ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  71

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 「なにしろ二対一だからね」
 態度をあいまいにして、黒川は譲歩した。
 「外国じゃあ、あらゆる場合に御婦人を立てる習慣ですからね」
 「そんなことじゃないさ!」
 三人とも三人の思いでだまりこんだ。

 そのままなおしばらくはそこで休んでいた。
 「そろそろ行きましょうか」
 そう云いだしたのは黒川だった。
 三人並んでカール・マルクス館の廻廊をぬけ、またシュミット爺さんが住んでいるというドアのわきを通りがかった。
 けれども、黒川はもう一度そこをノックして見ようとはしなかった。

 みんなは入りまじった音で砂利をふみ、表門を出た。
 ウィーンもこの辺の労働者街になると歩道が未完成で、歩くだけの幅にコンクリートがうってあるのだった。


        六


 予定どおりにウィーンを立って、プラーグへ来た伸子と素子とは、そこで思いがけず旅程を変更させるような事情にぶつかった。
 伸子たちがウィルソン駅から遠くないホテルへ着いてみると、そこでは近代風なロビーのあたりからアメリカ流のひろいカウンターのぐるりをとりまいて、男女の旅客がひどく雑踏していた。

 プラーグでは最新式と云われるそのホテルはもう満員になっていて、白と黒の派手な市松模様の床の上にトランクを置いたまま、ことわられた旅客がつれ同士で相談しているのは伸子たちばかりではなかった。

 いちじにプラーグへつめかけたこれらの旅客は、みんな翌日から開会されるチェッコスロヴァキア第一回工業博覧会へ来た人々だった。
 東ヨーロッパの交通の中心点であるプラーグへ殺到したこれらの旅客たちのほとんどすべては、伸子と素子とがそこへ行こうとしているカルルスバード目ざしているのだった。

 欧州で有名な温泉地での遊山《ゆさん》も、工業博覧会へ諸国からの客を招きよせる条件の一つとして、博覧会はカルルスバードで開催されるのだ。
 ウィーンから一二〇〇キロもはなれた旧いボヘミアの都。
 美しいモルタウ河に沿って「一百の塔の都」とよばれている十三世紀以来の都であるプラーグは、その河岸や町のなかのいたるところに豊富な中世紀の記念物をのこしているとともに、大戦後は、民族解放の指導者マサリークを三度大統領としている新鮮な若い共和国の心臓部でもある。

 伸子と素子とは、とぼしい知識ながらも、ウィーンとはおのずから違った好奇心を抱いてウィルソン駅に下りたのだった。
 が、ステーションの混雑にひきつづく予想外のホテル難で、先ず伸子が、旅心をくじかれた。

 ホテルのカウンターにぐっと上半身をもたせこんで部屋のかけ合いをしている男連中の態度は、いかにも自分たちが工業博覧会のために来ている客たちなのだということを押し出したとりなしだった。
 数人一組の男づれだったり、或は夫婦づれだったり、いずれにもせよ、伸子たちのように博覧会があるということも知らず、室の予約もなく賑いのなかにまぎれこんで来たような女二人づれの旅客などというものは、カウンターの周囲をいれかわり立ちかわりする人たちの間にも見当らないのだった。

 時がたつほど、ほかのホテルも満員になってゆく心配が目に見えた。
 伸子たちは、馬車にのって、プラーグの中心地をすこし出はずれたところにある一つのホテルにやっと部屋をとった。
 それも、一応満員になっているそのホテルで、たった一つだけのこっているという組部屋《コンパートメント》を。

 はじめ着いたホテルが、新興プラーグのビジネス・センターに近くて、設備も近代的をめざしているとすれば、伸子たちが室をとることのできたホテルの気風は、プラーグの優美さをそこに泊ったものに印象づけようとしているらしかった。
 李王世子が泊ったことがあるというその組部屋《コンパートメント》は、ひるがおの花と葉の間に身をおいたような感じの装飾だった。

 床にしかれたカーペットも壁の絹張りの色もいちように薄みどりの色のニュアンスに調和されていて、天井には、ほんとに露のきらめくひるがおの花びらのような精巧なボヘミアン・グラスのシャンデリアが下から燈火をつつんでいる。
 寝室には、これもボヘミアらしいレース被いのかかった寝台が並んでいた。

