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眠れぬ夜の物語コミュの−いばらの涙−

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「雨が降っています。―――あなたに。」

突然隣に座っていた女がこんなことを言い出したので、僕は驚くことさえ出来ずに彼女の目を見ていた。 透明な瞳だった。僕の心など全て見透かしているのではないかと思えるような、透き通った瞳に見つめられて、僕は言葉を見つけられずにただ彼女を見つめ返していた。


季節は春。少し桜の季節が過ぎた頃。僕は込み入った事情があって、京都から故郷へ向かう列車に乗っていた。車内は混んでいて、僕の座っている最後尾の席まで人の波が押し寄せてきていた。できれば隣には誰も座って欲しくなかったが、こんなに人がいるのではそれも無理だろう。僕はため息をつくと、隣の席に置いていたカバンを足元に移動させた。

「あの、お隣よろしいですか?」
そこに声をかけてきたのが彼女だった。年齢は自分よりも少し上。セミロングほどの髪の長さで、身長はそれほど高くもない。どちらかというと、女性の平均身長よりも低いのではないだろうか。荷物は特に無く、小さなバーバリーのハンドバックを手にもって、視線をこちらに向けている。僕は小さく「いいですよ」と答えた。もとより僕には断る権利などない。

 女は僕の隣に座ると、手に持っていた小さなバッグを膝の上に乗せ、その中からハンカチを取り出すと両手を拭いた。特に濡れているようにも汚れているようにも見えなかったが、そういうものなのだろう。意味もなく鼻をかみたくなる時だってある。手を拭きたくなる時だってあってしかるべきだ。バッグと同じバーバリーのハンカチの隙間から、薬指にはめられた銀色の指輪が見え隠れしていた。
 
僕は少し居心地が悪くなり、視線を窓の外へ飛ばした。列車は都市部を離れ、山間部へさしかかろうとしていた。真っ赤な夕日が山の中に吸い込まれようとしているのを見ながら、僕は煙草に火をつけた。ゆっくりと煙が立ち昇る。気配だけで隣の反応を見たが、特に気にした様子はなさそうだった。まぁ、喫煙車両なのだ、それほど気にすることはないのだが。

「雨が降っています」

彼女が口を開いたのは、煙草も燃え尽きて煙の幕が薄れてきた頃だった。思わず振り向いて、彼女と目が合ってしまった。あとは、冒頭に書いたとおりだ。

 それから数分後。彼女は先ほどのことが嘘のように打ち解けて僕に笑いかけていた。
彼女は自分のことをアヤと名乗った。本名じゃないかもよ、と含みのあることを言っていたが、特にどうということはない。たまたま車内に居合わせた人間の名前がなんであろうと気にすることはない。そもそもこれほどまでに話し掛けてくるとはどういうことなのだろう。普通なら見ず知らずの人間にそこまで関わろうとはしないものだ。
タイミングがずれて、最初の言葉の意味を聞く機会を失ってしまった。
それにしても。僕はあの時夕日を見ていたのだ。雨など降っているはずもない。

 変わった人だ。僕の出した結論はそれだった。話によると彼女は仕事で、舞鶴までいくらしい。この列車で綾部というところまでいき、そこで乗り換えだ。僕の故郷は綾部から更に1時間ほどしたところにある。 仕方ない。僕は諦めともとれるため息をついた。この人が綾部に着くまで、付き合ってあげるとしよう。

