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名作を読みませんかコミュの「蟹工船」  小林 多喜二  5

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 行衛不明になった川崎船は帰らない。
 漁夫達は、そこだけが水溜(たま)りのようにポツンと空いた棚から、残して行った彼等の荷物や、家族のいる住所をしらべたり、それぞれ万一の時に直ぐ処置が出来るように取り纏(まと)めた。

 気持のいいことではなかった。
 それをしていると、漁夫達は、まるで自分の痛い何処かを、覗(のぞ)きこまれているようなつらさを感じた。
 中積船が来たら托送(たくそう)しようと、同じ苗字(みょうじ)の女名前がその宛(あて)先きになっている小包や手紙が、彼等の荷物の中から出てきた。

 そのうちの一人の荷物の中から、片仮名と平仮名の交った、鉛筆をなめり、なめり書いた手紙が出た。
 それが無骨な漁夫の手から、手へ渡されて行った。
 彼等は豆粒でも拾うように、ボツリ、ボツリ、然(しか)しむさぼるように、それを読んでしまうと、嫌(いや)なものを見てしまったという風に頭をふって、次ぎに渡してやった。
 子供からの手紙だった。

 ぐずりと鼻をならして、手紙から顔を上げると、カスカスした低い声で、
 「浅川のためだ。
  死んだと分ったら、弔い合戦をやるんだ」
 と云った。
 その男は図体の大きい、北海道の奥地で色々なことをやってきたという男だった。
 もっと低い声で、

 「奴、一人位タタキ落せるべよ」若い、肩のもり上った漁夫が云った。
 「あ、この手紙いけねえ。すっかり思い出してしまった」
 「なア」最初のが云った。
 「うっかりしていれば、俺達だって奴にやられたんだで。
  他人(ひと)ごとでねえんだど」
 隅(すみ)の方で、立膝(たてひざ)をして、拇指(おやゆび)の爪(つめ)をかみながら、上眼をつかって、皆の云うのを聞いていた男が、その時、うん、うんと頭をふって、うなずいた。

 「万事、俺にまかせれ、その時ア!
  あの野郎一人グイとやってしまうから」
 皆はだまった。
 だまったまま、然し、ホッとした。

 博光丸が元の位置に帰ってから、三日して突然(!)その行衛不明になった川崎船が、しかも元気よく帰ってきた。
 彼等は船長室から「糞壺」に帰ってくると、忽(たちま)ち皆に、渦巻のように取巻かれてしまった。

 彼等は「大暴風雨」のために、一たまりもなく操縦の自由をなくしてしまった。
 そうなればもう襟首(えりくび)をつかまれた子供より他愛なかった。
 一番遠くに出ていたし、それに風の工合も丁度反対の方向だった。
 皆は死ぬことを覚悟した。
 漁夫は何時でも「安々と」死ぬ覚悟をすることに「慣らされて」いた。

 が(!)こんなことは滅多にあるものではない。
 次の朝、川崎船は半分水船になったまま、カムサツカの岸に打ち上げられていた。
 そして皆は近所のロシア人に救われたのだった。
 そのロシア人の家族は四人暮しだった。
 女がいたり、子供がいたりする「家」というものに渇していた彼等にとって、其処(そこ)は何とも云えなく魅力だった。

 それに親切な人達ばかりで、色々と進んで世話をしてくれた。
 然し、初め皆はやっぱり、分らない言葉を云ったり、髪の毛や眼の色の異(ちが)う外国人であるということが無気味だった。
 何アんだ、俺達と同じ人間ではないか、ということが、然し直ぐ分らさった。
 難破のことが知れると、村の人達が沢山集ってきた。そこは日本の漁場などがある所とは、余程離れていた。

 彼等は其処に二日いて、身体を直し、そして帰ってきたのだった。
 「帰ってきたくはなかった」誰が、こんな地獄に帰りたいって! が、彼等の話は、それだけで終ってはいない。
 「面白いこと」がその外にかくされていた。
 丁度帰る日だった。

 彼等がストオヴの周(まわ)りで、身仕度をしながら話をしていると、ロシア人が四、五人入ってきた。
 中に支那人が一人交っていた。
 顔が巨(おおき)くて、赤い、短い鬚(ひげ)の多い、少し猫背の男が、いきなり何か大声で手振りをして話し出した。
 船頭は、自分達がロシア語は分らないのだという事を知らせるために、眼の前で手を振って見せた。

 ロシア人が一句切り云うと、その口元を見ていた支那人は日本語をしゃべり出した。
 それは聞いている方の頭が、かえってごじゃごじゃになってしまうような、順序の狂った日本語だった。
 言葉と言葉が酔払いのように、散り散りによろめいていた。
 「貴方(あなた)方、金キット持っていない」
 「そうだ」
 「貴方方、貧乏人」
 「そうだ」
 「だから、貴方方、プロレタリア。
  分る?」
 「うん」

