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名作を読みませんかコミュの「ジャン・クリストフ」  ロマン・ロラン  73

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 その間もクリストフは作曲していた。
 そして彼の作は、彼が他人に非難するその欠点から免れてはいなかった。
 なぜならば、彼にあっては創作はやむにやまれぬ欲求であって、その欲求は理知が提出する規則に服従しはしなかった。

 人は理性によって創造するのではない。
 必然の力に駆られて創造するのである。
 次に、多くの感情に固有の虚偽や誇張を認めるだけでは、それらにふたたび陥るのを免れるものではない。
 長い困難な努力が必要である。

 時代相伝の怠惰な習慣の重い遺産をもちながら、現代の社会において、まったく真実たらんとすることは最も困難である。
 多くは沈黙を守《まも》るが最上の策であるにもかかわらず、おのれの心をたえずしゃべらしておく不謹慎な病癖をもってる人々や民衆にとっては、真実たることはことに容易でない。

 この点については、クリストフの心はきわめてドイツ的であった。
 彼はまだ沈黙の徳を知っていなかった。
 そのうえ、それは彼の年齢にもふさわしくなかった。
 彼はしゃべりたい欲求を、しかも騒々しくしゃべりたい欲求を、父から受け継いでいた。
 彼はそれを意識して、それと争っていた。

 しかしこの争いに彼の力の一部は痲痺《まひ》していた。
 また彼は、祖父から受け継いだ遺伝と争っていた。
 それもまた同じく厭《いや》な遺伝で、自己を正確に表現することのはなはだしい困難さであった。

 彼は技能の児《こ》であった。
 技能の危険な魅力を感じていた。
 肉体的快楽、巧妙さや軽快さや筋肉の活動の快楽、おのれの一身をもって数千の聴衆を征服し眩惑《げんわく》し支配するの快楽。
 それは年若き者にあっては、きわめて宥恕《ゆうじょ》すべきほとんど罪なき快楽ではあるが、しかし芸術と魂とにとっては、致命的なものである。

 クリストフはその快楽を知っていた。
 それを血の中にもっていた。
 それを軽蔑《けいべつ》してはいたが、やはりそれに打ち負けていた。
 かくて、民族の本能と天分の本能からたがいに引っ張られ、身内に食い込まれて振り払うことのできない寄生的な過去の重荷に圧せられて、彼はつまずきながら進んでいった。
 そしてみずから排斥していたものに思いのほか接近していた。

 当時の彼の作品はことごとく、真実と誇張との、明敏な活力とのぼせ上がった愚蒙《ぐもう》との、混合であった。
 彼の性格が、おのれの運動を拘束する故人の性格の外被をつき破ることができるのは、ごく時々にしかすぎなかった。

 彼はただ一人であった。
 彼を助けて泥濘《でいねい》から引き出してくれる案内者はいなかった。
 彼は泥濘から外に出たと思ってる時に、ますますそれに落ち込んでいた。
 不運な詩作に時間と力とを濫費しながら、摸索しつつ進んでいった。
 いかなる経験をもなめつくした。

 そしてかかる創作的煩悶《はんもん》の混乱中にあって、彼は自分が創作するすべてのもののうちで、いずれが最も価値あるかを知らなかった。
 無法な計画の中で、哲学的主張と奇怪な推測とをもった交響楽詩の中で、途方にくれた。 しかしそれに長くかかり合うには、彼の精神はあまりに誠実だった。
 そしてその一部分をも草案しないうちに、嫌悪《けんお》の情をもって投げ捨てた。

 あるいはまた、最も取り扱いがたい詩の作品を、序楽の中に訳出しようと考えた。
 すると自分の領分でない世界の中に迷い込んだ。
 また、みずから演劇の筋を立ててみることもあったが――(彼は何物にたいしても狐疑《こぎ》しなかったのである)――それは馬鹿げきったものだった。
 またゲーテやクライストやヘッベルやシェイクスピヤなどの大作を攻撃する時には、まったくそれを曲解していた。

 知力が欠けてるのではなかったが、批評的精神が欠けていた。
 彼はまだ他人を理解し得なかった。
 あまりに自分自身に心を奪われていた。
 彼がいたるところに見出したのは、自分の率直な誇張的な魂をそなえてる自分自身であった。

 それらのまったく生きる術《すべ》のない怪しい物のほかに、彼は多くの小さな作品を書いていた。
 折りにふれての情緒を直接に表現したもの、すべてのうちで最も永存すべきもので、音楽的感想、すなわち歌曲《リード》であった。
 この場合にも他と同じく、彼は世流の習慣にたいして熱烈な反動をなしていた。