「先に荷物は全部あっちに送っちゃったんだけどね。だからこんなに身軽なんだけど。何か読むものでも準備しておけば良かったかな〜って思ってたんだ。あなたがいてその必要もなかったわね。」
彼女はこちらを向いて笑いかけた。鼻の両脇にある小さなほくろが印象的だった。
「綾部まではお付き合いしますよ。それから先はまた誰か暇そうな人を見つけてください」
「そうね、あなたのような若い子が見つかると良いんだけど。」
彼女は白いブラウスを着て、その上に薄い朱色のカーディガンを羽織り、さらに薄手のジャケットを着ていた。言われるまでは気付かなかったが、確かに初めての土地へ行く人間の装備にしては彼女の荷物は小さなハンドバッグ1つで貧弱だ。今はハンドバッグ1つで現地まで旅できる時代なのだ。
「若い子って、アヤさんも十分若いじゃないですか。」
「君、お世辞うまいわよね。」
「お世辞じゃないですよ」
「じゃあ、私、何歳に見える?」
「24歳くらいかと…」
「ぶー、はずれ。本当は27。」
そういわれて、改めて彼女の顔を見る。本当に僕には24歳くらいに見えたのだ。さらに言えば、低身長で身体も小さいせいだろうか、外見だけで見れば彼女は時折僕と同い年くらいに思えた。それを2歳引き上げたのは、彼女の放つ気配が大人のそれだったからだ。
「若作りですね〜…」
僕が感心していると、彼女は手を振ってそうではないことを伝えてきた。
「そんなことないわよ。実際の24と外見だけ24とは違うの。クリスマスケーキって言葉、知ってる?女って言うのは、24歳までは重宝されて、25歳過ぎると売れ残るのよ。ちょうどクリスマスの終わったあとのケーキみたいにね。実年齢を明かすとみんな身構えちゃうの。」
「そういうものなんですかね…。僕は年上の方が好きですけど」
「同い年の彼女がいるんでしょ〜?そんなこと言っちゃっていいわけ?」
「アヤさんだって、新しい若い子ばっかり探してたら指輪の人が泣きますよ。」
「う…、まぁ、そうなんだけどね〜。でもこれは趣味の問題であって、実際の問題とは違うのよ」
「そんなもんなんですかね…」
「そんなもんなの。」
僕は窓の外を見た。そろそろ園部に着く頃だろうか。綾部まではあと半分、30分ほどだ。亀岡辺りから始まったこの世間話が、もう30分近くも途切れずに続いているのだ。これは僕にとっては大きな快挙だった。もっとも、相手がこの人だったから、というのもあったかも知れないが。こうしていると、自分がなぜこの列車に乗っているのかを忘れそうになってしまう。時刻は6時を過ぎ、世界は徐々に赤く染まり始めていた。恐らく僕が帰る頃には、故郷の空は夜の闇に包まれているだろう。
 
 「そういえばその指輪」
僕は思い出したように言った。彼女もまた思い出したように左手を出し、小さく華奢な指を見せた。最初に見たときと同じように、そこには指輪が1つはめられていた。
「これ、私の宝物なんだけどね。ずっとつけてたからもうただのワッカになっちゃった。本当はこれ、綺麗な十字架の模様があったのよ。今はもう磨り減ってわかんないけど」
その指輪は確かに磨り減って平板な銀の輪になってしまっていた。彼女が言うように、よく見るとその表面にうっすらと何かの模様が刻まれていたような形跡も見られたが、ただの傷だと言われればそのまま信じてしまいそうなほどに、その存在は希薄なものだった。
「でも良いの。宝物に変わりはないから。」
彼女が満足そうに言う。その通りなのだろう。目に見えるものだけが真実ではない。その指輪の表面には、その指輪をしてきたのと同じだけの、思い出という名の目に見えない宝が刻まれているに違いない。

 「そういえば、あなたは?」
「え?」
しばらく沈黙が続いたのでぼーっとしていた僕は、彼女の言葉を聞き逃した。僕はまた彼女の方に向き直ると、その幼い27歳の女を見た。彼女は今日の日付でも聞くように、もう一度繰り返した。
「あなたはなんで実家に帰ろうとしてるの?ゴールデンウィークにはちょっと早いでしょ?」
その問いに僕の表情が一瞬固くなる。
話すべきではない。僕は頭をフル回転させて、上手い答えを探し出そうとした。
「ちょっと、会わなければいけない人がいるので」
僕はそれだけを口にすることにした。これは全くの嘘というわけではない。それに、あくまでこの人はたまたま同じ列車で隣り合わせた他人に過ぎない。たとえ親しくなったといってもそれは一時のことで、本当のことを話す必要はないのだ。僕は自分にそう言い聞かせた。
「へぇ〜。大切な人?」
「そうですね。友人です。」
「しばらくぶりなんじゃない?会って色々話せるといいわね。」
僕は悟られないように穏やかに、そして静かに頷いた。この会話を終わらせようと僕は煙草に火をつけて、一時的にだが煙で彼女との間にある視界を塞ごうと試みた。薄い煙幕だが、どうやら効果はあったらしい。彼女は僕から視線を外し、窓の外、夕焼けに染まる世界を眺めていた。僕も彼女も、その光を浴びて赤く輝いて見えた。白いはずの煙さえもが光を受けて、赤い霧のように空中に漂っていた。

