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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  36

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 伸子はそういう日は公園へ出てゆかず、パンシオンの古いヴェランダにいた。
 そして、自分をみたしている悲しさと全くあべこべでありながら、不思議な慰めの感じられるよろこばしげなざわめきに耳を傾けた。
 伸子がいるパンシオン・ソモロフのヴェランダから、ひろい通りをへだてた向い側に、大公園のわきの入口の一つが見えていた。

 楓の枝が房々としげった低い鉄柵のところに、桃色と赤とに塗りわけられたアイスクリーム屋が出ている。
 日曜日にだけ商売する屋台《キオスク》だった。
 その前で、二人の若いものが何か論判していた。
 コバルト色のスポーツシャツを着たいかにもコムソモール風な若者と、黄色と黒の横だんだらのこれもスポーツ・シャツで半ズボン、ズック靴の若者が議論している。

 往来の幅がひろいから伸子のいるヴェランダのところまで、二人の声はきこえなかった。
 何か言いながら力を入れてむき出しの腕をふったりしている動作だけが見えた。
 そのうちに黄色と黒の横だんだらの方の形勢がわるくなって来たらしく、その若者は、返答につまるたんびに頭の上にちょこなんとのっかっている白いスポーツ帽をうしろから前へつき出すようにしては喋っている。
 その動作にはユーモラスなところがあった。

 間もなく公園のなかから、六七人の仲間が駆けだして来た。
 ぐるりと二人はとりまかれた。
 黒い運動用のブルーマをつけて、赤いプラトークをかぶった三人の少女もまじっていた。
 コバルト色の青年がみんなに向って説明するように何か言った。
 黄色と黒の横だんだらも、帽子を前へちょいと押し出しておいて、何か訴えるように云った。

 一人の少女が、少し顔を仰向けるようにして、コバルト色の青年に向って何か言いながら、賛成しないような身ぶりで日やけした手をふった。
 黄色と黒との横だんだらに向っても同じようなことをした。
 それにつづいて新しく来て、二人をとりかこんだ青年の中の一人が何か言った。
 すると、そこにかたまっていた全部のものが、たまらなく可笑《おかし》くなったように大笑いした。

 赤いプラトークの少女は、とんび脚のように膝小僧をくっつけ合った上へ両手をつっぱって体を曲げて笑っている。
 コバルト色シャツの青年が、いく分苦笑いめいた顔でこれも笑いながら黄色と黒の横だんだら青年の背中を一つぶった。
 ぶたれた方は例によって、ちょいと帽子をうしろから押し出し、やがてみんなは一団になって公園へ入って行ってしまった。

 入れちがいに、赤いネクタイをひらひらさせてピオニェールの少女が二人、木の下からかけ出して来て、アイスクリーム屋の前へ行った。
 ヴェランダから見ていると、そのあたりの光景は絶えず動いていて、淡泊で、日曜日の森に集っている健康さそのもののとおりに単純だった。
 雰囲気にはかわゆさがあった。

 その雰囲気に誘いこまれ、心をまかせていた伸子は、やがて蒼ざめ、痛さにたえがたいところがあるように椅子の上で胸をおさえた。
 伸子は思い出したのだった。
 保の笑っていたときの様子を。
 愉快なとき保は両手で膝をたたいて大笑いした。
 にこ毛のかげのある上唇の下から、きっちりつまって生えている真白い歯が輝やいて、しんからおかしそうに笑っていた保。

 その保は死んだ。
 もういない。
 ヴェランダから見ている伸子の視界に出て来たり、見えなくなったりしている若ものたちは大抵、十七八から二十ぐらいの青年や娘たちだった。
 この若い人たちの生は、何とその人たちに確認されているだろう。
 伸子は公園のぐるりの光景から目をはなすことができずに、そのヴェランダの椅子にかけていた。

 そこに動いている若さには若い人たちの生きている社会そのものの若さが底潮のように渦巻いているのが感じられて、デーツコエ・セローの日曜日は、たのしげなガルモーシュカの音を近く遠く吹きよこす風にも、保が偲ばれた。
 動坂の家のひとたちは、伸子と保とがどんなに一枚の楯の裏と表のようなこころの繋りをもって生きていたものであったかということについて、考えてみようともしていないであろう。

 或は多計代だけは考えているかもしれない。
 伸子のような姉がいるから、保はなお更思いつめずにはいられなかったのだ、と。
 誰か人があって、伸子に向い、同じことを言ってなじったとしたら、伸子はひとこともそれについて弁明しようと思わなかった。
 たしかにそれも事実の一つであろう。
 だけれども、それだけが現実のすべてだろうか。

