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悪いか?鉄道マニアで…コミュの日本からの寝台列車撤退

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日本からの寝台列車が撤退していった背景をあげると、元々からして寝台列車の顧客がビジネス客か修学旅行などの団体旅行客だからである。

さらにもう1つ寝台列車を含む夜行列車の廃止を促進させた背景には、規制緩和に伴う周遊券制度(周遊指定地をリサイクル2か所、特定指定地を1か所回ることが条件に運賃2割引)が廃止になったのも要因である。

その他に航空機・フェリー・夜行高速バスの普及によって利用客が著しく激減したからである。

高速鉄道である新幹線の方が収益が良いからである。

コメント(181)

>>[141]
285系も既に26年選手ですからね。今のところJRからの公式なアナウンスはありませんが、案外583系などのように粘る気がします。てか、そうあってほしいけど。
サンライズ結局廃止されるのかな?YouTube見ていても本当に多くの方が乗車投稿されてますね。若い女の子もサンライズ沢山投稿しています
>>[143] 583系の使用年数はJR西日本は40年ですが、JR東日本は26年でした。
ただJR東日本は昼のはつかり、夜のはくつる・ゆうづるとフル稼働でした。
>>[144] 確かにサンライズは色んな客層に対応出来る設備の上に、女子旅で人気があります。
昔は木次線〜芸備線の備後落合駅経由の夜行列車走りよったみたいですね。広島〜米子間の夜行列車。備後落合駅には立ち食いうどん屋があったみたい。今じゃ考えられない。
>>[148] 昭和55年秋まであった急行ちどりで、米子〜広島を木次線〜芸備線経由で走っていました。
昭和55年の秋は山陽夜行急行が全廃した年でもあります。
当時はまだ自家用車が普及しておらす国道も高速も整備されていなかったので備後落合駅は20本の列車が設置されていたみたい。駅員も常設されていたみたいですが今じゃ11本の列車あるだけ。完全な無人駅になってしまいましたね。
>>[150]
私が訪れたのは10年前の冬で、周囲には集落すら無かったですね。ここから発着する木次線も出雲横田までの間は冬季運休になってました。
かつては立ち食いうどん屋もタクシー会社も理髪店も旅館もあった一大拠点駅だったのでしょう?今じゃキハ120が一両だけで走る典型的なローカル駅になってしまいました。地元民も殆ど使ってなく日本中の鉄道マニア専用の駅になってしまいました。
>>[150] 私自身は今から周遊券のあった時代に備後落合駅に訪れたことがありますが、確かに備後落合から松江への移動となると列車で3時間待たないとならないことがあります。
出雲横田の地域の人は広島へ行くのなら高速バス、大阪は伯備線経由でやくもに乗るからです。
>>[152] 話は少しそれますが、関西〜山陰の夜行列車といえば、急行だいせんで国鉄時代は20系フル編成でした。
急行だいせんは特急まつかぜが米子打ち切り後に、福知山線電化で廃止になってからは、大阪から島根県に直通する唯一の夜行列車でした。
寝台列車が運行されていたのは、昼の特急列車で4時間前後掛かるような区間である。
そうなると夜行列車(特に寝台列車)のメリットが大きいからである。
>>[140] 山形に行く寝台列車といえば、急行津軽3・2号辺りで、庄内地区だと急行鳥海・天の川、大阪からだと特急日本海です。
日本からの寝台列車の撤退が本格化したのは、やはり80年代の辺りからだといえます。
80年の秋のダイヤ改正では、北海道の急行すずらんは航空機に東京〜北海道を航空機にシェアを奪われて相次ぐ需要低下、普通からまつは翌年の石勝線開業を控えての廃止の一面があったといえます。
東日本の特急ゆうづるの一部の二段式寝台化と、北海道連絡をメインにしている電車1往復、北東北をメインにしている客車1往復の季節降格。
それに関連して、秋田の横綱あけぼの24系化による20系客車の寝台特急からの撤退。
西日本の航空機やフェリーや新幹線に転移が進んで利用不振が続く、山陽本線の夜行急行全廃を始めとして、特急明星1往復(電車)と特急彗星1往復(客車)の一部廃止。