「出会いって不思議よね。」
隣で彼女が、窓の外の沈みきろうとしている夕日を見たまま言った。
「世界には色んな人がいて、色んな人たちのこと知って、仲良くなって…そういうのって素敵だと思わない?」
僕はしばらく考えてから、答えた。
「そのために毎回見ず知らずの人間に意味不明なこと言って、声かけてるんですか?」
「それはまぁ、置いといて。」
彼女が苦笑する。僕は窓から視線を離し、電車の天井に視線を合わせた。煙草をくわえたまま煙を吸い込み、吐き出す。感覚が鋭敏さを失っていくのが感じられた。

「僕は13歳の時に、曽祖父を亡くしました。95歳だったそうです。」
僕は話し出した。自分でもどうしてこんな話をするのか、わからなかった。ただ口から言葉が溢れてくるのだ。
「それから今までの10年間、僕は何人の葬儀に出席したと思います?10人ですよ。毎年1人、自分の親戚なり知り合いなりが死んだことになる。もちろん、それ以前にも何度か葬式はありました。飼ってた猫なんか3匹も死んだし、ウサギやインコもいた。」
彼女は横で、僕の話を聞いていた。特に表情を変えたりはしていないようだが、正確なところまではわからない。
「これが一度に4人とかなら、まだ良かったのかもしれない。衝撃は強くても、一回は一回なんです。でも、これが毎年のように絶え間なくやってくると、もう疲れちゃうんですよ。どうしようもなく疲れてしまう。特に知り合ったばかりだったり、僕とあまり年も変わらないような人、若い人が死んでしまうと、新しく作った関係があっけなく崩れてしまうのをまざまざと見せ付けられる。そうすると、出会いというものが怖くなるんです。これはある種の別れへの通過儀礼にしか過ぎないんじゃないかって。」
僕はもう一度煙を吐き出した。もう煙草は根元まで燃え尽きようとしていた。

「出会いは別れの始まり」
彼女は言った。
「だから、新しく人と関係を気付くのが苦手なのね?」
隣に目をやると、彼女はあの時と同じ、まるで別人のような透明な瞳で僕を見ていた。一気に身体が硬直する。まるで射すくめられたかえるのような気分だ。
「そう、ですね。だから、アヤさんみたいな考え方ができるのはうらやましいような気もします。」
「ふぅ、ん…」
彼女は少し考え込んでいるようだった。僕は燃え尽きた煙草を灰皿に放り込み、彼女が思考の海から戻ってくるのを待った。
「あなたは出会った人たちはいつかあなたから離れていくと感じている。」
海からの浮上までにはそれほど長い時間はかからなかったようだ。彼女が言う。
「じゃあ、あなたはいつかは私も死ぬと思っているのね?あなたと関わってしまったから。」
「どうかな…。わからないですね。あなたとはこの電車でたまたま出会ったようなものだから。この後綾部で別れて、アヤさんのその後を僕が知る機会は無いに等しいし。そういう意味では、今回の出会いは、僕の言う出会いの定義とは違う気がする」
僕は正直に答えた。この瞳の前では嘘をつくことができないのだ。取り繕っても、それはその透明な瞳にすべて見透かされているようにさえ感じてしまう。
「これだけ色々話し合っていながら、これは出会いじゃないなんて〜…。じゃあ、メール交換でもする?」
ふっと、瞳に色が戻る。元の彼女がそこに戻ってきたのだ。僕は内心ホッとしながら、彼女の中にいる何かについて考えた。思えば彼女はこのたった数十分の間に3回もその表層を変化させている。初めて会ったときの大人としての彼女、打ち解けたあとの本来の彼女(だと僕は思っているが、本当のところはわからない)、そして、時折降りてくる神がかった彼女だ。大人の女はみな、このように自分を使い分けて生きているのだろうか。

