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名作を読みませんかコミュの「道標」  宮本 百合子 5

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 内海は、そういう素子の感情表現に不賛成らしく、十九世紀のロシア大学生のような頭を、だまって振った。

 「もしかしたら芝居だけが面白いんじゃないのかもしれないわ。
  見物と舞台と、あんなにいきがあうんですもの――独特ねえ……何て独特なんでしょう!」
 「佐々さんは、そう思いましたか」
 秋山が目を輝かした。

 「私も同感です。モスクワの見物ぐらい熱心で素直な観衆はありませんよ。
  子供のように、彼等は舞台を一緒に生き、経験するんです。
  ところが佐内君はね、今度モスクワへ来て、失望したといっていましたよ。
  М《ム》・Х《ハ》・Т《ト》の観客がすっかりかわって、服装はまちまちだし、態度もがさつだって」

 「じゃ、佐内さんは、タクシードでも着ていらしたの?」
 「そうじゃありませんでしたがね」
 「見物のたちは、服装の問題じゃありませんよ」
 専門のロシア語のほか、伝来の家の芸で笛の名手である瀬川は、自分の舞台経験から云った。

 「舞台に、しらずしらず活を入れて来るような観客がいい見物というもんですよ」
 「時代の推移というか、年齢の推移というか、考えると一種の感慨がありますね。

  佐内君が左団次と自由劇場をやったのが一九〇九年。
  まだ二十五六で、私と少ししかちがわなかったんですが、第一回の公演のとき、舞台から挨拶をしましてね、三階の客を尊重するような意味のことを云ったんです。

  三階の客と云ったって、今から思えば小市民層で、主に学生だったんですがね。
  すると、それが自然主義作家たちからえらく批判されましてね、きざだと云われたんです」

 瀬川が、
 「そう云えば、このあいだ芸術座の事務所でスタニスラフスキーと会ったとき、佐内さんの話しかたは、幾分にげていましたね」
 と云った。

 「佐内君は、芸術座の技術の点だけをほめていたですね」
 素子は、注意して話に耳を傾けていたが、また一本、吸口の長いロシアタバコに新しく火をつけながら、きいた。

 「スタニスラフスキーって、どんな人です?」
 「なかなか立派ですよ。もっとも、もうすっかり白髪になっていますがね」
 「ともかく、М《ム》・Х《ハ》・Т《ト》が、こんど『装甲列車』を上演目録にとり入れたことは、画期的意味がありますよ、何しろ、がんこに『桜の園』や『どん底』をまもって来たんだから」

 瀬川が、白髪のスタニスラフスキーのもっている落付いた前進性を評価するように云った。
 「そうですよ、私もその点で、彼に敬意を感じるんです。
  『桜の園』にしろ『どん底』にしろ演出方法は段々変化して、チェホフ時代のリアリズムに止ってはいませんがね。

  『装甲列車』を、あれだけリアルに、しかも、あれだけ研究しつくして、はっきり弁証法的演出方法で仕上げたのはすばらしいですよ。
  おそらくこのシーズンの典型じゃないですか」

 話をききながら伸子は眼をしばたたいた。
 演出の弁証法的方法というのは、どういうことなのだろう。
 伸子がよんだ只一冊の史的唯物論には、哲学に関係する表現としてその言葉がつかわれていたが。

 素子が、淡泊に、
 「リアリズムと、どうちがうんです?」
 と秋山に向って質問した。

 秋山は、すこし照れて、手をもみ合わせながら、
 「要するにプロレタリア・リアリズムを一歩押しすすめたもんじゃないですか」
 と説明した。

 「同じ階級的立場に立っても平板なリアリズムで片っぱしから現象を描いて行くんではなくって、階級の必然に向って摩擦しながらも積極的に発展的に動いてゆく、その動きの姿と方向で描こうというんではないですか」

 しばらく沈黙して考えこんでいた素子は、
 「そういうもんかな」
 疑わしそうにつぶやいた。

 「たとえば今夜の『装甲列車』ですがね。
  ああいうのが、自然だし、また現実でしょう? 
  パルチザンの指導者が、農民自身の中から出て来るいきさつっていうものは。
  天下りの指揮者がないときに。
  だから、リアリズムがとことんまで徹底すれば、おのずから、あすこへ行く筈じゃないんですか。
  どだい、些末主義なんか、リアリズムじゃありませんよ」