 ロシア人が笑いながら、その辺を歩き出した。
 時々立ち止って、彼等の方を見た。
 「金持、貴方方をこれする。(首を締める恰好(かっこう)をする)
  金持だんだん大きくなる。(腹のふくれる真似(まね))
  貴方方どうしても駄目、貧乏人になる。
  分る?
  日本の国、駄目。
  働く人、これ(顔をしかめて、病人のような恰好)
  働かない人、これ。
  えへん、えへん。(偉張って歩いてみせる)」
 それ等が若い漁夫には面白かった。
 「そうだ、そうだ!」と云って、笑い出した。

 「働く人、これ。
  働かない人、これ。(前のを繰り返して)そんなの駄目。
  働く人、これ。(今度は逆に、胸を張って偉張ってみせる、)
  働かない人、これ。(年取った乞食のような恰好)これ良ろし。
  分かる?
  ロシアの国、この国。
  働く人ばかり。
  働く人ばかり、これ。(偉張る)
  ロシア、働かない人いない。
  ずるい人いない。
  人の首しめる人いない。
  分る?
  ロシアちっとも恐ろしくない国。
  みんな、みんなウソばかり云って歩く」

 彼等は漠然と、これが「恐ろしい」「赤化」というものではないだろうか、と考えた。
 が、それが「赤化」なら、馬鹿に「当り前」のことであるような気が一方していた。
 然し何よりグイ、グイと引きつけられて行った。
 「分る、本当、分る!」
 ロシア人同志が二、三人ガヤガヤ何かしゃべり出した。
 支那人はそれ等(ら)をきいていた。

 それから又吃(ども)りのように、日本の言葉を一つ、一つ拾いながら、話した。
 「働かないで、お金儲(もう)ける人いる。
  プロレタリア、いつでも、これ。(首をしめられる恰好)
  これ、駄目!
  プロレタリア、貴方方、一人、二人、三人……百人、千人、五万人、十万人、
  みんな、みんな、これ(子供のお手々つないで、の真似をしてみせる)
  強くなる。
  大丈夫。(腕をたたいて)
  負けない、誰にも。
  分る?」

 「ん、ん!」
 「働かない人、にげる。(一散に逃げる恰好)
  大丈夫、本当。
  働く人、プロレタリア、偉張る。(堂々と歩いてみせる)
  プロレタリア、一番偉い。
  プロレタリア居ない。
  みんな、パン無い。
  みんな死ぬ。
  分る?」

 「ん、ん!」
 「日本、まだ、まだ駄目。
  働く人、これ。(腰をかがめて縮こまってみせる)
  働かない人、これ。(偉張って、相手をなぐり倒す恰好)
  それ、みんな駄目!
  働く人、これ。(形相凄(すご)く立ち上る、突ッかかって行く恰好。
  相手をなぐり倒し、フンづける真似)
  働かない人、これ。(逃げる恰好)
  日本、働く人ばかり、いい国。
  プロレタリアの国!
  分る?」

 「ん、ん、分る!」
 ロシア人が奇声をあげて、ダンスの時のような足ぶみをした。
 「日本、働く人、やる。(立ち上って、刃向う恰好)
  うれしい。
  ロシア、みんな嬉しい。
  バンザイ。
  貴方方、船へかえる。貴方方の船、働かない人、これ。(偉張る)
  貴方方、プロレタリア、これ、やる!(拳闘のような真似、
  それからお手々つないでをやり、又突ッかかって行く恰好)
  大丈夫、勝つ!
  分る?」

 「分る!」知らないうちに興奮していた若い漁夫が、いきなり支那人の手を握った。
 「やるよ、キットやるよ!」
 船頭は、これが「赤化」だと思っていた。
 馬鹿に恐ろしいことをやらせるものだ。
 これで――この手で、露西亜が日本をマンマと騙(だま)すんだ、と思った。
 ロシア人達は終ると、何か叫声をあげて、彼等の手を力一杯握った。
 抱きついて、硬い毛の頬をすりつけたりした。
 面喰(めんくら)った日本人は、首を後に硬直さして、どうしていいか分らなかった。。

 皆は、「糞壺」の入口に時々眼をやり、その話をもっともっとうながした。
 彼等は、それから見てきたロシア人のことを色々話した。
 そのどれもが、吸取紙に吸われるように、皆の心に入りこんだ。
 「おい、もう止(よ)せよ」
 船頭は、皆が変にムキにその話に引き入れられているのを見て、一生懸命しゃべっている若い漁夫の肩を突ッついた。