「あー、でも大丈夫よ。私たちきっとまた会うから。そうしたら出会いだって認めてくれる?」
からからと笑って、彼女が僕に言ってくる。
「どうなんでしょうね。」
「安心しなさい、私はそう簡単には死なないし、あなたの大切な人たちだってそんなに簡単にはあなたのところから離れていったりしないから。」
車内アナウンスが、園部に到着したことを告げる。前の方で、乗客がばたばたと立ち上がる音が聞こえた。

「むしろ、私が心配してるのはね。あなたの――」
「え?」
再び流れた電車のアナウンスで、彼女の言葉の終わりがかき消される。僕は彼女の顔を見たが、彼女はただ明るく笑っただけだった。
「なんでもないわ。さぁ、綾部までもう少し、私に付き合ってよね。」
 僕は訝しく思いながらも、その笑顔につられて曖昧に笑いを返した。綾部まではあと30分ほどになっていた。

 その後も彼女は色々な質問を僕にぶつけては、何かを確認しているようだった。僕の6年付き合い続けている恋人のことや、大学での専攻のこと、友人のことなど。冗談交じりの会話。よく話す人だと思いながら僕も笑顔で彼女との会話を楽しんでいた。
しかし、徐々に彼女が考え込む時間が長くなっていった。心なしか焦っているように見える。ただの話題探しなら、そこまで深刻な顔にはならないはずだ。何をそこまで必死になる必要があるのだろう?
そして、もう1つ気になることがある。先ほど、園部に着いたときに彼女が言いかけた言葉だ。

“むしろ、私が心配してるのはね。あなたの――”
最後は聞き逃してしまったが、あの時彼女は何を言いたかったのだろう。唇の動きを思い出そうとしてみる。

“あなたの――の ろ ぃ”

のろい――鈍い――呪い?
意味がわからない。ただ、彼女は何かを隠しているような気がする。

そんな漠然とした不安が徐々に僕の心を侵食し始めた頃、列車はついに「綾部」という名をアナウンスした。もうすぐ綾部。この人ともここでお別れだ。

「あ〜あ、着いちゃったか・・・。」
アナウンスを聞いて、彼女は残念そうに呟いた。外はいつの間にか薄い闇のベールに覆われていた。
「でもまだ綾部ですからね。ここから舞鶴まではしばらくありますよ」
僕は時計を見ながら言った。あと20分ほどで19時になろうかという時刻だ。
「そうね〜。」
彼女はそう言うと、しばらく考え込んでいるようだった。列車のスピードが徐々に落ちていく。窓の外には近づく街が見え始めた。
「ねぇ、最後にわがまま言って悪いんだけど、出口まで見送りしてくれる?」
彼女は僕の方を見て言った。どこか必死なまなざしだった。
「良いですよ。僕も良い暇つぶしになりましたし」
この言葉は本当だった。彼女がいなければ、今回の帰省の目的を思って気が滅入っていたかもしれない。最後まで変な人だったが、退屈はしないで済んだ。見送りくらいしても罰は当たらないだろう。しかも、見送りといってもたかだか列車の出口までのことだ。
 僕たちは最後尾の座席を立つと、もう乗客の少ない車両を縦に歩き、連結部へと移動した。

 出口へ来ると、列車はちょうど停車した。プシューという音を立てて扉が開く。外からはまだ肌寒い春の風が吹き込んできた。彼女の服装ではまだ寒いのではないかと思えるような、夜の冷気だ。もっとも、現地に送った荷物の中には厚手の服があるのかもしれないが。

「短い間でしたが、ありがとうございました。楽しかったです」
僕は彼女に言った。
「うん、こちらこそありがとう」
彼女は少し視線を下に向けて、そう言った。今も何か考えているようだった。
「どうしたんですか?さっきから何か考えておられるようですけど」
思い切って聞いてみたが、彼女はそれには答えず、同じ姿勢のまま固まっていた。
「あの、アヤさん…?扉閉まっちゃいますよ?」
僕がそう言った時、唐突に彼女は顔を上げて僕を見た。真っ直ぐに。そこには先ほどまではなかった決意の色が見られた。僕は少し戸惑いながらも、その目を見返した。