この結果して残存したのが、特急なは、特急彗星の電車1往復、客車1往復、特急あかつき2往復、特急明星の電車1往復、客車1往復、季節1往復の他に名古屋始発の特急金星の合計9往復。
電車寝台使用列車中心に航空機の最終便の後に出発して、航空機の初便より前に到着するダイヤに建て替えした。
>>[157]
80年秋のダイヤ改正では、北海道に関して言えば、183系気動車や781系電車の各特急型の本格稼働が明るい話題だったかな。個人的には関西―九州の夜行急行の全廃が印象的でした。
>>[158] 80年秋の改正はまずは山陽夜行全廃、急行ちどりの夜行便廃止がありました。
他には総武線快速の横須賀線直通運転に伴うグリーン車連結と関西の117系の新快速導入。
もう1つは函館からの青函連絡船から、千歳空港を中心とした札幌に切り替えられたのと、四国の急行列車のグリーン車全廃(普通車指定席格下げ)。
などがありました。
同じ中央西線の急行ちくま・きそは編成内容にも差があり、ちくまは20系寝台車3両で12系座席車7両なのに対して、急行きそは旧型客車編成でした。
寝台特急列車と夜行急行列車は客層そのものからして、違うといえます。
寝台特急列車の主たる客層は、ビジネス旅客、修学旅行などの団体旅客など。
夜行急行列車の主たる客層は、周遊券旅客、田舎への帰省旅客、用務・商用客、出稼ぎ労働者の他に夏は登山、冬はスキーの特殊旅客、海水浴、釣り客、ゴルフ客の他に、荷物・郵便輸送など。
これは正直にいって編成の違いに表れているといえます。
>>[162]
特に急行は座席車のみの編成が多く見られましたね。中でも昼夜兼用的長距離便だった「高千穂・桜島」は、お金は無いけど暇はある学生層に好評を博していたようです。
>>[163] 、急行桜島・高千穂は九州ワイド周遊券のみで乗れる列車だから、その頃に学生だった団塊の世代辺りは当たり前のように乗っていたと思います。
急行桜島・高千穂があった時代は奇しくも、ユースホステルが全盛期の時と一致しているといえます。
1992年度〜1993年は、夜行列車撤退が本格化した時期だといえます。
その予兆となった出来事は90年の山形新幹線乗り入れの為の改軌工事の為、寝台特急あけぼの(2往復)と急行津軽の経路変更。
91年の急行利尻の気動車化、寝台特急みずほ、出雲1・4号の食堂車営業休止の時からだといえます。
他にも、当時二重運賃で話題になった、ドリーム志賀号(東京駅八重洲口〜湯田中駅)開設もありました。
1992年度は東海道ブルトレの食堂車営業の撤退というのがありました。
(特急さくら・はやぶさ・富士・あさかぜ1・4号)。
その他に急行かいもん・日南の特急ドリームつばめ・にちりんへの格上げによる寝台車廃止。
急行まりもの特急おおぞらへの格上げ編入。
急行能登の電車化での寝台車連結廃止と運転時間帯変更に伴う、急行妙高の戦力外通告。
1993年はJR東日本管内での、特急出羽・ゆうづる、急行八甲田・津軽への戦力外通告がありました。
日本の寝台列車を含む、夜行列車の撤退で、一番大きいのは高速鉄道=新幹線や、それに接続する特急列車の走行線区の電化による高速化も見逃せない影響だと、いえます。
>>[168]
高速化に伴う移動時間短縮を大義名分として、客を強制的に新幹線などへ移行させるやり方で、鉄道会社としては当然でしょうね。今は趣味的な夜行列車といえば、いわゆるクルージングトレインのような企画物しか選択肢がないのも寂しいですが。
>>[169] ビジネス旅客は当然だけど、どうしても、速さの方を選択します。
結局の所からして、時間が短い方が出張手当が安く付くからです。
そこにも寝台列車の撤退の原因があるといえます。もう1つ見逃せないなのが、航空機の影響で、中心からの空港ヘのアクセスの時間、搭乗手続きに掛かる時間、搭乗する時間、搭乗を終えて空港からの目的地ヘのアクセスの時間をだいたい見積もると、やはり4時間辺りです。
そうなると4時間が交通機関選択の分かれ道であるといわざるを得ません。
4時間以上掛かるようだと、当然だけど鉄道に勝ち目がないのは、否定出来ない事実です。
夜行列車が廃れていった、もう1つの原因は宿泊施設の多様化にもあります。
もう1つは前日の新幹線や航空機の最終便で、前日ホテルに宿泊した方が安上がりなケースも出てきました。
特に大阪〜大分のように、寝台特急のB寝台利用が航空機よりも5000円以上も上回るようでは、論外です。

