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AM12:30、6/19 JR池袋駅前

窓の外を埋める喧騒は引く気配すらなく、織江は窓の外を眺めては溜息をつく。
織江がこのウイークリーマンションに住むようになって、もう一ヶ月が経つ。だが、彼女は賃料を払ったことがない。彼女をここに案内した男が投資用に持っている物件らしく、そこに住まわせてくれているからだ。
バストイレは別だし、週に一度はシーツ交換が入ってくれる。居間の広さは7畳程度だが、ひとりで暮らすには充分すぎる広さだ。部屋に予め据え付けられた家具は、おとなしい色合いで、おとなしい価格帯のもので統一されている。
織江は腰掛けていた合皮のソファから立ち上がると、読みかけの文庫本をしおりも入れずに閉じ、ブラックチェリーのテーブル上に放り投げた。

部屋の蛍光灯は消されており、隅に置かれたデンマーク製のテーブルランプだけが、ぼんやりとした光を周囲に投げかけている。
織江は足元を探るようにゆっくりと出窓まで歩き、外界と室内とを隔てるレースのカーテンにそっと指を滑らせ、音をまったく立たせずに開いた。
窓の外の冷気がガラス越しに織江の腕を撫で、そこから這い上がる冷気が麻のワンピースしか着ていない彼女の肌に薄く泡を立たせる。

「明日は……明日は、晴れるんだね」

都市の人工照明と昨日の名残の雨雲に負けそうになりながら必死に輝くシリウスを見つけて一言そう呟き、織江は言葉の意味を咀嚼するように何度か頷いた。
ひとしきり星を眺めると、彼女は来た時と同じようにゆっくりと足元を確かめながら歩き、テーブルの上から文庫本を拾い上げて椅子に座りなおす。閉じてしまった頁を正確に開き直すと、本に目を落としながら織江は嬉しそうに呟いた。
「明日は、星が見えるよ、ケンジ」


AM12:50 6/19 六本木交差点

沢井健二は、不満そうな顔でタクシーの後部座席に身を沈めている。
「悪いねお客さん、混んじまっててよぉ」
運転手は暢気な声でそう言ったが、健二はそれに返事をしなかった。
……ったく、「平日だから交差点通っても大丈夫でさぁ」って言いやがった癖に。
文句を言いたいのは山々だったが、それを追認したのは自分の責任だ。それに、つべこべ言った所で渋滞が解消される訳もない。
健二は、カーキのジャケットの胸ポケットに手を突っ込み、雨を吸って歪んだ箱から、タバコを一本引っ張り出す。
「あ、お客さん、この車禁煙でね。いやー参ったよ、この所の健康志向のおかげで喫煙者は肩身が狭い」
……ホントに、ついてない。
健二は咥えたタバコを乱暴にケースに戻し、溜息をつく。

健二は、国立大学の大学院を出て一流企業に就職。技術職を2年務めたあと、ベンチャー起業家に誘われて役員待遇で転職。ベンチャーが潤っている最中に、大好きなラテンミュージックのレコードの権利を買い漁ったのだが、その内の1曲をアメリカのDJがサンプリングで使用し、世界で1000万枚を超えるヒット。それを皮切りにアメリカ及び日本でラテンミュージックのブームが起こり、最初は雀の涙程度だったレコードの権利が、いつしか会社員としての彼の収入をしのぐほどになった。
多くの人からすれば、彼の人生を「成功」と捉えるはずだ。