「・・・一緒に降りよう」
「え?」
わけがわからなくて、僕は変な声を出した。
「お願い、一緒に降りて!」
「そんなこといわれても、僕の帰るところは・・・」
「お願い!もう時間がないの!」
僕は混乱し始めた。彼女の言葉の真意がわからなかった。当の彼女もかなり焦っているようで、先ほどまでのあの余裕のある大人の顔ではなくなっていた。ただ、「一緒に降りて」を繰り返している。
「申し訳ないですけど、僕は一緒には・・・」
後ろでプルルという音が聞こえている。扉を閉める予告音だ。このままだと列車は彼女を内側に取り込んだまま出発してしまう。だが彼女はどうやら一人で降りるつもりはないようだ。どうする?力ずくで押し出すか?僕は良く回らない頭であれこれと手段を考えた。

 そんな中、もう一度彼女が口を開いた。電車の予告音ではっきりとは聞き取れなかったが、目の前で動く唇が意味するものを理解したとき、僕の思考は一瞬凍りついた。何も考えられなくなる。

それは、秘密の言葉。一部の人しか知ることのない僕のもう1つの名前。


 後ろでドアが閉まる音がした。ゆっくりと列車が動き出す。
気がつくと僕は、彼女と2人、駅のホームに立っていた。他には誰もいない。2人だけがこの場所に取り残されたようだった。


 「なんでその名前を知ってるんですか」
僕は静かに口を開いた。怒りも驚きもない、ただ、疑問から出た言葉。彼女は何も言わずにこちらを見ていた。

 ミズキ。彼女は確かに僕のことをそう呼んだ。
「それは、何年か前に僕がネット上で使っていた名前です。今はもう知る人は少ない。それ以前に、初めて会ったあなたが、それを僕だと知っているはずがない」
 水城。それは僕がはじめてネットで人々と交流を持った時に使った名前。我が家の犬の名前を拝借したものだ。目の前にいる女はそれを知っていた。何故?そして、その名前を呼んだときの彼女の顔を見て気がついた。この人、どこかで――。


 彼女は問いには何一つ答えなかった。その代わりに、1つ、小さな笑顔を浮かべた。
鼻の両脇の小さなほくろが見える。僕は何も言えず、ただ彼女を見つめていた。


やがて彼女は話し始めた。


「あなたは自分に関わる人が消えていくのが怖いと言った」

「でも、私が心配していたのは、あなたの周りの人じゃなくて、あなた自身」

「あなたには呪いがかけられていた」

「はじめに言ったでしょう。あなたに雨が降っているって。わかってなかったみたいだけど。私には見えるのよ。あなたの心に雨が降っているのが。」

「僕の心に雨が降っている?」
僕はただその言葉を繰り返した。理解するにはあまりにも唐突過ぎる話だった。

「そう。それは呪い。しかもあなた自身が、気付かずに自分自身にかけた呪い。あなたという器が雨で一杯になるまでに呪いを解かないと、雨の重みで器は壊れてしまう。」

「そして、今日のまさにこの時、あなたの器は一杯になろうとしている。」

だから私はここに来た。彼女はそう続けた。
あなたと話して、どうにか呪いの原因を突き止めたかったけど、駄目だった。
もう私には、こうするしか方法が残ってなかった・・・。

彼女の目はあの時と同じように、透き通るように澄んでいた。それだけではない。彼女の瞳だけでなく、彼女自身が透き通るように薄くなっているように見える。

「あなたの呪いが解けたかどうかはわからない。でも、これで運命は変わった。運命に干渉したせいで私は消えてしまうけど、後悔してないわ」

「あとは、もう一人の私がなんとかしてくれる・・・」

そう言って彼女は笑った。その頬に涙が伝う。

「アヤさん・・・?」

わけがわからず、僕は彼女に触れようと手を伸ばした。しかし、その手はあっさりと目の前の彼女をすり抜けた。自分の手を見つめ、その後に彼女を見る。気のせいではない。彼女の存在は急速に薄れ、消えようとしている。