 すでに音楽に取り扱われてる有名な詩を取り上げて、シューマンやシューベルトなどと異なったしかもより真実な取り扱い方を、傲慢《ごうまん》にも試みようとしていた。
 あるいは、ゲーテの詩的な人物、たとえばウィルヘルム・マイステル中の竪琴《たてごと》手ミニョンなどに、その簡明にして混濁せる個性を与えようとつとめた。

 あるいは、作者の力弱さと聴衆の無趣味とが暗々裏に一致して、いつも甘っぽい感傷で包み込んでいる、ある種の恋歌にぶつかっていった。
 そしてその衣を剥ぎ取り、粗野な肉感的な辛辣《しんらつ》さを吹き込んだ。
 一言にしていえば、熱情や人物を、それ自身のために生きさせようと考え、日曜日ごとに麦酒亭《ビエルガルテン》に集まって安価な感動を求めているドイツ人らの玩具《がんぐ》になるために、それらを生きさせようとはしなかった。

 しかし彼は普通、詩人らをあまりに文学的だと思っていた。
 そして最も単純な原文、かつて教訓本の中で読んだことのある、古い歌曲《リード》の原文を、古い霊歌の原文を、好んで捜し求めた。
 けれども彼はその賛美歌的性質を存続させまいと用心した。
 大胆なほど通俗な生き生きとした方法で取り扱った。

 その他の彼が取り上げたものは、種々の俚諺《りげん》、時としては、通りがかりに耳にした言葉、市井《しせい》の会話の断片、子供の考え――たいていは拙《つたな》い散文的な文句ではあるが、しかしまったく純な感情がその中に透かし見られるものだった。そういうものになると、彼は楽々とやってのけた。
 そして自分では気づかないでいる一種の深みに到達していた。

 彼の作品にはよいものも悪いものもあり、たいていはよいものより悪いものの方が多かったが、その全体について言えば、生命があふれていた。
 それでもすべて新しいものではなかった、新しい所ではなかった。

 クリストフは誠実のためにかえって平凡になることが多かった。
 すでに用いられてる形式をくり返すことがよくあった。
 なぜなら、それは彼の思想を正確に現わしていたし、また彼はそういう感じ方をしていて、異なった感じ方をしていなかったからである。

 彼は少しも独創的たらんことを求めなかった。
 独創的たらんと齷齪《あくせく》するのは凡庸《ぼんよう》なるがゆえである、と彼には思えた。
 彼は自分が実感してることを言おうと努めて、それがすでに前に言われていようといまいと、少しも気にしなかった。

 しかもそれはかえって独創的たる最上の方法であることを、またジャン・クリストフは過去にも未来にもただ一度しか存在しないということを、彼は傲慢《ごうまん》にも信じていた。
 青春の素敵な無遠慮さで、まだ何物もできあがったものはないように思っていた。
 すべてが作り上げるべき――もしくは作り直すべき――もののように思えた。

 内部充実の感情は、前途に無限の生命を有するという感情は、過多なやや不謹慎な幸福の状態に彼を陥れていた。
 たえざる喜悦。
 それは喜びを求める要もなく、また悲しみにも順応することができた。

 その源は、あらゆる幸福と美徳との母たる力の中にあった。
 生きること、あまりに生きること!
 この力の陶酔を、この生きることの喜悦を、自分のうちに――たとい不幸のどん底にあろうとも――まったく感じない者は、芸術家ではない。
 それが試金石である。
 真の偉大さが認められるのは、苦にも楽にも喜悦することのできる力においてである。

 メンデルスゾーンやブラームスの輩は、小雨や十月の霧などの神たる輩は、かかる崇高な力をかつて知らなかったのである。
 クリストフはその力を所有していた。
 そして無遠慮な率直さで自分の喜びを見せつけていた。
 少しも悪意があるのではなかった。
 他人とそれを共にすることをしか求めていなかった。

 しかしその喜びをもたない大多数の人々にとっては、それは癪《しゃく》にさわるものであるということを彼は気づかなかった。
 そのうえ彼は、他人の気に入ろうと入るまいと平気であった。
 彼はおのれを確信していた。
 自分の信ずるところを他人に伝うることは、わけもないことのように思われた。

 彼はいわゆる楽譜製造人ら一般の貧弱さに、自分の豊富さを比較していた。
 そして自分の優秀なことを認めさせるのは、きわめて容易なことだと考えていた。
 容易すぎるくらいだった。
 おのれを示しさえすればよかった。

