ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  76

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 そこだけ一つドアがあいていて、ベッドの上に起きあがった病衣の男の、両眼の凹んだ顔がちらりと見えた。
 目に入るものごとが伸子に苦痛を与えた。
 伸子は、段々湧きあがって来る一種の憤りめいた感情でそれに堪え、一同についてレントゲン診察室に案内された。
 ひる間だが、その室は電燈にてらし出されていた。

 ぐるりの壁に標本棚のようなものがとりつけられていて、そのガラスの内部には、変な形にまがったスープ用の大きいスプーン。
 中形のスプーン。
 フォーク、そのほか義歯、何かの木片、櫛の折れたの、大小様々なボタン、とめ金などが陳列されている。

 津山進治郎の説明によると、それらの奇妙なものは、ことごとく囚人の胃の中からとり出されたものだった。
 未決監獄へいれられた囚人たちは、屡々《しばしば》自殺しようとしたり、病気を理由に裁判をひっぱろうとして、異物をのみこむ。その計画をこのレントゲン室はすぐ見破って、彼らは適当な処置をうける、というのだった。
 日本人の医学者たちは、未決囚の胃の中からとり出された異様な品々に研究心をそそられるのか、その室の内に散ってめいめいの顔をさしよせ、ガラスの内をのぞき、そこに貼られているレントゲン写真の標本を眺めた。

 標本写真の中には、靴の踵皮をのんでいる、二十二歳の男の写真というのもあった。
 自分の毛をむしってたべて、胃の中に毛玉をもっている男の写真もあった。
 伸子はある程度まで見ると、胸がわるいようになって来て、自分だけこっそりドアの方へしりぞいた。
 どういうずるい考えがあったにしろ、人間が自分の口からあんなに堅くて大きいスプーンをへし曲げてのみこんだり、靴の踵皮をのみ下したりする心理は普通でない。
 それほど、彼らを圧迫し、気ちがいじみたことをさせる恐怖があるのだ。

 監獄にレントゲン室が完備しているのを誇る、そのことのうちに、伸子は追究の手をゆるめない残酷さを感じた。
 気も狂わしく法律に追いつめられた男女の胃の中から、正確に気ちがいじみた嚥下《えんか》物をとりのぞいたとしても、人間の不幸はとりのぞかれず、犯罪人をつくりだしつつある社会も変えられない。

 それにはかまわずレントゲン室はきょうもあしたも科学の正確さに満足して、働きつづけるだろう。
 機械人間の冷酷さ!
 そうでないならば、ベルリンの警視総監ツェルギーベルはメーデーに労働者をうち殺したりはしなかっただろう。

 その日の見学には、伸子としてひとしお耐えがたいもう一つの場面がつづいた。
 レントゲン室から出ると木曜会の一行は、食堂へ案内されることになった。
 昼食の時間だから、この監獄の給食状態を見てくれるように、と云うことだった。
 伸子は、そこにも陳列棚があって、その日の献立にしたがって配食見本が陳列されているのだろうと思った。

 さっき廊下で雑役がシチューのようなものを金びしゃくでしゃくっていたときの音を思い出した。
 ああいう音は、陳列されているシチューからはきこえて来ないのだ。
 しかも、ここに入れられている人々にとって切ないのは、シチューそのものより、あの食わせられる音だのに。
 伸子は、陰気なきつい眼つきで、人々のうしろから明るい食堂へ歩みこんだ。
 そして、そこへ立ちどまった。

 食堂に用意されていたのは、簡単ながら一つの宴会だった。
 「どうも、こりゃ恐縮だな」
 いくぶん迷惑そうに日本語でそういう誰かの声がきこえた。
 案内の役人は、特に女である伸子たちに、
 「どうぞ《ビッテ》、どうぞ《ビッテ》、席におつき下さい」
 自分が立っている真向いの席をすすめた。

 食堂には五六人の雑役が給仕のために配置されている。
 灰色服に灰色囚人帽の彼らは軍隊式な気をつけの姿勢で、テーブルから一定の距離をおいて直立しているのだった。
 どの顔にも、外来者に対するつよい好奇心がたたえられていた。
 伸子が、その示された席に腰をおろそうとしたとき、うしろに立っていた若い一人の雑役が、素早い大股に一歩ふみ出して、伸子のために椅子を押した。

 みんな席について、さて格式ばった双方からの挨拶が短くとりかわされて、見学団一行の前に、ジャガイモとキャベジの野菜シチューの深皿が運ばれて来た。
 「これがきょうの囚人たちの昼飯だそうです。
  さっき廊下を通られたとき配給されていたのと全くおなじものだそうです」
 役人のとなりに席を与えられた幹事の津山進治郎がみんなに説明した。