「なんで。どういうことですか」

彼女はただ笑っているだけだった。その間にも、彼女の姿が薄れていく。

「待ってくださいよ。いきなり現れて、最後まで変なこと言って消えちゃうんですか。言ったでしょう、僕は誰かがいなくなるのはもう嫌なんですよ。」

僕の目からも涙がこぼれそうになる。そんな僕を見た彼女は、例の元気な口調で言った。

「あ、ようやく出会いだって認めてくれたわけね〜。大丈夫よ、さっきも言ったけど、私たちきっとまた会うから。その時はまた、楽しくお話しましょうね。」

僕は何も言えずにその場に立って彼女を見ていた。それを見返して、彼女は最後に寂しそうな笑みを浮かべ、そして、淡い光を残して消えた。りん、と指輪がホームに転がる。

“ね。私、少しはお姉さんっぽくなった・・・?”

最後に聞こえた声は、どこかで聞いた懐かしい声だった。





 その後、僕が乗って帰るはずだった列車は福知山の直前で脱線事故を起こした。大半の乗客は綾部で降りていたので、事故に巻き込まれた人は少なく、死者は出なかった。ただ、僕の乗っていた一番最後尾の車両は特に損傷が激しかったそうだ。あの電車にあのまま乗っていたらと思うと、ぞっとする。

 財布も携帯も何も持たずに綾部に降りた僕は駅員さんに頼んで電話を借り、親に綾部まで迎えに来てもらった。事故に巻き込まれなかったことに喜びつつも、何故綾部で降りたのかを聞いてくる親に対して、僕は曖昧な答えしか返すことができなかった。

あの夜出会った彼女のことは、誰にも話していない。話したとしても、誰にも信じてもらえないだろう。


 彼女の残したものは、あの磨り減った指輪だけ。その指輪の内側には、送り主と、彼女の本当の名前が刻まれていた。


 そう。僕は全てを理解した。いや、全てと言えば嘘になるか。

彼女がやってきた理由。彼女の言葉の意味。彼女に時折感じた懐かしさ。
思えば、アヤという名前だって、僕は知っていたんだ。

5年という歳月は、彼女にとってどんなに辛いものだったのだろう。
その歳月を飛び越えて、彼女は僕を救いに来てくれたのだ。自分の命を燃やして。


 実家での用を終えて京都駅に戻ってくると、ホームで恋人が待っていた。僕の姿を見て、半分泣きそうな顔をしながら駆け寄ってくる。同い年ながら、少し幼く見える彼女。鼻の両脇にある小さなほくろが印象的だ。

 僕たちは手を繋いで、歩き始めた。その指には、まだ新しい十字架模様の銀の指輪。


 どこかで彼女が、アヤが見ているような気がする。僕は一度だけ電車の停まっているホームに向き直り、心の中でありがとうと呟いた。もう雨は降っていない。

 また会えるよね。
“また会えるよ”
声が聞こえるような気がする。


そう。僕たちはきっとまた会える。繋いだ手の先にいる人と、これからずっと、歩いていけば――。

コメント(25)

すごく不思議なお話で、話の世界に引き込まれました…。
読み終えて、まだ胸がドキドキします!
なんか、不思議とひきつけられました(∩∀`*)揺れるハート

彼女があやさん…?難しいですむふっ電球
けど、心のもやをさとってくれた素敵な話だと思いますぴかぴか(新しい)

ありがとうございましたぴかぴか(新しい)
ゆき様>
コメントありがとうございました。
あるとき夢で見たものに手を加えて、このお話として投稿させていただきました。
私自身、目がさめたときは非常に胸がドキドキ・・・というか、苦しくなりました。
何かを感じていただけたのなら、非常に光栄に思います。

白月 亮様>
最後までお付き合いいただいてありがとうございました。
これで私が書きためていたものはほぼ出させていただきました。
今後はまた皆様の作品を読ませていただく側に戻ろうと思います。
また投稿する機会がありましたら、よろしくお願い致します。