 伸子が保に影響したというよりも、伸子は伸子らしく、それに対して保は保らしく反応せずにいられない今という時代の激しい動きがあるのだ。
 たとえば三・一五とよばれる事件で大学生が多数検挙されている。
 生れながらの調停派とあだ名されながらその恥辱の意味さえ彼の実感にはのみこめないような保が、保なりに、保流に、それについていろいろ考えなかったとどうして言えよう。

 保は、その一つのことについてさえも彼らしく各種の矛盾を発見し、そこに絶対の正しさをとらえられない自分を感じたことであろう。
 動坂の人々の生活の気風は、一定の経済的安定の上に流れ漂って、泰造にしろ、或る朝新聞をひろげてその報道に三・一五事件をよむと、そのときの短兵急な反応でその記事に赤インクのかぎをかけ、伸子へ送らせたりするけれども、つまりはそれなりで日が過ぎて行った。

 八ガツ一ヒタモツドゾウチカシツニテシスという電文をよんで気を失いかけながら、伸子がくりかえして、よくって? わたしは帰ったりしないことよ。
 よくって? 
 とうわごとのように念を押した。
 それは伸子が自覚しているよりも深い本心の溢れだった。
 伸子という姉のいるせいで、保が一層保らしく生きそして死んだとしても、伸子は、その生と死においてやっぱり密着しつづけている彼と自分とを感じた。
 その保の死を負った伸子の生の感覚は動坂の誰にもわからないものであることを伸子は感じ、伸子に、いま在る自分の生の位置からずることをがえんじさせないのだった。

 その日曜日も、午後おそくなるとデーツコエ・セローの森じゅうにちらばっていた見学団が、再びそれぞれの列にまとめられた。
 誰も彼も朝来たときよりは日にやけ、着くずれ、一日じゅうたゆまず鳴っていたガルモーシュカの蛇腹《じゃばら》はたたまれて肩からつるされ、パンシオン・ソモロフの前の通りを停車場へ向って行った。

 一つの列が通っているとき、それに遮られてパンシオン・ソモロフの女中のダーシャが、腕に籠をひっかけて向い側の歩道に佇んでいるのがヴェランダから見えた。
 いつも葡萄酒色のさめた大前掛をスカートいっぱいに巻きつけて働いてばかりいるダーシャを、外光の中で見るのは珍しかった。
 ダーシャも、列に道をさえぎられた一二分にむしろ休息を見出しているように立って眺めている。

 このダーシャは、伸子が保の死んだしらせをうけとって、まだ自分の部屋で食事をしていたころ、朝食をのせて運んで来た盆をテーブルの上へおろすと、改めてエプロンで拭いた手を、ベッドにおき上っていた伸子にさし出した。
 そして、
 「おくやみを申します」
 と言った。
 「弟さんが死なれましたそうで――おおかた学生さんだったんでしょうね」

 もう四十をいくつか越しているらしいダーシャは重いため息をした。
 「もとは、こっちでもちょくちょくそういうことがあったものです。
  神よ、彼の平安とともにあれ」
 ダーシャは祈祷の文句をとなえて胸の上に十字を切った。
 もとは、こっちでもちょくちょくそういうことがあったもんですというダーシャの言葉と、学生さんだったんでしょうね、と疑う余地ないように言ったダーシャの感じとりかたが、伸子の感銘にきざまれた。

 もとはちょいちょい自殺するものがあって、その多くは学生たちだった頃のロシアの生活。
 ダーシャはその生活を生きて来た。
 そしていまデーツコエ・セローの歩道で、足もとから埃を立てながらぞろぞろ歩いてゆく若い男女見学団を見物している。
 それは日曜の平凡な街の風景にすぎなかった。
 けれども、その平凡さのうちには、伸子の悲しみに均衡する新しい日常性がくりひろげられている。


        四

 もう十日ばかりで伸子と素子とがパンシオン・ソモロフをひきあげようとしていた九月はじめ、伸子は東京からの電報以来、はじめての手紙をうけとった。
 丈夫な手漉《てす》きの日本紙でこしらえた横封筒に入れられ、倍額の切手をはられた手紙は厚くて、封筒は父の筆蹟であった。

 伸子は手紙をうけとると、素子と一緒に室にとじこもった。
 封筒を鋏できった。
 パリッとした白い紙に昭和三年八月十五日。
 東京。
 父より。
 伸子どの。
 と二行にかかれていた。

 わが家庭の不幸がありてのちいまだ日も浅く、母の涙もかわかざるとき、父としてこの手紙を書くことは、苦痛この上ありません。
 しかし、伸子も一人異国の空にてどのように歎いているであろうかと推察し、勇を鼓して、保死去の前後の事情を詳細に知らせることにした。