 彼はおのれを示した。

 人々は待ち受けていた。
 クリストフは自分の感情をもったいぶって隠しはしなかった。
 事物をあるがまま見ようと欲しないドイツの虚偽を悟って以来、作品や作家にたいするいかなる定評をも顧慮するところなく、あらゆるものにたいして、絶対的な一徹な不断の誠実を事とするのを、一つの掟《おきて》としていた。

 そして何をするにも極端に奔《はし》らざるを得なかったので、法外なことを言っては、世人を憤慨さした。
 彼はこの上もなく率直であった。
 あたかも価値を絶する大発見を一人胸に秘めたく思わない者のように、ドイツの芸術にたいする自分の考えをだれ構わずにもらしては満足していた。
 そして相手の不満を招いてるとは想像だもしなかった。

 定評ある作品の愚劣さを認めると、もうそのことでいっぱいになって、出会う人ごとに、専門家と素人《しろうと》とを問わず、だれにでも急いでそれを言って聞かした。
 顔を輝かしながら最も暴慢な批評を述べたてた。

 最初人々は本気に受け取らなかった。
 彼の気まぐれを一笑に付した。
 しかしやがて、彼が厭《いや》に執拗《しつよう》にあまりしばしばくり返すのを気づいた。
 彼がそれらの僻論《へきろん》を信じていることは明らかになった。
 それにたいしては前ほどは笑えなかった。

 彼は冒涜《ぼうとく》者だった。
 演奏の最中に騒々しい嘲弄《ちょうろう》を示したり、あるいは光栄ある楽匠らにたいする軽蔑《けいべつ》の念を述べたてた。

 何事もみな小さな町じゅうに伝わった。
 彼の一言も取り落とされはしなかった。
 人々はすでに、前年の行ないについて彼を憎んでいた。
 アーダといっしょなところを公然と見せつけた破廉恥なやり方を忘れていなかった。

 彼自身はもう覚えてはいなかった。
 日は日を消してゆき、今の彼は以前の彼とは非常に隔たっていた。
 しかし他人は彼のためにそれを覚えていた。
 隣人に関するあらゆる過失、あらゆる欠点、嫌《いや》な醜い不面目なあらゆるできごとを、一つも消え失《う》せないようにと細かく書きたてて、それを社会的職務としている連中が、すべての小都市に存在している。

 クリストフの新しい矯激な行ないは、昔の行ないと相並んで、彼の名義で帳簿に書きのせられた。
 両者はたがいに照合し合った。
 道徳を傷つけられた恨みに、善良な趣味を涜《けが》された恨みが加わった。
 最も寛大な人々は彼のことをこう言った。
 「わざと変わった真似《まね》をしたがってるんだ。」

 しかし大多数の者は断言した。
 「まったく狂人だ。」
 なおいっそう危険な風評が――高貴のところから出ただけに効果の多い風評が――広がり始めた。

 それは次のようなことだった。
 クリストフはやはりつづけて公務のために宮廷へ伺候していたが、そこでも例の悪趣味を出して、親しく大公爵に向かって、世に尊敬されてる楽匠らについて顰蹙《ひんしゅく》すべき無作法な言辞を弄《ろう》した。

 メンデルスゾーンのエリアを、「まやかし坊主《ぼうず》の祈祷《きとう》」と呼び、シューマンのある種の歌曲《リード》を、「小娘の音楽」と見なした。
 しかもそれは、貴顕の方々がそれらの作品を好んでいると仰《おお》せられた時にである!

 大公爵はその無礼な言葉を片付けるために、冷やかに言われた。
 「お前の言うことを聞いていると、それでもドイツ人かと疑われることがあるよ。」
 そういう高い所から落ちてきたこの復讐《ふくしゅう》的な言葉は、ごく低い所までころがり落ちずにはいなかった。
 クリストフが成功を博してるという理由から、あるいはいっそう個人的な理由から、彼にたいして遺恨の種があるように思ってる人々は皆、実際彼は純粋なドイツ人ではないということをもち出さずにはいなかった。

 父方の家は――人の記憶するとおり――フランドルの出であった。
 それからというものは、この移住者が国家的光栄を誹謗《ひぼう》するのは別に驚くにも当たらないこととなった。
 右の事実はすべてを説明するものであった。
 そしてゲルマン式自尊心は、ますますおのれを尊《とうと》むとともに敵を軽蔑するの理由を、そこに見出したのであった。

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