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考古学コミュの旧石器捏造問題専用トピック

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元々「倫理と法律」トピ(http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2178484&comment_count=32&comm_id=49342)で繰り広げられつつあった話題ですが、大きくふくらむ可能性があるために独立させました。以後は、この問題についての書き込みはこちらでお願いいたします。

また、この事件についての知識が不足しているメンバー(私を含め)のために、情報源を幅広く紹介していただけると助かります。2002年春ごろ私が個人的に情報収集をした際のリンクは結構切れている模様なので……。

取りあえずウェブ上のソース群としては

http://www.asahi-net.or.jp/~XN9H-HYSK/godhand/

ここ辺りが結構使える出発点となりそうです。


当時の毎日新聞の連載は既にアクセスできなくなっていますが、
 
毎日新聞旧石器遺跡取材班著「発掘捏造」(新潮文庫)

の方で、捏造発覚までの経緯を知ることができます。

書き込み内で触れられていてる小田静夫&C.T.キーリによる86年の批判論文は

http://www.ao.jpn.org/kuroshio/86critical.htm

こちらで入手可能です。


以下は「倫理と法律」トピック内において現在までに交わされたやり取りです。

--------------------------------------------------
18: 鯛
たしかにそういうミクロな部分での実践は重要ですね。

ただ、私が興味を持ったのは、
「外国人、あるいは外部の人間を受け入れる環境が、排他的、閉鎖的な環境に比べてどのような良い影響を研究に与えるか?」
ということです。私の言葉が足りませんでした。

東北旧石器の例を出したのは、これが東北旧石器考古学の排他的、閉鎖的な環境が研究に悪影響を及ぼした例ではないかと考えているからです。

(後略)


27: ラディン
 はじめて書き込みします。僕はいま中国の旧石器研究のために、北京に留学しているものです。

 話しを戻してしまって恐縮ですが、以前の書き込みで

>東北旧石器の例を出したのは、これが東北旧石器考古学の排他的、閉鎖的な環境が研究に悪影響を及ぼした例ではないかと考えているからです。

とありましたが、あの当時の東北旧石器考古学が排他的・閉鎖的と言われるのは、あの発掘に積極的に参加し、あの混乱の渦中にいた一人として極めて遺憾に思います。
 当時の発掘は、考古学以外に地質学、年代学、古環境学などの関連諸科学の学者・学生も参加し、たいへん学際的なものでした。また、日本各地の大学の考古学を専攻する先生・学生・大学院生が、調査に参加するために集いましたし、見学者も絶えませんでした。それに、専門家だけではなく、一般の考古学・旧石器に興味を持たれる方も調査に参加されました。僕をはじめ学生はみなオープンで、アカデミックで、刺激的な調査に興奮を覚えたものです。
 批判される方の中には、実際に現地にこられたり石器を手に取ったりした方や、調査に参加された方もいたと聞いています。ねつ造発覚後の彼らの批判は、学問的に受けた批判を、私的なうらみつらみに転化ものであると見受けます。
 当時の東北旧石器考古学が排他的・閉鎖的というよりは、むしろ周囲の人の「無関心」というのが適切かと思います。東北旧石器考古学の調査に参加された方でしたら申し訳ありませんが、実情をよく知らないで、無責任に発言されることに憤りを禁じ得ません。


2006年03月06日
04:12
28: 鯛
>ラディンさん

私は東北旧石器考古学には直接携わっていません。
某大学博物館での展示の中で旧石器捏造問題を扱った際に少し関わった程度です。ですので、私の判断は後に読んだ論文や講義からのものです。

「東北旧石器の例を出したのは、これが東北旧石器考古学の排他的、閉鎖的な環境が研究に悪影響を及ぼした例ではないかと考えているからです。」と書きましたが、一つの意見として見ていただければ結構です。どこまで関わっていればラディンさんが言うように「実情を知っている」とみなされるのかはわかりませんが、ここで個人としての意見を述べることくらいは許していただけないでしょうか?