 秋山宇一は、質問者に応答しつけて来たもの馴れたこつで、
 「今日のソヴェトでは、一つの推進的標語として、弁証法的方法、ということが云われていると理解していいんでしょうね」
 それ以上の討論を、すらりとさけながら云った。
 「大局では、もちろん、リアリズムを発展的に具体化しようとしているにほかならないでしょうがね」

 厚い八角のガラスコップについだ濃い茶を美味そうにのみながら、瀬川が意外そうに、
 「吉見さん、あなた、なかなか論客なんですね」
 と、髭をうごかして云った。
 「わたしは、これまで、佐々さんの方が、議論ずきなのかと思っていましたよ」

 素子と伸子とは思わず顔を見合わせた。
 瀬川の着眼を肯定しなければならないように現れている自分を、素子は、自分であきれたように、
 「ほんとうだ」
 とつぶやいた。
 そして、すこし顔を赧《あか》らめた。

 「ぶこちゃん、どうしたのさ」
 「わたし?」
 伸子は、何と説明したらこの気持がわかって貰えるかと、困ったようにほほ笑んだ。

 「つまり、こうなのよ」
 その返事をきいてみんな陽気に笑った。
 素子が議論していることや、秋山の答えぶりの要領よさについて、伸子は決して無関心なのではなかった。

 むしろ、鋭く注意してきいていた。けれども、劇場でうけてきた深い感覚的な印象のなかから、素子のようにぬけ出すことが伸子の気質にとっては不可能だった。

 伸子の感覚のなかには、云ってみれば今朝から観たこと、感じたことがいっぱいになっていて、粉雪の降るモスクワの街の風景さえ、朝の雪、さては夜の芝居がえりの雪景色と、景色そのまま、まざまざと感覚されているのだった。

 伸子は、М《ム》・Х《ハ》・Т《ト》の演出方法の詮索よりも、その成功した効果でひきおこされた人間的感動に一人の見物としてより深くつつまれているのだった。

 一座の話が自然とだえた。

 そのとき、どこか遠くから、かすかに音楽らしいものがきこえて来た。
 「あれは、なに?」
 若い動物がぴくりとしたように伸子が耳をたてた。
 「マルセイエーズじゃない?」
 粉雪の夜をとおして、どこからかゆっくり、かすかに、メロディーが響いてくる。
 「ね、あれ、なんでしょう?」
 秋山が、一寸耳をすませ、
 「ああ、クレムリンの時計台のインターナショナルですよ」
 と云った。

 「十二時ですね」
 きいているとやがて、重く、澄んだ音色で、はっきり一から十二まで時を打つ音がきこえて来た。
 金属的に澄んで無心なその響は、その無心さできいているものを動かすものがあった。
 「さあ、とうとう明日《あした》になりましたよ、そろそろひき上げましょうか」

 みんないなくなってから、伸子は、カーテンをもち上げて、その朝したように、またそとをみおろした。
 向い側の普請場を、どこからかさすアーク燈が煌々《こうこう》とてらし、粉雪のふる深夜の通りを照している。
 銃を皮紐で肩に吊った歩哨が、短い距離のところを、行って、また戻って、往復している。

 モスクワは眠らない。
 伸子はそう感じながら長い間、アーク燈にてらし出されて粉雪のふっている深夜の街を見ていた。

        二

 一九二七年の秋、ソヴェト同盟の革命十周年記念のために文化上の国賓として世界各国からモスクワへ招待された人々は、凡《およ》そ二十数名あった。
 そのなかには、第一次ヨーロッパ大戦のあと「砲火」という、戦争の残虐にたいする抗議の小説をかき、新しい社会と文学への運動の先頭に立っていたフランスのアンリ・バルビュスなどの名も見えた。

 日本から出席した新劇の佐内満その他の人々は、祝祭の行事が終った十一月いっぱいでモスクワを去り、佐内満は、ベルリンへ立った。
 伸子たちがモスクワへついた十二月の十日すぎには、祭典の客たちの一応の移動が終ったところだった。
 外の国の誰々が、この行事の終ったあともなおモスクワにのこったのか、伸子たちは知らなかったが、ともかく秋山宇一と内海厚は、なお数ヵ月滞在の計画で、瀬川雅夫は年末に日本へ立つまで、いのこった。