だが、彼自身はずっと物足りなさを感じていた。その物足りなさが、一体何に起因しているのか。健二はそれを解らないでいた。……いや、解りたくなかったのかもしれない。

そんなある日、健二はオリエに出会った。
オリエと初めて出会ったのは、知人が「いい歌い手がいる」と紹介してくれて訪れた赤坂のジャズ・バーだった。
健二が店の傾きかけた店のドアをくぐったとき、オリエは飾り気のまったくない赤のドレスに身を包み、少しもたったテンポで呟くように「my funny valentine」を歌っていた。
「この子、いいだろう?」
知人はそう言って笑ったが、彼の言葉は健二の耳に届いていなかった。
健二は、瞳と耳ばかりか、心までオリエに魅せられてしまっていた。ステージが終わってすぐ、健二は店主に彼女のことを聞いた。オリエは住み込みで働いており、それ以前の経歴ははっきりしないらしい。それをいいことに、店側は彼女をいいようにこき使っていた。それを聞いてすぐ、健二はオリエを身請けすることを決めた。
知人は身元のはっきりしない女に関らない方がいい、と言ったが、健二はまたしても聞く耳をもたなかった。
彼女が有り余る才能を持ちながらなぜ店の雇われミュージシャンを続けているのか。オリエ本人と店と交渉を進めていく中で、健二は知った。オリエには、店に来る以前の記憶が全くなかったのだ。
そして半月後。健二は多額の違約金を支払い、オリエを引き取ることになった。


AM1:30、6/19 JR池袋駅前

「1時すぎには帰れると思う。眠くなったら先に寝てていいから」
ケンジがそう言って電話をかけてきたのが、23時半頃。約束の時間から暫しの時が経過している。
健二はだらしない所があるオトコだったが、約束を違えたことは今までなかった。
「君はこんな店で歌ってるような子じゃない」と言って、あの小便臭い店から連れ出してくれたとき。
「必ずここより大きな店で歌えるようにしてやる」と言ったときは、1週間とかからずこれまでより大きな店との契約を持ってきてくれた。目黒のBlues Alley。六本木のSTB139。
これまでの記憶がなく、あの店の暮らししか覚えていない織江には、ケンジがただひとつの拠り所だった。
織江はソファの脇に立て掛けてあるアコースティックギターを手に取ると、優しく撫でるように、2弦と5弦を爪弾いた。
夜に冷やされた室内を巡る静かな空気を、透き通る高音とベース音とが乱す。その感覚を愛でるように微笑むと、織江は次の音を奏でる。音は新たな音を求め、求めに応じて奏でられた次の音と官能的に交じり合い、連なった音が楽曲として命を与えられる。
その音に伴せ、織江はいつものように、囁くような歌声を乗せる。
まだ帰らぬ彼を思いながら、歌はいつまでも続いた。


AM1:30、6/19 目白通り

ここがどこだかわからない。
ひどく暗い。胸が焼けるように熱いことはわかるのだが、他の感覚が全くない。
「ひどい……」
「バイクが……飛び出して……」
誰かの声が遠くで聞こえる。事故があったのか? ……どこで?



……ここで、か。
全く、ついてない。

「おいアンタ、大丈夫か!?」
誰かが耳元で怒鳴り声を上げてるみたいだ。そんなデカい声上げなくても、聞こえてるよ。
ただ、億劫なんだ。目を開けるのも、声を出すのもしんどいんだ。
だからちょっと、ちょっとだけでいいんだ。休ませてくれないか?
「連絡先は? どこに連絡すればいい?」
れん……らく?
ああ、そうだ。オリエに教えてやらないと。レーベルとの契約がまとまったんだ。
CDデビューだぜ、すごいだろ。これも俺の人脈ってヤツの力だ。コネ万歳!
……そう言ったら、アイツ、いつもみたいに笑うだろうな。

健二は、笑おうとして失敗した。
なんだか憎めない老人が運転するタクシーは、突然わき道から飛び出してきた漆黒のバイクを避けようとして急ハンドルを切り、電柱に正面から激突した。
後部座席のほぼ中央に座っていた彼の身体は前へと放り出され、フロントガラスを突き破って歩道の上に転がっていた。
笑おうとした健二の口からは、彼が生きている証が流れ出ただけだった。

「俺の声が聞こえるか、聞こえたら頷いてくれ、もう救急車が来るから……」
わかったよ、おっさん。聞こえてるって。
あ、そうそう。さっき言ってた連絡先だけど、確かここに書いてある。
健二はゆるゆると奮える指先を動かすと、元型を留めないほど裂けたジャケットの胸ポケットから、レコード会社へのプレゼン用に作ったオリエの資料を取り出した。
「沢井……オリエ? この子に連絡すればいいのか!?」
そうだ、そうだよおっさん。可愛くて、歌がうまくて、最高の素材だ。気に入ったら、連絡をくれ。
あ、忘れるなよ。契約は早いもん勝ちじゃなくて、条件が一番いい……ところに……するって。
「おい、しっかりしろ、おい!」