 同じもの……と心につぶやいた。
 同じもの、そう、でも、何と別なものだろう。
 伸子は、えづくように、バシャバシャいっていたあの音を思い浮べた。
 「ほかに御馳走はありませんが、この皿はどうかおかわりをなすって下さるように、
  ということです。
  なお、いまここに出ているものは、みんな囚人たちのたべるものばかりだそうです」

 真白い糊のきいたクローズをかけたテーブルの上には、各人にパンの厚いきれとバターがおかれているほか、皿にのせられたチーズの大きい黄色いかたまり。
 四角いのと円い太いのとふた色のソーセージを切ってならべた大皿。
 ガラスの壺にはいった蜂蜜。
 菓子のようにやいたもの、干果物などがならべられている。

 これはみんな囚人たちのたべるもの。
 でも、それは、いつ、どれを、どれだけの分量で、彼ら一人一人に与えられるというのだろう。
 客たちが説明され、そしてたべるのをじっと目をはなさず見守っている雑役たちの瞳のなかに、伸子は、彼らが決してこういうものをいつもたべているのでない光を認めずにいられなかった。

 雑役たちは、じっと視線をこらして客のたべるのを見ている。
 全身の緊張は、いつの間にか彼らの口の中が、つばでなめらかになっていることを語っていた。
 テーブルの上にのっているものはみんなお前たちのものだと云われながら、現実にはそれの一片にさえ自由に手を出すことを許されていない人々に給仕され、見まもられて、客としてそれらを食べることは、何という思いやりのない人でなしのしうちだろう。

 姿勢を正して立っている雑役たちの眼の表情に習慣になっているひもじさがあらわれている。
 皮肉も嘲笑も閃いていない。
 そのことが、一層伸子を切なくした。
 その明るい未決監獄の客用食堂の光景は静粛で、きちんとしていて諷刺画の野蛮さがかくされていた。

 このアルトモアブ街の未決監獄からのかえり、伸子はすぐ下宿へもどらず素子と二人、ながいこと西日のさすティーア・ガルテンの自然林の間を散歩した。
 こんなとき、伸子たちが川瀬たちとの約束にしばられず二人ぎりで行動できることはよかった。

 伸子たちはまた同じ木曜会の一行に加って、ベルリン市が世界に誇っている市下水事業の見学もした。
 下水穴へ、日本人が一人一人入ってゆくのを通行人がけげんな目で見てとおり過る大通りのわきの大型マンホールから、鉄の梯子を地下数メートル下って行ったら、そこがコンクリートのトンネル内で河岸のようになっていた。
 湿っぽい壁に電燈がともっている。

 その光に照らされて、幅七八メートルある黒い川が水勢をもって流れていた。
 それは、ベルリンの汚水の大川だった。
 自慢されているとおり完全消毒されている汚水の黒い大川からは、これぞという悪臭はたっていない。

 ただ空気がひどく湿っぽく、皮膚にからみつくようなつめたさと重さだった。
 大都会の排泄物が清潔であり得る限界のようなものを、伸子は、その大下水の黒い水の流れから感じた。
 こうして、伸子と素子とは川瀬や中館たちが彼女たちに見せるものとはまるでちがったベルリンの局面を見学するのであったが、案内する津山進治郎にとって、こういう見学は云わば公式なものというか、木曜会の幹事という彼の一般的な立場からのものだった。

 津山進治郎自身としては、もっとちがった、もっと集中的な題目があった。
 それは「新興ドイツ」の再軍備についての彼の関心である。


        十一

 ウィーンに滞在していた間、伸子はそこの数少い日本人たちが、公使館を中心にかたまっているのを見た。
 ものの考えかたも、汎ヨーロッパ主義だとか、ソヴェトに対する云い合わせたような冷淡さと反撥と、オーストリアの社会民主党政府の、そのときの調子とつりあった外交団的雰囲気にまとまっているようだった。

 ベルリンへ来たら、伸子は寸刻も止らず動いている大規模で複雑な機構のただなかにおかれた自分を感じた。
 ベルリンにいる日本人にとって大使館はウィーンの公使館のように、そこにいる日本人の日常生活の中心になるような存在ではなく、大戦後のインフレーション時代からひきつづいてベルリンに多勢来ている日本人は、めいめいが、めいめいの利害や目的をもって、互に競争したり牽制しあったりしながらも、じかにベルリンの相当面に接続して動いているのだった。

 だから、噂によれば医学博士としてベルリンで専心毒ガスの研究をしているという津山進治郎がドイツの再軍備につよい関心を抱き、一方に同じ日本人といっても川瀬勇や中館公一郎のグループのように、映画や演劇、社会科学と国際的なプロレタリア文化運動に近く暮している一群があることは、とりもなおさずベルリンの社会の姿そのものの、あるどおりのかたちなのだった。

