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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子 18

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 帰るみちで、伸子は素子に、
 「あの私、退屈だわ、はわたしたちに云ったことなの?」
 ときいた。
 「さあ……ああいうんだろう」
 素子は、案外気にとめずヴェラ・ケンペルの文学的ポーズの一つとうけとっているらしかった。

 ときをへだてた今夜、素子と本をよみ終えて、雑談のうちにそのときの情景をまた思いおこすと、伸子たち二人を前におきながらヴェラがニコライに甘えて、じっとニコライの眼を見つめながら、書くものがむずかしいと云うと訴えたことも、退屈だわ、と云ったことも、伸子にいい心持では思い出されなかった。
 あの雰囲気のなかには、伸子たちにとって自然でなく感じられるものがあった。
 伸子たちが、どうだったらば、ヴェラ夫妻にあんな雰囲気をつくらせないですんだだろう? 

 この問いは、伸子の心のなかですぐポリニャークに掬い上げられたことと、くっついた。
 伸子がどうであればポリニャークに、あんなに掬い上げられたりしなかっただろうか。
 伸子は、ひろげた帳面の上に、鉛筆で麻の葉つなぎだの、わけのわからない円形のつながりだのを、いたずら書きをはじめた。
 この前の日本文学の夕べのとき会ったノヴィコフ・プリヴォイの海豹《アザラシ》ひげの生えたおとなしいが強情な角顔が思い浮かんだ。

 あの晩、プリヴォイ夫妻は伸子のすぐ左隣りに坐っていた。
 ノヴィコフは伸子に、お花さんという女を知っているか、ときいた。
 ノヴィコフは日露戦争のとき、日本の捕虜になって九州熊本にいた。
 そのとき親切にしてくれた日本の娘が、お花さんという名だったのだそうだ。
 ノヴィコフの家庭では、お花さんという名が、彼の波瀾の多かった半生につながる半ば架空的な名物となっているらしくて、白絹のブラウスをつけた細君もわきから、
 「彼は、どうしてももう一度日本へ行って、お花さんに会う決心だそうですよ」
 と笑いながら云った。
 「わたしは、お花さんによくお礼をいう義務があるんだそうです」

 クロンシュタットの海兵が反乱をおこしたとき連座して、一九一七年までイギリスに亡命して暮したプリヴォイ夫妻は英語を話した。
 モスクワの住宅難で自分のうちに落付いた仕事部屋のないプリヴォイは、モスクワ郊外に出来た「創作の家」で、「ツシマ」という長篇をかいているところだった。
 石垣のように円をつみ重ねたいたずらがきを濃くなぞりながら、伸子は、あのプリヴォイがたとえ酔ったからと云って、伸子を掬い上げたりするだろうか、と思った。
 それは想像されないことだった。

 プリヴォイには、そういう想像がなりたたない人柄が感じられる。
 けれども、ポリニャークもプリヴォイも同じロシアプロレタリア作家同盟に属している。
 「ねえ、プロレタリア作家って、ほんとうはどういうの?」
 伸子に訳してきかせたあとを一人でよみつづけていた素子が、
 「どういうのって……どういう意味なのさ」
 本の頁から顔をあげずにタバコの灰を指さきでおとしながらききかえした。
 「何ていうか――規定というのかしら――こういうものだという、そのこと」
 「そんなことわかりきってるじゃないか」
 すこし気をわるくしたような声で素子が答えた。
 「労働者階級の立場に立つ作家がプロレタリア作家じゃないか」
 「そりゃそうだけれどさ……」

 革命後にかきはじめた作家のなかには、プロレタリア作家と云っても、偶然な理由からそのグループに属している人もある、と伸子には思えた。
 「ポリニャークなんかもそうじゃない? 
  革命のとき、偶然金持ちでない階級に生れていて、国内戦の間、ジャガ薯袋を背負って、避難列車であっちこっちして『裸の年』が認められたって。
  プロレタリア作家って文才の問題じゃないでしょう?」
 「だからルナチャルスキーが気をもむわけもあるんだろうさ。
  前衛の眼をもてって――」