 日ごろは、閑静なホテルらしいのに、その日はひろくもないロビーに人の出入りがはげしくて、それだのに夕飯の時間になってみると、食堂にはちらりほらりとしか人影がない。
 ちぐはぐであわただしい空気だった。
 博覧会のためにプラーグへ集った男女の旅客たちは、行儀のいいホテルの、タバコものめない正式な食堂では陽気になりきれないというわけなのだろう。

 伸子たちは、夕食後、カウンターへよってカルルスバードでは、もうどんな小さいホテルにも空いた部屋はあるまいと聞いて、自分たちの、一晩とまるにしても贅沢すぎて落付けない室へかえって来た。
 かげろうの翅《はね》のような色につつまれた室の一隅に金ぶちのしゃれたガラスの飾り棚がおかれていた。

 その中に、美術工芸品として世界に有名なボヘミアン・グラスの見事なカットの杯やカメオのような透しやきの小箱などが飾られている。
 伸子は、少し古びの見える絹ビロードの長椅子にかけて、
 「どうする?」
 テーブルのところに立ってタバコに火をつけた素子を見上げた。
 「この有様じゃ、何とも仕様がないわね」

 チェッコスロヴァキアの工業博覧会は、向う二ヵ月の予定で開催されているのだった。
 「わたし、カルルスバードはやめにする」
 「どうして……ここまで来ているのに」
 「だって。
  わかるじゃないの」
 大雑踏のカルルスバードで、きょうの騒ぎを幾層倍かにした気骨を折ることを思うと、伸子は体が苦しいようになった。

 「ね、わたし、ほんとにカルルスバードはやめたいわ。
  かえって横腹がいたくなってしまうもの」
 「そりゃ御本人がいやだっていうなら、それまでのことだがね」
 「フロムゴリド博士にだって、決してわるいことはないと思うわ。
  プラーグで博覧会とかち合おうなんて、思ってもいなかったことなんですもの」
 伸子は素子をときふせた。
 カルルスバードへ行かないときまったら、翌日プラーグの市内見物をして、夜の汽車でひと思いにベルリンまで行ってしまおうということになった。

 次の日は朝から細かい雨ふりだった。
 細雨にけむる新緑の道をゆっくり馬車で行きながら、モルタウ河にかけられている中欧らしい橋や城を観てゆくと、伸子は、たった一日たらずでこのこまやかな趣のある、そして宗教改革者フスのまけじ魂をもった町を去ってしまうのが心のこりだった。
 それに伸子たちが選んだベルリン行の列車ではドレスデンを真夜中に通過することになった。

 中欧のフロレンスと云われるドレスデンの美術館も見ないでしまう。
 「カルルスバードをやめたんだから、もう一晩とまって、
  ドレスデンへ昼間つく汽車にしない?
  四五時間でもいいから」
 有名なプラーグの天文時計を見るために、市役所に向って行く馬車の上で、伸子は素子に云った。

 「やっぱりあきらめきれないわ。
  ドレスデンなんて、またあらためて来られるところでもないし……」
 しばらく黙っていて、素子は決断したように、
 「まっすぐベルリンへ行こう」
 はっきりと云った。
 「ぶこちゃんの趣味であっちこっちへひっかかりはじめたら、
  それこそきりがありゃしない。
  とにかくベルリンまで行っちゃおう」

 こうして伸子たちは翌日のひる近くベルリンに着いた。
 そして、かねて中館公一郎に教えてもらってあったモルツ・ストラッセのルドウィクというパンシオン(下宿)に部屋をとった。


        七

 ベルリンには、モスクワで伸子たちと一緒にソヴキノのスタディオを見学したりした中館公一郎がまだ滞在していた。
 建築から新鋭な舞台芸術の研究にかわったことで多くの人に名を知られている川瀬勇もいた。

 落付いていられるホテルもないプラーグで素子が、とにかくベルリンまで行っちゃおう、と主張した気持の底には、互に言葉の通じるこれらの人々の顔が浮んでいたこともあらそえなかった。
 伸子は、モスクワで会った新聞の特派員である比田礼二に会えたらとたのしみにして来たのだった。

 ベルリンについたあくる日、伸子たちのとまっているパンシオンから近いプラーゲル広場のカフェーで、中館公一郎にあったとき比田のことをきくと、
 「あのひとは、いま旅行じゃないんですか」
 あっさりしすぎた口調が、何かを伸子に感じさせるように中館公一郎は答えた。
 「ジェネワかどっちかじゃないんですか。
  そんなような話だったですよ」