手元に講義ノートや論文がないので具体的な出典は挙げられませんが、

http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/This-Time-j.html



http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuusandai

などを読んでいただけると、私が書いたように考えている人も少なくないことが分かっていただけると思います。もちろん旧石器捏造の理由がそれだけであるとは思いませんが、閉鎖性もひとつの遠因であると私は考えています。

あと、「閉鎖的」、「排他的」という言葉の定義があいまいだったこともラディンさんを怒らせてしまった原因かもしれません。私はここでは「外国人研究者の参加」を念頭において発言したのですが、実際に外国人研究者はどの程度関わっていたのでしょうか?あと、ラディンさんご自身がお考えになる旧石器捏造問題の原因と問題点についてもご教授いただけると幸いです。

失礼します。



2006年03月06日
13:41
29: ラディン
 鯛さん、ご返答ありがとうございます。前回は怒りに任せて書いてしまい、冷静でなかった自分がおりました。陳謝いたします。
 調査に参加した人間はごく限られますし、通常はマスコミや学術雑誌などの媒体を通して、このねつ造事件のことついて知るのが一般的ですね。マスメディアは、調査不十分で正確に情報を伝えてません(たとえば、最近毎日新聞に報道された岩手県金取遺跡では、地層の年代がでただけで、あたかも日本に旧人がいたことを示しているように報道された)。それに、自分を含めて、参加した人間の多くが口を閉ざしてしまったのにも「実情」が伝わらなかった原因があると思います。ご存知かと思いますが、下記のHPは調査に当たった学生が事件について書き記した数少ないHPです。

http://www.miyagi-ann.org/arc/paleo/index.htm

 鯛さんがおっしゃる「閉鎖性」とは、いったいどのような範囲をさしているのでしょうか?キリー先生は東北の旧石器研究の実情をきちんと把握しての発言とは思えず、当を得ているとは思えません。実際に、地質学、年代学の先生や学生がともに発掘に参加していましたし、先生方も学生の意見をしきりに聞きたがっておられました(話さなかった学生側に問題はあるのですが…)。学際的で、熱のこもった議論が頻繁に会ったと思います。遺跡や遺物を見学したい人がいれば、学生だろうと先生だろうと批判する人だろうと構わず見せていたと思います。どこに「閉鎖的」や「排他的」なところがあったのでしょうか?内部にいた人間であったから見えないのでしょうか?むしろ、外部の人間に「閉鎖的」や「排他的」といえるような、「無関心」があったと思います。マスメディアは「閉鎖的」や「排他的」をキーワードにしてこれを書き立て、その後一人歩きしてしまったと思います。当時、絶望に近い衝撃を受けた私たちに、これを批判する力はなかった…。

 外国人の参与については、前期中期旧石器に関するシンポジウムを頻繁に開催され、このときに欧米やロシア、中国、韓国などといった研究者参加し、遺跡や遺物を見学されてました。見学された時間がごくわずかであることは、予算や彼らの予定からして否めません。ただ、日本に留学に来ていた中国(香港)、韓国、ロシアの学生は調査に参加していました。日本側も、中国などに遺物を持っていって、当地の研究者に意見を聞くこともしていました。

 まもなく帰国しますが、私見を述べれば、いま僕は中国にいて中国の研究者・院生と接しています。このときに感じるは、日本の情報がきちんと伝わっていないということ。3万年まえの磨製石斧や1万年前の土器の存在など、関心のない研究者・院生は知りません。英語中国語で書かれた日本に関する文献、英訳中訳された文献の数は、たかが知れています。彼ら彼女らは経済的なことから、おいそれと日本に行けません。
 彼ら彼女らは、私たち日本人をはじめ外国人研究者と頻繁に交流しています。でも、研究はいまだに停滞的であり、発掘方法も80年前の周口店の方法に毛が生えたようなものです。いまだ、80年前の方法をしているところもあります。彼ら彼女らの関心度の低さは、国民性かもしれません(もちろん、そうではない方もわずかにおられますが)。欧米の研究者についてはよく知りませんので無責任なことは言えませんが、そういう方もおられるのではないでしょうか?ですので、外国人研究者の参与がどれほど有効であるのかは疑問です。
 ここに彼ら彼女らの「閉鎖」があるのだと思います。しかし、それは私たちの中にもあります。日本人の中国考古学に対する理解不足がそうです。関心がなければ、中国考古学の状況などする由もないでしょう。一方的には非難できません。僕が思う「閉鎖的」や「排他的」というものは、ここにあると思います。だから、いまこそ開放していかなくてはならないのでしょう(とはいえ、自分の能力の限界にヘキヘキしてしまいますが…)。

