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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子  32

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 ネワの上流に架かっている長い橋の上を、灯のついた電車が小さくのろく動いてゆく。
 日頃は、特別な意識をもたずにすぎてゆく伸子と素子との生活だが、伸子が何か男の影をうけたと素子が思うこういう瞬間に、素子は思いもかけない角度でぐらんと感情の平衡を失わせた。
 そして、その上に強《こわ》もてに全身で居直った。

 軟かい素子の女の体が、異常な激情に力をこめて居直るのを見ると、伸子は悲しさといとわしさで、自分たち女二人の生活にかくされている普通でないものを考えずにいられなくなった。
 こういう場合伸子はいつも、より普通でないものを素子の側に感じながら、
 少女期を出たばかりにずっと年上の佃と結婚して、心がそこに安らわず、断続して遂に破壊された五年の結婚生活の経験で、伸子は女として、性的な意味でほんとに開花していなかった。

 伸子は、ほんとの意味では女にも妻にもなりきらないまま、素子と暮すようになったのだった。
 けれども、伸子は自分の女としてのその微妙な状態について、何と比較するよしもなく、従って知りようもなかった。
 本質ははげしいけれど今は半ば眠っている伸子の官能のなかで、まだその全能力を発揮させられずにいる強い愛の能力の範囲で、伸子は素子にひかれ、暮しているのだった。

 伸子としては、自分が自分の頬を素子の頬にふれさせたい気持になることがあること、唇をふれ合うこともあること。
 そういう感情や表現を、そっくりそのまま男と女との間のことと同じとは感じていなかった。
 それはちがうのだもの。
 素子は女なのだもの。
 未開のままその生活からはなれたと云っても、伸子は佃と恋愛した。
 夫婦の生活をした。

 伸子にとって男と女のちがいは、自然がそれを区分しているとおりはっきりしていて、素子は男の代償という意味ではなく、どこまでも女として、友達として、しかし、そこには頬をふれる気持になるようなところのある女友達として、伸子は結ばれているのだった。
 モスクワへ来て暮すようになってから、伸子と素子の生活は、駒沢にいた時分より、ずっとのびやかに、解放された。

 特に男たちから、伸子と素子との表面の暮しのかげに、なにか偏奇なグロテスクなものでもありそうにのぞきこまれる苦痛がなくなった。
 それに抵抗して、強いても二人を一組に押し出そうとするような伸子のうらがえされた恥辱感も消された。
 モスクワでは、伸子たち二人が、つれだって遠い国から来ている外国の女たちだからと云うばかりではなかった。

 ソヴェトの社会生活では、男と女との接触が理性的にも感情的にも解放されていて、その間のいきさつはめいめいの自然の流れにしたがい、社会的責任で処理されている。
 そういう雰囲気の中では、性に関する好奇心とでもいうようなものも、表面で封鎖されているだけに、すべての下心が一枚はがれた下では、いつもかくされた亢奮ではりつめているような日本の状態とはちがった。
 すべてのことを感覚へじかにうけとるたちではあるけれども情慾的であるとは云えない伸子の気質は、ソヴェトのその雰囲気に調和した。

 そして、佃との苦しい生活で傷《いた》められた伸子が、異性への自然さを失わないながらその一方では日本の常識の中での両性生活のやりかたについて絶望していたような気持も、段々社会の変化と一致して変化する可能のあるものとして希望の方に向けられた。
 ゴーリキイやアンナ・シーモヴァの人間らしさに、完全な性が保たれ、咲き揃っている。
 そのことを伸子が、美しいと感じうらやましいと感じるのは、人間達成の可能のゆたかさへの共感であり、すすみゆく社会の本質が個々の男や女に与える可能性の意味ふかい承認だった。

 おとといの晩、伸子たちはレーニングラードの一つの横通りにある外務省の留学生沖のアパートメントに招かれた。
 そこには、沖の一時的な愛人である蒙古の眉、蒙古の口元、蒙古の濃い黒髪をもったヨーコという女医がいた。
 ほかに七人ばかりの外務省の留学生たちがいた。
 重く太い編み下げを蒙古服の背にたらして、おとなしく台所の間を往復するヨーコの姉という、原始的な皮膚をした女のひとがいた。
 だらだらとつづいた食事やいくらか葡萄酒によった会話の、どこに本ものの愉快さがあったろう。

 みんなが自分を馬鹿者でないと思っていて、日本の官僚主義や退屈な社交生活を軽蔑して話しながら、自分たちのその話しぶりそのものが無気力であり退屈であることを知らない若い男たちに、伸子が、どんな男の魅惑を感じたというのだろう。
 土台、そういうきっかけから出ている話ではなかった。

 伸子は、しばらくして、窓の方を向いたまま、テーブルのところにいる素子に云った。
 「あなたは、自分のそういうものの感じかたをあんまり自認しすぎているわよ」
 「…………」
 「ぶこは、ひとりよがりで、自分は真実だから、おこりもすると思っているとしたら、  違うことよ。
  ソヴェトへ来てまで、そんな何だか女同士の痴話喧嘩みたいなこと。
  わたしほんとに御免だから……」
 「えらそうに、なにを生意気云ってるんだ。
  ぶこはいつだってそうだ。
  自分の都合のいいように理窟をつける――卑劣さ」
 「そうは思わない。
  だって、あんたがああいう風にからんじまうとき、わたしは、どうしたらいいの?
  どうしたら、あなた、気がすむ?」
 段々落ちついてものが云えるようになって、伸子は窓を向いていた体を素子の方へ向け直した。

 「駒沢のころ、そういうとき、わたしはこわくなって泣いたり、真実を証明したりしま  した。
  やっぱり、いまもわたしがそうすればあなたの気がやすまる?」
 だまっている素子のまわりを伸子はゆっくり歩いて、背の高い煖炉棚へ部屋靴のつまさきをそろえてもたれかかった。
 「わたしは、もうそうしなくてよ。
  お互のために。
  わたしたち、折角いつもは病的なところなんかなくて暮しているのに、こんな時って  いうと、まるで突発的に妙になるんだもの。
  これこそ病的だとしか思えない。
  わたし苦しくなるし、自分たちが恥しい……」

 ちょっと言葉を切って、伸子は羞恥のあらわれた、うす赧い顔で早口に云った。
 「わたしたち性的異常者じゃないんだもの。
  人間の親密さのいろんなニュアンスを肯定しているだけなんだもの」
 素子の眼から暗い脅《おど》かしと毒々しい光沢が次第に去った。
 「そんなことはわかってるさ」
 「変じゃないの、じゃどうして、あんなに、何とも云えないぐらんとした居直りかたに  なるんだろう。
  自分でわかる? 
  どんなに――」
 醜い、という言葉を云いかねて伸子は、
 「普通でないか……」
 と云った。

 「そりゃ普通じゃなかろうさ、わたしは自分を一遍だって普通だなんて云ったことはあ  りませんよ」
 「…………」
 素子の、京都風な受口の小麦肌色の顔や、そこから伸子を見ている黒い二つの棗《なつめ》形の眼、くつろいだ部屋着の胸元をゆたかにもり上らせている伸子より遙に成熟した女の胸つきなどを眺めていて、伸子は不思議にたえない心持になった。
 素子の生理になに一つ女でないことはない。

 それだのに、素子はどうしてこうまで自分の性をそのままにうけいれようとしないのだろう。
 伸子より三つ年上の素子が、女学校の上級生ごろから、らいてうとか紅吉とかいう青鞜婦人たちの女性解放の気運に影響されていたというだけでは、伸子に諒解しつくされなかった。
 素子の家庭で、父と母と母の妹との間に乱れた関係があって、素子の実母への愛と正義感が男への軽蔑や反撥になったとしても、やっぱり伸子にはわかりきらないものがあった。
 「あなたってまったく不思議ねえ」
 その声のなかから腹立たしさも軽蔑も今はすっかり消えた調子で、伸子がまじまじと素子を見た。

 「あなたの生活に、これまで具体的に男のひとが入って来たことってなかったんでしょ  う」
 「そりゃないさ」
 「そういう意味からだけ云えば、あなたは、わたしより純潔と云えるわけなのに。
  あなたは、わたしより純潔じゃないわ」
 素子はすこし顔を赧らめ、立ち上ってタバコに火をつけた。
 「中学の男の子みたい? 
  そうお? 
  具体的に経験されていないから却って、男と女のことっていうと、きまりきった形で  いやにむき出しに頭の中で誇張されるのかしら……」

 素子は、タバコをふかしながら、ネワ河に向って二つの大きい窓のひらいている夜の室内をあっちこっち歩いた。
 伸子のいうことから、何か自分への目がひらかれるところがあるらしい表情で。
 考えながら歩きまわって、素子はやがて、
 「もういい。
  ぶこ」
 と、椅子のところへ立ちどまりながら云った。
 「そう分析されちゃ、やりきれるもんか」

 伸子は黙った。
 けれども、伸子はこれまでのいつのときよりもはっきりした輪廓で素子を理解できたように思った。
 素子の封鎖されている性のなかには、伸子が自分に感じるより醗酵力のつよい欲望があり、しかもその欲情の激しさと同じ程度のはげしさで男の性が反撥されている。
 いつか素子は、自分からその矛盾の輪を破るだろうか。
 伸子はそのときがみたいと思った。
 素子の上にそのときを見たいと思う心の底潮に、意識されないかすかな遠さで、自分の生活もそのときはちがった展開をするだろうという予感がきざしていることは心づかずに。


        二

 レーニングラードから近郊列車で小一時間ばかり行ったところに、もとの離宮村があった。
 エカテリナ二世が、バルト海に臨んだ水の多い首都から、ひろびろとしたロシアの耕野の眺望を恋しがり、自然の野原と森の眺めをなつかしがったその好みに、いかにもあった地勢の土地だった。

 平らに遠く地平線がひらけて、ところどころに天然の深い森がある土地を更に人工の大公園で飾って、バロック風の離宮をこしらえた。
 一九一七年の十月、ニコライ二世が退位してから、シベリアへ出発するまで暮したのも、そこの離宮であった。
 ツァールスコエ・セロー(皇帝村)とよばれていたその離宮村は、その後デーツコエ・セロー(子供の村)と改称され、格別そこに子供のための施設ができているわけではなかったが、レーニングラード近郊の遊園地になっていた。

 日曜ごとに、ズック靴をはいて運動シャツ姿の青年男女や少年少女の見学団がデーツコエ・セローの小さくて白い停車場から降りて、大公園のなかへぞろぞろと入って行った。
 エカテリナ二世の離宮もニコライ二世の離宮もいまはそのまま博物館になっていた。
 エカテリナ二世がその小部屋をすいていて、毎日長い時間をそこで過したという見事なディヴァンのある「支那室」や、ニコライ二世の大理石の浴槽、その妻や娘たちの衣裳室というようなところを、見学団の数百の若いものたちは好奇心と無感興と半々な表情でだまって見て歩いた。

 彼等は博物館の内部を見おわって、そこからニコライ二世がシベリアへの旅へ出て行ったというフレンチ・ドアから自分たちも出て、公園の森と池とを見おろす大露台へかかると、はじめて解放されたように陽気になり、さわぎだし、喋ったりふざけたりする。
 そのフランス風の大露台から左手に見える森をへだてて、公園のはずれに、古風で陰気な石造の小建築がある。

 プーシュキンが少年時代をそこで教育された貴族学校のあとだった。
 その建物と往来をへだてた斜向いのところに、目立たない入口をもった石造の二階建の家がある。
 建物に沿った古びた石じきの歩道をゆくと、その建物の一階の四つの窓に白レースの目かくしがたれて、桃色のきれいなゼラニウムの花が、窓のひろさいっぱいに飾られているのがちらりと目に入った。

 その建物はもと貴族学校の校長の家だった。
 いまはパンシオン(下宿)になっている。
 伸子と素子とがデーツコエ・セローについて、ごくあらましにしろあれこれの知識をもったのは、ヴ・オ・ク・スのつけてくれた案内者と一緒に、七月の或る一日その大公園と離宮の村を歩きまわったからだった。
 そのとき案内者がアベードのためにつれ込んだ下宿は、ずっととまっている下宿人のほかに、日曜などにはそうやって不意の客もうけ入れる派手な落付きのない家だった。

 公園の一部を見晴らす庭に面した広間のあっちこっちにテーブル・クローズのかかった大きい円テーブルをおいて、ネップ(新経済政策)風の社交気分だった。
 外へ出てみると、そんなうちは例外で、デーツコエ・セローの村全体の日常は地味で、しかも鬱蒼とした大公園の散歩も、周辺の原始的な原っぱの遠足も思いのままで、伸子は、暫くこんなところに住みたいと思った。

 レーニングラードへ来てから伸子と素子とが暮している学者の家には、夏じゅういてもさしつかえなかった。
 けれども、もとウラジーミル大公の屋敷だったという学者の家の室は、いい部屋であればあるほどつくりが宮廷ごのみで、伸子たちにはしっくり出来なかった。
 フランス脚が金で塗られた椅子はあっても、モスクワのホテル・パッサージにあったような実用的なデスク一つ、スタンド一つなかった。
 レーニングラード見学の期間が終ると、伸子も素子も、食事つきで勉強のできる下宿がほしくなった。

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