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名作を読みませんかコミュの「恩讐の彼方に」  菊池 寛  3

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 が、近郷の人々はまた市九郎を嗤った。
 「あれ見られい!
  狂人坊主が、あれだけ掘りおった。
  一年の間、もがいて、たったあれだけじゃ……」
 と、嗤った。

 が、市九郎は自分の掘り穿った穴を見ると、涙の出るほど嬉しかった。
 それはいかに浅くとも、自分が精進の力の如実《にょじつ》に現れているものに、相違なかった。
 市九郎は年を重ねて、また更に振い立った。

 夜は如法《にょほう》の闇に、昼もなお薄暗い洞窟のうちに端座して、ただ右の腕のみを、狂気のごとくに振っていた。
 市九郎にとって、右の腕を振ることのみが、彼の宗教的生活のすべてになってしまった。
 洞窟の外には、日が輝き月が照り、雨が降り嵐が荒《すさ》んだ。
 が、洞窟の中には、間断なき槌の音のみがあった。
 二年の終わりにも、里人はなお嗤笑を止めなかった。
 が、それはもう、声にまでは出てこなかった。
 ただ、市九郎の姿を見た後、顔を見合せて、互いに嗤い合うだけであった。が、更に一年経った。

 市九郎の槌の音は山国川の水声と同じく、不断に響いていた。
 村の人たちは、もうなんともいわなかった。
 彼らが嗤笑の表情は、いつの間にか驚異のそれに変っていた。
 市九郎は梳《くしけず》らざれば、頭髪はいつの間にか伸びて双肩を覆い、浴《ゆあみ》せざれば、垢づきて人間とも見えなかった。
 が、彼は自分が掘り穿った洞窟のうちに、獣のごとく蠢《うごめ》きながら、狂気のごとくその槌を振いつづけていたのである。

 里人の驚異は、いつの間にか同情に変っていた。
 市九郎がしばしの暇を窃《ぬす》んで、托鉢の行脚に出かけようとすると、洞窟の出口に、思いがけなく一椀の斎《とき》を見出すことが多くなった。
 市九郎はそのために、托鉢に費やすべき時間を、更に絶壁に向うことができた。

 四年目の終りが来た。
 市九郎の掘り穿った洞窟は、もはや五丈の深さに達していた。
 が、その三町を超ゆる絶壁に比ぶれば、そこになお、亡羊《ぼうよう》の嘆があった。
 里人は市九郎の熱心に驚いたものの、いまだ、かくばかり見えすいた徒労に合力するものは、一人もなかった。
 市九郎は、ただ独りその努力を続けねばならなかった。

 が、もう掘り穿つ仕事において、三昧に入った市九郎は、ただ槌を振うほかは何の存念もなかった。
 ただ土鼠《もぐら》のように、命のある限り、掘り穿っていくほかには、何の他念もなかった。
 彼はただ一人拮々《きつきつ》として掘り進んだ。
 洞窟の外には春去って秋来り、四時の風物が移り変ったが、洞窟の中には不断の槌の音のみが響いた。

 「可哀そうな坊様じゃ。
  ものに狂ったとみえ、あの大盤石を穿っていくわ。
  十の一も穿ち得ないで、おのれが命を終ろうものを」
 と、行路の人々は、市九郎の空しい努力を、悲しみ始めた。
 が、一年経ち二年経ち、ちょうど九年目の終りに、穴の入口より奥まで二十二間を計るまでに、掘り穿った。

 樋田郷《ひだのごう》の里人は、初めて市九郎の事業の可能性に気がついた。
 一人の痩せた乞食僧が、九年の力でこれまで掘り穿ち得るものならば、人を増し歳月を重ねたならば、この大絶壁を穿ち貫くことも、必ずしも不思議なことではないという考えが、里人らの胸の中に銘ぜられてきた。

 九年前、市九郎の勧進をこぞって斥《しりぞ》けた山国川に添う七郷の里人は、今度は自発的に開鑿《かいさく》の寄進に付いた。
 数人の石工が市九郎の事業を援けるために雇われた。
 もう、市九郎は孤独ではなかった。
 岩壁に下す多数の槌の音は、勇ましく賑やかに、洞窟の中から、もれ始めた。

 が、翌年になって、里人たちが、工事の進み方を測った時、それがまだ絶壁の四分の一にも達していないのを発見すると、里人たちは再び落胆疑惑の声をもらした。
 「人を増しても、とても成就はせぬことじゃ。
  あたら、了海どのに騙《たぶら》かされて要らぬ物入りをした」
 と、彼らははかどらぬ工事に、いつの間にか倦ききっておった。

 市九郎は、また独り取り残されねばならなかった。
 彼は、自分のそばに槌を振る者が、一人減り二人減り、ついには一人もいなくなったのに気がついた。
 が、彼は決して去る者を追わなかった。
 黙々として、自分一人その槌を振い続けたのみである。

