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聖書注解/キリスト教神学コミュのルカによる福音書16章1-13節

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不正な管理人のたとえ
この箇所やっぱり信仰的にも注解を見ても読むのがかなり難しい箇所です。
皆さんどの様に理解しますか?

コメント(18)

『神と富とに仕えることは出来ない』
という結論から見ると
やっぱりお金の為に生きてはいけないとイエスさまはおっしゃっているのかなと思います

神様だけに仕えるという事の意味が難しく感じるこの頃です。
どう生きる事がイエスさまに喜ばれる事なのかなぁと考える為には聖書を本当によく読まなくては分からないですよね。
しかしただ読んでも正しく理解しているのだろうかとか
神様と一致しているだろうか
祈りながら生活をするのが精一杯な所だと思っています。

まだまだ黙想出来そうです・・・
色々デボーションして互いに読むと神様の事が更に知りたくなりますわーい(嬉しい顔)

> ☆きえたん☆さん
神様は父です
神様の愛は無条件の母性愛に近いです

どんな子供も神様の前には平等で
特に放蕩息子のような息子の事も祈っておられます。
本当の神様の愛の元に帰ってきた時に神様はよく帰ってきたねと傷だらけの状態で抱きしめて下さいます。
キリスト教の本当の神様とは全く清く汚れのない癒やし主、ただ1つしかない永遠の命を持つ尊い神様ですわーい(嬉しい顔)

主にあって

世の罪を取り除く神の子羊!

シャローム!

> ☆きえたん☆さん

>無条件の愛とは何か?

聖書そのものの存在が神様から人間への一方的な愛という前提において

箇所を見つけるならば沢山あると思います・・・

旧約聖書に疎い私は新約聖書がメインですが、思い悩むなという箇所には沢山の神様からの恵みがあれば心配する必要はないという解釈にも取れますし
創世記の1章がそのまま無条件の愛を良く示しています
言葉や光、人間という存在、愛、善いもの全てが神様からの贈り物です。

>神様の愛の元に戻るとは何を意味するのか?

悔い改めて罪を赦してもらう事だと考えています。

>神様は確かに癒し主ですが、その神様が傷ついたとき、誰が神様を癒すのか?

清く尊い神様には傷は全くありません。
癒やす力があります。
神様は神の子イエスを神様は地上に送り、心身共に傷だらけにし貼り付け刑にまでしました。
神様が行ったというより人間の罪の結果です。
しかし神様が用意されていた出来事でしょう。
ここにも神様の人間を救いたいという神様の一方的な愛しかありません。
イエスさまは人間と同じ姿で傷だらけになり死にました。
しかし無条件に癒やされました。
ここに神様の愛があります。

>主にあって、罪を取り除く神の子羊は、なぜ罪を取り除くことができるのか?

罪を罪として身代わりに十字架刑で処罰されたからです。
しかし新しく蘇えられたからです。
これが洗礼の意味です。

三位一体論の問題で霊的に説明するにはちょっと難しい所です(^-^;

実際の信仰生活においてはイエスさまと言葉に出すだけでキリスト者には清めが働きます。
日頃の罪を取り除くには神様への悔い改めとイエスキリストを信じる告白と祈りが必要です。
プロテスタントでもカトリックでもこの辺りの感覚は変わらないと思います。
教派により祈り方や執り成し方が違うだけだと私は考えています。
三位一体論についてはまた別のトピックを立ててわかりやすく信仰的に論じたいと思います。
聖書からですとヨハネの福音書6・7・8・10・12・13・14・16・17・章辺りからでしょうか。
三位一体をしっかりと感覚的に内面に受け入れるにはヨハネ福音書が霊的に優れていると思います。
頭では分からない感覚なんですが、霊的に理解するという感覚です。

三位一体を出したのは神様は全宇宙を支配もし
また人間の心の内側にもおられる
ですから神様自体は傷はつかないと考えています

神様の愛とは裁きと赦しと癒やしにあると考えています

傷を考える時イエスさまが傷つかれたのは人間と同じように生き感情ももたれたという解釈になります。

むしろキリスト者としては弟子や母マリアの心情でイエスさまとの距離を考える方が現実的だと思います。
宇宙も人間も生物も支配しておられる、自己超越している神様の気持ちまで手に取るようには分かりません(^-^;
ただ聖書を読むと主にイスラエルの民に愛を示し
新約では全ての民に愛を示しています
そこから読みとれるのは旧約聖書は基本的には神の裁きであり、新約聖書は神の救いではないかと思っています。

旧約聖書でもヨブ記とかはムチャクチャ面白い書簡ですけどね
神様はサタンまで支配するみたいだけど、何でヨブみたいな人に嫌がらせするんだとか思いながら読んだりしてます
見舞いに来た友人もヨブの周りで勝手な話ばかりしてますしね(笑)

> ☆きえたん☆さん

>人間の無知はどう乗り越えられるんでしょうか


無知は無知のままでという考え方です
無知の上の神の知恵を与えて下さるのがキリスト教だという認識です
(自己超越している神様、人間は知る事が出来ない部分に対してアーメンという事が信仰)
それが無条件の神の精神的な一方的な恵みです(聖霊)
霊の事象は霊によって知る事であり、意識しては感じられない事であり、知識ではないという事です。
神の一方的な恵みによるという事は人間には理解出来ない恵みを知らず知らずに受けているという事です。

> ☆きえたん☆さん
色々と解釈ありがとうございました

知恵の書7章22節は何訳だったのでしょうか
新共同訳の文を参考までに書いておきますね

『万物の制作者、知恵に教えられたからである』

この知恵とは地球や体を造った神様の知恵であり
その知恵に対して全てを了解する必要はないし
また出来ないという事です。
無知は無知のままで良いと考えていますと書いたのは神様の全てを知る事は不可能であると書いたのです

☆きえたん☆さんのいう知恵とは私にとっては知識という事です。
知識は人を高ぶらせてしまうもの
知恵は人を悟らすもの愛であるという考え方です。

知恵はどちらかというと答えの出ない哲学的な感覚に近いと思いますよ。

分かりやすく書けば、夏に何故麦茶を日本人は飲んでいるのかとかも神様の知恵です。
神学でもあります。
アウグスチヌスの福音の法などもこの様な世界観でしょう・・・・
タンポポは何故この様な形をしていて花を咲かせ、綿毛を作って飛んでいくのか?
天恵とはその様な事をそのまま受け入れている事だと思いますけどね(^-^;)
この世界は不思議が沢山という事です。

哲学と神学は兄弟姉妹のようです。
『聖霊』についての考え方の違いを分かる範囲で

>尚且つ、聖霊は“共に生きる”ことを実現するための霊、

確かに大きく捉えたらその様な事です
より善く生きるために導く神の霊
とか
悔い改めを促す神の霊、
喜びを与える神の霊

他はちょっと難しいかと思います
アミニズムも聖霊の世界かどうかは
難しい判断だと考えています
悪いものとは考えてはいません
プロテスタントの聖霊の世界は聖人が祈ってる内側の光を背後にも伴うような
縦の関係の神の世界、近寄りがたい雰囲気もあります


>悪霊は、“破壊と破滅”につながることの霊、となります。

悪霊や悪魔の解釈もカトリックやプロテスタントでは違いますね
聖書から見たら暴言を突拍子もなく吐いてるレギオンとか
あんまり会いたくはありません
エクソシストの世界とかはヒッチコックみたいな映画の世界でカラスがバサバサ降りて来たりとか
夜中ベッドから落とされたりとか
地震も起きてないのに家の中が揺れたりとか、う〜ん・・・(~~;)

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