文才なんてこれっぽっちもありません・・・でもそう言っていただけて嬉しいです。
白月様はもう十分人を癒す力を持ったお話を書いておられますよ!
見習いたいのは私の方です。

アヤっていうのは、作品中の彼女がネット上で使っていた名前です。
水城・アヤともに本当のものを使わせていただきました。


かお様>
コメントありがとうございました。
最後のところは、わかってもらいたいけど簡単にはわかってもらいたくないな〜という
ジレンマを持ちながら書かせていただきました。でもきっとそんなに謎めいた出来には
ならなかった感があります・・・。つじつま合わせをしようとすれば、いくらでも綻びが
見つかってしまいます。なので、感じるままに理解していただけたら幸いです。
優しいお言葉をありがとうございました。
Rion様>
はじめまして。コメントありがとうございました。
初めてのコメントが私などの話でよかったのでしょうか…と思いつつ、
非常に嬉しく、光栄に思っています。

ハッピーエンドなのかはわかりませんが、少なくともこれを書いたあと、
私自身は少し救われたような気持ちになりました。私にとってこの話は1つの
実験のようなもので。うまくいった状態で形になって良かったと思います。
それがまたRion様に何かを感じていただくきっかけになったのであれば、
これ以上のことはありません。

またいつか、機会があればお話書かせていただくことがあるかもしれません。
その時はまたよろしくお願い致します。ありがとうございました。
久しぶりに引き込ませる文章を読ませていただきました。
ストーリーはとても良いですよね。
女性の表情の移り変わりも想像力を掻き立てるものでありますが
もう少し情景描写と若干のストーリーの肉付けが加えられたら良いかと思われます。
せっかくなので、これを書きっぱなしにしないで
デッサンとして、完成作品に持っていってほしいと思います。

随所にどこかで見たような、むしろ見慣れたような描写もあるので
それらがこなれていくとあなたのオリジナリティになっていくとも思います。

今後も楽しみにしてますね。
れおん様>
コメントありがとうございました。
そう言っていただけて本当に嬉しく思います。
他にもいくつかお話書かせていただきました。
もしよろしければ、そちらの方もご一読いただければと思います。


のばら様>
コメントありがとうございました。
技術的な意見で非常に参考になります。
10000という文字制限の中に全てを組み込むのは難しく、まだまだ
そういう意味では力不足を感じています。色々とカットして平易な文に
なってしまっていることはいなめませんね。
精進いたします。ありがとうございました。
アジア様〉
こちらこそ、コメントありがとうございました。
本みたい、というお言葉、非常に嬉しく思います。

いずれ、何か書かせていただいた時はまたよろしくお願い致します。
お久しぶりです。この話の作者です。ご報告のため、コメントを使わせて頂きます。


先日、アヤさんのモデルになっている、9年の付き合いになる方と結婚致しました。今は、この話の3年後といったところです。


アヤさんは27歳なので、話の中の姿をした彼女と再び出会うまであと2年。3年前はまだ幼く見えた奥様も、だんだんと大人っぽくなってきました。
話とは違いますが、彼女が僕の呪いを解いてくれたという部分は同じ。そのときが来たらお礼を言おうと思っています。2年後が楽しみです。


ふと思い立ったので、コメントさせていただきました。失礼致しました。
結婚おめでとうございます!

この物語、今初めて読みました。
淡い景色と独特な世界観に、思わず引き込まれました。
出来ればちゃんとした形で手元に置いておきたいぐらいです。
アヤさん、とっても魅力的な人だと思いました。
なので結末も大満足です(^-^)

疑問に思った事を聞いてもいいですか?
少し飛躍した話になってしまうんですが、アヤさんのやってきた5年後の世界では主人公さんは死んでしまっているのですか?
その原因と思われる列車の事故は主人公さんが自分にかけた呪いによって引き起こされたのですか?
そしてアヤさんは、5年後のアヤさんは自らの命を燃やし二人の未来を救い、死んでしまったのでしょうか?
最後に一番の疑問なんですが…自分の恋人の5年後ってそんなに分からないほど変わるものなんでしょうか?
それともそこはお約束…?