 里人の注意は、まったく市九郎の身辺から離れてしまった。
 ことに洞窟が、深く穿たれれば穿たれるほど、その奥深く槌を振う市九郎の姿は、行人の目から遠ざかっていった。
 人々は、闇のうちに閉された洞窟の中を透し見ながら、
 「了海さんは、まだやっているのかなあ」
 と、疑った。

 が、そうした注意も、しまいにはだんだん薄れてしまって、市九郎の存在は、里人の念頭からしばしば消失せんとした。
 が、市九郎の存在が、里人に対して没交渉であるがごとく、里人の存在もまた市九郎に没交渉であった。
 彼にはただ、眼前の大岩壁のみが存在するばかりであった。

 しかし、市九郎は、洞窟の中に端座してからもはや十年にも余る間、暗澹たる冷たい石の上に座り続けていたために、顔は色蒼ざめ双の目が窪んで、肉は落ち骨あらわれ、この世に生ける人とも見えなかった。
 が、市九郎の心には不退転の勇猛心がしきりに燃え盛って、ただ一念に穿ち進むほかは、何物もなかった。
 一分でも一寸でも、岸壁の削り取られるごとに、彼は歓喜の声を揚げた。

 市九郎は、ただ一人取り残されたままに、また三年を経た。
 すると、里人たちの注意は、再び市九郎の上に帰りかけていた。
 彼らが、ほんの好奇心から、洞窟の深さを測ってみると、全長六十五間、川に面する岩壁には、採光の窓が一つ穿たれ、もはや、この大岩壁の三分の一は、主として市九郎の瘠腕《やせうで》によって、貫かれていることが分かった。

 彼らは、再び驚異の目を見開いた。
 彼らは、過去の無知を恥じた。
 市九郎に対する尊崇の心は、再び彼らの心に復活した。
 やがて、寄進された十人に近い石工の槌の音が、再び市九郎のそれに和した。
 また一年経った。
 一年の月日が経つうちに、里人たちは、いつかしら目先の遠い出費を、悔い始めていた。
 寄進の人夫は、いつの間にか、一人減り二人減って、おしまいには、市九郎の槌の音のみが、洞窟の闇を、打ち震わしていた。

 が、そばに人がいても、いなくても、市九郎の槌の力は変らなかった。
 彼は、ただ機械のごとく、渾身の力を入れて槌を挙げ、渾身の力をもってこれを振り降ろした。
 彼は、自分の一身をさえ忘れていた。
 主を殺したことも、剽賊を働いたことも、人を殺したことも、すべては彼の記憶のほかに薄れてしまっていた。

 一年経ち、二年経った。
 一念の動くところ、彼の瘠せた腕は、鉄のごとく屈しなかった。
 ちょうど、十八年目の終りであった。
 彼は、いつの間にか、岩壁の二分の一を穿っていた。

 里人は、この恐ろしき奇跡を見ると、もはや市九郎の仕事を、少しも疑わなかった。
 彼らは、前二回の懈怠《けたい》を心から恥じ、七郷の人々合力の誠を尽くし、こぞって市九郎を援け始めた。
 その年、中津藩の郡奉行が巡視して、市九郎に対して、奇特の言葉を下した。
 近郷近在から、三十人に近い石工があつめられた。

 工事は、枯葉を焼く火のように進んだ。
 人々は、衰残の姿いたいたしい市九郎に、
 「もはや、そなたは石工共の統領《たばね》をなさりませ。
  自ら槌を振うには及びませぬ」
 と、勧めたが、市九郎は頑として応じなかった。
 彼は、たおるれば槌を握ったままと、思っているらしかった。
 彼は、三十の石工がそばに働くのも知らぬように、寝食を忘れ、懸命の力を尽くすこと、少しも前と変らなかった。

 が、人々が市九郎に休息を勧めたのも、無理ではなかった。
 二十年にも近い間、日の光も射さぬ岩壁の奥深く、座り続けたためであろう。
 彼の両脚は長い端座に傷み、いつの間にか屈伸の自在を欠いていた。彼は、わずかの歩行にも杖に縋《すが》らねばならなかった。
 その上、長い間、闇に座して、日光を見なかったためでもあろう。
 また不断に、彼の身辺に飛び散る砕けた石の砕片《かけら》が、その目を傷つけたためでもあろう。
 彼の両目は、朦朧として光を失い、もののあいろもわきまえかねるようになっていた。

 さすがに、不退転の市九郎も、身に迫る老衰を痛む心はあった。
 身命に対する執着はなかったけれど、中道にしてたおれることを、何よりも無念と思ったからであった。
 「もう二年の辛抱じゃ」
 と、彼は心のうちに叫んで、身の老衰を忘れようと、懸命に槌を振うのであった。
 冒《おか》しがたき大自然の威厳を示して、市九郎の前に立ち塞がっていた岩壁は、いつの間にか衰残の乞食僧一人の腕に貫かれて、その中腹を穿つ洞窟は、命ある者のごとく、一路その核心を貫かんとしているのであった。