日本の寝台列車を含む、夜行列車は青函トンネル開通で誕生した、寝台特急北斗星、急行はまなすを最後に撤退していきましたが、日本だけでなく世界的にも似たような傾向で、やはり規制緩和の影響が大きいといえます。
寝台列車を含めた夜行列車が撤退していく原因は、夜行高速バスの独立3列座席が当たり前になったことなどがあげられます。
かつてのA寝台の値段ならシティホテル、B寝台の値段ならビジネスホテルに宿泊出来る上に、安い宿がユースホステルだけではなく、ネットカフェ、サウナ、カプセルホテル、ゲストハウスなど、大幅に増えたからです。
>>[173]
今の夜行バスには、半個室的なプレミアムシートまで備えた車両も登場しましたね。無論高価だけど、夜行列車の現状も考えると一度試してみたい魅力があります。
>>[174] 私自身、プレミアムドリーム号に乗ったことがありますが、寝心地は寝台車レベルだといえます。
一度乗ると、正直病みつきになります。
夜行急行列車で寝台車と共に連結されていたのが、荷物車、郵便車です。
寝台列車からJRが撤退したもう1つの原因は、荷物配達や郵便配達がトラック輸送に置き換えられたことや、新幹線などを利用してホテル・旅館への宿泊に置き換えられたこともあるけど、夜行列車の運行の為に、待合室を開けておくのは、防犯上の問題があることや、日本そのものからして、相当神経質な社会(過敏通報の多さ)だから、シェルパーとして駅前のネットカフェや、自動車運転者だと、道の駅に置き換えられた。
日本の夜行列車が、国土の狭い韓国よりも撤退が早かった、もう1つの原因はダイヤ編成の仕方にもあるといえます。
日本の夜行列車の出発時間は大概にして、18時〜0時の時間帯で、目的地に到着するのは、大概にして、5時〜9時の朝の時間帯に組んでいるのが基本です。
韓国の夜行列車の到着時間帯は大概にして3時〜5時です。
ここで一番の問題になるのは、通勤列車で日本はその時間帯は通勤ラッシュに引っ掛かりやすい時間帯だからです。
その結果として、通勤列車の増発が思うように出来ないといった問題があるからです。
運営する側の都合からして夜行列車の存在が厄介であることは、韓国の夜行列車の到着時間帯と比較すると解るともいえます。
日本から夜行列車は撤退して行きましたが、全く新しいタイプの夜行列車といえば、クルーズトレインで、JR九州のななつ星、JR西日本のトワイライト瑞風、JR東日本のTRANSUITE四季島といった、究極のおもてなし文化(日本人らしさ)をコンプセントにした新しいタイプの列車が始まりました。
>>[178]
これらのクルーズトレインに一度は乗ってみたいけど、経済的・ムード的にちょっと敷居が高いですよね。
気軽に夜行が楽しめた時代を懐かしんでますw
>>[179] 夜行列車(特に寝台列車)が全国区で活躍していたのは、1980年(昭和55年)の辺りまででした。
急行ちくま5・4号(定期列車)に寝台車が連結されたのは、意外にも遅く1978年(昭和53年)10月からです。
寝台車・食堂車が姿を消す原因のもう1つは、火災事故(特に昭和47年の急行きたぐにの火災事故)などを始めとした保安管理上の問題(警備・清掃・設備管理)や開放式寝台がカーテン1枚で仕切るだけというのもあるけれど、開放式寝台の上中段が梯子を使って昇降するという、社会福祉上の問題(開放式寝台では車椅子専用のスペースを提供しにくい)。
もう1つは寝台列車や食堂車が連結されている列車は当然だけど、長距離を走行する為にダイヤが乱れた時に他の線区にその影響が波及するという、運転計画上の問題がある。
新幹線は最大座席数が100席提供出来るのに対して、寝台列車はB寝台を基準にすると、二段式寝台で34人、三段式寝台で最大48人しか提供出来ないといった接客サービスの提供上の問題がある。

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