせた。
 しかし、彼が最も親しんで来た一つの世界の完全な消滅が、彼の性格に何の影響も与えないですむわけはなかった。
 立木を抜かれた土堤のように、彼の心は、その一角から次第に崩れ出して、一つの大きな空洞を作ってしまった。
 その空洞は、わけもなく彼を淋しがらせた。

 そしてその淋しさをまぎらすには、もう戦争ごっこや何かでは間にあわなかった。
 彼は、ともすると、一人で物を考えこんだ。
 そして、そろそろと物を諦《あきら》めることを知るようになった。
 それが一層彼の性質を陰気にした。

 しかも彼は、こうした心の変化の最中に、不思議なほど続けざまに人間の臨終というものに出っくわしたのである。
 六月には正木の伯母が死んだ。
 九月には従兄弟の辰男が死んだ。
 そして十一月には本田のお祖父さんが死んだ。

 伯母は、昼間の明るい部屋の中で息を引きとったが、その臨終に大きく見開いた眼と、その蝋細工のような皮膚の色とは、気味わるく次郎の頭に焼きついた。
 辰男は急病で死んだため、顔の相好《そうごう》に大した変化を見せなかったが、自分と同い年で、従兄弟たちの中でも一番親しい遊び相手であったということが、次郎の感傷をそそった。
 しかし、彼の心に最も大きな影響を与えたのは、何と言っても、本田のお祖父さんの臨終であった。



   二二 カステラ

 お祖父さんは、胃癌《いがん》を病んで永らく離室に寝ていたが、死ぬ十日はかり前から、ぼつぼつ親類の人たちが集まって、代り番こに徹夜をやりはじめた。

 その中には、次郎がはじめて見るような人たちも五六人いたが、とりわけ次郎の注意をひいたのは、何かというと念仏ばかり唱える老人たちであった。
 お祖父さんは、そういう人たちに特別な親しみを覚えていたらしく、いつも彼らを自分の枕元に引きつけて、いろいろと話をしたがった。

 「もう間もなくじゃ。
  明日か明後日にはお迎えが来るじゃろう。
  お別れじゃな、いよいよ。」
 お祖父さんは、ある日ふとそう言って、みんなの顔を一わたり見まわした。
 みんなは、顔を見合わせたきり默っていた。

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