 旧石器ねつ造の原因は、藤村一人に帰します。問題は彼を取り巻いた考古学者、考古学を志す学生にあります。「神様」として祭り上げて執拗な彼に期待をしたり、出土してくるものを真実として、疑いの目を持たずにしてしまった(疑いの目はあったが、公にしなかった)。素朴だけど、すべてはここから始まっているように思えます。

 だから、東北旧石器考古学を絶対的悪のように捉えないでください。僕らはいつまで罵られ、また反省しなくてはならないのでしょうか?いま私たちは、常に反省の視点に立って調査にあったっていますし、宮城の旧石器時代研究の再構築のために前に進んでいます。いまはしていませんが、古い遺跡を探すことも止めるつもりもありません。応援していただけると幸いです。

http://kagozawa.arcpot.com/

では、また。
祝研安!




2006年03月06日
16:59
30: RawheaD
ラディンさん

刺激的な話題の書き込みありがとうございます。この捏造事件に関しては、別個トピックを立てるべきかもしれませんね。それだけ大きな話題ということで。

私は日本人でありながら、この事件に関しては全くのアウトサイダーとして接しました。というのも、事件の発覚当時私は既にアメリカの大学院に在学していたということと、そもそも2001年までは自分が考古学の道へ進むとは思ってもいなかった人間なので。

そういう立場でありながら、実は院の、それこそ正に「考古学における倫理と法律」というセミナーで、この話題についてターム・ペーパーを書いた経歴があるので、少し発言させてください。なお、この事件に付いての私の知識はすべて、アメリカで比較的容易に入手できた物、具体的には、上でも述べられているキーリ博士や竹岡さんなどの論文/ウェブサイト、毎日新聞の連載、ハーバードのイェンチン図書館で入手可能な日本の考古学誌や書籍からのみ得られたものです。

まず、鯛さんが「閉鎖的」という言葉をどういうつもりで使ったかは代弁できませんが、私もこの事件について調べていて、ある種の閉鎖性というのを感じ取りました。それは、遺跡に見学者を入れるとか、発掘を手伝いたいというボランティアには手伝わせるとか、そういう「開放性」「閉鎖性」ではなく、竹岡氏、小田氏、キーリ氏などによる、古くは80年代中盤にまで遡る真っ当な批判が封殺されたという意味での閉鎖性です。

また、ラディンさんは「閉鎖的というよりは周囲の無関心」と仰いますが、無関心だったのはだれでしょう? 日本ではマスコミや一般人を含め、多くの人が大きな関心を持っていたように記憶しますが。「75万年前」「100万年前」の石器が「発見」されたときなどは、各紙の一面を飾っていましたよね?

海外での関心も低くはなかったと思います。事件の直後に、藤村氏の発見の数々は日本の歴史の教科書に広く載せられるまでになっていたと嘆いた人がいましたが、実は海外の教科書にも載りました。米英の多くの人類学/考古学の授業で使用される、Colin Renfrew and Paul Bahn "Archaeology: Theories Methods and Practice"には、上高森遺跡で「発見」された「石器埋納遺構」の写真が、前期旧石器時代の原人が、高い認識力を持ったり表象的思考ができたことを示す可能性のある遺構として紹介されていました(3rd Ed., P390)。

藤村氏の「発見」は、ただ単に、それまでは日本になかったと思われていた考古学、つまり中期旧石器時代以前の考古学が存在したということだけではなく、世界中のどこを見ても存在しないもの -- 例を挙げるならば上述の埋納遺構が示唆する高い思考力を有した前期旧石器時代の原人や、それらの原人が作成したとされた世界最古の押圧剥離石器など -- の存在を意味していたのですから、関心が低いはずがありません。にもかかわらず、欧米諸国で大きく取り上げられることがなかったのはなぜか? 日本国内では教科書に載るほどの「常識」となっていた情報が、事件の発覚までほとんど欧米の考古学者に知られていなかったのはなぜか?