 伸子は、ひょっと、自分がもし日本から来た女の労働者だったら――工場かどこかで働くひとであったら、同じ事情のもとでポリニャークはどうしただろうか、と思った。
 それから、ヴェラ・ケンペルも。
 やっぱり、気のきかない客だということを、わたし退屈だわ、と云う表現でほのめかしただろうか。
 日本の政府はソヴェトへの旅行の自由をすべての人に同じようには与えないから、公然と来られるものはいつも半官半民の特殊な用向の日本人か、さもなければ伸子たちのような中途半端な文化人ということになっている。

 けれども、仮にもし女の労働者がどういう方法かでモスクワへ来たとして。
 そういう人に対してだったら、ポリニャークもケンペルも、決して伸子に対したようには行動しない、ということは伸子に直感された。
 働く女の人なら、彼女がどんなに、にぇ、まぐう、と柔かく発音しようと、その女の体が日本の女らしく酔った大きな男に軽々ともち上げられる小ささしかなかろうとも、ポリニャークは伸子をそうしたようにそのひとを掬いあげたりはしないだろう。

 その女の労働者は、たとえ日本から来た人であろうと、労働者ということでソヴェトの労働者の全体とつながっている。
 その女のひとを掬いあげることは、ソヴェトの女の労働者の誰か一人を掬いあげたと同様であり、そういうポリニャークの好みについてソヴェトの働く人々は同感をもっていない。
 労働者が仲間の女の掬い上げられたことについて黙っていないことをポリニャークは知っているのだ。
 ヴェラ・ケンペルにしても、ちがった事情のうちに働くポリニャークと同じ心理があるにちがいない。

 伸子は、帖面の紙がきれそうになるまで、いたずら書きのグリグリを真黒くぬりつぶした。
 ああいう人たちは或る意味で卑屈だ。
 伸子は、ポリニャークやケンペルのことを考えて、そう思った。
 彼等はプロレタリアにこびる心を働かせずにはいられないのだ。
 伸子はもとより女の労働者ではない。
 だが、伸子が女の労働者でない、ということは、伸子がポリニャークやケンペルに対して、ソヴェトの働く人々に対して卑屈でなければならないということではない。
 伸子がモスクワへ来てから、労働者階級の人たちや、その人たちのもっているいろんな組織は、伸子を無視していた。
 伸子の方から近づいてゆかなければ、その人たちの方から伸子を必要とはしていない。

 それは全く当然だ、と伸子は思った。
 伸子はモスクワの生活でどっさりあたらしい生活感覚を吸いとっているのに、伸子のなかには、ここの人にとって学ぶべき新しいものはないのだから。
 珍しさはあるとしても。
 また漠然とした親愛感はあるにしろ。
 無視されている、ということと、自分を卑屈の徒党のなかにおく、ということとははっきり別なことではないだろうか。
 苅りあげて、せいせいと白いうなじを電燈の光の下にさらしながら、伸子はいつまでもいたずらがきをつづけた。

        九

 モスクワの街に深い霧がおりた翌日の十一時ごろ、郵便を入れにホテルから出かけた伸子は、トゥウェルスカヤ通りを行き来する馬という馬に、氷のひげが生えているのにおどろいた。
 ちっとも風のない冬空から太陽はキラキラ雪の往来にそそいで馬の氷のひげやたてがみをきらめかしている。
 氷柱《つらら》をつけて歩いているのは馬ばかりではなかった。
 通行人の男の短い髭もパリッと白くなっているし、厚外套の襟を高くして防寒靴を運んでいる女の頬にかかる髪の毛も、金髪や栗毛の房をほそい氷の糸で真白くつつまれている。
 並木道へはいって行って、伸子は氷華の森のふところ深く迷いこんだ思いがした。