 これらの人々が、ボリシャアヤ・モスコウスカヤというホテルから、パッサージ・ホテルへ移っていた。
 秋山宇一に電報をうち、その人に出迎えられた伸子たちは、自然、秋山たちのいたホテル・パッサージの一室に落つくことになった。
 伸子の心はモスクワ暮しの第一日から、ここにある昼間の生活にも夜の過しかたにも、親愛感と緊張とで惹《ひ》きつけられて行った。
 伸子の感受性はうちひらかれて、観るものごとに刺戟をうけずにられなかった。

 伸子は先ず自分の住んでいる小さな界隈を見きわめることから、一風かわった気力に溢れたモスクワという都市の生活に近づいた。

 クレムリンを中心として八方へ、幾本かの大通りが走っている。
 どれも歴史を辿れば数世紀の物語をもった旧い街すじだが、その一本、昔はトゥウェリの町への街道だった道が、今、トゥウェルスカヤとよばれる目貫きの通りだった。
 この大通りはクレムリンの城壁の外にある広い広場から遠く一直線にのびて、その途中では、一八一二年のナポレオンのモスクワ敗退記念門をとおりながら、モスクワをとりかこむ最も見事な原始林公園・鷲の森の横を通っている。

 このトゥウェルスカヤ通りがはじまってほんの五つか六つブロックを進んだ左側の歩道に向って、ガランとして薄暗い大きい飾窓があった。
 その薄く埃のたまったようなショウ・ウィンドウの中には、商品らしいものは何一つなくて、人間の内臓模型と猫の内臓模型とがおいてあった。
 模型は着色の蝋細工でありふれた医学用のものだった。
 ショウ・ウィンドウの上には、中央出版所と看板が出ていた。

 しかし、そこはいつ伸子が通ってみても、同じように薄暗くて、埃っぽくて、閉っていて、人気がなかった。
 この建物の同じ側のむこう角では、中央郵便局の大建築が行われていた。
 その間にある横丁を左へ曲った第一の狭い戸口が、伸子たちのいるホテル・パッサージだった。
 オフィス・ビルディングのようなその入口のドアに、そこがホテルである証拠には毎日献立が貼り出されていた。

 モスクワは紙払底がひどくて、伸子たちはついてすぐいろんな色の紙が思いがけない用途につかわれているのを発見したが、その献立は黄色い大判の紙に、うすい紫インクのコンニャク版ですられていた。
 伸子がトゥウェルスカヤ通りからぐるりと歩いて来てみると、陰気な医料器械店のようなショウ・ウィンドウをもった中央出版所も、パッサージ・ホテルも、その一画を占めている四階建の大きい四角な建物の、それぞれの側に属していることがわかるのだった。

 伸子たちはモスクワへついて三日目にホテルで室を代った。
 そして四階の表側へ来た。
 広いその室の窓からは、伸子に忘られない情景を印象づけた雪の深夜の工事場を照すアーク燈の光や、大外套の若い歩哨の姿はもうなくて、壊れた大屋根の一部が見られた。

 十二月の雪の降りしきる空と、遙か通りの彼方の屋根屋根を見わたしながら近くに荒涼と横わっている錆びた鉄骨の古屋根は、思いがけずむき出されている壊滅の痕跡だった。
 伸子が窓ぎわに佇んで飽きずに降る雪を見ていると、あとからあとから舞い降りる白い雪片が、スッスッと鉄骨の間の暗い穴の中へ吸いこまれてゆく。

 雪は無限に吸いこまれてゆくようで、それを凝《じ》っと見ていると目がまわって来るようだった。
 同じ絶え間のない雪は、隣りの大工事場の上にも降りかかっている。
 そこでは昼夜兼行で建築が進行している。
 深夜はアーク燈が煌々とそこを照している。

 伸子はこういう対照のつよい景色に、モスクワ生活の動的な色彩をまざまざと感じるのであった。
 荒廃にまかせられている大屋根は、もとガラス張りの天井で、トゥウェルスカヤ通りの勧工場であった。
 だから、パッサージ(勧工場)ホテルという田舎っぽい名が、この小ホテルについているのだろう。

 質素というよりも粗末なくらいのこの小ホテルは、ドアに貼り出してある献立をのぞいては入口にホテルらしいところがないとおり、建物全体にちっともホテルらしさがなかった。