 ある午後、伸子はいつものとおり素子とつれだってドイツ銀行へ行った。
 文明社から伸子のうけとる金が来た。
 不案内で言葉も不自由な二人は手続が前後して、二度ばかり一階と三階との間を往復しなければならなかった。

 百貨店を思わせるほど絶え間ない人出入りのある一階正面で、上下しているエレベータアには、手間と時間をはぶくというベルリン流の考えかたからだろう。
 ドアもなければ、それぞれの階で止まってゆくという普通の方法もはぶかれていた。
 エレベータアにのるものは、あけっぱなし無休止の箱《ケージ》が自分たちの前へゆるくのぼって来たり下って行ったりした瞬間をとらえて、せわしくその中へ自分をいれるのだった。

 その乾きあがった気ぜわしさがどうにもなじめなくて、伸子は一台の箱《ケージ》をやりすごしたまま、立っていた。
 折から下りて来たエレベータアの箱《ケージ》が、床からまだ十数センチもはなれて高いところにあるのにそれを待てないで、とじあわせの紙をヒラヒラさせながら若い一人の行員がその中からとび出て来て、半分かける歩調で窓口の並んだホールの奥へ姿を消して行く。

 必要以上に全身の緊張を感じて箱《ケージ》へ入るとき、必要以上に脚をもち上げるような動作で伸子と素子はやっと三階へ往復する用事をすませた。
 そしてほっとして窓口のならんでいる一階のホールへ行ったときのことだった。
 大理石の角柱がたち並んだ下に重りあってこみあって動いている外国人のあまたの顔の間から、伸子はちらりと一つの日本の顔を発見した。

 伸子は、
 「あら」
 小さく叫んで素子の手にさわった。
 「あすこにいるの、笹部の息子じゃない?」
 そう云うひまも伸子の視線は、人ごみをへだてて、一本の角柱の下に見えがくれするその特徴のある日本の顔を追った。

 伸子は異様な錯覚的な感覚にとらわれた。
 見もしらない、よそよそしい外国人の顔に満ちているこの雑踏のなかに、偶然、写真ながら伸子が少女時代から見馴れている文豪笹部準之助の顔があったことは、伸子の感情をとまどった興奮で波だたせた。
 笹部準之助がなくなってから、その長男が音楽の勉強にベルリンへ来ているということは、きいていた。

 ゆたかな顎の線と眼の形に特徴があって、笹部準之助の晩年の写真には、渋くゆたかな人間の味が一種の光彩となり量感となってたたえられていた。
 伸子は、その人の文学の世界への共感というよりも、その人を囲んだ人生のいきさつとして、心にうごくものなしに、その写真を見ることができなかった。

 笹部準之助その人がなくなってから、夫人の思い出が発表された。
 それには、夫人の現世的でつよい性格がにじみ出ていた。
 良人である明治大正の文学者笹部準之助が自身の内と外とに、ヨーロッパ精神と東洋、特に日本の習俗との矛盾や相剋を感じながら生きていた、その内面のこまかい起伏に対して、妻として、むしろわけもわからず気むずかしい人としてだけ語られていた。

 笹部準之助の文学の世界に目を近づけてみれば、そこには男女の自我の葛藤が解決を見出せないままに渦巻いている。
 伸子は、相川良之介の、遂に生き得なかった脆《もろ》く美しい聰明に抗議を抱いて生きる一人の女であった。

 それと同時に、もう一つ前の時代の笹部準之助の文学が、無解決のまま渦の巻くにまかせてそれを観ている人生態度にも服さないで、自分の生活で、きょうの歴史には別の道をきりひらく可能があるということをたしかめたくねがっている女である。

 ベルリンの機械化されたテンポに追い立てられて、まごつきながら抵抗を感じ、不機嫌な表情でドイツ銀行のホールに現れた伸子は、せっかちぎらいの気持でいっぱいになっていた。
 そこへはからず笹部準之助そのままの顔だちを見つけた瞬間、伸子の感情のつりあいはやぶれて、いきなり自分が人生や歴史のうちに模索していて、まだ解決していない課題が、生きた顔でいきなりそこへ現れたような感じだった。

 あら、と小さく叫んで手袋をはめている自分の手を素子の手にふれたとき、自分の爪先まで走った衝撃は伸子の体じゅう、生活じゅうに通うものだった。
 大理石の角柱の下に誰かを待ち合わせていたらしい笹部準之助の顔は、遠くから、やきつくような視線が向けられていることを感じたらしく、人のゆき来の間からいぶかしそうに伸子が立っている方角へ眼を向けた。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

名作を読みませんか 更新情報

名作を読みませんかのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング