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名作を読みませんかコミュの「三四郎」  夏目漱石  9

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 そのうち秋は高くなる。
 食欲は進む。
 二十三の青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。

 三四郎はよく出る。
 大学の池の周囲《まわり》もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。
 病院の前も何べんとなく往復したが普通の人間に会うばかりである。
 また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。
 玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方《さき》が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。
 今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓《すじょう》もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。

 そうして、ふわふわして方々歩いている。
 田端《たばた》だの、道灌山《どうかんやま》だの、染井《そめい》の墓地だの、巣鴨《すがも》の監獄だの、護国寺《ごこくじ》だの、三四郎は新井《あらい》の薬師《やくし》までも行った。
 新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合《おちあい》の火葬場《やきば》の辺で道を間違えて、高田《たかた》へ出たので、目白《めじろ》から汽車へ乗って帰った。
 汽車の中でみやげに買った栗《くり》を一人でさんざん食った。
 その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。

 三四郎はふわふわすればするほど愉快になってきた。
 初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。
 講義中にいろいろな事を考える。
 少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。

 よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである。
 三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。
 三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。
 そうすると気がかりになる。
 はなはだ不愉快になる。
 すぐ大久保へ出かけてみたくなる。
 しかし想像の連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。

 だからだいたいはのん気である。
 それで夢を見ている。
 大久保へはなかなか行かない。
 ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂《だんござか》の上から、左へ折れて千駄木《せんだぎ》林町《はやしちょう》の広い通りへ出た。
 秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。
 こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。

 そのうえ、野へ出れば申し分はない。
 気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。
 それでいてからだ総体がしまってくる。
 だらしのない春ののどかさとは違う。
 三四郎は左右の生垣《いけがき》をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。

 坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。
 坂を曲がる時は幟《のぼり》さえ見えた。
 今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。
 そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。
 そのまた余波が三四郎の鼓膜《こまく》のそばまで来てしぜんにとまる。
 騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。

 時に突然左の横町から二人あらわれた。
 その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。
 与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面《きちょうめん》である。
 その代り連《つれ》がある。
 三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。
 この人とは水蜜桃《すいみつとう》以来妙な関係がある。
 ことに青木堂で茶を飲んで煙草をのんで、自分を図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。
 いつ見ても神主《かんぬし》のような顔に西洋人の鼻をつけている。
 きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。

 三四郎はなんとか言って、挨拶《あいさつ》をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかわからない。
 ただ帽子を取って礼をした。
 与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。
 広田に対しては、少し簡略すぎる。
 三四郎はどっちつかずの中間にでた。
 すると与次郎が、すぐ、
 「この男は私の同級生です。
  熊本の高等学校からはじめて東京へ出て来た」

 と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴《ふいちょう》しておいて、それから三四郎の方を向いて、
 「これが広田先生。
  高等学校の……」
 とわけもなく双方《そうほう》を紹介してしまった。
 この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。

 しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。
 ただちに、
 「君、この辺に貸家はないか。
  広くて、きれいな、書生部屋のある」
 と尋ねだした。
 「貸家はと……ある」
 「どの辺だ。
  きたなくっちゃいけないぜ」
 「いやきれいなのがある。
  大きな石の門が立っているのがある」

 「そりゃうまい。
  どこだ。
  先生、石の門はいいですな。
  ぜひそれにしようじゃありませんか」
 と与次郎は大いに進んでいる。
 「石の門はいかん」と先生が言う。
 「いかん?
  そりゃ困る。
  なぜいかんです」
 「なぜでもいかん」
 「石の門はいいがな。
  新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」
 与次郎はまじめである。
 広田先生はにやにや笑っている。

 とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。
 横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路《こうじ》がある。
 その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。
 まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。

 三人は入口の五、六間手前でとまった。
 右手にかなり大きな御影《みかげ》の柱が二本立っている。
 扉《とびら》は鉄である。
 三四郎がこれだと言う。
 なるほど貸家札がついている。
 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。
 「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎は植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。

 広田と三四郎は取り残されたようなものである。
 二人で話を始めた。
 「東京はどうです」
 「ええ……」
 「広いばかりできたない所でしょう」
 「ええ……」
 「富士山に比較するようなものはなんにもないでしょう」
 三四郎は富士山の事をまるで忘れていた。

 広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。
 ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相《せそう》とは、とても比較にならない。
 三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。

 すると、
 「君、不二山《ふじさん》を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
 「翻訳とは……」
 「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。
  崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」

 三四郎は翻訳の意味を了した。
 「みんな人格上の言葉になる。
  人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫《ごう》も人格上の感化を与えていない」
 三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。
 ところが広田さんはそれでやめてしまった。

 植木屋の奥の方をのぞいて、
 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。
 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。
 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。
  それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」
 と言って枳殻《からたち》の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。
 のん気なことである。
 与次郎ののん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。

 ところへ植込みの松の向こうから、与次郎が大きな声を出した。
 「先生先生」
 先生は依然として、何かかいている。
 どうも燈明台《とうみょうだい》のようである。
 返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。
 「先生ちょっと見てごらんなさい。
  いい家《うち》だ。
  この植木屋で持ってるんです。
  門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」

 三人は裏から回った。
 雨戸をあけて、一間一間《ひとまひとま》見て歩いた。
 中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。
 家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。

 三人はまた表へ出た。
 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。
 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。
 「借りもしないのに……」
 「なに借りるつもりでいたんです。
  ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」
 広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。

 すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。
 このあいだまである出入りの屋敷の入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。
 与次郎だけに妙な事を研究してきた。

 それから三人はもとの大通りへ出て、動坂《どうざか》から田端《たばた》の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。
 貸家の事はみんな忘れてしまった。
 ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。
 麹町《こうじまち》からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。
 あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。
 あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。
 ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。

 広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。
 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものだから、時間がかかってしかたがない。
  いいかげんにして出てくるものだ」
 「よほど長くかかりましたか。
  何か絵をかいていましたね。
  先生もずいぶんのん気だな」
 「どっちがのんきかわかりゃしない」
 「ありゃなんの絵です」
 先生は黙っている。

 その時三四郎がまじめな顔をして、
 「燈台じゃないですか」と聞いた。
 かき手と与次郎は笑い出した。
 「燈台は奇抜だな。
  じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」
 「なぜ」
 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。
  だれもまるで知らない。
  それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、じつに割に合わない商売だ。
  野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」

 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈《まるあんどん》のようなものだ」
 丸行燈に比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、
 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。
 三四郎は簡単に、
 「ぼくは二十三だ」と答えた。
 「そんなものだろう。
  先生ぼくは、丸行燈だの、雁首《がんくび》だのっていうものが、どうもきらいですがね。
  明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。
  君はどうだ」
 とまた三四郎の方を向く。

 三四郎は、
 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。
 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから、明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」
 三四郎も広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。

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