私はそれが海外の考古学者の関心が低かったからだとは思いません。そもそも、関心を引き寄せるだけの情報の提供がなかったからだと思います。藤村氏の発見は、もし事実でさえあったら、紛れもない世界的大発見と呼べる物でした。それならばなぜ、確実に掲載されたであろうScienceやNature誌で論文発表が行なわれなかったのでしょうか?

世界的な発見をしておきながらそれを世界に向けて発表しなかった背景にどんな思惑があったのかは分かりません。そうするだけの自信が実はなかったからなのか、それとも「日本の考古学なんだから日本で発表すればいい」というプライドがあったからなのか(そこらへんについてもしご存じでしたらご教授ください、ラディンさん)。

いずれにせよ、科学の世界は往々にして研究者の自己申告制です。そもそも情報が提示されなければ関心の持ちようがない。関心を持っても、それを持続しようがない。そして、これが何より重要なのですが、ピア・レビューのしようがない。こういう悪しき連鎖反応が、捏造が行なわれたばかりか、それが25年も続いた原因の1つとなったのは間違いないと思うのですが、いかがでしょう? そういう意味での「閉鎖性」です。

さらに、少し気になった点を指摘いたします。ラディンさんは

>>東北旧石器考古学の調査に参加された方でしたら申し訳ありませんが、実情をよく知らないで



>>キリー先生は東北の旧石器研究の実情をきちんと把握しての発言とは思えず

と仰っていますが、調査に参加したことがなかったり、内情を把握していない人には、批判をする資格がないということでしょうか? だとすれば、それは思い切りピア・レビューの精神に反することだと思うのですが。

批判をする人は、提示された情報に基づいて批判を行なうわけです。そこに論理的な齟齬があるのならそれを指摘して反論すればいい。しかし、そういう批判を行えるだけの情報は持っていないはずだ、というのなら、そもそもその情報が開示されていないことも問題でしょう。もちろん、既出の情報を見落としていた場合など、批判をする側の勉強不足という可能性も十二分にあり得るわけですが。

最後に

>>僕らはいつまで罵られ、また反省しなくてはならないのでしょうか?

戦後の日中・日韓関係じゃないんだから、いつまでも批判され続けたり謝り続ける必要なんてないと、個人的には思います。責任の取り方が総辞職ってのは日本の伝統文化という気がしますが、私はどうかと思います。

唯一の正しい責任の取り方は、何がいけなかったのか問題点を明らかにし、同様なことの再発を防ぐためにこれから何をどうしていくのかということを明確にし、それを実践していくことだと思います。その意味で、ある種の「閉鎖性」が事件の一因であったかどうか、あるいは、それを問題点の1つと認識するかしないかというのは非常に重要なファクターです。もし良ければその点についてラディンさんの見解をお聞かせください。

以上長くなってしまい申し訳ありません。


んー、やっぱり別トピックを立てましょうか?(笑)




2006年03月06日
18:19
31: ホウメイ
初書き込みです。よろしくお願いします。

捏造問題はやっぱり別トピックで立てたほうがいいんじゃないのかなと思います。

考古学自体の問題や日本における文化財・考古学の問題等々の問題があるとおもうので。

倫理といったら盗掘品を思い浮かべるのですが、博物館だと盗品は買い取らないだったかな?そういう規定があったとおもうのですが、日本考古学協会にそういう規定ってあるんですかね?場違いであればすいません m()m




2006年03月06日
20:25
32: galego
別トピ立てるべき話題かもしれませんが、
多少は関係のある場所に居た、
学生として私見を述べさせてもらいます。

本来、考古学の研究成果は考古学論文によって示されるべきです。けれども、それによって考古学研究のハイライトである発掘という行為は、論文を執筆する一部の研究者によって寡占されていました。多くの愛好家や郷土史家も発掘参加を熱望しましたが、それは発掘調査隊の一作業員としてのみに留まっていました。

そんな中、東北福祉大を中心として、発掘を研究者以外に解放し、愛好家たち自身が中心となった発掘調査を実施してみてはどうかという考えが出てきました。この考えは、それまでの閉鎖的な考古学研究の中にあっては画期的であり、異端でした。