        四

 靄(もや)が下りていた。
 何時も厳しく機械的に組合わさっている通風パイプ、煙筒(チェムニー)、ウインチの腕、吊(つ)り下がっている川崎船、デッキの手すり、などが、薄ぼんやり輪廓をぼかして、今までにない親しみをもって見えていた。
 柔かい、生ぬるい空気が、頬(ほお)を撫(な)でて流れる。

 こんな夜はめずらしかった。
 トモのハッチに近く、蟹の脳味噌の匂いがムッとくる。
 網が山のように積(つま)さっている間に、高さの跛(びっこ)な二つの影が佇(たたず)んでいた。
 過労から心臓を悪くして、身体が青黄く、ムクンでいる漁夫が、ドキッ、ドキッとくる心臓の音でどうしても寝れず、甲板に上ってきた。
 手すりにもたれて、フ糊でも溶かしたようにトロッとしている海を、ぼんやり見ていた。

 この身体では監督に殺される。
 然(しか)し、それにしては、この遠いカムサツカで、しかも陸も踏めずに死ぬのは淋(さび)し過ぎる。
 すぐ考え込まさった。
 その時、網と網の間に、誰かいるのに漁夫が気付いた。
 蟹の甲殻の片(かけら)を時々ふむらしく、その音がした。
 ひそめた声が聞こえてきた。
 漁夫の眼が慣れてくると、それが分ってきた。
 十四、五の雑夫に漁夫が何か云っているのだった。
 何を話しているのかは分らなかった。
 後向きになっている雑夫は、時々イヤ、イヤをしている子供のように、すねているように、向きをかえていた。

 それにつれて、漁夫もその通り向きをかえた。
 それが少しの間続いた。
 漁夫は思わず(そんな風だった)高い声を出した。
 が、すぐ低く、早口に何か云った。
 と、いきなり雑夫を抱きすくめてしまった。
 喧嘩(けんか)だナ、と思った。
 着物で口を抑えられた「むふ、むふ……」という息声だけが、一寸(ちょっと)の間聞えていた。
 然し、そのまま動かなくなった。
 その瞬間だった。柔かい靄の中に、雑夫の二本の足がローソクのように浮かんだ。
 下半分が、すっかり裸になってしまっている。
 それから雑夫はそのまま蹲(しゃが)んだ。
 と、その上に、漁夫が蟇(がま)のように覆(おお)いかぶさった。
 それだけが「眼の前」で、短かい――グッと咽喉(のど)につかえる瞬間に行われた。

 見ていた漁夫は、思わず眼をそらした。
 酔わされたような、撲(な)ぐられたような興奮をワクワクと感じた。
 漁夫達はだんだん内からむくれ上ってくる性慾に悩まされ出してきていた。
 四カ月も、五カ月も不自然に、この頑丈(がんじょう)な男達が「女」から離されていた。
 函館で買った女の話や、露骨な女の陰部の話が、夜になると、きまって出た。
 一枚の春画がボサボサに紙に毛が立つほど、何度も、何度もグルグル廻された。


 床とれの、
 こちら向けえの、
 口すえの、
 足をからめの、
 気をやれの、
 ホンに、つとめはつらいもの。


 誰か歌った。
 すると、一度で、その歌が海綿にでも吸われるように、皆に覚えられてしまった。
 何かすると、すぐそれを歌い出した。
 そして歌ってしまってから、「えッ、畜生!」と、ヤケに叫んだ、眼だけ光らせて。

 漁夫達は寝てしまってから、
 「畜生、困った!
  どうしたって眠(ね)れないや」
 と、身体をゴロゴロさせた。
 「駄目だ、伜が立って!」
 「どうしたら、ええんだ!」
 終(しま)いに、そう云って、勃起(ぼっき)している睾丸(きんたま)を握りながら、裸で起き上ってきた。
 大きな身体の漁夫の、そうするのを見ると、身体のしまる、何か凄惨(せいさん)な気さえした。

 度胆(どぎも)を抜かれた学生は、眼だけで隅(すみ)の方から、それを見ていた。
 夢精をするのが何人もいた。
 誰もいない時、たまらなくなって自涜をするものもいた。
 棚(たな)の隅にカタのついた汚れた猿又や褌(ふんどし)が、しめっぽく、すえた臭(にお)いをして円(まる)められていた。
 学生はそれを野糞のように踏みつけることがあった。
 それから、雑夫の方へ「夜這(よば)い」が始まった。
 バットをキャラメルに換えて、ポケットに二つ三つ入れると、ハッチを出て行った。

 便所臭い、漬物樽(つけものだる)の積まさっている物置を、コックが開けると、薄暗い、ムッとする中から、いきなり横ッ面でもなぐられるように、怒鳴られた。
 「閉めろッ!
  今、入ってくると、この野郎、タタキ殺すぞ!」

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