          四

 市九郎の健康は、過度の疲労によって、痛ましく傷つけられていたが、彼にとって、それよりももっと恐ろしい敵が、彼の生命を狙っているのであった。

 市九郎のために非業の横死を遂げた中川三郎兵衛は、家臣のために殺害されたため、家事不取締とあって、家は取り潰され、その時三歳であった一子実之助は、縁者のために養い育てられることになった。
 実之助は、十三になった時、初めて自分の父が非業の死を遂げたことを聞いた。
 ことに、相手が対等の士人でなくして、自分の家に養われた奴僕《ぬぼく》であることを知ると、少年の心は、無念の憤《いきどお》りに燃えた。

 彼は即座に復讐の一義を、肝深く銘じた。
 彼は、馳せて柳生《やぎゅう》の道場に入った。
 十九の年に、免許皆伝を許されると、彼はただちに報復の旅に上ったのである。
 もし、首尾よく本懐を達して帰れば、一家再興の肝煎《きもい》りもしようという、親類一同の激励の言葉に送られながら。

 実之助は、馴れぬ旅路に、多くの艱難を苦しみながら、諸国を遍歴して、ひたすら敵《かたき》市九郎の所在を求めた。
 市九郎をただ一度さえ見たこともない実之助にとっては、それは雲をつかむがごときおぼつかなき捜索であった。
 五畿内《きない》、東海、東山、山陰、山陽、北陸、南海と、彼は漂泊《さすらい》の旅路に年を送り年を迎え、二十七の年まで空虚な遍歴の旅を続けた。
 敵に対する怨みも憤りも、旅路の艱難に消磨せんとすることたびたびであった。

 が、非業に殪《たお》れた父の無念を思い、中川家再興の重任を考えると、奮然と志を奮い起すのであった。
 江戸を立ってからちょうど九年目の春を、彼は福岡の城下に迎えた。
 本土を空しく尋ね歩いた後に、辺陲《へんすい》の九州をも探ってみる気になったのである。
 福岡の城下から中津の城下に移った彼は、二月に入った一日、宇佐八幡宮に賽《さい》して、本懐の一日も早く達せられんことを祈念した。

 実之助は、参拝を終えてから境内の茶店に憩うた。
 その時に、ふと彼はそばの百姓体《てい》の男が、居合せた参詣客に、
 「その御出家は、元は江戸から来たお人じゃげな。
  若い時に人を殺したのを懺悔して、諸人済度の大願を起したそうじゃが、
  今いうた樋田の刳貫《こかん》は、この御出家一人の力でできたものじゃ」
 と語るのを耳にした。

 この話を聞いた実之助は、九年この方いまだ感じなかったような興味を覚えた。
 彼はやや急《せ》き込みながら、
 「率爾《そつじ》ながら、少々ものを尋ねるが、その出家と申すは、年の頃はどれぐらいじゃ」
 と、きいた。
 その男は、自分の談話が武士の注意をひいたことを、光栄であると思ったらしく、
 「さようでございますな。
  私はその御出家を拝んだことはございませぬが、人の噂では、もう六十に近いと申します」

 「丈《たけ》は高いか、低いか」
 と、実之助はたたみかけてきいた。
 「それもしかとは、分かりませぬ。
  何様、洞窟の奥深くいられるゆえ、しかとは分かりませぬ」
 「その者の俗名は、なんと申したか存ぜぬか」
 「それも、とんと分かりませんが、お生れは越後の柏崎で、
  若い時に江戸へ出られたそうでござります」と、百姓は答えた。

 ここまできいた実之助は、躍り上って欣《よろこ》んだ。
 彼が、江戸を立つ時に、親類の一人は、敵《かたき》は越後柏崎の生れゆえ、故郷へ立ち回るかも計りがたい、越後は一入《ひとしお》心を入れて探索せよという、注意を受けていたのであった。
 実之助は、これぞ正しく宇佐八幡宮の神託なりと勇み立った。
 彼はその老僧の名と、山国谷に向う道をきくと、もはや八つ刻を過ぎていたにもかかわらず、必死の力を双脚に籠めて、敵の所在《ありか》へと急いだ。

 その日の初更近く、樋田村に着いた実之助は、ただちに洞窟へ立ち向おうと思ったが、焦《あせ》ってはならぬと思い返して、その夜は樋田駅の宿に焦慮の一夜を明かすと、翌日は早く起き出でて、軽装して樋田の刳貫へと向った。

 刳貫の入口に着いた時、彼はそこに、石の砕片《かけら》を運び出している石工に尋ねた。
 「この洞窟の中に、了海といわるる御出家がおわすそうじゃが、それに相違ないか」
 「おわさないでなんとしょう。
  了海様は、この洞《ほこら》の主も同様な方じゃ。
  はははは」
 と、石工は心なげに笑った。

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