保守派の考えは、発掘を目的とした愛好家が出てきた場合、発掘の際の視点が曖昧になり、研究に役立つ調査結果が出ないのではないか、という事でした。また、出土=成果となることで、論文発表による研究という、学問研究の基礎が揺らぐのではないかと考えました。

結果は、発掘を生業とした藤村氏と、その周辺によって論文発表を行うことなく、出土=発掘成果として発表されてしまい、研究者の批評を受けていない資料が正しい出土遺物であるかのように世間に認知されてしまいました。
多くの研究者は、この成果に疑問でしたが、彼の功績を無視することも出来ずに著書の中で前期旧石器を明確に否定しなかったことも事態を深刻にしたものと思います。

大切なことは、遺物が出土したことでは無く、その出土遺物について、研究者がどう判断したかであるか、という事を世間に広く認知してもらうことが事件の再発防止に繋がると思います。

最後に、批判を行うことは誰にでも自由ですが、それが誤った情報に基づいたものであれば、批判した人も「批判の根拠となった情報の検証が不足」していたとして、逆に批判されるのは仕方の無いことだと思います。(永田議員然りですね)
また、この問題については日本考古学協会から検証報告と書籍の刊行がなされています。(僕は読んでませんが・・・)

コメント(10)

>>竹岡氏、小田氏、キーリ氏などによる、古くは80年代中盤にまで遡る真っ当な批判が封殺されたという意味での閉鎖性です。

 手元に資料がないので正確なことは言えませんが、小田氏・キーリ氏に対する論文は出ていたはずです。それに、発掘を通して彼らの批判に答えていたと思います。竹岡氏に対する批判はなかったと思います。なぜなかったのかは、当事者ではありませんので、コメントを控えます。

>>日本ではマスコミや一般人を含め、多くの人が大きな関心を持っていたように記憶しますが。

 曖昧でしたね。すみません。一般の人はマスコミに駆り立てられたことで、むしろ強い関心を持つ人が本当に多かったでしょう。マスコミを利用したことに問題もあるのですが。無関心なのは「考古学に従事する人」のことです。当時、「前期中期はよく分からんから、手を出さないほうがいい」ってことを、しばしば同業者が話していました。東北の前期中期に対する、どこか冷めた雰囲気があったことをよく覚えています。

>>日本国内では教科書に載るほどの「常識」となっていた情報が、事件の発覚までほとんど欧米の考古学者に知られていなかったのはなぜか?
>>ScienceやNature誌で論文発表が行なわれなかったのでしょうか?

 記憶が定かではありませんが、上高森のことはNature誌に載せているはずです。それに、事件発覚直前くらいにアメリカ考古学会で発表しています。調査に当たられた先生方には語学堪能な方が多く、当然、諸外国との交流もかなり頻繁でした。ただし、交流にも限界があったことは、否定できません。

>>「日本の考古学なんだから日本で発表すればいい」というプライドがあったからなのか。
>>これが何より重要なのですが、ピア・レビューのしようがない。こういう悪しき連鎖反応が、捏造が行なわれたばかりか、それが25年も続いた原因の1つとなったのは間違いないと思うのですが、いかがでしょう? そういう意味での「閉鎖性」です。

 『「日本の考古学なんだから日本で発表すればいい」というプライド』、諸外国と積極的に交流していた経緯を思うと、はっきりいって心外です。
 とはいえ、発掘が先行し、ほとんど報告書を出さなかったことが、「閉鎖性」と思われることの大きな原因だと思います。それは、英文にしても日本語文にしても。RawheaDのおっしゃるとおり、「ピア・レビューのしようがない」ことが原因の1つであり、「閉鎖性」だと思います。

>>批判をする人は、提示された情報に基づいて批判を行なうわけです。

 まだ冷静ではなかったようです。反省します。事件のことで非難され、苦悶苦闘された方々のことをよく知っているし、あの調査に汗水を流して参加していただけに、少ない情報で東北旧石器考古学のことを非難されることに、我慢が出来なかったのです。すみませんでした。

>>唯一の正しい責任の取り方は、何がいけなかったのか問題点を明らかにし、同様なことの再発を防ぐためにこれから何をどうしていくのかということを明確にし、それを実践していくことだと思います

 「唯一の正しい責任の取り方は、何がいけなかったのか問題点を明らかにし、同様なことの再発を防ぐためにこれから何をどうしていくのか」ということは、すでに日本考古学協会がまとめています。もう個々人の実践の段階に来ていると思います。
 僕を含め、渦中近くにいた学生・院生は、学生生活の半分近くをその後の検証活動に従事し、今後の考古学のためにと心血を注いできました。一部にはねつ造遺跡の報告書作成にあたったものもいます。検証活動は一応おわりました。私たちはいま、前に進んでいます。ほかの震源地でも、新たな一歩を進まれていることを、よく耳にします。僕がいま中国にいるのも、実践の一部と自負しています。

>>その意味で、ある種の「閉鎖性」が事件の一因であったかどうか、あるいは、それを問題点の1つと認識するかしないかというのは非常に重要なファクターです。

 日本における旧石器研究の幕開けは、相沢忠洋という1人の一般市民がローム層から石器を見つけたことから始まることは、RawheaD も鯛さんもご存知のことと思います。この時点で出た石器の中に、磨製石斧が含まれていました。当時、これを新石器のものとして、日本の旧石器の存在を認めない人がいました。その後、各地で旧石器時代の磨製石斧が見つかり、これが一般化していきました。こういった学史的な背景から、数十万年前の地層から優美な石器が出ても無批判に受け止めてしまったという経緯が、少なからず東北旧石器考古学の中にありました。
 これに対して、火砕流から石器が出ることに対して小田・キーリ氏による批判がありました。彼らに対する反論が少なかったのは、日本旧石器の研究の学史が少なからず影響し、ここに「閉鎖性」が生じたのでしょう。
 これに、同業者による「無関心」が加わったり、閉鎖性」と「無関心」だけではない、多様な要因によりねつ造が長期化したのだろうと思います。

>>発掘を生業とした藤村氏と、その周辺によって論文発表を行うことなく、出土=発掘成果として発表されてしまい、研究者の批評を受けていない資料が正しい出土遺物であるかのように世間に認知されてしまいました。
多くの研究者は、この成果に疑問でしたが、彼の功績を無視することも出来ずに著書の中で前期旧石器を明確に否定しなかったことも事態を深刻にしたものと思います。

 まさにその通りだと思います。
 
 余談ですが、去年の秋に発掘現場の見学に陝西省の片田舎に行きました。そのとき、地元のおじさんに「お前は日本のねつ造事件のこと知っているか?」と聞かれました。愕然としてしまいました。事件の根深さ、奥深さを知った瞬間でもありました。

祝一切順利!
ラディンさん

>>上高森のことはNature誌に載せているはずです

Nature誌1995年以降の記事内検索を「Kamitakamori」で行なってみましたが、ヒットしませんでした。確か埋納遺構が発見されたのは第3次調査の95年でしたよね? あるいは、それ以前に発表があったのでしょうか……。残念ながらNature誌の検索は95年までしか遡れないので調べられませんでした。

またアメリカ考古学会における発表というのは、1999年3月のシカゴ大会の話ですよね? それについては知ってはいたのですが、どういう発表内容だったのかは知りようがないんですよね、その場にいなかった者としては。SAAの方でも、発表された論文の記録を取っているわけでもないし。

学会発表が無意味だとは言いませんが、やはり、学会発表後に、だれもがアクセスできる論文をパブリッシュするという形を取らない限りは、情報を広く伝えたことにはならないと思いますし、そういう意味で不足があったというのはラディンさんも同意していただけたものと受け止めます。


>>諸外国と積極的に交流していた経緯を思うと、はっきりいって心外です。


すみません、その下りは完全な憶測です。外側にいる人間、特にアメリカの考古学界という環境にいる者としては、あのような重大な研究成果が、デファクトの権威である欧米の学術雑誌で発表されないことに疑問を抱いてしまうわけです。

もちろん、それはアメリカで考古学を学んでいる人間としてのバイアスがかった考え方であることは認めます。だからこそ、もしかするとそういう「プライド」みたいな感情があったのかな?と考えたわけです。決して批判というわけではなく、むしろ、私のような立場の人間が忘れがちであること -- すなわち、欧米の考古学が、世界中のだれもが認める「権威」ではないということを省みた上での憶測でした。そういう感情が無かったと言うことでしたら了解です。ご教示、ありがとうございます。


>>無関心なのは「考古学に従事する人」のことです。

「無関心」についての詳細をありがとうございます。なるほど、そういう風潮は確かにあったのでしょうね。それは理解できます。そもそも、それ以前までは存在すらしないとされていた研究分野なわけで、そういう反応(というか無反応)があったというのは容易に想像できます。

それならばなお、いっそうのこと、その分野(つまり、前期〜中期旧石器時代)の研究が盛んである欧米に向けて情報を発信したり、論文を発表したり、広く意見を求めていくべきだったのではないかと思ってしまいますが、それが言うは易く行うは難し、だったのかもしれないとも思います。


>> これに、同業者による「無関心」が加わったり、閉鎖性」と「無関心」だけではない、多様な要因によりねつ造が長期化したのだろうと思います。


全く同意です。この問題は単一原因によるものではないですよね。


>>お前は日本のねつ造事件のこと知っているか?

分かります。私は2002年の夏にフランスで中期石器時代の発掘に関わったのですが、行く先々で同じ事を聞かれました(笑)
>>galegoさん

>>殆どの研究者は欧米の学術雑誌に権威性を見出していませんでした。

なるほど。とすると、それもやはり1つの「閉鎖性」ですよね? 閉鎖性って言う熟語がネガティブ過ぎて抵抗があるのだとすれば、「自己完結性」と言い換えられるかも知れません。

なぜ私がScienceやNature誌を引き合いに出したかというと、物理学や生物学を初めとしたその他諸科学分野においては日本国内においてもそれらの権威性が認められていて、ごく当然のように、重大な研究成果がそれらの雑誌で発表されているからです。

生物学や物理学などの分野は世界と比べても決して見劣りしない日本ですが、それでもなお、対外的に情報を発信していく。

それは単純に、世界的権威である学術雑誌に研究成果を掲載することによる自己満足のためではなく、そういう場で発表を行ない、世界中の科学者の厳しい目、精査をくぐり抜けて初めて、その研究内容が認証されるという共通概念があるからだと思います。

もちろん、それでも万全では決してないことは、最近の幹細胞研究分野の韓国における捏造騒動やベル研究所のジャン・ヘンドリック・シェーン氏による「研究成果」など、近代最大級とも言われる科学的捏造の内容がScienceやNatureに掲載されていたことからも明らかです。しかし、彼らの捏造が20年、25年という単位ではなく、わずか3〜4年の間で発覚した原因の1つに、彼らの研究内容が広く知られていたからということがあるのも間違いないと思います。韓国の英雄とまで言われた黄氏が、韓国国内で、韓国語でしか研究発表を行なっていなければ、もっと長期間、人びとを欺き続けることができたと思います。


話を戻しますが、物理や生物といった分野ですら外に目を向けているのに、現実的に見てメソッドにおいてもセオリーにおいても(特にセオリーにおいてかな?)欧米に後れを取っていることが否めない日本の考古学にとって、研究者が日本国内で自己完結しているようではだめだと思うわけです。

だから、私が個人的に感じ取った「閉鎖性」というのは特に東北旧石器研究のグループに対してではなく、日本の考古学界全体に対しての物だと言えるかも知れません。もちろん、日本の研究者がみなそうだという意味では決してありません。

また、

>>あくまで、自分たちの研究のためのリファレンスの一つに過ぎないという認識です。

こういう意識も広く蔓延しているようなら問題ではないでしょうか? 要するにtakeはするけどgiveはしないというスタンスですよね? フィードバック・ループを自分たちで断ち切るようなスタンスだと、ほかの研究者はもちろんのこと、自分たちの進歩の妨げにもなると思います。

もちろん、日本国内における日本語での研究発表は皆無駄だ、すべて英語で欧米の学術雑誌で発表したほうがいい、と言っているわけではありません。ただ、やはり、世界的に重要な意味を持つ研究内容は世界に向けて情報を発信することが、ギブ・アンド・テイクの精神に則るという意味でも、そして世界の舞台で研究成果を検証してもらうという意味でも、研究者としての義務なのではないかと思うわけです。そして、この旧石器に纏わる研究内容はまさにそういう「世界的に重要な意味を持つ」ものだったと思うわけです。