 泰造は、伸子が見馴れている万年筆の字でそう書いている。
 その万年筆は、ペン先がどうしたはずみか妙にねじれてしまっていたが、泰造はそれでもほかのよりは書きいいと云って、ねじれたペンを裏がえしにつかって書いていた。
 動坂の家庭生活のこまごました癖やそのちらかり工合までを伸子に思いおこさせずにおかない父の筆蹟は、肉体的な実感で伸子をつかんだ。

 今年も七月早々母は持病の糖尿病によるあせもの悪化をおそれて、例の如く桜山へつや子とともに避暑し、動坂の家にのこりたるは保、和一郎と余のみ。
 保は、二十日間のドイツ語講習会を無事終了。
 その二三日来特に暑気甚しく、三十一日の夜は和一郎、保、余三人、保の講習会を終った慰労をかねてホテルの屋上にて食事、映画を見物して帰った。

 その夜も保は映画の喜劇に大笑いし極めて愉快そうに見えた。
 三十一日はそうして過ぎ、泰造の手紙によると八月一日は、平常どおり泰造は朝から事務所へ、和一郎は友人のところへそれぞれ出かけた。
 父も和一郎も夕飯にかえって来たが、めずらしいことに保がうちにいなかった。
 女中にきくと、おひる前ごろ、保が筒袖の白絣に黒いメリンスの兵児帯《へこおび》をしめたふだんのなりで、女中部屋のわきを通り、一寸友達のところへ行ってくるよ、と出かけたことがわかった。

 昼飯はあっちで食うからいいよと保がいうので、晩御飯はどうなさいますかときいたら、保は歩きながら、それもついでに御馳走になって来ようか。
 少し図々しいかな、と笑って門の方へ出て行った。
 いつも几帳面に自分の出るとき帰る時間を言いおく保が、その晩はとうとう帰宅しなかった。

 八月二日になった。
 父は事務所に出勤。
 和一郎は在宅して、保が帰るのを心待ちしたが、その日の夕刻になっても保は帰って来ない。
 父が事務所から帰ったときは、和一郎が何となし不安になって、日頃保が親しくしていた二三人の友達の家へ電話をかけたところだった。
 保はどこへも行っていなかった。
 きのう来たというところもなかった。
 まして、家へ泊ったという返事をした友人はなかった。
 われらの不安は極度に高まり、二日夜は深更に到るまで和一郎と協議し、家じゅうを隈なく捜索せり。

 よみ終った頁を一枚ずつ素子にわたしながらそこまでよみ進んだ伸子は、鳥肌だった。
 和一郎とつれだった泰造が、平常は活動的な生活のいそがしさから忘れている家のなかの隅々や、庭の茂みの中に保をさがすこころの内はどんなだったろう。
 伸子は、白い紙の上にかかれている文字の一つ一つを、父の苦渋の一滴一滴と思った。

 三日の早朝、和一郎が念のためにもう一度土蔵をしらべた。
 そして、はじめて、土蔵の金網が切られていることを発見した。
 母の留守中土蔵の鍵は余の保管にあり。
 くぐりにつけられている錠はおろされたままで、くぐりごと土蔵の大戸を開けることの出来る場所の金網がきられ、それが外部からは見わけられないように綿密につくろわれていることがわかった。

 父と和一郎が土蔵へ入った。
 入ったばかりの板の間に、猛毒アリ、と保の大きい字で注意書した紙がおかれていた。
 地下室へ降りるあげぶたが密閉されている。
 そこにも猛毒アリ危険!!と警告した紙があった。
 保はかくの如く細心に己れの最期のあとまでも家人の安全を考慮し居たるなり。
 その心を思いやれば涙を禁じ得ず。

 動坂の家へ出入りしている遠縁の青年がよばれた。
 父と和一郎とは土蔵の地下室のガラスをそとからこわして、僅かなそのすき間から二つの扇風機で地下室の空気の交換をはじめた。
 土蔵の地下室の窓は、東と西とに二つあったが、どっちも半分地面に出ているだけだった。
 一刻も早く換気せんとすれども、折からの雨にて余の手にある扇風機は間もなく故障をおこし、操作は遅々としてすすまず。

 涙があふれて伸子は字が見えなくなった。
 幾度も幾度もくりかえして伸子はそのくだりをよんだ。
 父の涙とまじって降る雨のしぶきが顔をぬらすようだった。
 動坂の家でそういう切ない作業がつづけられている間に、よばれた遠縁の青年が、福島県の桜山の家へ避暑している多計代の許へやられた。
 多計代をおどろかさないために、とりあえず、保さんはこちらに来ていませんか、とたずねて。

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