 きのうまでは、ただ裸の黒い枝々に凍った雪をつけていた並木道の菩提樹が、けさ見れば、細かい枝々のさきにまで繊細な氷華を咲かせている。
 氷華につつまれた菩提樹の一本一本がいつもより大きく見え、際限ないきらめきに覆われて空の眩ゆさとまじりながら広い並木道の左右から撓みあっている。
 その下の通行人の姿はいつもよりも小さく、黒く、遠く見えた。
 二月も半ばをすぎると、モスクワの厳冬《マローズ》がこうしてどこからともなく春にむかってとけはじめた。
 凍りつめて一面の白だった冬の季節が春を感じて、或る夕方の霧となって立ちのぼったり、ある朝は氷華となって枝々にとまったりしはじめると、北方の国の人を情熱的にする自然の諧調が伸子たちの情感にもしみわたった。

 伸子と素子とは、そのころになって一週間のうちの幾日も、モスクワ市のあっちの町、こっちの横丁を歩きはじめた。
 二人は、貸室さがしをはじめたのだった。
 ホテル暮しも足かけ三ヵ月つづくと単調が感じられて来た。
 もっとじかに、ごたごた煮立っているモスクワ生活の底までふれて行きたかった。
 そのためには素人の家庭に部屋を見つけるしかなかった。

 マリア・グレゴーリエヴナに世話をたのんで、はじめて三人で見に行った家は市の中央からバスで大分郊外に出た場所にあった。
 バスの停留場から更に淋しい疎林のある雪道を二十分も行った空地の一方の端に、ロシア式丸木建の新しい家がたっていた。
 ここは部屋の内部も丸木がむき出しになっている建てかたで、床の塗りあげもまだしてなかった。
 ガランとした室に白木の角テーブルが一つあった。

 室へ案内したそこの主婦は堂々として大柄な四十ばかりの女で、ほそいレースのふちかざりのついた白い清潔なプラトークで髪をつつんでいた。
 重い胸の前に両腕をさし交しに組んで戸口に立ち、いかにも彼女のひろい背中のうしろに、一九二一年の新経済政策《ネップ》以来きょうまでの世渡りのからくりはかくされていると云いたげに、きつい大きい眼だった。

 主婦は、伸子たちの着ている外套の生地やそれについている毛皮をさしとおすような短い視線で値ぶみしながら、愛嬌のいい高声で、その辺の空気がいいことや、前は原っぱで景色のいいことを説明し、一ヵ月分として郊外にしてはやすくない部屋代を請求した。
 家具らしいものが一つも入っていず、きつくチャンの匂うその新築丸木建の室の窓からは、貧弱な楊が一二本曲って生えている凹地が見はらせた。
 いまこそ一面の雪で白くおおわれて野原のように見えているが、やがて雪がとけだしたとき、その下から広いごみすて場があらわれることはたしかにみえた。

 伸子は、そういう窓外の景色を眺めながら、
 「ここでは夜芝居の帰りみちがこわいわ。街燈がなかったことよ」
 と云った。
 それは一つの理由で、この大柄で目つきがきつく、冷やかで陽気な主婦は、伸子たちがおじるような胸算用のきびしさを直感させた。
 劇場がえりが、女ばかりだから遠い夜道はこわいということは、眼つきのきつい主婦も認めた。
 モスクワでは何よりむずかしいとされている室さがしを伸子たちにたのまれたマリア・グレゴーリエヴナは、何かのつてでやっと手に入れた所書きだけをたよりに、自分でも先方のことは知らないまま、伸子と素子とを連れて見に来たのだった。

 その家を出てまた雪道をバスまで戻りながら、伸子は、自分たちのモスクワ暮しも段々とモスクワ市民生活の臓腑に近づいて来た、と思った。
 モスクワの臓腑は赤い広場やトゥウェルスカヤ通りだけでは分らない色どりと、うねり工合と、ときに悪臭と発熱とで歴史の歯車にひっかかっている。
 ワフタンゴフ劇場の通りには、横丁が網目のように通じていた。