 表のドアの内側は、一本の棕梠《しゅろ》の鉢植、むき出しの円テーブルが一つあるきりの下足場で、そこから階段がはじまっていた。
 大理石が踏み減らされたその階段を二階へ出ると、狭い廊下をはさんで、左右に同じような白塗りのドアが並んでいる。

 一室の戸は夜昼明けはなされていて、そこがこのホテルの事務室だった。
 二階から四階までの廊下に絨毯《じゅうたん》がしかれていた。
 黒地に赤だの緑だので花や葉の模様を出した、あの日本の村役場で客用机にかけたりしている机かけのような模様の絨毯が。

 伸子は、この絨毯に目がついたとき、そのひなびかげんを面白がり、その絨毯を愛した。
 こけおどしじみた空気は、この小ホテルのどこにもなかった。
 人々は生活する。
 生活には仕事がある。

 ホテルの各室は、生活についてのそういう気取りない理解に立って設備されていた。
 どの室にも、お茶をのんだりする角テーブル一つと、仕事用の大きいデスクが置かれていた。
 デスクの上には、うち側の白い緑色のシェードのついたスタンドが備えつけてあり、二色のインク・スタンドがあった。
 ロシア流にトノ粉をぬって磨きあげられた木の床《ゆか》の、あっちとこっちにはなして、鼠色毛布をかけた二つの寝台がおかれている。

 こういう小ホテルのなかに、おそらくは伸子たちにとって特別滑稽《こっけい》な場所がひとところあった。
 それは浴室だった。
 はじめて入浴の日、きめた時間に素子が先へ二階まで降りて行った。

 すると間もなく、部屋靴にしているコーカサス靴の木の踵《かかと》を鳴らしながら素子が戻って来た。
 「どうしたの? わいていなかった?」
 風呂は、前日事務所へ申しこんでおいて、きまった時間に入ることになっているのだった。
 「わいちゃいますがね。
ちょいと来てごらんよ」
 「どうしたの?」
 「まあ、きてみなさい」

 白い不二絹のブラウスの上に、紫の日本羽織をはおっている伸子が、太い縞ラシャの男仕立のガウンを着ている素子について、厨房のわきの「浴室」と瀬戸ものの札のうってある一つのドアをあけた。
 「まあ……」
 伸子は思わず、その浴室のずば抜けた広さに笑い出した。
 古びて色のかわった白タイルを張りつめた床は、やたらに広々として、ところどころにすこし水のたまったくぼみがある。

 やっぱり白タイル張りの左手の壁に、ひびの入って蠅のしみのついた鏡がとりつけてあって、その下に洗面台があった。
 瀬戸ものの浴槽は、その壁と反対の側に据えられているのであったが、そんなに遠くない昔、すべてのロシア人は、こんなにも巨大漢であったというのだろうか。

 長さと云い、深さと云い、古びて光沢のぬけたその浴槽は、まるで喜劇の舞台に据えられるはりぬきの風呂ででもあるように堂々と大きかった。
 焚き口とタンクとが一つにしくまれている黒い大円筒が頭のところに立っていて、焚き口のよこに二人分の入浴につかう太い白樺薪が二三本おかれている。

 このうすよごれて、だだっぴろい浴室を、撫で肩でなめらかな皮膚をもった断髪の素子が、自分のゆたかで女らしい胸もとについて我から癪《しゃく》にさわっているように歩きまわりながら、時々畜生! と云ったりするのを思うと伸子は、実にユーモアを感じた。

 しかし、実際問題として、どうしたらよかったろう。
 伸子は素子よりももっと背が小さいから、普通の大さの浴槽でも、さかさに入って湯のカランのある方へ頭をもたせかけて、というよりも、ひっかけて、いつも入っているのに。
 「わたし溺《おぼ》れてしまう」
 二人は、到頭いちどきに入ることにした。
 たがいちがいにしてならば、裸の体が小さくても滑りこむ危険はふせげるのであった。

 気候がさむくて、その上、夜は芝居だの、夜ふかしの癖のあるモスクワの人たちは、午後のうちに入浴する習慣らしかった。
 十二月のモスクワでは、昼間という時間が、一日に八時間ぐらいしかなかった。
 しかも雪のひどく降る日には電燈をつけぱなしにしたままで。

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