救急車のサイレンが遠くで聞こえる。
だが、その音を健二が聞くことはなかった。


AM3:00、6/19 JR池袋駅前

織江はまだギターを弾いていた。
時折眠気に負けそうになる頭を奮い立たせながら、同じ曲をプレーヤーでリピート再生するかのように繰り返す。

織江が歌っているのは、ケンジの歌だ。

あなたは星のように 私の夜を照らしてくれる
あなたは星のように 私の夜に希望をくれる

今日が雲に覆われて 星が見えなければ
私はあなたを願うでしょう
今日が晴れに恵まれて 星が見えたならば
私はあなたに微笑むでしょう

何度も何度も繰り返す。
ケンジが戻ってきたら、「明日は一緒に星を見よう」って言うんだと心に決めて。
何度も何度も何度も繰り返す。
ケンジが戻ってきたら、新しく書いたこの曲の話をしようと心に決めて。
何度も何度も何度も、何度でも繰り返す。
あなたがいてよかったと、これまで言えなかった「ありがとう」を言おうと心に決めて。

願いは果たされず、鳴らない電話と開かないドアを眺めながら。

コメント(6)

2本目、書かせていただきマシタ♪
コメディタッチで書いた1本目とはちょっとテイストを変えてみました。
気に入っていただければ幸いです。

このエピソードのモチーフになった曲です。
とても優しく暖かく、切ない曲です。
よければ併せて聞いてみて下さい♪

Corinne Bailey Rae - Like A Star
http://www.youtube.com/watch?v=aMIaApFCLu8
>ももいサン
やるせない思い、それが好きな人っていませんよね。
だから、そういう思いをしないように、誰かとの絆を守ろうと
みんな必死にがんばるんだと思います。

でも、運命って残酷だから。
気がつくと、何人もの人を置いてけぼりにしちゃう。

誰かをまっすぐに思うことは素敵なことだけれど、
それ以外に拠り所をなくしちゃうと淀んでいくものだと思ってます。
ふたりが残酷な別れ方をしなければならなかったのは、
お互いにそれ以外の拠り所をもてなかったからだと考えています。
切ない話になってしまってすいません。
少しの癒しでも感じていただけて幸いです♪
また、読んで下さいね☆

>Dr.COPEサン
前作に引き続き、コメントありがとうデス!

星それ自体は、とおーいとおーい宇宙のカナタで輝いてるただの光に過ぎません。
でも、人はそこに思いを託したり、動物や物の姿を見出したりします。
つくずく、人ってロマンティストだなぁ、って感じます。

そうそう、地球からシリウスまでの距離は8.6光年。
ってことは、私たちが見ているシリウスの光は、
8年前にシリウスが放った光なんですよね。
そう思って見ると、感慨深いものがあります。
あの光は、アチシがまだ10代だった頃の光なんだ。。。とか。

どうか、星を見て下さい。
きっとそこに、なにかの物語が見つかるハズです。
だって、人ってロマンティストだから。

また、書きます♪

>アナザーサン
せんきう!
……だけで終わりにしちゃうのもなんなので(笑)。

このお話は、2週間前から書き始めたお話の一部分を切り取ったものです。
深夜の街を舞台にせわしなく動く人たちの些細な場面場面を
切り取ったお話で、完全版(?)では、他に
「健二の今今際の際に立ち会ったおじさん」
「事故の原因になったバイクの運転手」
「コンビニエンスストアの店員」
なんかが主人公として登場します。
今はまだ、各個人のエピソードを構築している段階ですけど(笑)

ちゃんとできあがるかなぁ。。。

また読んで下さい☆
コメント読んで納得。
描写はしっかりしてるのに、なんだか尻切れトンボのような感じだったから。
完成版を期待してます。

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