 或る日のおそい午後、伸子たち三人は、所書きをたどってその一つの横丁の、ひどく高い茶色の石壁のわきにある袋小路を入って行った。
 貸す室というのは、袋小路のなかの、ひどく燻《くす》ぶった煉瓦の二階建の家の地階にあった。
 階段わきの廊下に面しているドアをあけると、その建物の薄ぐらさと湿気とをひとところにあつめたような一室があった。
 どういうわけか、その室の二重窓ガラスの二枚が白ペンキで塗りつぶされていた。
 それは暗くしめっぽいその室に不具者のような印象を与えた。
 ガラスから外の見える部分には、ほんのすこしの間隔をおいて一本の楡の大木の幹と、すぐそのうしろの茶色の石壁が見えた。

 どこからも直射光線のさし込まないその室に佇んで、茶毛糸の肩かけで両方の腕をくるみこんでいる蒼白い女が、飢えたように輝く眼差しを伸子たちの上に据えながら、
 「おのぞみなら、食事もおひきうけします」
 と熱心に云った。
 「料理にはいくらか心得がありますし。
  ここの市場はものが割合やすくて、種類もたっぷりあるんです……」
 きれぎれな言葉で外套のどこかをひっぱるような貸し主の女のものの云いかたには、ほんとに部屋代を必要としている人間の訴えがこもっていた。
 その室にしばらく立っていると、この家のどこかにもう長いこと床についたままの病人がいて、見えないところからこの交渉へ神経をこらしているような感じだった。

 かりにこの室で我慢するとしても伸子たちが借りることの出来る寝台が一つしかなくて、補充する寝椅子も、そこにはなかった。
 こういう風なところをあちこち歩いてホテルへかえると、小規模なパッサージの清潔さと設備の簡素な合理性とが改めて新鮮に感じられた。
 「こうしてみると、住めるような部屋ってものは容易にないもんだね」
 素子がタバコを深く吸いながら云った。
 「いまのモスクワで外国人に室をかそうとでもいうような者は、あの丸木小舎のかみさんのような因業な奴か、さもなけりゃ、きょうみたいな、気の毒ではあるがこっちの健康が心配だというような室しかもっていないような人しかないんだね」
 伸子はじっと素子をみて、体のなかのどこかが疼くような表情をした。

 室さがしにあっちこっち歩いてみて、伸子はまだモスクワにも人間の古い不幸としての貧や狡猾がのこっているのを目近に目撃した。
 「もうすこしさがしてみましょうよ。ね?」
 伸子は熱心に云った。
 「モスクワで外国人に室をかすものは、ほんとにいかがわしい者や、時代にとりのこされたような人しかないのかどうか、わたし知りたいわ」
 「そりゃ探すさ、ほんとにさがしているんだもの――」

 女子大学の学生時代から、借家さがしや室さがしに経験のある素子は、しばらく考えていたが、
 「もしかしたら、広告して見ようよ、ぶこちゃん」
 と云った。
 「モスクワ夕刊か何かに。
  かえってその方が、ちゃんとしたのが見つかるかもしれない。
  あさっての約束の分ね、それを見て駄目だったら、広告にしよう」

 あさってという日、三人が行ったのは、ブロンナヤの通りにある一軒の小ぢんまりした家だった。
 外壁の黄色い塗料が古くなってはげているその家の二重窓の窓じきりのかげに、シャボテンの鉢植がおいてあるのが、そとから見えた。
 呼鈴にこたえて入口をあけたのは三十をこした丸顔の女で、その人をみたとき、伸子は自分たちが楽屋口へ立ったのかと思った。
 女は、映画女優のナジモワアが椿姫を演じたときそうしていたように、黒っぽい断髪を頭いっぱいの泡立つような捲毛にしていた。
 モスクワでは見なれないジャージの服を着て、赤いコーカサス鞣の室内靴をはいている。

 そういういでたちの女主人は伸子たちをみると、
 「今日は」
 と、フランス語で云った。
 「どうぞ、お入り下さい」
 それもフランス語で云って、マリア・グレゴーリエヴナに、
 「この方たちは、二人一緒に室をかりようとしているんでしょうか」
 とロシア語できいた。
 「ええ、そうですよ、もちろん」
 マリア・グレゴーリエヴナは照れたように正直な茶色の眼を見開いて、
 「彼女たちはロシア語が十分話せるんです。
どうか、じかにお話し下さい」
 と、丸っこい鼻のさきを一層光らした顔で云った。

 「まあ! それはうれしいですこと! 
  ロシア語を野蛮だと思いなさらない外国の女のかたには滅多におめにかかったことがありませんわ」
 更紗の布のはられた肱かけ椅子に伸子たちはかけた。
 「この室はね、外が眺められてほんとに気の晴れ晴れする室なんです。
  ずっとわたしの私室にしていたんですけれど――」
 捲毛の泡立つ頭をちょいとかしげて、言葉をにごした女主人は、あとはお察しにまかせる、という風に、媚《こび》のある眼まぜをした。
 「教養のある方と御一緒に棲めればしあわせです」

 スプリングの上等なベッドを二つと、衣裳ダンスと勉強机その他はすぐ調えられるということだった。
 「私には便宜がありますから。
  それに時間で通う手伝いをたのんで居りますから、食事も、おのぞみならいたしますよ。
  白い肉か鶏でね。
  わたしも娘もデリケートな体質で白い肉しかたべられませんの……」
 女主人がそう云ったとき、マリア・グレゴーリエヴナは、ひどく瞬きした。

 女主人が浮き浮きした声で喋れば喋るほど、素子は、もち前の声を一層低くして、
 「で、これからこの室へ入れる家具っていうのは。
  費用はあなたもちなんですか?」
 タバコを出しかけながら面白がっている眼つきできいている。
 「あら、――それは、あらためて御相談しなくちゃ」
 素子は何くわぬ風で、外国人というロシア語をすべて男性で話しながら、
 「モスクワに、室をさがしている外国人はどっさりいるんでしょう、こんないい室なら、家具を自分もちでも来る外国人があるだろうに……」
 と、云った。

 女主人は、素子が外国人を男性で話したことには心づかなかった表情で、
 「おことわりするのに苦労いたしますわ」
 と云った。
 「ちゃんとした家庭では、一緒に住む人の選びかたがむずかしくてね。
  わたし、娘の教育に生涯をかけて居りますのよ」

 女主人は、うしろのドアの方へ体をねじって、遠いところにいるひとをよぶように声に抑揚をつけ、
 「イリーナ」
 とよんだ。
 待ちかまえていたようにすぐドアがあいた。スカートの短すぎる赤い服に、棒捲《ロール》毛を肩にたらした八つばかりの娘が出て来た。
 「娘のイリーナです。
  大劇場の舞踊の先生について、バレーの稽古をさせて居ります。
  本当の、古典的なイタリー風のバレーを。
  さあ、可愛いイリーナ、お客さまに御挨拶は?」
 すると、イリーナとよばれたその娘は、まるで舞台の上で、踊り子がアンコールに答えるときにでもするように、にっこり笑いながら、赤い服のスカートを左右につまみあげて、片脚を深くうしろにひいて膝を曲げるお辞儀をした。

 全くそれが、この娘に仕込まれた一つの芸であるらしく、前にのこした足を、踊子らしく外輪においてゆっくり膝をかがめ、またもとの姿勢に戻るまでを、女主人は息をころすようにして見つめた。
 マリア・グレゴーリエヴナが、
 「見事にできました」
 とほめた。
 低い椅子にかけたまま、立っている娘を見上げる女主人、立ったまま母親の顔を見ている娘とは、マリア・グレゴーリエヴナの褒め言葉で、互に、満足の笑顔を交しあった。
 娘は、ドアのむこうに引こんだ。

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