最後に断っておきますが、日本の考古学が遅れているという書き方をして不快感を与えたかも知れませんが、特に日本が遅れているとは思っていません。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツなど一部の欧米諸国を除いたその他の国の考古学は、相対的に見てすべて遅れていると思います。それは「考古学」という分野がまだ誕生してから150年あまりしか経っていない若い分野であり、その発祥・発展の地が欧米であったことから、至極当然のことだと思います。

さらに、その最先端を行っているアメリカやイギリスの考古学界でさえ、内に向かうような「自己完結」の道を歩み始めたら瞬く間に失墜し、権威は地に落ちることだと思います。すごく分かりやすい例を出すと、ルイス・ビンフォード(アメリカ人)だけがいて、イアン・ホダー(イギリス人)がいなかった場合、現在の考古学はどうなっていたか? と考えるとどうでしょう。もちろん、それをひと時台遡って、V.G.チャイルド(オーストラリア人/イギリス人)だけがいてルイス・ビンフォード(アメリカ人)がいなかった場合の現代の考古学はどうなっていたか? と置き換えてもかまいません。

>>捏造問題について多くの検証がなされていたと感じています。

何か誤解を与えたかも知れませんが、事件後の検証に関しては、私は十分だったと感じています。個人的に2003年くらいまでしかフォローしていないのでその後の検証結果については不勉強なのですが、決してそれを批判するつもりはありません。ただ、世界的に見てもとても重大なスタディ・ケースといえるので、その検証結果はできれば英語で、どこかの雑誌で発表していただきたいと思いますが。Antiquityあたりがいいんじゃないかなー。

実は2002年の春にこの問題についてターム・ペーパーを書いたとき、倫理と法律のクラスを教えていた教授(彼はその方面のスペシャリスト)にえらく気に入られ、どっかでパブリッシュしろと薦められたのですが、それこそラディンさんの言うように、自分が実情を知らなすぎるという気が強かったため、尻込みしてしまったという経緯があるのです。
うーん。読んでておもったのですが(最近ちょっと気になってることなのですが)

物理学にしろ、生物学にしろ僕のイメージとしては材料さえそろえば理論の再現ができるような感じがするんですが

遺跡の発掘となると「発掘=破壊」であれば、もう二度と取戻しがつかないのは事実である。ならば、データーや理論の再現性がないような気がしてたまらないのですがどうなんでしょうか?

友達と話をしていて、「データーさえ取れたら、掘った遺跡や遺構(掘ってしまったもので、未発掘のエリアを除く)は必要ないの?」という突っ込みを食らったのが原因なのですが

そういう点がもしかすると一種の閉鎖性を生んでいるのではないかとおもうのですがいかがでしょうか?
>>ホウメイさん
>>データーや理論の再現性がないような気が

それは正しくその通りです。だから、考古学における研究成果の発表は、物理学や生物学と比べて、輪をかけて研究者の「自己申告制」であり、受け手としてはその研究者の良心に頼らざるを得ない部分が大きいと思います。だからなおいっそうのこと、すべての研究成果は広く共有されるべきだと思うんです。

上ではあんなことを言っていますが、実は、世界中の考古学者が1つの共通言語を用いて研究成果を発表することが理想的だと思っています。それが必然的に英語になってしまうことに抵抗を感じる人が多いだろう事は容易に想像が付きますし、日本人の私としてもそうなったら面白くないと思う気持ちはありますが、分野の発展のためにはそれがベストだと思うんですよね。ま、そこらへんの実現はほぼ不可能だと思いますが……。
なるほど、たしかに言語はおいておいたとしても共有されるほうが望ましいですよね。
卒論やってておもったんですが、「学史をやれ」といわれても、探しにくかったですし何より元の報告書が無い物はどこで手に入れたらいいのかと言うことで悩みました。
図書館のように、どこかで報告書がまとまっていたらなんておもっていたんですが、そういうことは実現不可能なんでしょうかね?

そうすれば、もっと監視や温かい目で歓迎されるかもしれませんね(住民・地元の感情等も含めて)。

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