多分このお話の半分以上は実話なんじゃないかって思ってます。
なので分からなければ想像でも構いません。

この小さな好奇心を満たしてはいただけないでしょうか。

そしてまた何度も読み返してみたいのです。
こんにちは。とても心に残る文章を残していた方だったので、また読むことができてうれしいです。
もちろん前回のものもよかったのですが、期待以上の文章でした。
ぜひぜひ、また何か書いてください(*^_^*)
何回も読み返したくなる文章はなかなかないので。
昴様>
コメントありがとうございます。
僕も自分の中で咀嚼しきれていない部分もあるのですが、今思うことを
お答えしようと思います。

アヤさんがいた5年後の世界には、おそらく「僕」はいないのだと思います。
電車の事故(今考えるとJRの方に申し訳ない話ですが)で、帰らぬ人となって
いるでしょう。
呪いのせいで事故が起こったというよりは、事故はたまたまだったけれど、
それをきっかけとして、呪いのために彼だけあちら側に引き込まれてしまった
のだと思います。

基本的には、過去は変えられないものだと思います。それを捻じ曲げるのには
それ相応の代償が必要だと。誰かの死をなかったことにするということは、
どこかで別の誰かがその死を受けることになる。今回は捻じ曲げた本人が
その対価を払ったのではないかと思います。

5年経った人ってそんなにわからなくなるものなのか、ということですが、
僕の経験では、人っていろんな表情を持っているものだと思うのです。
自分がよく知っていると思っている親しい人でも、ある瞬間にまったくの
別人に見えることが僕にはあります。それがその人の深みであったりするの
ですが。

「僕」は自分の恋人がこの場所にいるはずがないと思い込んでいるので、
アヤさんを恋人と結びつけて考えられなかったのかもしれませんし、
いろんな経験をして、アヤさんも幼い風貌から苦しみも辛さも受け入れた
大人の雰囲気を持つ人に成長しているはずです。そういうずれというものは、
意外と「同じ人だ」という事実を覆い隠してしまうものなのではないかなと
思うのです。高校1年生の女の子が高校3年生になって卒業していくときには、
嘘のように大人になっていることもあります。そういう感覚が根底にあるのかも
しれませんね・・・。

昴様がお察しの通り、このお話は何割かを実際の出来事を元にして作りました。
自分の中に起こった変化を、イメージを通して物語にするとこのような形に
なった、という感じです。それ故はっきりしないところも多くあり、歯がゆい
思いをさせたかもしれません。申し訳ありません。

疑問解消の手助けになれば幸いです。
楽しんでいただいて、ありがとうございました。
白月 亮様>
いつもコメントありがとうございます。
無事ここまで来ることができました。
今細々と先の話を書いているところです。
完成したら、またよろしくお願いいたします。


チョンちゃん様>
ありがとうございます。
この話のような、強い絆を作っていけるように頑張ります。


しらゆきこひめ様>
『風の声を聴く』ではコメントありがとうございました。
自分の内面を書きつづることに共感していただけるということは、
そうそうないことだと思うので、非常にうれしく思います。
今も少しずつ書き進めています。機会がありましたら、
よろしくお願いいたします。今回もありがとうございました。
トモキさん、返信ありがとうございます。
みなさんのお祝いメッセージの中に、自分だけ不謹慎な内容のコメントをしてしまった事を後悔していたところです笑

そしてとても丁寧な説明ありがとうございます。
アヤさんは、愛した人を救い、そして今から2年後、その想いは救われるのですね。
なんだか本当に現実とごっちゃになってしまいそうですが、物語の読者として、2年後を妄想して楽しみにしてます。
理屈ではうまく言えないのですが、こういう雰囲気を持った話が昔から好きでした。
ありがとうございました。
そして改めてご結婚おめでとうございます。
末永くお幸せに…☆
昴様>
ありがとうございました。
夢で見たことをそのまま書いたような、曖昧な雰囲気でしか
表現できなかったのですが、そのように言っていただけて嬉しく思います。

結婚。
ずっと昔に思い描いていたことがこうして現実になるというのは
すごいことだな〜と、自分ごとながら思います。
僕の夢に付き合ってくれたパートナーに感謝しつつ、これからも
うまくやっていこうと思います。

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