 川瀬勇にたずねたときも、伸子は似たような返事をうけとった。
 「ああ、彼は旅行中だよ、スウィスだ」
 その云いかたは、比田の行くさきについて伸子にそれ以上しつこく訊かせない調子があった。
 おぼろげながら伸子は理解したのだった。

 要するに、比田礼二はジェネワであろうと、ずっと東のどこかの都市であろうと、彼にとって行かなければならないところへ行っているのだ、と。
 そして、それについて何もきく必要はないのだし、きくべきではないのだ、と。
 伸子はそういうところに、ベルリンという土地にいて世界をひろく生きようとしている日本の人たちの暮しぶりがあることを知ったのだった。

 美術学校の建築科にいたころから俊才と云われた川瀬勇は、ベルリンのどこかの街にもう三年近く住んで舞台装置や演出の研究をつづけていた。
 かたわら、ベルリンの急進的な青年劇場の運動にも関係しているらしかった。
 川瀬勇は、そのころ日本で有名になったプロレタリア作家の、印刷工の大ストライキをあつかった長篇小説を翻訳しているところでもあった。

 翻訳の話のあいだに、川瀬勇がたいへん能才なドイツの女のひとを愛人としているらしいことが、伸子たちに察しられた。
 この川瀬につれられて伸子と素子とはベルリンへ来て間もない或る日、ノイケルン地区へ行った。

 ベルリンのメーデーに、ノイケルンやウェディングという労働者地区で、数十人の労働者の血が流された。
 その記事を伸子たちはウィーンにいたとき、偶然買った英字新聞の上でよんだ。
 「ただ行ってみたいなんて、何だか恥しいんだけれど」
 ノイケルン行きを川瀬勇にたのみながら、伸子は、その地区に生活し、そこでたたかっている人々に対してきまりわるげな顔をした。

 「でも、わかるでしょう?
  あなたがモスクワへ来たとすれば、やっぱり赤い広場へは、
  行ってみるしかないと思うの」
 「そうだともさ。
  行こうよ」
 その日は、メーデーからもう二十日あまりたっていた。

 が、ベルリンの革命的な地区とされているノイケルンの労働者たちとその家族が、五月一日の夜から三日の夜まで自分たちが築いて守ったバリケードと、そこで流された仲間の血について忘れようとしていない証拠が、カール・リープクネヒト館前の広場にあった。
 それは、白ペンキで広場の石じきのあちらこちらに描かれている大きい輪じるしだった。
 広場の上にそれぞれはなれて三ところに、白い大きい輪じるしがある。

 その輪のなかに、警官隊に殺されたノイケルンの労働者の血が流された。
 カール・リープクネヒト館に向って左手の建物の黒い石の腰羽目のところに、やはりいくところか白ペンキをこすりつけられているところがあった。
 それは、警官隊の弾丸があたって石がそがれた箇所の目じるしだった。

 「土台、メーデーの行進を禁止するなんていうやりかたが、そもそも明らかに挑発さ。
  百九十万もあるんだぜ、失業が。
  それを、ひっこんでいろったって、いられるものかどうか、
  誰が考えたってわかるこっちゃないの。
  折あらば弾圧しようと。
  うの目鷹の目なのさ、ムッソリーニなんてわるい奴さ」

 ドイツの保守的な勢力は、ムッソリーニのファシスト独裁をうらやましがっていて、一九二五年、彼がイタリー全土にメーデー行進を禁止したとき、ヒンデンブルグは早速まねして、ドイツでもメーデーを禁止しようとした。
 ドイツの労働者階級は勇敢にあらそって、メーデーの権利をとりもどしたのだそうだった。

 薄曇りしたベルリンの日の光を、ライラック色の旅行外套の肩にうけながら、伸子は瞳のこりかたまったような視線で、広場の上に、くっきりと白く円い三つの輪じるしを見つめた。
 バーバリ・コートを着てベレー帽をかぶっている背の高い川瀬勇は、
 「いまのうちに見ておくことさ」
 と、云った。

 「ツェルギーベルは、手前が命令してやらせたくせに今となっちゃ、
  ここにいつまでも白い輪がかかれているのがたまらないんだ。
  場所がら、ツェルギーベルの名が世界の労働者に向って、
  挑戦しているようなもんだからね」
 その広場に面して建っているカール・リープクネヒト館に、ドイツ共産党K・P・Dの本部がおかれているのだった。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

名作を読みませんか 更新情報

名作を読みませんかのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング