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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  50

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 目をあいて、伸子は自分のおかれている病室の早い朝の光景を見た。
 同時にはげしい脇腹の痛みを感じた。
 ベッドのわきの小テーブルの上にあるベルを鳴らして便器をもらった。
 雑仕婦が用のすんだ便器をもって病室を出てゆくと、隣りのベッドの上に起きあがっていた中年の女が、
 「こういうところで、ものをたのむときにはブッチェ・ドーブルイ(すみませんが)といった方がいいんですよ」
 と教えた。

 「あのひとたちはみんな忙しいんですからね」
 「ありがとう」
 ブッチェ・ドーブルイと云うとき、女の声は入れ歯の声だった。
 伸子はゆうべのまぶしさとうるささとがこんがらかっていた気持を夢のような感じで思いだした。

 素子が午後になって来た。
 伸子の運びこまれたのはモスクワ大学の附属病院だった。
 面会時間が午後の二時から四時までだった。
 伸子の胆嚢と肝臓とが急性の炎症をおこしているのだそうだった。
 「胆嚢って、ロシア語で何ていうの」
 「ジョールチヌイ・プズィリだよ」
 「ふーん。ジョールチヌイ・プズィリ?」
 「たって来る前、ぶこ、胃痙攣《けいれん》みたいだったことがあったろう、
  あのときから少々あやしかったらしいね」
 「どうして、炎症をおこしたの?」
 「わからないとさ、まだ」

 全身こわばって身うごきの出来ない伸子は、二つの重ねた白い枕の上に断髪の頭をおいたまま、苦痛のある患者につきものの鈍い冷淡なような眼つきで、フロムゴリド教授をじろじろ観察した。
 フロムゴリド教授は、何てごしごし洗った、うす赤い手をしているんだろう。
 その手を、白い診察衣の膝に四角四面において、鼻眼鏡をかけて、シングルの高いカラーに黒ネクタイをつけ、ぴんからきりまでドイツ風だ。
 フロムゴリド教授は、その上に鼻眼鏡ののっている高い鼻をもち、卵形にぬけ上った額を少し傾けて、
 「まだ痛みますか?」
 と、伸子の手をとり、脈をかぞえた。

 その声は権威のある鼻声だった。
 「ひどく痛みます」
 「お正月に酒をのみましたか?」
 「いいえ、一滴も」
 「家族の誰か、癌をわずらっていますか」
 「いいえ、誰も」
 「ハラショー」
 フロムゴリド教授は椅子から立ち上って、伸子に、
 「じきましになりますよ」
 と云い、わきに立っていた助手のボリスにダワイ何とかとロシア語にドイツ語をまぜて指図した。

 伸子は、一日に二度湿布をとりかえられ、湯たんぽを二つあてて仰向きにベッドに横たわっている。
 となりのベッドにいる女は糖尿病患者だった。
 肉の小さいかたまりが食事に運ばれて来たとき、その女は、ベッドに半分起き上って、皿の上のその肉をフォークでつついてころがしながら、
 「肉のこんな切れっぱじ!
  どこから滋養をとるんだろう」
 憎々しげに云った。
 それはやっぱり入れ歯をしている声だった。
 アトクーダ・ウジャーチ・シールィ?(どこから力をとるんだろう)ウジャーチという言葉には奪うという意味がある。
 どこから力を奪う――生きるために。
 そこには憎悪がある。

 伸子は、ボリスと二人の看護婦におさえつけられて、ゴム管をのみこまされた。
 そのゴム管のさきに、穴のある大豆ぐらいの金の玉がついていた。
 伸子の口から垂れた細いゴム管の先は、ベッドの横の床におかれたジョッキのようなガラスのメートル・グラスの中に垂れている。
 そのゴム管はゾンデとよばれた。
 三時間、ゴム管を口からたらしていても、床の上におかれたジョッキには一滴の胆汁もしたたりおちなかった。

 伸子ののむ粉薬は白くてベラ・ドンナという名だった。
 紙袋の上に紫インクでそうかいてある。
 ベラ・ドンナ。
 それは美人ということだった。

 四五日たつうちに、伸子の体じゅうの痛みがおちついて来た。
 まず背中がらくになった。
 それから、鈍痛が右の脇腹だけに範囲をちぢめた。
 仰向いたまま少し身動きができるようになった。
 少くとも腕と首だけは苦しさなしにうごかせるようになってきた。
 そして、伸子に普通の声がもどり、生活に一日の脈絡がよみがえりはじめた。

 モスクワ大学附属のその内科病室は、厳冬《マローズ》の郊外の雪のなかに建っていて、風のない冬の雪明りが、病室にも廊下にも、やがて伸子が治療のためゆっくり熱い湯につかっているようになった浴室のなかにも溢れていた。
 壁の白さ、敷布の白さ、着ている病衣の白さは、透明な雪明りのうちに物質の重さを感じさせ、そこに生活の実感があった。

 自分で計画したり、判断したり行動したりする必要がなくなって、人々の動くのを眺め、人々に何かしてもらい、生活をこれまでとまったく別の角度から眺めるのは何とものめずらしいだろう。
 はげしい苦痛が去るとともに、伸子が臥ていながらときどき雪明りそのもののようにすきとおったよろこびを体の中に感じるようになった。
 鈍く重く痛い右脇腹は別として。
 胆嚢や肝臓の炎症が病名であり、伸子はその一撃でねこんだのだけれども、生活の微妙なリズムは、病気そのもののためよりもむしろ伸子の生の転調のために、そういう病気を必要としたかのようだった。

 モスクワへ来てから、とりわけ去年の夏保が自殺してからというもの、伸子の生存感はつよく緊張しつづけていた。
 ノヴォデビーチェのあのコンクリートの乾いてゆくにおいのきつい、淋しい室で、伸子がこりかたまったようにその淋しさとむかいあって暮した一週間。
 伸子にめずらしいあの方策なしの状態に、もう彼女の病気のきざしがあったかもしれず、もしかしたら、あの建物の生がわきのコンクリートが暖められるにつれて発散させていたガスが、伸子の肝臓に有害だったのかもしれなかった。

 しかし、伸子には病気の原因や理由をやかましく詮索するような感情がなかった。
 伸子は内臓におこった炎症の一撃でたおれた自分の状態をおとなしく、すらりとうけとった。
 ゾンデをのまなければならないとき、伸子は両眼から涙をこぼし仔猫のようにはきかけた。
 マグネシュームをのみ、ひどい下剤を与えられるとき、伸子は猛烈な騒々しさといそがしさのあげくにぐったりした。

 黒いレザーをはった台の上に横たえられ、皮膚の白いすべすべした伸子の胴がはだかにされることがある。
 その右脇腹へフランネルの布の上から錫《すず》板があてがわれ、電気のコードが接続された。
 物療科の医師の白上っぱりが配電板のうしろへまわると、きまって、伸子が仰向いたまま配電板の方へこわそうに横目をつかってたのんだ。
 「パジャーリスタ・チューチ・チューチ。ハラショー?
  (どうか、少しずつ。いいですか)」

 そのほかのとき、伸子は明るく透明な雪明りに澄んだような気分ですごした。
 右の脇腹の中に黒くて柔くて重たいものがあって寝台から動けない、そのためになおさら心は安定をもって、ひろびろとただよい雪明りとともにあるようだった。
 伸子は、非常にゆっくり恢復の方へ向って行った。
 病気の原因はわからないまま。
 そして、規則正しくて単調な朝と夜との反復の間に、いつか伸子の心から、保が死んで以来の緊張がゆるめられて行った。
 その全過程について伸子が心づかないでいるうちに。

 保が死んだとき、八月のゼラニウムが濃い桃色の花を咲かせているパンシオン・ソモロフの窓ぎわで、懇篤なヴェルデル博士が、蒼ざめている伸子の手をとって、あなたはまだ若い、生きぬけられます(モージュノ・ペレジワーチ)と云った。
 いまこそ、伸子は生きぬけつつあった、突然な病気という変則な大休止の時期をとおして。

 モスクワ大学の病院には一等二等三等という区別がなかった。
 伸子のいるのは、内科の婦人ばかりの病棟で廊下のつきあたりに三十ばかりベッドの並んだ広い病室が二つあり、その手前に、四つばかりの小病室が並んでいた。
 小病室には二つずつ寝台があって、病気の重いものがそこへ入れられた。
 けれども、小病室があいていて一人を希望すれば、伸子がそうしているように、室代を倍払うだけで一人部屋にもなった。

 糖尿病の患者の女が退院すると、その女のいたベッドは伸子のとなりからもち去られ、大きい長椅子がもちこまれた。
 素子が、その長椅子に脚をまげてのっていた。
 面会時間で、伸子がねているベッドの裾の方のあけはなしたドアのそとの廊下を、毛糸のショールを頭からかぶった年よりの女が籠を下げ、子供をつれて大病室の方へゆくのなどが見られた。

 モスクワでは病院でも産院でも、原則として外から患者へ食べものをもちこむことは禁じられていた。
 「考えてもごらんなさい。
  肉やジャム入りの揚饅頭が、胃の潰瘍にどんな作用をするか。
  しかも多勢の中にはそれさえたべたら病気がなおると、
  かたく信じている患者がいるんです」
 助手のボリスはそう云って笑った。

 素子は、伸子の正餐のためにルケアーノフのところから鶏のスープと鶏のひき肉の料理とキセリ(果汁で味をつけた薄いジェリーのようなもの)を運ばせる許可を得た。
 それは、アルミニュームの重ね鍋に入れられ、ナプキンで包まれて、毎日きちんと四時半に、届けられた。
 「ぶこちゃんが病気したおかげで、わたしもルケアーノフで、
  正餐がたべられるようになったよ」
 伸子のためにもって来たミカンを自分もたべようとしてむきながら、素子はわざと意地わるに云った。
 「おかげで、スープをとったかすの鶏のカツレツばっかりたべさせられてる」
 伸子は、枕の上にひろげて頭にかぶっている白い毛糸レースのショールの中で笑った。
 「大丈夫よ。わたしはまだ濃いスープはだめなんだから、
  かすになりきっちゃいないわよ」

 その年の冬は厳冬の季節がきびしくて、モスクワで零下二五度という日があった。
 電車もとまった。
 伸子の病室の雪明りはその明るさに青味がかったかげをそえた。
 頭の上の二重窓の内側のガラスの隅にかけたところがあって、その小さい破れからきびしい冷気が頭痛をおこすほどしみて来た。

 その日伸子は湯あがりにつかう大きなタオルを頭からかぶって暮した。
 翌日素子にもって来てもらってそれから、ずっと伸子がかぶってねている白い羊毛レースのショールは、ヴォルガ沿岸のヴィヤトカ村の名物だった。
 去年の秋伸子と素子が遊覧船でヴォルガ河をスターリングラードまで下ったとき、ヴィヤトカの船つき場をちょっと登ったいら草原のようなところで、三四人の婆さんがショールを売っていた。

 雨が降ったらひどくぬかるみそうな赭土が晴れた秋空の下ででこぼこにかたまっていて、船つき場から村へ通じる棧道がヴォルガの高い石崖に沿ってのぼっていた。
 船から見物にあがって来た群集がショール売りの婆さんのまわりに群れていた。
 そのひとかたまりの群集も、口々にがやがや云っている彼等のまとまりのない人声も、みんなひろいヴォルガの水の面と高い九月の空に吸いこまれて、群集は小さく、声々はやかましいくせに河と空とに消されて静かだった。

 伸子が買ったヴィヤトカ・ショールはあんまり上等の品でなかったから、そうして枕の上でかぶっていても頬にさわるとチクついた。
 ノヴォデビーチェの部屋は解約した。
 伸子の容態に見とおしがついたから、東京の佐々の家へ大体の報告をかいてやったことなどを素子は話した。
 「どうもありがとう。いまにわたしも書くわ」
 「おいおいでいいさ。
  いずれぶこちゃん自身で書くがと云っておいたから。
  ノヴォデビーチェじゃびっくりしていたよ、ぶこが入院したと云ったら。
  お大事にってさ」
 「あの犬の箱みたいなディヴァン、まだやっぱりあの壁のところにあった?」
 「あったさ」

 素子は、ちょっと寂しい室内の光景を思い浮べる表情をした。
 「あすこは妙なところだったね」
 そこへ伸子一人をやったことをいくらか気の毒に思う目つきで早口に云った。
 そして、
 「きょうは、すこし早めにひきあげるよ」
 と、腕時計を見た。
 「河井さんの奥さんとスケートに行く約束してあるから」
 「そりゃいいわ。
  是非おやんなさいよ、奥さんはすべれるの?」
 「四年めだっていうんだから、すこしゃすべれるんだろう」

 二人のスケート靴を買ったばかりで伸子は入院してしまったのだった。
 「はじめ眼鏡はずして練習しないとだめよ、きっと。
  ころぶのをこわがってるといつまでもうまくなれないから。
  どこでやるの?」
 「どっか大使館の近くにあるんだとさ、専用のスケート場が……」
 「そんなところでないとこでやればいいのに……」
 伸子はいかにも不服げな声を出した。

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